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アルト

6/15





 焚き火の前。  立派な銀の鎧を身に付けた少年が、剣の手入れをしていた。その目は冷たく、鋭い。 「アルトくん、そろそろ寝ないと体が持ちませんよ。明日はいよいよ魔神の居城に潜入するのですから」  赤を基調としたローブを羽織った青年が本を閉じ、整った顔を少年に向ける。銀髪のロングヘアーが夜風でなびいた。  アルトと呼ばれたブラウン髪の少年は黙々と剣を磨きながら、コクリと頷いた。 「トゥーレさん、ボクには構わないで下さい」 「やれやれ」 「アルト、キンチョーしてるぅ? まぁ、大事な戦いだから無理もないよねぇ」  フワフワ浮いているピンク髪の少年が、背中に付いている天使のような羽をパタつかせ、あくびをした。中性的な顔立ちは女の子のように見える。 「ペックも早く休んでマナを回復しなさい。貴方の治癒の精霊術がないと色々大変なのですから」 「トゥーレの旦那はいつも精霊使いが荒いからねぇ。はいはい、寝ますよぅ」  ペックはアルトの前にパタパタと飛んで行った。 「じゃ、アルト、おやすみぃ」  精霊ペックはアルトの額にそっと手を当てた後、スーッと姿を消した。 「ん?」  アルトは一瞬、自身の体に違和感を覚えた。  しばらくして、荒地の奥から二つの影が現れた。 「ただいま戻りました」 「やはり、あの火山のふもとが入り口で間違いないわ」  凛々しい顔をした金髪の少年が腰をおろす。その横に、兜を頭に乗せた、黒い毛をした狐がちょこんと座った。 「ラガン。チロ。偵察ご苦労様でした。貴方たちも明日に備えて休んでください」 「わかりました。おい、アルトも早く休めよ」  ラガンは赤いスケイルアーマーを脱ぎ、ゴロンと横になる。チロはボンっと煙を上げ、消えた。 「私も結界を張り終えたら休みます。さぁ、アルトくんも横になって」 「――わかりました」  アルトは剣を鞘に納め、鎧を脱ぎ横になった。 「おい、アルト」  ラガンが小さな声で言う。 「レイラ様を悲しませるんじゃないぞ」  アルトは返事をしなかった。 「チッ、いつまでも無愛想な勇者だな」  やがて焚き火は消え、辺りは暗闇に包まれた。    翌日、アルトたちは長く続く洞窟を進んでいた。チリチリと焼けるような暑さが一行の体力を蝕む。 「鎧脱ぎてぇ」  ラガンは額の汗を拭う。 「ニンゲンは不便ね」  ラガンの肩に乗っているチロは三本ある尻尾をフリフリ動かす。尻尾の先は剣のように鋭く光っていた。 「精霊はいいよな。暑さも寒さも痛みも空腹も感じないし」 「そういう体なのよ。精霊は」  チロはぴょんと地面に降りた。 「魔神を倒せば終わりです。頑張りましょう」 「魔神、一体どれくらいの力を持ってるんだ。本当に勝てるのか?」 「アルトくんの剣は魔神の鎧を破壊することができる唯一の武器。私たちは彼を全力でサポートするだけです」 「チッ、結局オレたちはお飾りかよ」 「まぁまぁ」 「そういやここまで魔族と一匹も遭遇しなかったな。静かすぎるぐらいだ。なぁ、アルト」  黙々と歩を進めるアルトは、振り向かなかった。 「聞いてないのかよ」  ラガンは槍の柄をガツンと地面に押し付ける。 「ラガンくん」 「ふん」  洞窟を抜けた先は、石造りの広間だった。むせ返るような瘴気が立ち込めている。 「それらしくなってきましたね」  広間の中央に差し掛かった時、チロが急に足を止めた。落ち着きなく、辺りを見回す。 「どうした、チロ?」 「マナの流れがおかしいわ」  突如、一行の足元に大きな魔法陣が出現した。 「これは、転送魔法?」 「うおっ、やべっ」  トゥーレとペック、ラガンとチロ、そしてアルトは粒子となり、消えた。  気づくとアルトは宙に浮いていた。紅く広い空間。足元にはマグマが広がっている。  マグマの海に浮かぶ岩場に着地したアルトは鞘から剣を抜き、構えた。  アルトの目線の先には漆黒の鎧を纏った者がマントをなびかせ、佇んでいた。