表示設定
表示設定
目次 目次




胎動

ー/ー



 ホッホー! ホッホー!
 
 勇斗は布団の中で目を覚ました。まだ眠気の底に体を沈めたまま、フクロウの鳴き声に設定したアラームを止めるため、スマートフォンに手を伸ばす。画面を開くと、光太からメッセージが届いていた。
 
『ヒマなら神社の掃除を手伝ってほしい!』
 
 光太の家は神社であり、学校が休みの日は朝から掃除をさせられている。これまで何度か手伝った経験はあるが、今日は家でのんびり過ごしたい気分だった。しかし、断る理由がどうにも思いつかない。気づけば『OK』のスタンプで返信をしていた。
 
 カーテンを開け、伸びをした。

 ぼんやりと外を眺めていると、空が紫へと変化し、ぐにゃりと歪んだ。

 瞬間、左手に焼けるような感覚が走った。

 袖をまくる。左手首には、小さな四芒星の痣があった。生まれつきのものだ。それが、ここ一ヶ月ほど、ときどき痛む。

 そうだ、空が。
 
 空を再び見る。淡い青色の中で、真っ白な雲がゆっくりと流れていた。
 
「勇斗ー、ごはんよー」
 
 階下から、母の大声が聞こえてきた。慌てて階段を下りた。
 
 朝食を食べながらテレビを見る。ニュース番組だ。『刃物男、射殺される』というテロップが表示されている。刃物を持った男を追い詰めた警官が、とっさに拳銃を発砲したらしい。コメンテーターが警官を批判した。
 
 自分にはあまり関係ないなと思い、チャンネルを変えた。
 
 食事を終えた勇斗は、自室に戻り、黄色のプルオーバーパーカーに着替えた。スマートフォンをイージースラックスのポケットに入れる。忘れ物がないか確認し、電気を消した。
 
 玄関の外まで、母が見送りに来てくれた。
 
「気をつけて、行ってらっしゃい」
 

 高日町は、山に囲まれた小さな町だ。屋根瓦の古い民家が立ち並び、天陽山(てんようさん)の麓に沿ってのびるように町が広がっている。都会から電車で数時間離れた場所に位置し、朝は鳥の声と風の音しか聞こえない。しかし、完全な田舎ではなく、山から少し離れるとスーパーもあるし、大きな病院もある。

 町の北東寄り、山裾に向かって十分ほど歩くと、塗装されたアスファルトがいつの間にか苔むした石畳へと変わる。ゆるやかな坂道を登っていくと、二匹の狛犬がこちらを見つめていた。
 
「勇斗ー!」
 
 石段の上から声がした。見上げると、光太が鳥居の下で手を振っていた。紺色のジャージを羽織り、首から白いお守りをぶら下げている。
 
「急にごめんな。なんか用事あった?」
 
「いや、暇だった」
 
「そっか。今日のはちょい大変だから、マジ助かる。真弘も手伝ってくれるし、さっさと終わらせてゲームしようぜ」
 
「怪我は大丈夫なの?」
 
「全然平気! じゃ、行こうぜ」
 
 蔵は本殿から少し歩いたところ――天陽山への、今では使われていない登山口近くにある。神社の敷地は広くないので、たどり着くまであまり時間はかからない。銀杏の葉を眺めながら歩いていると、眠気が襲ってきた。
 
