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旅立ち

10/15





 灰色の空が低く垂れ込め、しとしと雨が降る。  ランドセルを背負った勇斗は傘もささずにトボトボ歩いていた。ブラウンの髪がペチャっと濡れている。 「うぅー、なんで傘がなくなるんだよぅ」  ギャアー! ギャアー! 「カラス? こんな雨の日に?」  電信柱の下にカラスが三羽。何かを突っついている。 「あ、トビだ」  カラスにいじめられているトビは茶色い羽を震わせ、力なく鳴いていた。 「どうしよう、助けてやらないと。でも――」  勇斗は怖気づいて、立ち尽くしたままだった。 「なんだよお前、ビビってんのか?」  背後から甲高い声が聞こえてきた。短くツンツンした黒髪の男の子が、ムスッとした表情をしていた。 「きみは?」 「いいから。あの鳥助けるぞ」 「こわいよ。カラスに襲われちゃうよ」 「助けたいんだろ?」 「う、うん」 「じゃあ、一緒にいくぞ」  黒髪の少年はカラスに向かって傘を振り回した。驚いたカラスが一斉に飛ぶ。 「おとといきやがれー!」 「濡れて冷たくなっている。どこかで乾かしてやらないと」  勇斗はトビを触り、おろおろした。 「じゃあ俺んち来いよ。すぐそこだからさ」  傘に入れてもらった勇斗は、トビを抱えながら歩いた。 「ついたぞ」  石段の上に鳥居が見えた。 「神社? きみの家は神社なの?」 「そうだよ」  神社の境内は静寂に包まれていた。濡れた石畳は滑らかに光り、あちこちに水溜りができていた。 「滑るから、気をつけろよ」 「う、うん――あっ」  ツルッと、勇斗は転んだ。 「あーあ、言っているそばから」 「うわああああん、痛いよぉ」  擦りむいた腕と膝から血が滲んでいた。 「ビービー泣くなって。男だろ」 「そんなこと言われたってぇ」  勇斗はわんわんと泣いた。 「でも、トビはしっかり守ってるんだな」  勇斗にしっかりと抱えられたトビは無傷だった。 「う、うん」  勇斗はグズっと、返事をした。 「へへっ、かっこいいじゃん。お前、名前は?」 「勇斗。日向勇斗。三年生だよ」 「俺は光太。夏野光太。同じく三年。よろしくな、勇斗」  光太はニカっと笑い、勇斗に手を差し伸べた。 「うん、よろしく、光太」  光太の家に入った勇斗は、タオルでトビの羽を優しく拭いた。 「また飛べるかな」 「うーん、どうだろ。鳥のことはさっぱりわかんない」  開いた窓から、一定のリズムで水滴が滴り落ちる音が聞こえる。 「そういや勇斗、さっきの怪我は大丈夫なのかよ。俺、バンソーコーとってくる」  光太はバタバタと部屋を出ていった。 「ケガ――あれ?」  擦りむいた箇所は、まるで何事もなかったかのように、綺麗な肌色をしていた。  ピーヒョロロ!  トビは羽を羽ばたかせ、窓枠に飛び乗った。 「わっ、元気になったんだ。よかった」  つぶらな瞳が、勇斗をじっと見つめる。 「おーい、お待たせー!」  光太が絆創膏片手にダッシュで戻ってきた。 「おりょ、お前元気になったのか」  トビは二人を交互に見た後、羽を大きく広げた。  瞬間、風が渦巻いた。 「うわっ、急に何?」  気がつくと、トビの姿はどこにもなかった。 「はっやー。もう飛んでいっちゃったのかよ」 「光太、何か落ちてるよ」 「何じゃこりゃ。お守り? うちのやつじゃないなぁ。後で父ちゃんに聞いてみよっと」 「トビがお礼をしてくれたのかな?」 「そんなわけないだろー」  勇斗と光太は笑いあう。窓の外に、虹が見えた――  怪物との死闘から一週間後。  勇斗たちはロンに案内され、見張りの塔の地下へと続く螺旋階段を降りていた。 「ミュール、元気になってよかった」 「チビスケの精霊術のおかげだな」 「うんうん、オイラに感謝しろよ。ほとんど寝ずに治療してやったんだからな」 「ありがとう、ランパ」 「ワンコも重症だったけど、ユートはそれ以上にやばかったんだぞ」 「回復の術って、一瞬で治るものかと思ってたのだけど」 「バーカ。