勇斗たちはロンに案内され、見張りの塔の地下へ向かっていた。
深淵へと続いているような螺旋階段を、慎重に降りていく。聞こえるのは、四人の足音と、腰につけているカンテラから発せられる油の染みた芯が燃える音だけだった。緊張感が増す。
「おいジジイ、この階段どこまで続くんだよー!」
ランパの声が反響した。静寂に耐えきれなくなったのだろう。
「ホッホ、もうすぐ着くぞ」
螺旋階段の終着点は、広く、暗かった。ひんやりとした空気が流れている。勇斗は腰につけたカンテラを手に持ち、周囲を見回した。
「あそこに壁画があるのじゃが、見えるかの?」
風化した壁に、カンテラの光を当てる。相当古い壁画には、一本の大樹と四つの生物が描かれていた。
中央に大きく描かれている樹は、精霊樹だとロンが語った。精霊樹は、この世界が誕生した創生のときから、なにもない大地に根付いていたと言われている。
精霊樹に身を宿すマナの女神――チキサは、世界を形作るために多くの精霊を大地に解き放った。その中でも特に強大な力を持つ四人の精霊が始祖精霊と呼ばれている。壁画の四隅に描かれているのが、まさにその始祖精霊たちだ。始祖精霊たちは、多くの生き物を生み出し、この世界に命をもたらしたのだという。
壁画の左上に描かれているのは、人間をはじめとする動物を創り出した始祖精霊カーラ。顕現体を持たず、壁画に描かれている女性のような姿は、人々の想像によるものらしい。
左下に描かれている大きな鳥は、オル族を創り出したコタ。右上に描かれている大きな犬は、モッケ族を創り出したレブン。それぞれ、ロンとミュールの祖先にあたる。この二人はとても仲が良く、多くの国を作ったという。
右下に描かれているのは、魔族を創り出したヴェン。翼の生えた蛇のようにも見えるし、竜のようにも見える。視線を合わせ続けると、胸の奥がざわつき、吐き気をもよおしそうだった。
「確かヴェンって、チキサ様の怒りを買って滅ぼされたんだよな」
ミュールは、丸めた尻尾を足の間に挟んだ。
「そう言われておるの」
ロンは壁画から顔を背け、大きくため息を吐いた。少し間を置いてから、歴史のお勉強は終わり、と言い、奥の通路へと姿を消した。
「あ、待ってよ、じーちゃん」
ロンさんを追って、石で囲まれた通路を五分くらい歩くと、巨大な扉が姿を現した。扉には四芒星が大きく刻まれている。
「これ、神社の地下にあった扉と似ている」
勇斗は上着の袖をめくり、左手首を見る。痣から光が溢れていた。
「コタ様が残した、オル族の限られた者のみが知る予言がある。別の世界から来た少年が、塔に眠る封じられし扉を開くという内容じゃ」
「ロンさん、もしかして最初から知って……」
重い音を轟かせ、扉がゆっくりと開き始めた。
ロンは一歩、静かに後ろへ下がった。
勇斗たちは、慎重に扉の先へと足を踏み入れた。
部屋の中は、ぼんやりとした青白い空間だった。四方の壁に埋め込まれた大きな石が、青い光をうっすらと放射している。
それほど大きくない部屋の中央に、台座がひっそりと佇んでいた。台座の上には、ゴルフボールくらいの大きさの石と、木の枝が一本置かれていた。
――お待ちしておりました。
突如、声が部屋中に響いた。
誰だ! とミュールが身構え、部屋全体をしきりに見回した。尻尾がぴんと逆立っている。
再び声が聞こえた。バリトンボイスが、すっと耳に届く。
――よく来ましたね。新たな勇者と、レブンの力を受け継ぐモッケ族よ。あなたたちがここを訪れることは知っていました。
勇斗とミュールは同時に目を大きく見張り、お互いに見つめ合った。
――私はコタ。あなたたちが始祖精霊と呼んでいる存在です。
「始祖精霊って、あの壁画に描かれていた……」
勇斗は息を呑んだ。自然と背筋がぴんと伸びていた。
――私の魂は、あなたたちの目の前にある精霊石に封じられています。精霊は死ぬとこうして石になるのです。
「精霊って、死ぬこともあるんですか?」
――精霊は人間より長寿ですが、寿命はちゃんとあります。何らかの方法で肉体に深刻な傷を負った場合も死んでしまいます。
ランパも死んでしまうことがあるということか。もし、彼が死んでしまったら、自分はどうすればいいんだろう。つい悲観的に考えてしまう。
――死んだ精霊の魂は、精霊樹に還るのです。まぁ、稀に私のように魂を残す変わり者もいますが……あっ、目が回る!