体格は大柄。手には身長の倍はあるであろう斧が握られている。顔はフルフェイスの兜に覆われ、見えない。 「魔神――」  直感で、目の前にいる者が魔神だと分かった。感じたことのない威圧感。剣を握る手が、僅かに震える。 「お前を、倒すッ」  アルトが叫ぶ。  魔神は、静かに斧を構えた。兜の奥から、地を這うような低い声が発せられる。 「ほざけ、ニンゲン」  死闘が、始まった。  先に動いたのはアルトだった。軽やかな身のこなしで岩から岩へと飛び移り、魔神へと接近する。  跳躍。魔神の兜に狙いを定め、一気に剣を振り下ろす。  金属同士が激しくぶつかる音。魔神の斧がアルトの剣を受け止めていた。 「くっ」  アルトは魔神から距離を取り、魔法の詠唱を始めた。 「聖なる雷よ」 「闇の雷よ」  同時に魔神も詠唱を始める。  光と闇の雷撃が、双方を襲った。お互いに体中から黒い煙を吹き上げる。  両者は怯まなかった。一進一退の攻防。飛び散る火花。赤い血と黒い血が、双方の武具を汚した。  殺し合いは続く―― 「ぐうぅっ」  魔神がよろめいた瞬間を、アルトは逃さなかった。 「はああっ!」  アルトは渾身の力で剣を魔神の胸元に投げつけた。 「グオオッ」  剣は魔神の鎧を貫いた。アルトが剣を引き抜くと、魔神の胸元から黒い血が噴射する。魔神は倒れ、巨体がマグマの底へ沈んでいった。 「はぁっ、はぁっ――」  アルトは荒い息を吐きながら、剣を鞘に納めた。  刹那、三本の光がアルトの体を貫通した。 「なっ」  アルトの右太腿と左脛、そして腹部に大きな穴が空いた。三つの穴から赤い液体が、ドロドロと流れ出ている。 「あっ、がっ――ぐふぅっ――」  大量の吐血。アルトは倒れそうな体を何とか維持しようとした。だが、耐えきれず。小さな体は足場から落下した。  ジュウウウウと全身が焼ける音。自身から発せられる異臭。薄れゆく意識の中、一つの声が聞こえた。 「残念だったな、勇者」  地響き。落盤。マグマが荒れ狂う。    勇者と魔神の決戦の場に、大きな次元の歪みが発生した――  目を覚ますと、白い天井が見えた。 「勇斗、勇斗! 目を覚ましたのね! ああ、よかった――」  顔を声の方に向けると、両手で口を覆っている女性の姿があった。目には涙を溜めている。  誰だ、この人は―― 「待っててね。すぐ先生呼んでくるから。光太くん、ちょっと勇斗見てて」  女性はパタパタと、病室を出ていった。 「ここは、どこだ?」 「病院。俺たちあの後、蔵の外で倒れてたらしい。俺はすぐ目が覚めたんだけど、お前と真弘は全然意識が戻らなかったんだよ」  光太と呼ばれた青いジャージを着た少年は、鼻水をズズーっとすすった。 「病院?」  布団をはぎ、ベッドの上に立ったアルトは、オレンジ色の柔らかい光が差し込む窓から外を眺めた。 「あとは真弘だけか――っておい、いきなり動いて大丈夫なのかよ」 「な、何だここは」  秋物の服を着て歩く人々。道路を行き交う車――アルトの目に映ったものは全て異質だった。  窓を開け、空気に手を触れる。 「マナが、ない?」  アルトは窓枠に足を引っ掛けた。 「ちょ、何やってんだ! ここ三階だぞ! 止めろ!」  光太の警告を無視したアルトはその身を投げ出した。風を切る音だけが響き渡る。体を宙で一回転させ、まるで重力を無視するかのように、軽やかに地面に着地した。 「きゃあっ! 何?」  カシャっと、紙袋が地面に落ちる。  アルトが顔を上げると、赤茶色のショートヘアーの少女が顔をきょとんとさせていた。 「ゆ、勇斗? 意識が戻ったの? ていうか何で空から降ってきたの?」 「レイラ?」 「はぁ? レイラって誰? 私は美咲ですけど。幼馴染の顔、忘れたの?」 「人違いか。すまない。知り合いに似ていたから――」  アルトは頬を少し赤らめ、視線を逸らした。 「ちょっと、意味わかんないんですけど」 「ここは、どこだ?」 「どこだって、高日町でしょ。