下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。
高日中学校の校門から、学ランを着たアルトと光太が並んで出てきた。
「なぜ、ついてくる?」
怪訝な顔をしたアルトが、引き気味に目を細めた。
「お前一人じゃ危なっかしいからな。今日だってどんだけヒヤヒヤしたか」
光太はため息をつき、太めの眉を八の字にした。
「どういうことだ?」
「歴史の授業で変な地名を言うし、休み時間に筋トレ始めるし……あり得ないことしすぎなんだよ。あんまり目立ちすぎたら、お前が勇斗じゃないことがバレていろいろ面倒なことになる」
「あぁ、すまない」
ユートのことは、ほとんど知らない。知っているのは自分と全く同じ顔をしていることだけ。性格すらわからないやつの真似をいきなりしろと言われても、無理な話だ。それに、この世界での生活にもまだ慣れていない。ユートを知る前に、この世界を知る必要がある。
「今の段階で、完全にユートのフリをするのは難しい」
アルトは鋭く言い切った。
「あぁ、もう」
光太は、ツンツンした黒髪を両手で掻き回したあと、ダランとうなだれた。
「お前、家ではちゃんとできてるの? 勇斗の母ちゃんに変に思われてない?」
「あの女性とはほとんど会話しないようにしている。今のところ、不審には思われていないはずだ」
「それ、絶対不審に思われてるって。せめて家族といたときのことを思い出して、自然にしてみるとか、できない?」
「家族……」
アルトの目線が公園に映る。公園内では、小さな子供たちがはしゃぎ回っていた。
アルトは孤児だった。物心ついた頃には、キーナという村にある孤児院で暮らしていた。両親の顔は知らない。孤児院での暮らしといえば、遊んで、食べて、寝ての繰り返しだった。よく服を泥だらけにして院長に怒られた。食事は質素なものばかりだったが、特に不満はなかった。夜は孤児院のみんなと同じ部屋で一緒に寝た。
平穏な日々は、長く続かなかった。
アルトが十歳のとき、ソレイン王国の兵士数人が孤児院を訪れた。兵士は孤児院の子供たち全員に、美しい装飾が施されたサークレットを装着することができるかどうかを順番に試していった。しかし、どの子供たちもサイズが合わず、サークレットを被ることができなかった。
「ここもダメかな。おい、きみで最後だ。来なさい」
兵士に声をかけられ、アルトは怯えた。
「怖がらなくていい」
兵士がサークレットをアルトの頭に乗せる。すると不思議なことに、サークレットは彼の頭にぴったりと収縮して装着された。
周囲がざわついた。
「つ、ついに! 勇者が見つかったぞ! 王に報告だ!」
歓喜の声が上がる。
兵士がなにを言っているか、幼い少年には理解できなかった。
日が登り始める前、無理やり起こされたアルトは、寝ぼけ眼のまま兵士に手を引かれた。
「どうしてあの子にそんなことをさせるのですか! アルトはまだ子供。危険すぎます!」
院長が兵士に詰め寄っていた。
「世界の危機なのです。我々は一刻も早く魔神に対抗できる手段を手にしなければいけない」
「そんな。でも」
「この子は、人類の希望なのです。院長、分かってください」
院長は膝から崩れて、両手で顔を覆った。
太陽が輝き出した頃、アルトは孤児院を去った。
「おじさん、ボク、どこに行くの? 院長は? みんなは?」
マンウーと呼ばれる首長の動物に引っ張られているキャビンの中で、アルトは兵士に尋ねた。
アルトの隣に座る兵士は、終始無言だった。
ソレイン王国に着いてからは、地獄のような毎日だった。朝から晩まで剣術と魔法の特訓。休む暇は、ほとんど与えられなかった。同年代の子どもと遊ぶなんて、もってのほかだった。
次第に、アルトから感情というものが抜け落ちていった。勇者として魔神を倒す。それだけを胸に秘め、自身を鍛え上げていった。