「珍しいな。勇斗があくびするなんて」
 
「うん、あまり寝られなかった」
 
「美咲に言われたこと、気にしてんのか?」
 
 勇斗の体がピタっと固まる。
 
「図星だな」
 
 光太は、腕を頭の後ろで組みながら、にやりと笑った。
 
「別にあいつの言うことなんか聞かなくてもいいんだよ」
 
「でも」
 
 勇斗は肩をすくめて俯いた。
 
 沈黙のあと、両肩に感触を覚えた。顔を上げると、光太と目が合った。
 
「勇気ってさ、小さな一歩から生まれるんだって」
 
 光太は、白い歯を見せた。
 
 次の瞬間、ぎゃあ、と大きな悲鳴が聞こえてきた。本殿の裏からだ。
 
「真弘っ」
 
 光太は血相を変えて走り出した。
 
 
 蔵の前で、真弘が丸く屈んでいた。目元まで覆い被さったフードを両手で押さえ、がたがたと震えている。
 
「真弘!」
 
「に、にいちゃん。あ、あれ――」
 
 大きな蜘蛛がいた。扉の上枠から糸を垂らし、揺れている。
 
「無理! あれ、殺して!」
 
 普段はボソボソと喋る真弘なのだが、今は割れるような大声を出している。
 
 ため息をついた光太は、立てかけられていたホウキを手に取り、蜘蛛をなぎ払った。
 
 宙を舞った蜘蛛は、真弘の目の前に仰向けで着地した。
 
「ぎゃっ! なにやってんだこのバカ兄貴!」
 
 真弘は後方に大きく跳び、叫んだ。その瞬間、ジーンズのポケットの口から、何かが転がり落ち、乾いた音を立てた。
 
「お前なぁ、また不良にでも絡まれたのかと思ってヒヤヒヤしたんだぞ」
 
「おれは不良より虫の方が嫌いなんだ!」
 
 真弘はがばっとフードを外し、濁った瞳を見せた。歯ぎしりをしながら、じりじりと兄の元へと歩み寄る。
 
「真弘くん、もうやめなよ」
 
 勇斗が足を動かすと、硬いものが靴に当たる音がした。足元を見ると、カケラのようなものが転がっていた。紅く、禍々しい光を放っている。
 
「あっ、だめ!」
 
 真弘は、素早く紅いカケラを拾い上げ、ポケットにしまい込んだ。
 
「それ何?」
 
「なんでもない。気にしないで」
 
 真弘はフードを深く被ったあと、唇を噛んだ。


 蔵の中は薄暗く、埃っぽかった。天井近くにある小さな丸い窓からうっすらと光が差し込んでいる。棚には陶器や金色のローソク立てなどの神具が並んでいた。
 
 埃と砂にまみれた木の床を掃いていると、一部だけ色の違う箇所を発見した。なんだろうと思って眺めていると、突然、目の前に真鍮の花瓶が落ちてきた。鈍い音が響く。

「だ、大丈夫か?」

 光太が脚立から飛び降りた。

「う、うん。間一髪だった」

 勇斗が声を震わせながら答えると、光太は申し訳なさそうに花瓶を拾い上げた。

「マジごめん」

 花瓶に傷はついていなかったが、代わりに床がひび割れていた。

「にいちゃん、これみて」

 屈んだ真弘が、割れた床版を指差した。勇斗と光太も顔を近づける。ひびの間から金色に光る何かが見えた。

「なんだこれ?」

 光太は隙間に指を入れ、光るものを引っ張り出した。

 金属製の取っ手だった。
 
「こんなのあるなんて知らなかった。ちょっと開けてみるか」
 
 光太の手が、取っ手を引っ張り上げた。鈍い音と共に埃が舞い上がる。やがて、床下へ続く梯子が姿を現した。
 
「地下への入り口?」
 
 光太は膝を曲げ、梯子の続く先をじっと眺めている。
 
「もしかして、降りようとしてる?」

 もちろん、と光太は目を輝かせる。
 
「でも真っ暗だよ。危ないよ」
 
「大丈夫だって!」
 
 光太は、蔵の隅にあった段ボールから懐中電灯を二本取り出した。
 
「俺はスマホのライトを使うから、お前たちはそれ使ってくれ」
 
 二人が梯子を降りて行った。――やめたほうがいいのに。
 
「勇斗ー。はやく来いよー!」
 
「わ、わかったよ」
 
 勇斗はおそるおそる梯子に足をかけ、ゆっくりと降りていった。
 

 梯子を降り続ける。暗くて、長い。いつまで続くのだろう、永遠に終わらないのではないかと考えると、急に寒気が走った。息が上がってきたとき、ようやくスニーカーの底が固い地面に触れた。
 