私たちの生まれ育った町」  アルトは辺りを見渡した後、腕を組んで「うーん」と唸った。 「勇斗ーっ! 無事かーっ!」  エントランスの自動ドアが開き、光太が全速力で走ってきた。 「な、何で普通に立ってるのお前」  息も絶え絶えに、光太は言う。 「ねぇ、光太。この状況、説明しなさいよ」 「美咲? 何でお前がここにいるんだよ」 「バカ弟のお見舞いよ」  美咲は地面に落ちた紙袋を拾い上げる。 「そ、そうだったか」 「まぁ、それより――」  光太と美咲がアルトの顔をじっと見つめた。 「勇斗。お前、どうしちまったんだよ」 「ユートって誰だ? ボクはアルト。ソレイン王国の勇者、アルトだ」  アルトはキリッと、二人に言い放った。 「勇者? アルト? お前何言って――」 「ボクは城に帰って報告をしなければならない。君たち、帰る方法を知らないか?」  光太と美咲は首を傾げた後、見つめ合った。 「頭、大丈夫か?」  光太はアルトの体をぽんぽん叩いた。 「ん?」 「どうした?」 「いや、随分ガッチリしてるなと思って。勇斗はもっとヒョロヒョロのはず」 「まぁ、鍛えているからな」  アルトは病衣を脱ぎ出した。見事に割れたシックスパックが露わになる。  光太は口をあんぐりとさせた。美咲は顔を背けている。 「ん、傷痕がない?」  アルトは不思議そうな顔で自身の体を触った。 「いや、もういいから! 服着ろ、服っ! 周りの目線がヤバい」 「随分と忙しいやつだな」  アルトはやれやれといった表情で、病衣を着直した。 「最後に一つ、確認させてくれ。左手、見せてくれるか?」 「左手?」 「いいから!」  アルトは病衣の裾をまくり、左手を見せた。 「アザが、ない?」 「アザ? アザならこっちだ」  アルトは右手首を見せる。そこには四芒星のアザが存在していた。 「これは生まれつきあるものだ」 「お前、本当に勇斗じゃないのかよ」 「だからボクはアルトだって。ユートってやつは知らない」 「マジか」  光太の動きが固まった。 「ちょっと、あっちで詳しく聞きましょうか」  アルトは美咲に引っ張られ、ベンチに座らされた。 「ボクは伝説の武具に選ばれ、勇者として魔神退治の旅に出た。魔神との戦いの後、気づけばここにいた」 「つまり、アンタは違う世界から来たってこと?」 「おいおい副委員長さんよ、あまりにもぶっ飛んでるだろ」 「だって、そうしか考えられないでしょ」  美咲が険しい表情をする。 「ここにはマナがない。ボクのいた世界とは全く違う」 「意味わかんねー。じゃあ、勇斗はどこに行ったんだよ」 「知らない」 「知らないって――」  光太はうつむき、歯軋りをした。 「ねぇ、あんまり信じたくないけど――勇斗はアルトのいた世界にいるんじゃない?」 「は?」 「可能性の話よ」 「ありえねぇ――」 「ユートって、ボクとそんなに似ているのか?」 「似てるもなにも、同じだ。顔も髪も声も――その性格以外はな」  光太はふてくされるように言った。 「うーん」  アルトは手を顎に当て、少し黙り込んだ。 「どうしたの?」 「ボクは夢を見ていた。真っ暗な空間で、ボクそっくりなやつが伝説の武具に選ばれる夢だ。そいつは武具と一緒に消えた。そいつがユートなら、ボクの世界に行った可能性はある」 「それじゃ、今すぐ連れ戻してきてくれよ」 「そうしたいが、方法が――」 「くそっ、どうしたらいいんだよ」  光太は唇を噛み、自身の膝をグーで叩いた。 「勇斗ーっ、どこにいるのー?」  遠くから女性の声が聞こえてきた。 「まずっ、勇斗の母ちゃんの声だ」 「どうしたらいい」 「アルト、アンタは勇斗のフリをする。そして私たちと一緒に元の世界に戻る方法を探す」  美咲はベンチから立ち上がり、アルトを指差した。 「ま、マジで言ってんの?」 「今はそれしかないよ」 「わかった。努力する」  アルトは静かに手を握りしめる。 「大変なことになっちまった――」  光太はため息をついた後、頭を抱えた。