オイラの精霊術は自然治癒力を高めるだけ。一瞬で治るとか奇跡みたいなもんじゃない。でも、ユートの回復力はすごかったな。ワンコより早かったし。あっちの世界のニンゲンってみんなそうなのか」 「そんなわけないよ」  思い返せば、昔から怪我の治りは早かった。今まで気にしたことはなかったけど、どういうことなのだろう―― 「ところでこの先には何があるの? オレ、塔に地下があるなんて初めて知ったよ」 「黙ってついてきなさい」 「う、うん」  螺旋階段の終着点は、広く、暗かった。ランタンの灯りでは全てを照らすことができない。 「あそこに壁画があるのじゃが、ちょっと見えにくいかの」 「じーちゃんは見えてるの?」 「オル族の目は暗いところでもよく見えるからの」 「おりょっ」  暗闇の中、ランパのポーチから光が漏れていた。 「枝が」  ランパは精霊樹の枝を取り出す。枝葉が光り、辺りを大きく照らした。 「おーっ、すげー明るい!」 「ふむ、これでよく見えるようになったの」  照らし出された壁画には、大きな樹と四つの生き物が描かれていた。 「何ですか、これは」 「始祖精霊じゃよ。大きな鳥はコタ様。ワシらオル族の祖先と言われておる」 「狼みたいなのはレブン様。モッケ族の祖先だな」  ミュールが指差す。 「人間のようなものも描かれているね」 「あれはカーラ様。人間を創造したと言われている」  神様みたいな存在だろうか。大きく、威厳のある表情だ。 「あの蛇みたいなものは?」 「――ヴェン。魔族を創り出したと言われている。我々が畏怖すべき存在じゃ」 「魔族を――」  大きな蛇にも見えるし、竜のようにも見える。嫌悪感。ずっと眺めていると、心に重しが乗った感じがした。 「確かヴェンって、精霊姫様の怒りを買って滅ぼされたんだよな」  丸めた尻尾を足の間に挟んだミュールが呟く。 「そう伝えられておるの」 「あの大きな樹は、精霊樹かな」 「そう。精霊樹に宿る精霊姫と始祖精霊がこの世界を作ったと言われておる」  大きすぎるスケールの話に、頭がクラクラした。 「さて、歴史のお勉強はこれくらいにしておこうかの」  ロンは通路の奥へと姿を消した。 「あ、待ってよじーちゃん」  五分くらい歩くと、大きな扉が姿を現した。勇斗のアザと同じ模様が描かれている。 「これ、神社の地下にあった扉と似ている」  勇斗は左腕を見る。あの時と同じように、アザから光が溢れ出ていた。 「コタ様が残した、オル族の限られた者のみが知る予言がある。別の世界から来た少年が樹の精霊と契約すること。モッケ族の少年と協力して巨大な魔族を倒すこと。そして、塔に眠る封じられし扉を開くこと。ワシは森でお主を見た時、予言が的中したと確信したよ」  重い音を轟かせ、扉がゆっくりと開く。 「さぁ、行きなさい」  勇斗たちは扉の先へと足を踏み入れる。部屋の中央の台座には、ゴルフボールくらいの大きさの石が置かれていた。 「これは、精霊石だ。精霊が死んだときに残すもの」 「精霊も、死ぬんだ」 「体が壊れたら死ぬし、寿命もある。ニンゲンたちより長生きだけどな」  ランパは眉をひそめ、小声で言った。 「ランパ――」  もしランパがいなくなったら、僕はどうすれば―― 「お待ちしておりました」  突然、脳内に誰かが語りかけてきた。低く、落ち着いた声。台座を見ると、置かれた精霊石から金色のフクロウの姿が映し出されていた。 「私はコタ」 「コタって――始祖精霊様?」 「そう。私は貴方たちが始祖精霊と呼ぶ原初の精霊の一人。遥か昔に死にましたが、こうして魂を精霊石に残し、貴方たちがここを訪れるこの時を、ずっと待ち続けていました」 「ロンさんが言っていた予言、ですか」 「私の目は、断片的ですが未来を視ることができるのです」 「未来――僕は、元の世界に戻れるのですか?」 「私が視えたのは、今、この瞬間まで。これから先のことは分かりません」 「そんな――」 「時間があまりありません。簡潔に伝えます。