ランパは、台座の上に置かれていた石を指で摘み、くるくると回していた。
「こっから話してるのかー?」
緊張感のない行為に、勇斗は思わず力が抜けそうになった。
――久しぶりですね、ランパ。ちょっとふっくらしましたか? さぞ美味しいものを食べてるんでしょうね……というか回すのをやめなさい。
「久しぶりって、オイラはお前のこと知らないぞ?」
――覚えてないのも無理はありません。あなたの記憶は封印されているのですから。
「フーインって、どういうことだ?」
ランパは眉をひそめ、不思議そうに首をかしげた。
――話しましょう。勇者とモッケ族の子もよく聞いて下さい。
精霊石が台座から浮かび上がる。
コタが、語り始めた。
ランパの記憶は、現在、四大精霊が預かっているという。四大精霊とは、炎、水、風、大地の力をそれぞれ司る大精霊のことで、始祖精霊の次に大きな力を持つ。ミケーレ大陸の各地に眠っている彼らを目覚めさせることで、失われた記憶は、いずれ戻る。
また、精霊樹のある聖域は外界から隔離されていて、中に入るためには、四大精霊の力を伝説の武具に宿らせる必要があるとも言われた。つまり、元の世界に戻るにはミケーレ大陸全域を旅しないといけないというわけだ。
勇斗は、なぜ自分が新たな勇者と呼ばれたのかも尋ねた。コタ曰く、どうやら自分は伝説の勇者ルークの力を受け継いでいるらしい。アルトはともかく、ここではない世界で生まれた自分が、どうしてこの世界の勇者の力を受け継いでいるのだろう? どうも腑に落ちない。
――ホッ! ランパ、起きなさい!
コタの大声で、ランパの鼻ちょうちんが破裂した。
「ありゃ、オイラ寝てた? で、話は終わったか?」
どこからともなく、大きなため息をつく音が聞こえた。
あっけらかんとした表情をしているランパを横目で見ながら、勇斗は四大精霊の眠る場所について、コタに尋ねた。
――四大精霊が眠る場所は、台座の上にある精霊樹の枝が示してくれるでしょう。
「精霊樹の枝?」
ランパの視線が、台座に置かれている、大ぶりな木の枝に移った。
――それは、あなたの持ち物だったのです。さぁ、手に取りなさい。
ランパは、精霊樹の枝を片手でひょいと掴んだ。とたん、枝についている葉っぱの一枚一枚が淡い光を帯び始めた。
「これ、知ってる。オイラの大切なもの」
ランパの瞳が、やさしく潤んでいた。
――そろそろ、お喋りの時間も終わりです。私もようやく還るときが来ました。最後に、この大陸のどこかにいる、金色の第三の目を持つオル族を見つけて下さい。その者は、私の力を受け継いでいます。きっと、あなたたちの力となってくれるはずです。
「金色の、第三の目……」
コタの言葉に、全員が思わず顔を見合わせた。
――気をつけながら旅をしなさい。今、この世界に新たなる邪悪が産声を上げようとしています。でも、あなたたちが力を合わせれば、きっと。
コタの声が徐々に小さくなっていく。
「ま、待って下さい! 新たなる邪悪って? 僕、聞きたいことがまだあるんですけど!」
勇斗は、あたふたしながら大きな声を出した。
――ホッホ。それではご武運を。
コタの声は完全に消えた。答えを聞く前に、世界の方が先に動き出してしまった気がした。
部屋に静寂が戻る中、精霊石はビー玉ほどの大きさに縮まり、ふわりと浮かぶと、ランパのポーチに潜り込んだ。
勇斗たちはその場に立ち尽くし、言葉を失っていた。
