死への誘い
ー/ー 鮮やかな紅葉の森を、勇斗は警戒しながら歩いていた。堂々と先を行くランパの背中に、ぴったりついていく。
「ねえ、精霊と契約すると、何ができるの?」
「今みたいに一緒に動ける。戦えって言われたら戦うし、守れって言われたら守る。ただな、精霊によっては見返りを求めるやつもいるぞ」
見返り、という言葉に心臓が跳ねた。ランパは一体何を求めているのだ。
「そんな顔するなよ。オイラは何もいらない。ユートと一緒にいられればいい。あ、でも食べ物は欲しいぞ」
ランパはけろっと笑った。勇斗は胸を撫で下ろした。
「契約はやめることもできる。でも、その間の記憶は消える」
さっきより少し低い声だった。
「だ、大丈夫だよ。僕はそんなことしないから」
契約を破棄して記憶を失えば、元の世界に戻る手がかりまで消えてしまう。それだけは、どうしても避けなければならない。
「ありがとう、ユート」
ランパは軽く跳ねるように歩き出した。勇斗は慌てて追う。
「精霊樹って、どこにあるの?」
「マナの流れを辿れば、そのうち着くぞ!」
そのうち、という言葉に勇斗は不安になった。
「ところで、マナって何?」
「精霊や魔法の源だ。精霊樹から生まれて、この世界に満ちてる」
「じゃあ、魔法もそれを使うの?」
「そういうことだ」
勇斗は少し黙ったあと、ランパに尋ねた。
「僕も魔法を使えたりする?」
「マナを感じられないなら無理だな」
少しだけ肩が落ちた。異世界に来たのなら、魔法のひとつくらい使ってみたかった。
「ランパは魔法を使えるの?」
「オイラが使うのは精霊術だ。魔法よりすごいんだぞ」
歩きながら、ランパは喋り続けた。
魔法は周囲の、精霊術は体内のマナを使用する。魔法の発動には詠唱が必要だが、精霊術には不要。ランパの話を要約すると、こんな感じだった。
森を歩き続けるうちに、勇斗の足は重くなっていった。
「もう無理……」
「ユート、体力なさすぎだろ」
体力がないのは昔からだった。仮病を使って体育を見学するのは日常茶飯事だった。そのせいで成績はいつも最低だった。
「お腹も空いた。喉も渇いた」
勇斗は嘆いた。この世界に来てから何も食べてないのだ。頭がふらふらする。
「しょうがないな。食いもの探してくる。動くなよ!」
ランパは身軽に木々の奥へ消えた。
一人きりになった。
さっきみたいな魔族がまた出たらどうしよう。勇斗は太い根に腰を下ろし、木にもたれた。両手がじわじわ震えていた。
頭上で葉が鳴った。
次の瞬間、二匹の黒い影が目の前に降り立った。
小柄な人型。醜い顔に赤い目。一匹は棍棒を握っている。ファンタジー作品に登場する、ゴブリンに似ていた。
血の気が引いた。
「ランパ、助けて!」
叫んでみたが、返事はない。助けてくれるんじゃなかったのか。
魔族がじりじり距離を詰めてくる。動悸が激しくなった。
何とかするしかない。
勇斗は柄に手をかける。だが、手が震えて、鞘から剣を抜くことができなかった。
怯える勇斗を嘲笑うかのように、棍棒を持った魔族が身軽に跳びかかってきた。
「ひっ!」
勇斗は反射的に腕を上げた。硬い音が響く。ガントレットに棍棒が当たり、腕が痺れた。
もう一匹も笑いながら踏み込んでくる。手には尖った石が握られていた。
胴に一撃。足に一撃。痛みが全身を突き抜けた。
このままでは死んでしまう。帰る前に死ぬのは嫌だ。
勇斗は目を閉じたまま、でたらめに剣を振った。
「ギッ!」
何かが裂ける感触があった。
目を開けると、魔族が倒れていた。黒い液体を流し、ぴくりとも動かない。