――どうして、昔のことを思い出してしまったのだろう。
アルトは歩きながら、口元に手を当てた。
「おーい、間違ってるぞ。勇斗の家はあっちだろ」
道を間違えたことを、光太に指摘された。
「よっ、勇斗くんに光太くん。今帰りかい?」
桜田商店と書かれたテントの下で、初老の男性が手を挙げた。
「じーさん、ちーっす!」
光太が気軽に挨拶をした。
「ここは店か?」
アルトが光太に尋ねる。
「俺と勇斗が昔から通ってる駄菓子屋だよ。菓子以外にも酒や煙草も売ってるんだ」
「酒と煙草か。買っていいか?」
アルトの発言に、光太はフリーズした。
「お前、もしかして酒飲んだり、煙草吸ったりしてんの?」
「向こうでは、酒と葉巻は日常的に嗜んでいた。疲れを癒すのには最適だったからな」
光太の目が点となる。
「こっちでは酒と煙草は二十歳になってからなんだからな! 見つかったら停学だぞ!」
「そうなのか。わかった。こっちの規律はしっかりと守る」
「頼むよ、もう」
光太は、大きなため息をついた。
来た道を引き返し、勇斗の家の方角へとアルトたちは歩を進める。
しばらく歩いていると、ギャアギャア、とけたたましい鳴き声が聞こえてきた。
あっ、と光太が声を上げる。
電信柱の下で、一匹の子猫が二羽のカラスに突かれていた。
「助けてやらねぇと。おい、手伝ってくれ」
アルトは猫に見向きもせず、無言で電信柱を通り過ぎた。
光太は慌ててアルトの肩を掴んだ。
「何だ?」
「あのネコ助けてやろうぜ」
光太の瞳がキラキラと輝いていた。
「どうして、そんなことする?」
眉をひそめたアルトは、両腕を組んだ。
「お前、情ってもんねーのかよ」
「わからない。助けることに何の価値がある?」
アルトは光太の肩を払いのけ、冷ややかな目で言い放った。
「弱い者は強い者に狩られる。戦う力を持たない者が死ぬのは、戦場では自然な結果だ」
アルトは吐き捨てるように言う。助けたいとは思わない。そう感じない自分に、疑問すら浮かばなかった。
光太は一気に表情を曇らせ、舌打ちをした。
「俺は困ってるやつを見捨てない。お前はさっさと帰れ!」
荒々しい声で怒鳴った光太は、アルトに背を向け、学生鞄を振り回しながらカラスに突撃した。
度を超えた馬鹿さ加減にうんざりする。アルトは振り返らなかった。
一人になったアルトは、顎に左手を当てながら早足で歩いていた。
学校があると、元の世界に戻る方法を探す時間が限られてくる。休みの日を利用するしかないか。
ソレイン城の様子も気になる。今頃大騒ぎになっているのだろうか。
どうにか、あちらと連絡できる手段があればいいのだが。
前方から軽い衝撃を受けた。
「どこ見て歩いてんだこの野郎」
学ランを着崩した男子が眉間にしわを寄せ、悪い目つきでアルトを見下していた。胸には青いネームプレートが付けられている。
「青ということは、最上位か。確か中学校というところは三つの階級に分かれているのだったな」
「あぁ? 何おかしなこと言ってんだ一年坊主。こっちはイライラしてんだ。頭もこんな風にさせられてよ。マジムカつくぜ」
男子生徒は丸刈りの頭部をなでたあと、アルトの肩に手を回した。
「何だ?」
「今日はあの生徒会の女もいなさそうだし、ちょっとストレス発散に付き合ってくれね?」
丸刈りのニヤついた顔が、アルトに接近する。
「ボクには関係ないことだ。他でしてくれ」
アルトは丸刈りの手を振りほどいた。
「痛えな。おい、ちょっと待てよ」
振り向いた瞬間、拳のストレートがアルトの顔面目掛けて飛んできた。
拳が直撃する寸前、アルトはひらりと身をひるがえした。勢い余ったその拳は、宙を空ぶった。反動で丸刈りの体がよろめく。
「生意気に避けやがって」
拳が再び襲いかかってきた。この男は格闘術を習っていないのだろうか。動きが悪い。威勢だけは良い。
