死への誘い
ー/ー 鮮やかな紅葉色で彩られた森の中を、勇斗は周囲に視線を走らせながら歩いていた。胸を張って堂々と歩くランパの背中に、ぴったり張りつくようについていく。
「ねぇ、さっきは勢いで契約しちゃったけど、精霊と契約したらどんなことができるの?」
「ニンゲンは、契約した精霊を使役できるようになる。戦えって言われたら戦うし、守れって言われたら守る。ただな、精霊によっては見返りを求めるやつもいるぞ」
見返り――その言葉に、胃がきゅっと縮んだ。大切なものを奪われる。そんな想像が、暗い霧のように頭の中へ広がっていく。
「そんな顔するなよ。オイラはなにも求めてない。ユートと一緒にいられるだけで十分だ。あ、でも食べ物は欲しいぞ」
ランパは何事もなかったかのように、無邪気な笑顔を向けてくる。
「あと、契約はいつでもやめることができる。そしたら、お互いに契約してた間の記憶が全部なくなっちまうけどな」
その声は、さっきより少しだけ低かった。ランパは伏し目がちになり、足取りもわずかに鈍る。
「だ、大丈夫だよ。僕は絶対にそんなことしないから」
契約を破棄して記憶を失えば、元の世界に戻る手がかりまで消えてしまう。それだけは、どうしても避けなければならない。
「ありがとう、ユート」
ランパはまた笑って、今度は軽やかにスキップを始めた。勇斗は慌てて、その後を追う。
「ところで、精霊樹ってどこにあるの?」
「マナの流れを辿っていけば、そのうち着くぞ!」
そのうち――という言葉に、不安が胸に滲む。本当に大丈夫なのだろうか。でも、今はランパを頼るしか道はない。
「そもそも、マナって何?」
「マナはな、なんかスゲーもの。オイラたち精霊の源で、精霊樹から生まれてる。目には見えないけど、そのへんにたくさんあるんだ。マナがなくなると精霊は死んで、海や大地も枯れちまう。あと、魔法を使うときもマナを使うんだぞ」
曖昧だが、なんとなくわかる。
「魔法と精霊術って、違うものなの?」
「基本はいっしょだ。マナを使って発動させる。違うのはな、魔法はそのへんのマナを、精霊術は体の中のマナを使うってところ。精霊術のほうが強くて、精霊にしか使えないんだ。あと、魔法は変な言葉を言わなきゃいけないけど、精霊術はそれもいらない」
勇斗は、精霊術のほうが魔法より強いのだと理解した。
「ユート、マナを感じられるか?」
「いや、全然」
「じゃあ、ユートは魔法を使うのはムリだな」
少しだけ肩を落とす。異世界に来たのなら、魔法のひとつくらい使ってみたかった。
「ランパは、魔法と精霊術、両方使えるの?」
「精霊に魔法は使えない。そもそも魔法は、精霊術を元にニンゲンや他の種族が作ったものなんだ」
「へぇ、よく知ってるね」
「そりゃー、オイラは精霊だからな!」
ランパは得意げに鼻を動かした。
それからしばらく森をさまよっていたが、一向に景色は変わらなかった。足は重く、息も切れてきている。
「もう、しんどいよ」
「ユート、体力ないなぁ」
体力がないのは昔からだ。仮病を使って体育の授業を見学するのは日常茶飯事で、そのせいで成績はいつも最低だった。
「お腹も空いたし、喉も乾いた。ランパ、なんとかしてよ」
考えてみれば、自宅を出てから何も口にしていない。本当なら今ごろ、家で晩ごはんを食べている時間のはずだ。
「しょーがないなー。オイラが食いもん探してきてやるよ。ちょっと待ってろ。動くなよー!」
ランパは軽い身のこなしで木々の奥へ消えていった。
一人になってしまった。さっきみたいに魔族に襲われたらどうしよう。はやく帰ってきてほしい。
勇斗は地面をうねる太い根に腰を下ろし、木の幹にもたれかかった。両手が、抑えきれないほど震えていた。
