アルト(2)
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アルトは孤児だった。彼は両親の顔を知らず、物心ついたときには辺境の村にある孤児院で暮らしていた。 おーい! 待て待てー! こっちだよー! 村の広場に、無邪気な声が響き渡った。 他の孤児たちと一緒に、アルトは遊んでいた。身体中に土や葉っぱをペタペタつけて、「へへっ」と、屈託のない笑顔を見せる。 孤児院に戻ると院長に「またこんなに汚して!」と叱られた。しぶしぶ服を着替える。 日が落ち始めると、食事の時間になる。質素な料理だったが、みんなと一緒に食べる食事は美味しかった。 明日は何をして遊ぶ? 町外れまで行く? 院長に怒られちゃうよ。 そんな会話をしながら、アルトは眠りについた―― 平穏な日々は、長く続かなかった。 アルトが十歳のとき、ソレイン王国の兵士数人が孤児院を訪れる。兵士は孤児院の子供たち全員に、美しい装飾が施されたサークレットを装着することができるかどうかを順番に試していった。しかし、どの子供たちもサイズが合わず、サークレットを被ることができなかった。 「ここもダメかな。おい、君で最後だ。来なさい」 アルトの番が来た。ビクビクしながら、兵士の前まで歩く。 「怖がらなくていい」 兵士がサークレットをアルトの頭に乗せる。すると不思議なことに、サークレットは彼の頭にぴったりと収縮して装着された。 周囲がざわついた。 「つ、ついに――! 勇者が見つかったぞ! 王に報告だ!」 歓喜の声が上がる。 兵士が何を言っているか、幼い少年には理解できなかった―― 日が登り始める前。無理やり起こされたアルトは兵士に連れられ、寝ぼけ眼のまま馬車に乗せられた。 「何であの子にそんなことをさせるのですか! アルトはまだ子供。危険すぎます!」 院長が兵士に詰め寄っていた。 「世界の危機なのです。我々は一刻も早く魔神に対抗できる手段を手にしなければいけない」 「そんな。でも――」 「この子は、人類の希望なのです。院長、分かってください」 「うっ、ううっ――」 太陽が輝き出した頃、アルトは孤児院を去った。 「おじさん、ボク、どこに行くの? 院長は? みんなは?」 隣に座る兵士は、無言だった―― ソレイン王国に着いてからは、地獄のような毎日だった。朝から晩まで剣術と魔法の特訓。休む暇は、ほとんど与えられなかった。同年代の子どもと遊ぶなんて、もってのほかだった。 次第に、アルトから感情というものが抜け落ちていった。勇者として魔神を倒す。それだけを胸に秘め、自身を鍛え上げていった―― 「アルト、いる?」 満月の夜、アルトの部屋に赤みがかったロングヘアーの少女が入ってきた。 「レイラ様。一国の王女がボクに何か御用ですか?」 「ここではレイラでいいよ、アルト」 レイラはソレイン王国の王女だ。普段はきっちりとしたドレスを着ているが、今は露出の多い、ラフな格好。 「横、座っていい?」 「いいですけど、見張りの兵士に見つかったら怒られますよ」 「気にしない、気にしない」 おっとりとした声を出し、レイラは椅子に腰掛けた。 「で、何の用ですか?」 「アルトのこと、色々知りたいなと思ってね」 レイラはアルトの顔をまじまじと見る。 「あなた、いつも眉間にシワを寄せてるでしょ? 普段はどんな顔してるのかなと気になっちゃって」 「ボクはずっとこうですよ」 「そうなの? 笑ったり泣いたりしないの?」 「そんなもの、魔神を倒すのに必要ありません」 アルトは表情を変えず、キッパリと言った。 「ふぅん」 レイラは窓の外に目をやった。 「アルトってここに来る前、どこにいたの? お母さんやお父さんは?」 「ボクには親なんていません。ずっと孤児院で暮らしていました」 「そっか――」 月を眺めたまま、レイラは呟いた。 「レイラ様ーっ! どこにいらっしゃるのですかーっ」 廊下から兵士の焦った声と、バタバタした足音が聞こえる。 「あちゃ、もうバレたか」 レイラは立ち上がり、ゆっくりと扉の前まで歩く。 