 着いた場所は、ひんやりとしていた。弱々しい懐中電灯の光が、岩の壁を照らし出す。洞窟のようだった。
 
「奥に続いてるみたいだな。行ってみるか」
 
 光太は、リングストラップが付けられたオーシャンブルーのスマートフォンから放たれる光を、奥の通路へと向けた。
 
 洞窟内を三人分の足音が反響する。道はどんどん狭くなっていった。
 
「この先に何があるのかなー。お宝かなー?」
 
 先導する光太の陽気な声が木霊する。
 
「もう帰ろうよ」
 
「何言ってんだ。行けるところまで行ってみるぞ」
 
「勇斗にいちゃん、もしかして、怖いの? おれは平気だよ。ぜんぜん平気」

 勇斗は黙り込み、二人の後ろをついて行った。

 懐中電灯の光が消える。

 電池切れ?

 次の瞬間、足元から不吉な音がした。
 
 気づいたら、身体が降下を始めていた。加速。思考する暇なんてなかった。

 水しぶきが激しく上がる。冷たい水がシャワーのように降り注ぐ。

 水面に浮かぶ大きな葉の上に、勇斗の体は乗っていた。落ちたことを理解するのに、しばらく時間を要した。理解したあとは、恐怖が全身を駆け上がってきた。

 助けて、と大声で叫んでも反応は返ってこなかった。

 辺りを見渡す。
 
 広い空間だった。天井は高く、なだらかな曲線を描いている。岩壁に絡みついた無数の根が、うっすらと緑色に発光している。

 幻想的な風景に、思わず息を呑んだ。ぼんやり眺めていると、葉が傾き、体が水の中に落ちた。溺れるかと思ったが、幸い、あまり深くはなかった。
 
 勇斗は泣きべそをかきながら岩床に手をついて、水から上がった。服はずぶ濡れで、ポケットに入れていたスマートフォンも水浸しだった。
 
 緑の発光体のおかげで、懐中電灯なしでも明るい。少し歩くと、壁の穴から声が漏れてきた。光太の声だ。
 
 そわそわしながら穴を抜けると、暗闇に二つの光が浮かんでいた。
 
「やっと見つけた。勇斗、怪我してないか」
 
「大丈夫。水の上に落ちたから」
 
「ラッキーだったな。でも風邪引くなよ」
 
「うん、ありがとう。あ、これ持っててくれる? 水浸しになっちゃって」
 
 勇斗は、自身のスマートフォンを光太に手渡した。濡れたポケットに入れたままにしておくと、修理が難しくなるからだ。
 
「まぁいいけど。それより、これ見てみろよ。奥に絶対なんかあるぜ」

 大きな石造りの扉が、光太のスマートフォンから発せられる光に照らされた。

 扉には四芒星が刻まれている。勇斗は、左手首を押さえた。

「開けるぞ!」
 
 意気揚々と、光太は巨大な扉を両手で押した。しかし、扉が動く様子は全くなかった。
 
「勇斗にいちゃん、押してみてよ」
 
「いや、絶対無理だって」
 
「ものは、試し」
 
 真弘に言われるがまま、勇斗は扉に手をかけた。瞬間、左手首の痣からまばゆい光が溢れ出した。

 扉が鈍い音を響かせた。

 唖然としている二人をよそに、真弘は扉の中に消えていった。

「ま、待てよ真弘!」
 
 扉の先は、赤く照らされていた。
 
「なんだありゃ。気持ちわる……」
 
 部屋の中央には台座があり、拳ほどの紅い球が乗っていた。表面には無数の棘が生え、内側から鼓動するように脈打っている。まるで、生きているかのようだった。よく見ると、欠けている箇所がいくつかあった。
 