頭上から、がさがさと音がした。
何かが落ちてきた。
「ひっ」
目の前に降り立ったのは、二匹の黒い生き物だった。小さな人型で、醜い顔と赤い目。ファンタジー作品で見たことのある――ゴブリンによく似ている。一匹は素手。もう一匹は棍棒を握っていた。
殺される。
「た、助けてぇ、ランパー!」
叫んだが、返事はない。
魔族がじりじりと距離を詰めてきた。動悸が激しくなった。
「く、くるなーっ!」
とっさに剣を抜こうとしたが、手が震えてうまくいかない。
次の瞬間、棍棒を持った魔族が跳び上がった。
「ひいいっ!」
反射的に両腕で頭を守る。硬い音と衝撃が走った。ガントレットがなければ、骨が砕けていたかもしれない。
弾かれた魔族は後方へ跳び、距離を取った。
勇斗は震える手で剣を抜き、へっぴり腰のまま構えた。
魔族は嘲るように笑い、勇斗の懐へ踏み込んだ。胴体に一撃。骨まで響く衝撃。さらに、足にもう一撃。
破裂するような痛みが、体中を駆け巡る。このままじゃ、死ぬ。嫌だ。
「うわあああぁっ!」
目を閉じ、剣をでたらめに振り回した。
「ギッ!」
柔らかいものが裂ける感触がした。
「え?」
黒い液体を流して倒れている魔族がいた。動かない。
殺した――自分が。
腕が痺れて、剣が落ちそうだった。鼻の奥に、鉄みたいな匂いが刺さる。
吐き気が込み上げ、左手で口を押さえた。涙が止まらなかった。
「キキーッ!」
残った一匹が同胞に駆け寄り、棍棒を奪い取った。憎悪に満ちた目が、勇斗を射抜いた。
叫び声とともに、突進してくる。
「うわあああ!」
重い音。
樹上から、小さな木の実が雨のように降り、魔族の胴体にめり込んだ。
「大丈夫か、ユート」
ランパが駆け寄ってくる。表情は硬い。
「あんにゃろ」
短剣を抜き、痙攣する魔族に歩み寄る。刃が喉元に突き立ち、やがて魔族は霧のように消えた。
勇斗は、その場に尻もちをついた。頭が真っ白だった。
「ユート! いっぱい採ってきたけど、食うかー?」
聞こえてくる声が、ひどく遠かった。
藪がざわめいた。
「ひっ、また魔族?」
姿を現したのは、一匹の小動物だった。艶やかなベージュの毛に、立派な角。
「あ、鹿だ」
魔族じゃなかった。この世界にも、普通の動物がいるのだと知り、勇斗は胸をなで下ろす。
鹿は、こちらに向かってとことこと歩いてくる。つぶらな瞳が、やけに無防備に見えた。
勇斗は剣を鞘に納め、右手を差し出す。
硬いものが砕ける音。
「え?」
次の瞬間、鹿の牙が右手に突き立った。ガントレットを砕き、そのまま勇斗の掌を貫いた。
「ぎ、ぎゃああああっ!」
牙が引き抜かれ、血が噴き出す。勇斗は右手を押さえてうずくまり、息が詰まるほどの激痛に身を折った。
直後、視界が跳ねた。
勇斗の体が、宙を舞う。背中から大木に叩きつけられ、幹が軋み、へし折れた。
鎧が砕ける。
肺から空気が押し出され、口から赤い液体がこぼれ落ちた。
鹿が、雄叫びを上げた。
体が歪み、膨れ上がり、毛皮が裂けた。象よりも大きな巨体へと変貌し、周囲の木々が次々となぎ倒されていく。
「こんなところで再び会うとはな。黄金色の鎧をまとう者よ」
耳障りな、がなり声。濁った眼には、飢えや怒りだけではないものが宿っている。
「あのときの恨み、晴らさせてもらおう」
巨大な脚が、ゆっくりと持ち上った。
「させねぇ!」
ランパの叫びと同時に、地面が割れた。無数の蔓が噴き出し、大鹿の脚に絡みつく。
動きが止まった。
その隙に、勇斗の体も蔓に包まれ、大鹿の視界の外へと放り投げられた。
「こしゃくな。また貴様か」
蔓が引き千切られた。大鹿の視線が、ランパを捉えた。角が振り上げられ、緑色の魔法陣が展開された。
どす黒い竜巻が、地を抉るように立ち上がった。