「アルト」 「何ですか?」 「また来るね」 優しく微笑んだレイラは手を振り、部屋から出ていった。 「また来るのか」 アルトはブドウ酒をコップに注ぎ、クイっと飲み干した。 明日も訓練だ。はやく寝よう―― 下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。 高日中学校の校門から、学ランを着たアルトと夏野光太が並んで出てきた。 「何で、ついてくるのさ」 「帰る道一緒だし。何より、お前一人じゃ危なっかしいからな。今日だってどんだけヒヤヒヤしたか」 光太はため息をつき、眉を八の字にした。 「ヒヤヒヤって?」 「歴史の授業で変な地名を言うし、バスケで俊敏な動きするし、休み時間に筋トレ始めるし――勇斗じゃあり得ないコトしすぎなんだよ。あんまり目立ちすぎたら色々まずいんだって」 「ここはボクのいた世界と違いすぎる。正直、他人のフリをするのは難しい」 アルトは異世界から転移してきた勇者であり、元々こちらの世界にいた日向勇斗と同じ顔をしている。消えた勇斗の代わりをしながら元の世界に帰る方法を探すことになっているのだが、いまいち上手くいっていない様子だった。 「だからそこは頑張ってくれよぉっ。俺の心臓一つじゃ足りなくなるじゃん」 光太はツンツンした黒髪を両手で掻きむしった後、ダランとうなだれた。 ギャア、ギャア! 「あっ!」 電信柱の下で、子猫がカラスに突かれている。 「あのカラスめ、ネコをいじめやがって。おい、アルト。助けるぞ!」 アルトは猫に見向きもせず、無言で電信柱を通り過ぎた。 「お、おい!」 光太がアルトの肩を掴む。 「何?」 「ナニって、あのネコ助けてやろうぜ」 「――何で、そんなことするの?」 「お前、情ってもんねーのかよ」 「――分からない。助けることに何の価値がある?」 アルトは光太の肩を払いのけ、冷ややかな目で言い放った。 「――俺はネコを助ける。お前はさっさと帰れ!」 声を荒げた光太は学生鞄を振り回し、カラスに突撃した。 アルトは振り返らなかった。 学校があると、元の世界に戻る方法を探す時間が限られてくるな―― そもそも元の世界に戻る方法なんて、本当に存在するのだろうか。手がかりがなさすぎる―― ミケーレ大陸は今どうなっている。魔神は倒したはずだが―― しかし、一体誰がボクを攻撃したのか―― あっちと連絡できる手段があれば―― ボフッと、アルトは何かにぶつかった。 「どこ見て歩いてんだこの野郎」 学ランを着崩した男子が眉間にシワを寄せ、悪い目つきでアルトを見下していた。胸には赤いネームプレート。 「赤ということは、最上位か。確か中学校というところは三つの階級に分かれているのだったな」 アルトはボソリと呟く。 「あぁ? 何おかしなこと言ってんだ一年坊主。こっちはイライラしてんだ。頭もこんな風にさせられてよ。マジムカつくぜ」 男子生徒は丸刈りの頭部をシュッと撫で、アルトの肩に手を回した。 「何ですか?」 「今日はあの生徒会の女もいなさそうだし、ちょっとストレス発散に付き合ってくれね?」 丸刈りのニタニタした顔が、アルトに接近する。 「ボクには関係ないことだ。他でしてくれ」 アルトは男子生徒の手を振りほどき、スタスタと歩き出した。 「痛えな。おい、ちょっと待てよ」 振り向いた瞬間、拳のストレートがアルトの顔面目掛けて飛んできた。 「おっと」 拳が直撃する寸前、アルトはひらりと身をひるがえす。勢い余ったその拳は、宙を空ぶった。反動で丸刈りの体がよろめく。 「生意気に避けやがって」 拳が再びアルトを襲う。しかしアルトは動じず、片手で拳を受け止め、カウンターを放った。 「ひっ」 アルトの拳がぴたりと丸刈りの顎の手前、ぎりぎり一センチのところで止められていた。 「あっ、ひぃぃ」 丸刈りは尻もちをつき、ガクガクと体を震わせていた。 「すまない。はやくどこかに行ってくれないか? あまり目立つなと言われている」 アルトは鋭い目つきで、丸刈りの男子生徒を見下す。 