早朝、伝説の武具を身にまとった勇斗は、見張りの塔の屋上からぼんやりと広大な景色を眺めていた。水平線の向こうから、朝日がゆっくりと顔を覗かせた。
「長いようで、短い付き合いじゃったの」
振り向くと、ロンが柔らかい表情で立っていた。横ではミュールが大きなリュックを背負い、白い歯を見せている。
「ロンさん、今までありがとうございました」
勇斗は深々と頭を下げた。
「無事に元の世界に戻れるよう、コタ様に祈っておくよ」
「あの、ロンさんは一緒に来てくれないのですか?」
しようもなく嘆息を漏らしたロンは、勇斗の頭の上に手を置いた。
「年寄りをかつぎ出すんじゃない。ワシもおいぼれじゃ。若いものとは一緒に行けんよ。それとも、このジジイがいないと怖いのか?」
勇斗は黙ったまま、俯いた。怖いのは確かだ。これから先のことを考えれば考えるほど、心がすり減ってしまう。暗い思考に押しつぶされそうになる。
「ユート、心配するな。オイラがついている!」
ガッツポーズをしたランパが、ニッと微笑んだ。
「魔族が現れたら、オレがぶちのめしてやるから安心しろ」
ミュールは、両手に装着された爪付きガントレットをカチカチと打ち鳴らした。
「ランパ、ミュール……」
「ホッホ。心強い仲間がついておるの。ユート、心配することはない。ワシとの稽古を逃げださずにやり遂げた粘り強さは見事なもんじゃったよ。もっと自分に自信を持つんじゃ。わかったか?」
「は、はい」
少しだけ、晴れやかな気持ちになった。
「それにしても、これがどうやって四大精霊のところに導いてくれるんだ?」
ランパは精霊樹の枝を取り出し、まじまじと眺めた。
「おりょ? なんだ?」
突然、枝から一筋の光が放出された。光に引っ張られるように、ランパの体が塔の屋上にある欄干へ近づいていく。
「ピャアアアアアアァァァァッ!?」
泡を吹いて気絶したランパを、勇斗はゆっくりと抱き上げた。そういえば、ランパは高いところが苦手だったんだ。
ランパに握られた精霊樹の枝から放たれた光は、広大な砂漠の方面へと一直線に伸びていた。
「あの砂漠のどこかに、四大精霊が」
「よし、じゃあ行こう。これからよろしくな、ユート!」
ミュールは尻尾を大きく振り、ニカっと笑った。
「ユートよ、これを渡しておく。以前、塔の地下で見つけたものじゃ。何かの役に立つじゃろ。ワシには不要なものじゃからな」
ロンから手渡されたものは、細かな装飾が施された古びた指輪だった。全部で四つある。大きめの作りで、指にはめてもすっぽりと抜けてしまいそうだ。
「あ、ありがとうございます」
「それでは、気をつけての」
「はい」
塔の一階にある扉から、勇斗は外に出た。森の中はまだ薄暗かった。ざわわ、と風に吹かれて葉が重なり合う音が耳を駆け抜けた。
これから、困難な旅が始まる。はたして、自分は元の世界に戻ることができるのだろうか。勇斗は身震いした。
「おーい、お前らー! はやく来いよー!」
先に進んでいたランパが、両手を口元で三角にし、叫んでいた。
「行こう、ユート」
白い歯を見せたミュールは、勇斗の背中を軽く叩いた。
「うん」
大丈夫、一人ではない。きっとなんとかなる。一生懸命、自分に言い聞かせた。
勇斗は震える手をぎゅっと握りしめた。それは恐怖でもあり、覚悟でもあった。
そして――大きく深呼吸をしたあと、一歩を踏み出した。