小さな体が飲み込まれた。引き裂かれるような音。血が散り、悲鳴は轟音に掻き消えた。
竜巻が止み、ランパの体が地面に叩きつけられる。
視界の先で、赤黒く染まった体がかすかに揺れていた。
ランパ、動いて。僕を助けて。
「さて」
大鹿が、勇斗を見下ろす。
「次は貴様だ、勇者」
さっきまで遠くにあったはずの巨体が、ゆっくりと距離を詰めてきた。踏み出すたびに地面が沈み、空気が揺れた。
逃げなきゃ死ぬ。でも、どうしたらいい。
――勇気ってさ、小さな一歩から生まれるんだって。
光太の言葉が、頭の奥で響いた。胸の内側で、鼓動が異様なほど強く鳴り始めた。
勇斗は歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がった。
地面に落ちていた剣を拾い、両手で握る。腕は震え、剣先は定まらない。息をするだけで、胸の奥が軋んだ。それでも、剣を向けた。
大鹿が、鼻で笑った。
「その様で、まだ立つか」
一歩。巨体が、さらに近づいた。
影が覆いかぶさり、視界のほとんどが闇に沈む。
その瞬間、勇斗の膝が崩れ落ちた。
力が抜けた。
剣が手から滑り落ち、乾いた音を立てて地面に落ちた。前のめりに倒れ、頬に土の冷たさが伝わる。
――だめだ。
足音が、近づいてきた。重く、ゆっくりと、確実に。
「これで終わりだな、勇者」
低く笑う声がかすかに聞こえる。意識が、闇に飲み込まれていく。
「はい、そこまで」
落ち着いた声が、割り込んだ。
一閃。
次の刹那、大鹿の胴体が真っ二つに裂けた。黒い血が噴き上がり、巨体が崩れ落ちた。
「な、に――」
言葉を残し、魔族は消滅した。
「やれやれ、ひどい有様じゃのう」
誰かの声が、遠くで響いた。
「おいミュール、運ぶのを手伝ってくれんか」
「わかったよ、じーちゃん」
勇斗の意識は、そこで完全に途切れた。
「ねぇ、さっきは勢いで契約しちゃったけど、精霊と契約したらどんなことができるの?」
「ニンゲンは、契約した精霊を使役できるようになる。戦えって言われたら戦うし、守れって言われたら守る。ただな、精霊によっては見返りを求めるやつもいるぞ」
見返り――その言葉に、胃がきゅっと縮んだ。大切なものを奪われる。そんな想像が、暗い霧のように頭の中へ広がっていく。
「そんな顔するなよ。オイラはなにも求めてない。ユートと一緒にいられるだけで十分だ。あ、でも食べ物は欲しいぞ」
ランパは何事もなかったかのように、無邪気な笑顔を向けてくる。
「あと、契約はいつでもやめることができる。そしたら、お互いに契約してた間の記憶が全部なくなっちまうけどな」
その声は、さっきより少しだけ低かった。ランパは伏し目がちになり、足取りもわずかに鈍る。
「だ、大丈夫だよ。僕は絶対にそんなことしないから」
契約を破棄して記憶を失えば、元の世界に戻る手がかりまで消えてしまう。それだけは、どうしても避けなければならない。
「ありがとう、ユート」
ランパはまた笑って、今度は軽やかにスキップを始めた。勇斗は慌てて、その後を追う。
「ところで、精霊樹ってどこにあるの?」
「マナの流れを辿っていけば、そのうち着くぞ!」
そのうち――という言葉に、不安が胸に滲む。本当に大丈夫なのだろうか。でも、今はランパを頼るしか道はない。
「そもそも、マナって何?」
「マナはな、なんかスゲーもの。オイラたち精霊の源で、精霊樹から生まれてる。目には見えないけど、そのへんにたくさんあるんだ。マナがなくなると精霊は死んで、海や大地も枯れちまう。あと、魔法を使うときもマナを使うんだぞ」
曖昧だが、なんとなくわかる。
「魔法と精霊術って、違うものなの?」