アルトは表情ひとつ変えず、片手で拳を受け止め、カウンターを放った。
「ひっ」
アルトの拳がぴたりと丸刈りの顎の手前、ぎりぎり一センチのところで止められていた。
丸刈りは情けない声を上げた。
アルトが拳を下げると、丸刈りは尻もちをつき、ガクガクと体を震わせていた。
「すまない。はやくどこかに行ってくれないか? あまり目立つなと言われている」
アルトは鋭い目つきで、丸刈りの男子生徒を見下す。
「ち、ちくしょう。なんだよテメエは」
「ボクはアルト。勇者アルトだが」
「頭おかしいんかコイツ。マジやべー」
丸刈りはあたふたと姿を消した。
「しまった、ボクはヒナタユートだったな。気をつけないと」
アルトは、学ランについている緑のネームプレートを見て呟いた。
「おかえり、勇斗」
アルトは勇斗の母に軽くお辞儀をしたあと、無言で二階にある勇斗の部屋へと入っていった。
黄色の服に着替え、机の前に座る。さて、これからどうしたものか。まだ有益な情報を掴んでいない。時間だけが無駄に進んでいる。
「勇斗ー、ごはんよーっ!」
「食事の時間か」
アルトはダイニングへと足を運んだ。テーブルの上に料理が並んでいる。お茶碗に盛られた白いご飯。湯気を立たせている味噌汁。平皿にはローストビーフと豚カツ。小鉢にはレーズン入りのサツマイモサラダが盛られていた。デザートとしてプリンもセッティングされている。
今日も馴染みのない料理だ。
「退院してからずっと元気がない勇斗のために、好きなものたくさん作ったんだから。しっかり食べなさいね」
アルトは俯き、言葉を詰まらせた。
「どうしたの? 体調でも悪い?」
勇斗の母は、心配そうにアルトの顔を覗き込んだ。
「いや、大丈夫。いただきます」
箸を左手で持ったアルトは、テーブルに並ぶ料理をじっと見つめた。元の世界において、食事は生きるための手段だった。決して、誰かが自分のために作ってくれるものではなかった。しかし、今目の前にある料理は、ユートのフリをしている自分に向けて作られたものだ。
アルトは黙々と、食べ物を胃袋に入れていく。この箸というものには、まだ慣れないな。
「もう、いつまで経っても箸の使い方が下手ね。というか、何で左手で持ってるの? 勇斗、右利きなんだから、ちゃんと右手で持たなきゃ」
ハッとしたアルトは、箸を素早く右手に持ち替えた。ちぐはぐな箸遣いが、さらにちぐはぐになった。
「もう、箸はこうやって使うのよ」
アルトの右手に、温かい手がそっと添えられた。肌と肌が触れる。じんわりと熱が伝わる。
「す、すまない」
反射的に肩が強張った。アルトは体を縮こませ、食事を再開した。
「ねぇ、勇斗。美味しい?」
「え、あ、はい。美味しい、です」
ぎこちない受け答えに、情けなさがこみ上げてくる。
「そう、よかった」
少しの間を置いたあと、勇斗の母は微笑んだ。
アルトは味噌汁をすする。温かかった。
食事を終えたアルトは、食器を流し台に運んだ。
振り返ると、勇斗の母がきょとんとした顔をしていた。
もやりとした胸の違和感を感じつつ、アルトは階段を登った。
「勇斗ー、ごめん、お父さんの部屋の電気消しておいてー!」
階下から声が飛んできた。視線を廊下の奥に移すと、半開きになった扉の隙間から灯りが漏れていた。
「父の、部屋」
隙間から明かりが漏れている扉を開き、アルトは中に入った。部屋の中を見回すと、変な形のものが所狭しと並んでいた。何だ、この部屋は。
アルトは机の上に目をやった。
「この絵のようなものは、確かシャシンと言ったか」
机の上に置かれていた写真立てを両手に持ち、眺めた。自分と同じ顔をした少年と、先程まで会話をしていた女性、そして見知らぬ男性の姿が映っていた。
「この人は、ユートの父か」
写真に写っている三人は、屈託のない笑顔をしている。
「ボクには、関係のないことだ」
アルトは写真立てを元の状態に戻し、部屋の電気を消した。