 突然、激しい頭痛が襲ってきた。勇斗は両手で頭を押さえ、うずくまった。
 
「おい、真弘、触んなって」
 
 痛みをこらえ、顔を上げると、球に手を伸ばす真弘の後ろ姿が見えた。
 
 小さな手が球に触れた途端、地鳴りがした。部屋全体が揺れ始め、天井から砂と石がぼろぼろと落ちてくる。
 
「う、嘘だろ、こんなところで地震? おい、逃げるぞ!」
 
 台座の前で、真弘が両手を天に伸ばした。

 球が浮かぶ。
 
「真弘、何やってんだ!」
 
 空間が歪み始めた。揺れがさらに激しくなる。
 
「うおっ、なんだこりゃ」
 
 光太の体が淡い煙に包まれた。

 刹那、光太が消えた。彼のいた場所にはオーシャンブルーのスマートフォンだけが転がっていた。

 一体、何が起こっているのか。現実なのかわからなくなり、辺りを見回す。
 
 揺れが激しくなる。歪みは次第に広がり、やがて部屋全体を包み込むほど巨大なものとなった。


 気づくと、闇の上に立っていた。
 
「光太! 真弘くん!」
 
 勇斗の声は虚しく消えていった。
 
 ふと、自分の体を見下ろすと、裸だった。華奢な体が露わとなっている。

 訳がわからない。
 
 座り込み、ぼーっとした。次第に涙が溢れ出てきた。
 
 どれくらい時間が経ったのかわからない。ふと顔を上げると、彼方に光が見えた。

 呼ばれている気がする。
 
 勇斗は歩き出した。闇が、水面のように揺れていた。その上を歩いている感覚だった。
 
 光の正体は、立派な長剣と、黄金色に輝く鎧だった。
 
 その傍に、裸の少年が倒れていた。さらさらとした茶色の髪にあどけない顔立ち。

 勇斗は、大きく目を見張った。
 
 倒れている少年は、勇斗と瓜二つだった。

 いやだ――

 顔の造形が全て同じ。違う点は、鍛え抜かれた肉体と、四芒星の痣が右手首にあることだ。

 世界には自分のそっくりさんが三人はいると言われている。だいたいは他人の空似で済まされることが多いようだが、目の前の人物は「似ている」だけでは済まされない。手首にある痣の形まで同じなのだ。
 