魔神を倒してください」 「はっ、えっ? 魔神って生きてるのですか?」 「魔神はもう一人の勇者の手で死にました。しかし、魂が新たに生まれ変わろうとしています。以前とは比べ物にならない力を得て――」 「――僕は、元の世界に戻りたいだけなのです。魔神を倒すなんて、無理です」  勇斗の声が震える。 「魔神を倒すことができるのは、伝説の武具を身に付けることができる勇者のみ。今、この世界に存在する勇者は貴方しかいないのです」 「でも――」 「魔神はいずれ、精霊樹を堕とすでしょう。そうなると世界は滅び、貴方が元の世界に戻る術もなくなります」  勇斗は俯き、黙り込んでしまった。 「力を増した魔神に対抗するには四大精霊の力が必要です。各地に眠る四大の封印を解き、武具の力を覚醒させなさい。封印が解かれれば、樹の精霊の記憶も蘇ります」 「オイラの記憶って、どういうことだよ」 「それは貴方自身で確かめなさい。四大が封印されている場所へは、精霊樹の枝が導いてくれるでしょう」 「枝が――」  ランパは精霊樹の枝をじっと見つめた。 「そして、レブンの子孫よ。貴方は勇者を守護しなさい。それが使命です」 「オ、オレ?」  ミュールは目を見開き、辺りをキョロキョロした。 「勇者よ。世界を、頼みましたよ――」  コタの姿は消え、台座に置かれた精霊石がフワリと浮かんだ。ビー玉ほどの大きさに縮小した精霊石は、ランパのポーチへと入り込んだ。  三人は呆然と、その場で立ち尽くしていた。 「何なんだよ――」    翌朝、勇斗は見張りの塔の頂上から、広大な景色を眺めていた。黄金色の鎧についた赤いマントがバサバサと揺れている。 「長いようで、短い付き合いじゃったの」  振り向くと、ロンが柔らかい表情で立っていた。横ではミュールが大きなカバンを背負い、白い歯を見せている。 「ロンさん、これまでありがとうございました」  勇斗はお辞儀をする。 「大変なことになってしまったが、無事に元の世界に戻れるよう、コタ様に祈っておくよ」 「祈ってるだけで、ジジイはついてこねーのかよ」  離れた場所で、ランパが鼻をほじりながら言った。 「ホッホ、ワシは腰が悪いのでな」 「よく言うぜ。あんなに元気に動き回ってたくせに」  ランパはジト目で言った。 「それとミュール。お主ともお別れじゃの」 「じーちゃん――」 「お主の料理、美味かったぞ」 「うん、ありがと」  ミュールは俯き、鼻をすすった。 「ユートよ。これを渡しておく」  ロンに手渡された袋の中には、この世界のものであろう硬貨が入っていた。 「お、お金なんて」 「魔神を倒す前に、野垂れ死なれては困るからの」 「うぅ」 「あと、これも」  勇斗は古びた指輪を五つ受け取った。輪っかは大きく、指に嵌めてもすぐに外れそうだ。 「これは?」 「あの怪物が死んだところに落ちていたものじゃよ。必要なくなったら売って資金にしなさい」 「そんな、売るなんて」 「ホッホ、謙虚な子じゃの。まぁ、好きにするがよい」 「本当に、ありがとうございます」  勇斗は深々とお辞儀をした。 「これがどうやって導いてくれるんだか」  ランパは精霊樹の枝を取り出し、まじまじと眺めた。  瞬間、枝から光が放たれた。 「おっとっと。ちょ、引っ張られる!」  ランパの体が、勇斗の隣まで到達した。 「ぎゃー! 高いの無理ぃ」  枝から放たれた光は、広大な砂漠の方面へと伸びていた。 「あそこに、四大精霊の封印が――」 「よし、じゃあ行こう。これからよろしく、ユート!」  ミュールは尻尾を振り、ニカっと笑った。 「うん、よろしく」 「おーい、チビスケも行くぞ」  ランパは泡を吹いて倒れていた。 「ありゃ、またか」  地上への扉が開く。木々の間から吹き抜ける爽やかな風が、勇斗のブラウンの髪をサラサラと揺らした。  魔神を倒すなんて、できるのだろうか。そして元の世界に戻れるのだろうか。息苦しさを覚えつつ、勇斗は一歩を踏み出す。  日向勇斗の過酷な旅が、今、はじまった――