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アルト

6/15

 焚き火の前。  立派な銀の鎧を身に付けた少年が、剣の手入れをしていた。その目は冷たく、鋭い。 「アルトくん、そろそろ寝ないと体が持ちませんよ。明日はいよいよ魔神の居城に潜入するのですから」  赤を基調としたローブを羽織った青年が本を閉じ、整った顔を少年に向ける。銀髪のロングヘアーが夜風でなびいた。  アルトと呼ばれたブラウン髪の少年は黙々と剣を磨きながら、コクリと頷いた。 「トゥーレさん、ボクには構わないで下さい」 「やれやれ」 「アルト、キンチョーしてるぅ? まぁ、大事な戦いだから無理もないよねぇ」  フワフワ浮いているピンク髪の少年が、背中に付いている天使のような羽をパタつかせ、あくびをした。中性的な顔立ちは女の子のように見える。 「ペックも早く休んでマナを回復しなさい。貴方の治癒の精霊術がないと色々大変なのですから」 「トゥーレの旦那はいつも精霊使いが荒いからねぇ。はいはい、寝ますよぅ」  ペックはアルトの前にパタパタと飛んで行った。 「じゃ、アルト、おやすみぃ」  精霊ペックはアルトの額にそっと手を当てた後、スーッと姿を消した。 「ん?」  アルトは一瞬、自身の体に違和感を覚えた。  しばらくして、荒地の奥から二つの影が現れた。 「ただいま戻りました」 「やはり、あの火山のふもとが入り口で間違いないわ」  凛々しい顔をした金髪の少年が腰をおろす。その横に、兜を頭に乗せた、黒い毛をした狐がちょこんと座った。 「ラガン。チロ。偵察ご苦労様でした。貴方たちも明日に備えて休んでください」 「わかりました。おい、アルトも早く休めよ」  ラガンは赤いスケイルアーマーを脱ぎ、ゴロンと横になる。チロはボンっと煙を上げ、消えた。 「私も結界を張り終えたら休みます。さぁ、アルトくんも横になって」 「――わかりました」  アルトは剣を鞘に納め、鎧を脱ぎ横になった。 「おい、アルト」  ラガンが小さな声で言う。 「レイラ様を悲しませるんじゃないぞ」  アルトは返事をしなかった。 「チッ、いつまでも無愛想な勇者だな」  やがて焚き火は消え、辺りは暗闇に包まれた。    翌日、アルトたちは長く続く洞窟を進んでいた。チリチリと焼けるような暑さが一行の体力を蝕む。 「鎧脱ぎてぇ」  ラガンは額の汗を拭う。 「ニンゲンは不便ね」  ラガンの肩に乗っているチロは三本ある尻尾をフリフリ動かす。尻尾の先は剣のように鋭く光っていた。 「精霊はいいよな。暑さも寒さも痛みも空腹も感じないし」 「そういう体なのよ。精霊は」  チロはぴょんと地面に降りた。 「魔神を倒せば終わりです。頑張りましょう」 「魔神、一体どれくらいの力を持ってるんだ。本当に勝てるのか?」 「アルトくんの剣は魔神の鎧を破壊することができる唯一の武器。私たちは彼を全力でサポートするだけです」 「チッ、結局オレたちはお飾りかよ」 「まぁまぁ」 「そういやここまで魔族と一匹も遭遇しなかったな。静かすぎるぐらいだ。なぁ、アルト」  黙々と歩を進めるアルトは、振り向かなかった。 「聞いてないのかよ」  ラガンは槍の柄をガツンと地面に押し付ける。 「ラガンくん」 「ふん」  洞窟を抜けた先は、石造りの広間だった。むせ返るような瘴気が立ち込めている。 「それらしくなってきましたね」  広間の中央に差し掛かった時、チロが急に足を止めた。落ち着きなく、辺りを見回す。 「どうした、チロ?」 「マナの流れがおかしいわ」  突如、一行の足元に大きな魔法陣が出現した。 「これは、転送魔法?」 「うおっ、やべっ」  トゥーレとペック、ラガンとチロ、そしてアルトは粒子となり、消えた。  気づくとアルトは宙に浮いていた。紅く広い空間。足元にはマグマが広がっている。  マグマの海に浮かぶ岩場に着地したアルトは鞘から剣を抜き、構えた。  アルトの目線の先には漆黒の鎧を纏った者がマントをなびかせ、佇んでいた。体格は大柄。