 おそるおそる、勇斗は少年の手に触れた。

 刹那、お互いの痣が光り出した。
 
「えっ」
 
 光が、弾けた。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む アルト


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 ホッホー! ホッホー!
 勇斗は布団の中で目を覚ました。まだ眠気の底に体を沈めたまま、フクロウの鳴き声に設定したアラームを止めるため、スマートフォンに手を伸ばす。画面を開くと、光太からメッセージが届いていた。
『ヒマなら神社の掃除を手伝ってほしい!』
 光太の家は神社であり、学校が休みの日は朝から掃除をさせられている。これまで何度か手伝った経験はあるが、今日は家でのんびり過ごしたい気分だった。しかし、断る理由がどうにも思いつかない。気づけば『OK』のスタンプで返信をしていた。
 カーテンを開け、伸びをした。
 ぼんやりと外を眺めていると、空が紫へと変化し、ぐにゃりと歪んだ。
 瞬間、左手に焼けるような感覚が走った。
 袖をまくる。左手首には、小さな四芒星の痣があった。生まれつきのものだ。それが、ここ一ヶ月ほど、ときどき痛む。
 そうだ、空が。
 空を再び見る。淡い青色の中で、真っ白な雲がゆっくりと流れていた。
「勇斗ー、ごはんよー」
 階下から、母の大声が聞こえてきた。慌てて階段を下りた。
 朝食を食べながらテレビを見る。ニュース番組だ。『刃物男、射殺される』というテロップが表示されている。刃物を持った男を追い詰めた警官が、とっさに拳銃を発砲したらしい。コメンテーターが警官を批判した。
 自分にはあまり関係ないなと思い、チャンネルを変えた。
 食事を終えた勇斗は、自室に戻り、黄色のプルオーバーパーカーに着替えた。スマートフォンをイージースラックスのポケットに入れる。忘れ物がないか確認し、電気を消した。
 玄関の外まで、母が見送りに来てくれた。
「気をつけて、行ってらっしゃい」
 高日町は、山に囲まれた小さな町だ。屋根瓦の古い民家が立ち並び、|天陽山《てんようさん》の麓に沿ってのびるように町が広がっている。都会から電車で数時間離れた場所に位置し、朝は鳥の声と風の音しか聞こえない。しかし、完全な田舎ではなく、山から少し離れるとスーパーもあるし、大きな病院もある。
 町の北東寄り、山裾に向かって十分ほど歩くと、塗装されたアスファルトがいつの間にか苔むした石畳へと変わる。ゆるやかな坂道を登っていくと、二匹の狛犬がこちらを見つめていた。
「勇斗ー!」
 石段の上から声がした。見上げると、光太が鳥居の下で手を振っていた。紺色のジャージを羽織り、首から白いお守りをぶら下げている。
「急にごめんな。なんか用事あった?」
「いや、暇だった」
「そっか。今日のはちょい大変だから、マジ助かる。真弘も手伝ってくれるし、さっさと終わらせてゲームしようぜ」
「怪我は大丈夫なの?」
「全然平気! じゃ、行こうぜ」
 蔵は本殿から少し歩いたところ――天陽山への、今では使われていない登山口近くにある。神社の敷地は広くないので、たどり着くまであまり時間はかからない。銀杏の葉を眺めながら歩いていると、眠気が襲ってきた。
「珍しいな。勇斗があくびするなんて」
「うん、あまり寝られなかった」
「美咲に言われたこと、気にしてんのか?」
 勇斗の体がピタっと固まる。
「図星だな」
 光太は、腕を頭の後ろで組みながら、にやりと笑った。
「別にあいつの言うことなんか聞かなくてもいいんだよ」
「でも」
 勇斗は肩をすくめて俯いた。
 沈黙のあと、両肩に感触を覚えた。顔を上げると、光太と目が合った。
「勇気ってさ、小さな一歩から生まれるんだって」
 光太は、白い歯を見せた。
 次の瞬間、ぎゃあ、と大きな悲鳴が聞こえてきた。本殿の裏からだ。
「真弘っ」
 光太は血相を変えて走り出した。
 蔵の前で、真弘が丸く屈んでいた。目元まで覆い被さったフードを両手で押さえ、がたがたと震えている。
「真弘!」
「に、にいちゃん。あ、あれ――」
 大きな蜘蛛がいた。扉の上枠から糸を垂らし、揺れている。