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 灰色の空が低く垂れ込め、しとしと雨が降る。  ランドセルを背負った勇斗は傘もささずにトボトボ歩いていた。ブラウンの髪がペチャっと濡れている。 「うぅー、なんで傘がなくなるんだよぅ」  ギャアー! ギャアー! 「カラス? こんな雨の日に?」  電信柱の下にカラスが三羽。何かを突っついている。 「あ、トビだ」  カラスにいじめられているトビは茶色い羽を震わせ、力なく鳴いていた。 「どうしよう、助けてやらないと。でも――」  勇斗は怖気づいて、立ち尽くしたままだった。 「なんだよお前、ビビってんのか?」  背後から甲高い声が聞こえてきた。短くツンツンした黒髪の男の子が、ムスッとした表情をしていた。 「きみは?」 「いいから。あの鳥助けるぞ」 「こわいよ。カラスに襲われちゃうよ」 「助けたいんだろ?」 「う、うん」 「じゃあ、一緒にいくぞ」  黒髪の少年はカラスに向かって傘を振り回した。驚いたカラスが一斉に飛ぶ。 「おとといきやがれー!」 「濡れて冷たくなっている。どこかで乾かしてやらないと」  勇斗はトビを触り、おろおろした。 「じゃあ俺んち来いよ。すぐそこだからさ」  傘に入れてもらった勇斗は、トビを抱えながら歩いた。 「ついたぞ」  石段の上に鳥居が見えた。 「神社? きみの家は神社なの?」 「そうだよ」  神社の境内は静寂に包まれていた。濡れた石畳は滑らかに光り、あちこちに水溜りができていた。 「滑るから、気をつけろよ」 「う、うん――あっ」  ツルッと、勇斗は転んだ。 「あーあ、言っているそばから」 「うわああああん、痛いよぉ」  擦りむいた腕と膝から血が滲んでいた。 「ビービー泣くなって。男だろ」 「そんなこと言われたってぇ」  勇斗はわんわんと泣いた。 「でも、トビはしっかり守ってるんだな」  勇斗にしっかりと抱えられたトビは無傷だった。 「う、うん」  勇斗はグズっと、返事をした。 「へへっ、かっこいいじゃん。お前、名前は?」 「勇斗。日向勇斗。三年生だよ」 「俺は光太。夏野光太。同じく三年。よろしくな、勇斗」  光太はニカっと笑い、勇斗に手を差し伸べた。 「うん、よろしく、光太」  光太の家に入った勇斗は、タオルでトビの羽を優しく拭いた。 「また飛べるかな」 「うーん、どうだろ。鳥のことはさっぱりわかんない」  開いた窓から、一定のリズムで水滴が滴り落ちる音が聞こえる。 「そういや勇斗、さっきの怪我は大丈夫なのかよ。俺、バンソーコーとってくる」  光太はバタバタと部屋を出ていった。 「ケガ――あれ?」  擦りむいた箇所は、まるで何事もなかったかのように、綺麗な肌色をしていた。  ピーヒョロロ!  トビは羽を羽ばたかせ、窓枠に飛び乗った。 「わっ、元気になったんだ。よかった」  つぶらな瞳が、勇斗をじっと見つめる。 「おーい、お待たせー!」  光太が絆創膏片手にダッシュで戻ってきた。 「おりょ、お前元気になったのか」  トビは二人を交互に見た後、羽を大きく広げた。  瞬間、風が渦巻いた。 「うわっ、急に何?」  気がつくと、トビの姿はどこにもなかった。 「はっやー。もう飛んでいっちゃったのかよ」 「光太、何か落ちてるよ」 「何じゃこりゃ。お守り? うちのやつじゃないなぁ。後で父ちゃんに聞いてみよっと」 「トビがお礼をしてくれたのかな?」 「そんなわけないだろー」  勇斗と光太は笑いあう。窓の外に、虹が見えた――  怪物との死闘から一週間後。  勇斗たちはロンに案内され、見張りの塔の地下へと続く螺旋階段を降りていた。 「ミュール、元気になってよかった」 「チビスケの精霊術のおかげだな」 「うんうん、オイラに感謝しろよ。ほとんど寝ずに治療してやったんだからな」 「ありがとう、ランパ」 「ワンコも重症だったけど、ユートはそれ以上にやばかったんだぞ」 「回復の術って、一瞬で治るものかと思ってたのだけど」 「バーカ。オイラの精霊術は自然治癒力を高めるだけ。