「ち、ちくしょう。何だよテメエは」 「ボクはアルト。勇者アルトだ」 「頭おかしいんかコイツ。マジやべー」 丸刈りはアタフタと姿を消した。 「あぁ、ボクはここではヒナタユートだったな。またコータに文句を言われる」 学ランについている緑のネームプレートを見る。『日向』という文字。 「そういや、何でボクは知らない文字を読めるのだろう。わからないことだらけだ」 アルトは呟き、再び歩き出した。 「おかえり、勇斗」 日向家の玄関の扉を開けると、勇斗の母親が出迎えてくれた。 アルトは軽くお辞儀をした後、無言で二階にある勇斗の部屋へと入っていった。 「ふうっ」 オレンジ色のパーカーに着替えたアルトは机に向かう。机の隅に目をやると、そこにはオレンジ味のグミの袋が置かれていた。 「そういや、ずっとここにあるけど。これは食べ物なのか?」 アルトは袋を開け、グミを一粒口に入れる。 「甘い――」 目を細めたアルトは、ゴミ箱にグミを吐き出した。 「よくこんな甘いものを食べれるな」 「勇斗ー、ごはんよーっ!」 階下から勇斗の母の声が聞こえる。 「食事の時間か」 アルトは一階に降り、ダイニングへと足を運んだ。 テーブルの上には、素朴な料理が並んでいた。お茶碗に盛られた白いご飯。湯気を立たせている味噌汁。平皿にはアジの煮付け。小鉢には肉じゃがが盛られていた。 今日も見たことのない料理だ―― 「いただきます」 アルトは黙々と、食べ物を胃袋に入れていく。 この箸というものには、まだ慣れないな―― チグハグな箸遣いをしているアルトを、勇斗の母は暖かな眼差しで見つめていた。 「ねぇ、勇斗。美味しい?」 急に話しかけられ、アルトは咀嚼しきれていないものが喉に詰まりそうになった。 「え、あ、はい。美味しい、です」 「――そう、よかった。ちょっと味付けが濃かったかなと思ってね」 少しの間を置いた後、勇斗の母は微笑んだ。 「う、うん。大丈夫」 アルトは箸を置き、俯いた。 何だろう、この気持ちは。ここに出てくる食事は温かい。これまで食べたことのない料理だけど、どこかホッとする味。そして、この女性を見ていると、何だか―― 勇斗の母は食席から立ち上がり、俯いているアルトの頭にそっと手を置いた。 「何か嫌なことでもあったのかな? 勇斗は昔から嫌なことがあっても、あまり口に出さない子だったよね」 アルトのブラウンの髪が、そっと撫でられる。 「泣いてるときは、こうすると泣き止んだね」 泣いている? ボクが? アルトは目頭に指をあてる。うっすらと、雫が浮かび上がっていた。 何だ。胸が熱い―― 「大丈夫、大丈夫」 「もう、やめてくれ」 アルトは勇斗の母の手をそっとどかす。 「ご馳走様でした」 バタバタと、アルトは階段を駆け上がった。 ドクドクと、胸の鼓動が早まる。 勇斗の部屋の前で、アルトは深呼吸をした。 「すごく、疲れた」 「勇斗ー、ごめん、お父さんの部屋の電気消しておいてー!」 下から勇斗の母の声がする。 廊下の奥にある部屋の扉が、半開きになっていることに気がついた。 「父の、部屋」 隙間から明かりが漏れている扉を開き、アルトは中に入った。 「変なものが、たくさんある」 アルトは勇斗の父の部屋を物色し始めた。 「これは?」 机の上にある重厚なデザインの金色の箱が目に入った。蓋を開けると、芳醇な香りがアルトの鼻腔を刺激した。 「葉巻か。そういや、この世界では酒と煙草は大人になってからだと、コータが言っていたな」 そっと蓋を閉める。箱の横に、伏せられた写真立てを見つけた。 「この絵のようなものはシャシンと言ってたか」 アルトは写真立てを両手に持つ。写真には、自分と同じ顔をした少年と、勇斗の母。そして見知らぬ男性の姿が映っていた。 「この人は、ユートの父か」 写真に写っている三人は、屈託のない笑顔をしている。 「ボクには、関係ないことだ」 アルトは写真立てを元の状態に戻し、部屋の電気を消した。
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