「基本はいっしょだ。マナを使って発動させる。違うのはな、魔法はそのへんのマナを、精霊術は体の中のマナを使うってところ。精霊術のほうが強くて、精霊にしか使えないんだ。あと、魔法は変な言葉を言わなきゃいけないけど、精霊術はそれもいらない」
勇斗は、精霊術のほうが魔法より強いのだと理解した。
「ユート、マナを感じられるか?」
「いや、全然」
「じゃあ、ユートは魔法を使うのはムリだな」
少しだけ肩を落とす。異世界に来たのなら、魔法のひとつくらい使ってみたかった。
「ランパは、魔法と精霊術、両方使えるの?」
「精霊に魔法は使えない。そもそも魔法は、精霊術を元にニンゲンや他の種族が作ったものなんだ」
「へぇ、よく知ってるね」
「そりゃー、オイラは精霊だからな!」
ランパは得意げに鼻を動かした。
それからしばらく森をさまよっていたが、一向に景色は変わらなかった。足は重く、息も切れてきている。
「もう、しんどいよ」
「ユート、体力ないなぁ」
体力がないのは昔からだ。仮病を使って体育の授業を見学するのは日常茶飯事で、そのせいで成績はいつも最低だった。
「お腹も空いたし、喉も乾いた。ランパ、なんとかしてよ」
考えてみれば、自宅を出てから何も口にしていない。本当なら今ごろ、家で晩ごはんを食べている時間のはずだ。
「しょーがないなー。オイラが食いもん探してきてやるよ。ちょっと待ってろ。動くなよー!」
ランパは軽い身のこなしで木々の奥へ消えていった。
一人になってしまった。さっきみたいに魔族に襲われたらどうしよう。はやく帰ってきてほしい。
勇斗は地面をうねる太い根に腰を下ろし、木の幹にもたれかかった。両手が、抑えきれないほど震えていた。
頭上から、がさがさと音がした。
何かが落ちてきた。
「ひっ」
目の前に降り立ったのは、二匹の黒い生き物だった。小さな人型で、醜い顔と赤い目。ファンタジー作品で見たことのある――ゴブリンによく似ている。一匹は素手。もう一匹は棍棒を握っていた。
殺される。
「た、助けてぇ、ランパー!」
叫んだが、返事はない。
魔族がじりじりと距離を詰めてきた。動悸が激しくなった。
「く、くるなーっ!」
とっさに剣を抜こうとしたが、手が震えてうまくいかない。
次の瞬間、棍棒を持った魔族が跳び上がった。
「ひいいっ!」
反射的に両腕で頭を守る。硬い音と衝撃が走った。ガントレットがなければ、骨が砕けていたかもしれない。
弾かれた魔族は後方へ跳び、距離を取った。
勇斗は震える手で剣を抜き、へっぴり腰のまま構えた。
魔族は嘲るように笑い、勇斗の懐へ踏み込んだ。胴体に一撃。骨まで響く衝撃。さらに、足にもう一撃。
破裂するような痛みが、体中を駆け巡る。このままじゃ、死ぬ。嫌だ。
「うわあああぁっ!」
目を閉じ、剣をでたらめに振り回した。
「ギッ!」
柔らかいものが裂ける感触がした。
「え?」
黒い液体を流して倒れている魔族がいた。動かない。
殺した――自分が。
腕が痺れて、剣が落ちそうだった。鼻の奥に、鉄みたいな匂いが刺さる。
吐き気が込み上げ、左手で口を押さえた。涙が止まらなかった。
「キキーッ!」
残った一匹が同胞に駆け寄り、棍棒を奪い取った。憎悪に満ちた目が、勇斗を射抜いた。
叫び声とともに、突進してくる。
「うわあああ!」
重い音。
樹上から、小さな木の実が雨のように降り、魔族の胴体にめり込んだ。
「大丈夫か、ユート」
ランパが駆け寄ってくる。表情は硬い。
「あんにゃろ」
短剣を抜き、痙攣する魔族に歩み寄る。刃が喉元に突き立ち、やがて魔族は霧のように消えた。
勇斗は、その場に尻もちをついた。頭が真っ白だった。
「ユート! いっぱい採ってきたけど、食うかー?」
聞こえてくる声が、ひどく遠かった。