一瞬で治るとか奇跡みたいなもんじゃない。でも、ユートの回復力はすごかったな。ワンコより早かったし。あっちの世界のニンゲンってみんなそうなのか」 「そんなわけないよ」  思い返せば、昔から怪我の治りは早かった。今まで気にしたことはなかったけど、どういうことなのだろう―― 「ところでこの先には何があるの? オレ、塔に地下があるなんて初めて知ったよ」 「黙ってついてきなさい」 「う、うん」  螺旋階段の終着点は、広く、暗かった。ランタンの灯りでは全てを照らすことができない。 「あそこに壁画があるのじゃが、ちょっと見えにくいかの」 「じーちゃんは見えてるの?」 「オル族の目は暗いところでもよく見えるからの」 「おりょっ」  暗闇の中、ランパのポーチから光が漏れていた。 「枝が」  ランパは精霊樹の枝を取り出す。枝葉が光り、辺りを大きく照らした。 「おーっ、すげー明るい!」 「ふむ、これでよく見えるようになったの」  照らし出された壁画には、大きな樹と四つの生き物が描かれていた。 「何ですか、これは」 「始祖精霊じゃよ。大きな鳥はコタ様。ワシらオル族の祖先と言われておる」 「狼みたいなのはレブン様。モッケ族の祖先だな」  ミュールが指差す。 「人間のようなものも描かれているね」 「あれはカーラ様。人間を創造したと言われている」  神様みたいな存在だろうか。大きく、威厳のある表情だ。 「あの蛇みたいなものは?」 「――ヴェン。魔族を創り出したと言われている。我々が畏怖すべき存在じゃ」 「魔族を――」  大きな蛇にも見えるし、竜のようにも見える。嫌悪感。ずっと眺めていると、心に重しが乗った感じがした。 「確かヴェンって、精霊姫様の怒りを買って滅ぼされたんだよな」  丸めた尻尾を足の間に挟んだミュールが呟く。 「そう伝えられておるの」 「あの大きな樹は、精霊樹かな」 「そう。精霊樹に宿る精霊姫と始祖精霊がこの世界を作ったと言われておる」  大きすぎるスケールの話に、頭がクラクラした。 「さて、歴史のお勉強はこれくらいにしておこうかの」  ロンは通路の奥へと姿を消した。 「あ、待ってよじーちゃん」  五分くらい歩くと、大きな扉が姿を現した。勇斗のアザと同じ模様が描かれている。 「これ、神社の地下にあった扉と似ている」  勇斗は左腕を見る。あの時と同じように、アザから光が溢れ出ていた。 「コタ様が残した、オル族の限られた者のみが知る予言がある。別の世界から来た少年が樹の精霊と契約すること。モッケ族の少年と協力して巨大な魔族を倒すこと。そして、塔に眠る封じられし扉を開くこと。ワシは森でお主を見た時、予言が的中したと確信したよ」  重い音を轟かせ、扉がゆっくりと開く。 「さぁ、行きなさい」  勇斗たちは扉の先へと足を踏み入れる。部屋の中央の台座には、ゴルフボールくらいの大きさの石が置かれていた。 「これは、精霊石だ。精霊が死んだときに残すもの」 「精霊も、死ぬんだ」 「体が壊れたら死ぬし、寿命もある。ニンゲンたちより長生きだけどな」  ランパは眉をひそめ、小声で言った。 「ランパ――」  もしランパがいなくなったら、僕はどうすれば―― 「お待ちしておりました」  突然、脳内に誰かが語りかけてきた。低く、落ち着いた声。台座を見ると、置かれた精霊石から金色のフクロウの姿が映し出されていた。 「私はコタ」 「コタって――始祖精霊様?」 「そう。私は貴方たちが始祖精霊と呼ぶ原初の精霊の一人。遥か昔に死にましたが、こうして魂を精霊石に残し、貴方たちがここを訪れるこの時を、ずっと待ち続けていました」 「ロンさんが言っていた予言、ですか」 「私の目は、断片的ですが未来を視ることができるのです」 「未来――僕は、元の世界に戻れるのですか?」 「私が視えたのは、今、この瞬間まで。これから先のことは分かりません」 「そんな――」 「時間があまりありません。簡潔に伝えます。魔神を倒してください」 「はっ、えっ? 魔神って生きてるのですか?」 