手には身長の倍はあるであろう斧が握られている。顔はフルフェイスの兜に覆われ、見えない。 「魔神――」  直感で、目の前にいる者が魔神だと分かった。感じたことのない威圧感。剣を握る手が、僅かに震える。 「お前を、倒すッ」  アルトが叫ぶ。  魔神は、静かに斧を構えた。兜の奥から、地を這うような低い声が発せられる。 「ほざけ、ニンゲン」  死闘が、始まった。  先に動いたのはアルトだった。軽やかな身のこなしで岩から岩へと飛び移り、魔神へと接近する。  跳躍。魔神の兜に狙いを定め、一気に剣を振り下ろす。  金属同士が激しくぶつかる音。魔神の斧がアルトの剣を受け止めていた。 「くっ」  アルトは魔神から距離を取り、魔法の詠唱を始めた。 「聖なる雷よ」 「闇の雷よ」  同時に魔神も詠唱を始める。  光と闇の雷撃が、双方を襲った。お互いに体中から黒い煙を吹き上げる。  両者は怯まなかった。一進一退の攻防。飛び散る火花。赤い血と黒い血が、双方の武具を汚した。  殺し合いは続く―― 「ぐうぅっ」  魔神がよろめいた瞬間を、アルトは逃さなかった。 「はああっ!」  アルトは渾身の力で剣を魔神の胸元に投げつけた。 「グオオッ」  剣は魔神の鎧を貫いた。アルトが剣を引き抜くと、魔神の胸元から黒い血が噴射する。魔神は倒れ、巨体がマグマの底へ沈んでいった。 「はぁっ、はぁっ――」  アルトは荒い息を吐きながら、剣を鞘に納めた。  刹那、三本の光がアルトの体を貫通した。 「なっ」  アルトの右太腿と左脛、そして腹部に大きな穴が空いた。三つの穴から赤い液体が、ドロドロと流れ出ている。 「あっ、がっ――ぐふぅっ――」  大量の吐血。アルトは倒れそうな体を何とか維持しようとした。だが、耐えきれず。小さな体は足場から落下した。  ジュウウウウと全身が焼ける音。自身から発せられる異臭。薄れゆく意識の中、一つの声が聞こえた。 「残念だったな、勇者」  地響き。落盤。マグマが荒れ狂う。    勇者と魔神の決戦の場に、大きな次元の歪みが発生した――  目を覚ますと、白い天井が見えた。 「勇斗、勇斗! 目を覚ましたのね! ああ、よかった――」  顔を声の方に向けると、両手で口を覆っている女性の姿があった。目には涙を溜めている。  誰だ、この人は―― 「待っててね。すぐ先生呼んでくるから。光太くん、ちょっと勇斗見てて」  女性はパタパタと、病室を出ていった。 「ここは、どこだ?」 「病院。俺たちあの後、蔵の外で倒れてたらしい。俺はすぐ目が覚めたんだけど、お前と真弘は全然意識が戻らなかったんだよ」  光太と呼ばれた青いジャージを着た少年は、鼻水をズズーっとすすった。 「病院?」  布団をはぎ、ベッドの上に立ったアルトは、オレンジ色の柔らかい光が差し込む窓から外を眺めた。 「あとは真弘だけか――っておい、いきなり動いて大丈夫なのかよ」 「な、何だここは」  秋物の服を着て歩く人々。道路を行き交う車――アルトの目に映ったものは全て異質だった。  窓を開け、空気に手を触れる。 「マナが、ない?」  アルトは窓枠に足を引っ掛けた。 「ちょ、何やってんだ! ここ三階だぞ! 止めろ!」  光太の警告を無視したアルトはその身を投げ出した。風を切る音だけが響き渡る。体を宙で一回転させ、まるで重力を無視するかのように、軽やかに地面に着地した。 「きゃあっ! 何?」  カシャっと、紙袋が地面に落ちる。  アルトが顔を上げると、赤茶色のショートヘアーの少女が顔をきょとんとさせていた。 「ゆ、勇斗? 意識が戻ったの? ていうか何で空から降ってきたの?」 「レイラ?」 「はぁ? レイラって誰? 私は美咲ですけど。幼馴染の顔、忘れたの?」 「人違いか。すまない。知り合いに似ていたから――」  アルトは頬を少し赤らめ、視線を逸らした。 「ちょっと、意味わかんないんですけど」 「ここは、どこだ?」 「どこだって、高日町でしょ。私たちの生まれ育った町」  アルトは辺りを見渡した後、腕を組んで「うーん」と唸った。 