藪がざわめいた。
「ひっ、また魔族?」
姿を現したのは、一匹の小動物だった。艶やかなベージュの毛に、立派な角。
「あ、鹿だ」
魔族じゃなかった。この世界にも、普通の動物がいるのだと知り、勇斗は胸をなで下ろす。
鹿は、こちらに向かってとことこと歩いてくる。つぶらな瞳が、やけに無防備に見えた。
勇斗は剣を鞘に納め、右手を差し出す。
硬いものが砕ける音。
「え?」
次の瞬間、鹿の牙が右手に突き立った。ガントレットを砕き、そのまま勇斗の掌を貫いた。
「ぎ、ぎゃああああっ!」
牙が引き抜かれ、血が噴き出す。勇斗は右手を押さえてうずくまり、息が詰まるほどの激痛に身を折った。
直後、視界が跳ねた。
勇斗の体が、宙を舞う。背中から大木に叩きつけられ、幹が軋み、へし折れた。
鎧が砕ける。
肺から空気が押し出され、口から赤い液体がこぼれ落ちた。
鹿が、雄叫びを上げた。
体が歪み、膨れ上がり、毛皮が裂けた。象よりも大きな巨体へと変貌し、周囲の木々が次々となぎ倒されていく。
「こんなところで再び会うとはな。黄金色の鎧をまとう者よ」
耳障りな、がなり声。濁った眼には、飢えや怒りだけではないものが宿っている。
「あのときの恨み、晴らさせてもらおう」
巨大な脚が、ゆっくりと持ち上った。
「させねぇ!」
ランパの叫びと同時に、地面が割れた。無数の蔓が噴き出し、大鹿の脚に絡みつく。
動きが止まった。
その隙に、勇斗の体も蔓に包まれ、大鹿の視界の外へと放り投げられた。
「こしゃくな。また貴様か」
蔓が引き千切られた。大鹿の視線が、ランパを捉えた。角が振り上げられ、緑色の魔法陣が展開された。
どす黒い竜巻が、地を抉るように立ち上がった。
小さな体が飲み込まれた。引き裂かれるような音。血が散り、悲鳴は轟音に掻き消えた。
竜巻が止み、ランパの体が地面に叩きつけられる。
視界の先で、赤黒く染まった体がかすかに揺れていた。
ランパ、動いて。僕を助けて。
「さて」
大鹿が、勇斗を見下ろす。
「次は貴様だ、勇者」
さっきまで遠くにあったはずの巨体が、ゆっくりと距離を詰めてきた。踏み出すたびに地面が沈み、空気が揺れた。
逃げなきゃ死ぬ。でも、どうしたらいい。
――勇気ってさ、小さな一歩から生まれるんだって。
光太の言葉が、頭の奥で響いた。胸の内側で、鼓動が異様なほど強く鳴り始めた。
勇斗は歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がった。
地面に落ちていた剣を拾い、両手で握る。腕は震え、剣先は定まらない。息をするだけで、胸の奥が軋んだ。それでも、剣を向けた。
大鹿が、鼻で笑った。
「その様で、まだ立つか」
一歩。巨体が、さらに近づいた。
影が覆いかぶさり、視界のほとんどが闇に沈む。
その瞬間、勇斗の膝が崩れ落ちた。
力が抜けた。
剣が手から滑り落ち、乾いた音を立てて地面に落ちた。前のめりに倒れ、頬に土の冷たさが伝わる。
――だめだ。
足音が、近づいてきた。重く、ゆっくりと、確実に。
「これで終わりだな、勇者」
低く笑う声がかすかに聞こえる。意識が、闇に飲み込まれていく。
「はい、そこまで」
落ち着いた声が、割り込んだ。
一閃。
次の刹那、大鹿の胴体が真っ二つに裂けた。黒い血が噴き上がり、巨体が崩れ落ちた。
「な、に――」
言葉を残し、魔族は消滅した。
「やれやれ、ひどい有様じゃのう」
誰かの声が、遠くで響いた。
「おいミュール、運ぶのを手伝ってくれんか」
「わかったよ、じーちゃん」
勇斗の意識は、そこで完全に途切れた。
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