「魔神はもう一人の勇者の手で死にました。しかし、魂が新たに生まれ変わろうとしています。以前とは比べ物にならない力を得て――」 「――僕は、元の世界に戻りたいだけなのです。魔神を倒すなんて、無理です」  勇斗の声が震える。 「魔神を倒すことができるのは、伝説の武具を身に付けることができる勇者のみ。今、この世界に存在する勇者は貴方しかいないのです」 「でも――」 「魔神はいずれ、精霊樹を堕とすでしょう。そうなると世界は滅び、貴方が元の世界に戻る術もなくなります」  勇斗は俯き、黙り込んでしまった。 「力を増した魔神に対抗するには四大精霊の力が必要です。各地に眠る四大の封印を解き、武具の力を覚醒させなさい。封印が解かれれば、樹の精霊の記憶も蘇ります」 「オイラの記憶って、どういうことだよ」 「それは貴方自身で確かめなさい。四大が封印されている場所へは、精霊樹の枝が導いてくれるでしょう」 「枝が――」  ランパは精霊樹の枝をじっと見つめた。 「そして、レブンの子孫よ。貴方は勇者を守護しなさい。それが使命です」 「オ、オレ?」  ミュールは目を見開き、辺りをキョロキョロした。 「勇者よ。世界を、頼みましたよ――」  コタの姿は消え、台座に置かれた精霊石がフワリと浮かんだ。ビー玉ほどの大きさに縮小した精霊石は、ランパのポーチへと入り込んだ。  三人は呆然と、その場で立ち尽くしていた。 「何なんだよ――」    翌朝、勇斗は見張りの塔の頂上から、広大な景色を眺めていた。黄金色の鎧についた赤いマントがバサバサと揺れている。 「長いようで、短い付き合いじゃったの」  振り向くと、ロンが柔らかい表情で立っていた。横ではミュールが大きなカバンを背負い、白い歯を見せている。 「ロンさん、これまでありがとうございました」  勇斗はお辞儀をする。 「大変なことになってしまったが、無事に元の世界に戻れるよう、コタ様に祈っておくよ」 「祈ってるだけで、ジジイはついてこねーのかよ」  離れた場所で、ランパが鼻をほじりながら言った。 「ホッホ、ワシは腰が悪いのでな」 「よく言うぜ。あんなに元気に動き回ってたくせに」  ランパはジト目で言った。 「それとミュール。お主ともお別れじゃの」 「じーちゃん――」 「お主の料理、美味かったぞ」 「うん、ありがと」  ミュールは俯き、鼻をすすった。 「ユートよ。これを渡しておく」  ロンに手渡された袋の中には、この世界のものであろう硬貨が入っていた。 「お、お金なんて」 「魔神を倒す前に、野垂れ死なれては困るからの」 「うぅ」 「あと、これも」  勇斗は古びた指輪を五つ受け取った。輪っかは大きく、指に嵌めてもすぐに外れそうだ。 「これは?」 「あの怪物が死んだところに落ちていたものじゃよ。必要なくなったら売って資金にしなさい」 「そんな、売るなんて」 「ホッホ、謙虚な子じゃの。まぁ、好きにするがよい」 「本当に、ありがとうございます」  勇斗は深々とお辞儀をした。 「これがどうやって導いてくれるんだか」  ランパは精霊樹の枝を取り出し、まじまじと眺めた。  瞬間、枝から光が放たれた。 「おっとっと。ちょ、引っ張られる!」  ランパの体が、勇斗の隣まで到達した。 「ぎゃー! 高いの無理ぃ」  枝から放たれた光は、広大な砂漠の方面へと伸びていた。 「あそこに、四大精霊の封印が――」 「よし、じゃあ行こう。これからよろしく、ユート!」  ミュールは尻尾を振り、ニカっと笑った。 「うん、よろしく」 「おーい、チビスケも行くぞ」  ランパは泡を吹いて倒れていた。 「ありゃ、またか」  地上への扉が開く。木々の間から吹き抜ける爽やかな風が、勇斗のブラウンの髪をサラサラと揺らした。  魔神を倒すなんて、できるのだろうか。そして元の世界に戻れるのだろうか。息苦しさを覚えつつ、勇斗は一歩を踏み出す。  日向勇斗の過酷な旅が、今、はじまった――



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