「勇斗ーっ! 無事かーっ!」  エントランスの自動ドアが開き、光太が全速力で走ってきた。 「な、何で普通に立ってるのお前」  息も絶え絶えに、光太は言う。 「ねぇ、光太。この状況、説明しなさいよ」 「美咲? 何でお前がここにいるんだよ」 「バカ弟のお見舞いよ」  美咲は地面に落ちた紙袋を拾い上げる。 「そ、そうだったか」 「まぁ、それより――」  光太と美咲がアルトの顔をじっと見つめた。 「勇斗。お前、どうしちまったんだよ」 「ユートって誰だ? ボクはアルト。ソレイン王国の勇者、アルトだ」  アルトはキリッと、二人に言い放った。 「勇者? アルト? お前何言って――」 「ボクは城に帰って報告をしなければならない。君たち、帰る方法を知らないか?」  光太と美咲は首を傾げた後、見つめ合った。 「頭、大丈夫か?」  光太はアルトの体をぽんぽん叩いた。 「ん?」 「どうした?」 「いや、随分ガッチリしてるなと思って。勇斗はもっとヒョロヒョロのはず」 「まぁ、鍛えているからな」  アルトは病衣を脱ぎ出した。見事に割れたシックスパックが露わになる。  光太は口をあんぐりとさせた。美咲は顔を背けている。 「ん、傷痕がない?」  アルトは不思議そうな顔で自身の体を触った。 「いや、もういいから! 服着ろ、服っ! 周りの目線がヤバい」 「随分と忙しいやつだな」  アルトはやれやれといった表情で、病衣を着直した。 「最後に一つ、確認させてくれ。左手、見せてくれるか?」 「左手?」 「いいから!」  アルトは病衣の裾をまくり、左手を見せた。 「アザが、ない?」 「アザ? アザならこっちだ」  アルトは右手首を見せる。そこには四芒星のアザが存在していた。 「これは生まれつきあるものだ」 「お前、本当に勇斗じゃないのかよ」 「だからボクはアルトだって。ユートってやつは知らない」 「マジか」  光太の動きが固まった。 「ちょっと、あっちで詳しく聞きましょうか」  アルトは美咲に引っ張られ、ベンチに座らされた。 「ボクは伝説の武具に選ばれ、勇者として魔神退治の旅に出た。魔神との戦いの後、気づけばここにいた」 「つまり、アンタは違う世界から来たってこと?」 「おいおい副委員長さんよ、あまりにもぶっ飛んでるだろ」 「だって、そうしか考えられないでしょ」  美咲が険しい表情をする。 「ここにはマナがない。ボクのいた世界とは全く違う」 「意味わかんねー。じゃあ、勇斗はどこに行ったんだよ」 「知らない」 「知らないって――」  光太はうつむき、歯軋りをした。 「ねぇ、あんまり信じたくないけど――勇斗はアルトのいた世界にいるんじゃない?」 「は?」 「可能性の話よ」 「ありえねぇ――」 「ユートって、ボクとそんなに似ているのか?」 「似てるもなにも、同じだ。顔も髪も声も――その性格以外はな」  光太はふてくされるように言った。 「うーん」  アルトは手を顎に当て、少し黙り込んだ。 「どうしたの?」 「ボクは夢を見ていた。真っ暗な空間で、ボクそっくりなやつが伝説の武具に選ばれる夢だ。そいつは武具と一緒に消えた。そいつがユートなら、ボクの世界に行った可能性はある」 「それじゃ、今すぐ連れ戻してきてくれよ」 「そうしたいが、方法が――」 「くそっ、どうしたらいいんだよ」  光太は唇を噛み、自身の膝をグーで叩いた。 「勇斗ーっ、どこにいるのー?」  遠くから女性の声が聞こえてきた。 「まずっ、勇斗の母ちゃんの声だ」 「どうしたらいい」 「アルト、アンタは勇斗のフリをする。そして私たちと一緒に元の世界に戻る方法を探す」  美咲はベンチから立ち上がり、アルトを指差した。 「ま、マジで言ってんの?」 「今はそれしかないよ」 「わかった。努力する」  アルトは静かに手を握りしめる。 「大変なことになっちまった――」  光太はため息をついた後、頭を抱えた。



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