「無理! あれ、殺して!」
 普段はボソボソと喋る真弘なのだが、今は割れるような大声を出している。
 ため息をついた光太は、立てかけられていたホウキを手に取り、蜘蛛をなぎ払った。
 宙を舞った蜘蛛は、真弘の目の前に仰向けで着地した。
「ぎゃっ! なにやってんだこのバカ兄貴!」
 真弘は後方に大きく跳び、叫んだ。その瞬間、ジーンズのポケットの口から、何かが転がり落ち、乾いた音を立てた。
「お前なぁ、また不良にでも絡まれたのかと思ってヒヤヒヤしたんだぞ」
「おれは不良より虫の方が嫌いなんだ!」
 真弘はがばっとフードを外し、濁った瞳を見せた。歯ぎしりをしながら、じりじりと兄の元へと歩み寄る。
「真弘くん、もうやめなよ」
 勇斗が足を動かすと、硬いものが靴に当たる音がした。足元を見ると、カケラのようなものが転がっていた。紅く、禍々しい光を放っている。
「あっ、だめ!」
 真弘は、素早く紅いカケラを拾い上げ、ポケットにしまい込んだ。
「それ何?」
「なんでもない。気にしないで」
 真弘はフードを深く被ったあと、唇を噛んだ。
 蔵の中は薄暗く、埃っぽかった。天井近くにある小さな丸い窓からうっすらと光が差し込んでいる。棚には陶器や金色のローソク立てなどの神具が並んでいた。
 埃と砂にまみれた木の床を掃いていると、一部だけ色の違う箇所を発見した。なんだろうと思って眺めていると、突然、目の前に真鍮の花瓶が落ちてきた。鈍い音が響く。
「だ、大丈夫か?」
 光太が脚立から飛び降りた。
「う、うん。間一髪だった」
 勇斗が声を震わせながら答えると、光太は申し訳なさそうに花瓶を拾い上げた。
「マジごめん」
 花瓶に傷はついていなかったが、代わりに床がひび割れていた。
「にいちゃん、これみて」
 屈んだ真弘が、割れた床版を指差した。勇斗と光太も顔を近づける。ひびの間から金色に光る何かが見えた。
「なんだこれ?」
 光太は隙間に指を入れ、光るものを引っ張り出した。
 金属製の取っ手だった。
「こんなのあるなんて知らなかった。ちょっと開けてみるか」
 光太の手が、取っ手を引っ張り上げた。鈍い音と共に埃が舞い上がる。やがて、床下へ続く梯子が姿を現した。
「地下への入り口?」
 光太は膝を曲げ、梯子の続く先をじっと眺めている。
「もしかして、降りようとしてる?」
 もちろん、と光太は目を輝かせる。
「でも真っ暗だよ。危ないよ」
「大丈夫だって!」
 光太は、蔵の隅にあった段ボールから懐中電灯を二本取り出した。
「俺はスマホのライトを使うから、お前たちはそれ使ってくれ」
 二人が梯子を降りて行った。――やめたほうがいいのに。
「勇斗ー。はやく来いよー!」
「わ、わかったよ」
 勇斗はおそるおそる梯子に足をかけ、ゆっくりと降りていった。
 梯子を降り続ける。暗くて、長い。いつまで続くのだろう、永遠に終わらないのではないかと考えると、急に寒気が走った。息が上がってきたとき、ようやくスニーカーの底が固い地面に触れた。
 着いた場所は、ひんやりとしていた。弱々しい懐中電灯の光が、岩の壁を照らし出す。洞窟のようだった。
「奥に続いてるみたいだな。行ってみるか」
 光太は、リングストラップが付けられたオーシャンブルーのスマートフォンから放たれる光を、奥の通路へと向けた。
 洞窟内を三人分の足音が反響する。道はどんどん狭くなっていった。
「この先に何があるのかなー。お宝かなー?」
 先導する光太の陽気な声が木霊する。
「もう帰ろうよ」
「何言ってんだ。行けるところまで行ってみるぞ」
「勇斗にいちゃん、もしかして、怖いの? おれは平気だよ。ぜんぜん平気」
 勇斗は黙り込み、二人の後ろをついて行った。
 懐中電灯の光が消える。
 電池切れ?
 次の瞬間、足元から不吉な音がした。
 気づいたら、身体が降下を始めていた。加速。思考する暇なんてなかった。
 水しぶきが激しく上がる。冷たい水がシャワーのように降り注ぐ。
 水面に浮かぶ大きな葉の上に、勇斗の体は乗っていた。落ちたことを理解するのに、しばらく時間を要した。理解したあとは、恐怖が全身を駆け上がってきた。
 助けて、と大声で叫んでも反応は返ってこなかった。
 辺りを見渡す。
 広い空間だった。天井は高く、なだらかな曲線を描いている。岩壁に絡みついた無数の根が、うっすらと緑色に発光している。
 幻想的な風景に、思わず息を呑んだ。ぼんやり眺めていると、葉が傾き、体が水の中に落ちた。溺れるかと思ったが、幸い、あまり深くはなかった。
 勇斗は泣きべそをかきながら岩床に手をついて、水から上がった。服はずぶ濡れで、ポケットに入れていたスマートフォンも水浸しだった。
 緑の発光体のおかげで、懐中電灯なしでも明るい。少し歩くと、壁の穴から声が漏れてきた。光太の声だ。
 そわそわしながら穴を抜けると、暗闇に二つの光が浮かんでいた。
「やっと見つけた。勇斗、怪我してないか」
「大丈夫。水の上に落ちたから」
「ラッキーだったな。でも風邪引くなよ」
「うん、ありがとう。あ、これ持っててくれる? 水浸しになっちゃって」
 勇斗は、自身のスマートフォンを光太に手渡した。濡れたポケットに入れたままにしておくと、修理が難しくなるからだ。
「まぁいいけど。それより、これ見てみろよ。奥に絶対なんかあるぜ」
 大きな石造りの扉が、光太のスマートフォンから発せられる光に照らされた。
 扉には四芒星が刻まれている。勇斗は、左手首を押さえた。
「開けるぞ!」
 意気揚々と、光太は巨大な扉を両手で押した。しかし、扉が動く様子は全くなかった。
「勇斗にいちゃん、押してみてよ」
「いや、絶対無理だって」
「ものは、試し」
 真弘に言われるがまま、勇斗は扉に手をかけた。瞬間、左手首の痣からまばゆい光が溢れ出した。
 扉が鈍い音を響かせた。
 唖然としている二人をよそに、真弘は扉の中に消えていった。
「ま、待てよ真弘!」
 扉の先は、赤く照らされていた。
「なんだありゃ。気持ちわる……」
 部屋の中央には台座があり、拳ほどの紅い球が乗っていた。表面には無数の棘が生え、内側から鼓動するように脈打っている。まるで、生きているかのようだった。よく見ると、欠けている箇所がいくつかあった。
 突然、激しい頭痛が襲ってきた。勇斗は両手で頭を押さえ、うずくまった。
「おい、真弘、触んなって」
 痛みをこらえ、顔を上げると、球に手を伸ばす真弘の後ろ姿が見えた。
 小さな手が球に触れた途端、地鳴りがした。部屋全体が揺れ始め、天井から砂と石がぼろぼろと落ちてくる。
「う、嘘だろ、こんなところで地震? おい、逃げるぞ!」
 台座の前で、真弘が両手を天に伸ばした。
 球が浮かぶ。
「真弘、何やってんだ!」
 空間が歪み始めた。揺れがさらに激しくなる。
「うおっ、なんだこりゃ」
 光太の体が淡い煙に包まれた。
 刹那、光太が消えた。彼のいた場所にはオーシャンブルーのスマートフォンだけが転がっていた。
 一体、何が起こっているのか。現実なのかわからなくなり、辺りを見回す。
 揺れが激しくなる。歪みは次第に広がり、やがて部屋全体を包み込むほど巨大なものとなった。
 気づくと、闇の上に立っていた。
「光太! 真弘くん!」
 勇斗の声は虚しく消えていった。
 ふと、自分の体を見下ろすと、裸だった。華奢な体が露わとなっている。
 訳がわからない。
 座り込み、ぼーっとした。次第に涙が溢れ出てきた。
 どれくらい時間が経ったのかわからない。ふと顔を上げると、彼方に光が見えた。
 呼ばれている気がする。
 勇斗は歩き出した。闇が、水面のように揺れていた。その上を歩いている感覚だった。
 光の正体は、立派な長剣と、黄金色に輝く鎧だった。
 その傍に、裸の少年が倒れていた。さらさらとした茶色の髪にあどけない顔立ち。
 勇斗は、大きく目を見張った。
 倒れている少年は、勇斗と瓜二つだった。
 いやだ――
 顔の造形が全て同じ。違う点は、鍛え抜かれた肉体と、四芒星の痣が右手首にあることだ。
 世界には自分のそっくりさんが三人はいると言われている。だいたいは他人の空似で済まされることが多いようだが、目の前の人物は「似ている」だけでは済まされない。手首にある痣の形まで同じなのだ。
 おそるおそる、勇斗は少年の手に触れた。
 刹那、お互いの痣が光り出した。
「えっ」
 光が、弾けた。