殺した。自分が。こんなこと、本当はしたくなかったのに。
鼻の奥に鉄のような匂いが刺さった。吐き気が込み上げる。涙が止まらない。
「キキーッ!」
残った一匹が同胞の棍棒を奪い、目を血走らせて突進してきた。
「うわあああ!」
やられる、と思った瞬間、ゴリっと重い音がした。
勢いよく飛んできた大きな木の実が、魔族の胴を打ち抜いていた。
「大丈夫か、ユート」
ランパが駆け寄ってくる。表情は険しかった。
「あんにゃろう」
ランパは短剣を抜き、痙攣する魔族の喉を迷いなく突いた。魔族の体は霧のように消えた。
勇斗はその場にへたり込んだ。剣についた黒い液体から目をそらせなかった。拭おうとしても、指がうまく動かなかった。
「ユート! 食いものいっぱい取ってきたぞー!」
ランパの声が、ひどく遠く聞こえた。
藪がざわめいた。
勇斗はびくりと肩を震わせた。
「また魔族……?」
現れたのは、一匹の鹿だった。
「あ……鹿か」
勇斗はほっと息をついた。この世界にも普通の動物がいるのかもしれない。
鹿はとことこと近づいてくる。つぶらな目が、やけに無防備に見えた。
勇斗は剣を鞘に納め、右手を差し出した。
硬いものが砕けた。
鹿の牙が勇斗の右手を貫いていた。ガントレットごと、突き破っていた。
「ぎゃああああっ!」
牙が抜ける。血が噴き出した。勇斗は右手を押さえてうずくまる。
直後、視界が跳ねた。
体が宙を舞う。
背中から大木に叩きつけられ、幹がへし折れた。鎧が砕ける。口から血がこぼれた。
鹿が吠えた。
体が膨れ上がる。毛皮が裂け、骨が軋む。あっという間に、象より大きな化け物へ変わった。
「こんなところで会うとはな。黄金の鎧をまとう者よ」
耳障りなうなり声だった。濁った眼には、飢えや怒りだけではない。もっと嫌なものが宿っている。殺意だ。
「あのときの恨み、晴らさせてもらおう」
大鹿がゆっくりと脚を持ち上げた。
「させねぇ!」
ランパが叫ぶ。
地面が割れ、無数の蔓が噴き出した。大鹿の脚に絡みつき、動きを止める。同時に、別の蔓が勇斗の体を包み、巨体の視界の外へ放り投げた。
「こしゃくな。また貴様か」
大鹿が身をよじる。蔓はあっさりと引き千切られた。
角が振り上がる。大鹿の頭上に、魔法陣が浮かび上がった。
「漆黒の風よ、切り裂け」
黒い竜巻が立ち上がる。ランパの小さな体が呑み込まれた。血が散った。
勇斗の息が止まった。
竜巻が消えると同時に、ランパは地面に叩きつけられた。赤黒く染まった体が、ぴくぴくと動き、やがて止まった。
ランパ、動いて。助けて。お願い。
「さて」
大鹿が勇斗を見下ろした。
「次は貴様だ、勇者」
巨体が一歩、また一歩と近づいてくる。踏み出すたびに地面が沈み、空気が震えた。
逃げなきゃ死ぬ。でも、体が動かない。どうしたらいい。
――勇気ってさ、小さな一歩から始まるんだよ。
光太の声が、頭の奥で響いた。
勇斗は歯を食いしばった。
立たなきゃいけない。
怖かった。体は痛くて、息をするだけで胸の奥が軋む。でも、ここで倒れたままなのは嫌だった。生きて元の世界に戻るんだ。
勇斗はゆっくりと立ち上がる。
地面に落ちていた剣を拾い、震える両手で握った。無我夢中だった。
剣先はぶれていた。
大鹿が鼻で笑った。
「その様で、まだ立つか」
巨体がさらに近づく。影が勇斗を覆い、視界が暗く沈んだ。
次の瞬間、膝が崩れた。
「あ……」
力が抜ける。
剣が手から滑り落ちた。乾いた音を立てて地面に転がる。勇斗は前のめりに倒れ、頬に土の冷たさを感じた。
だめだ。立てない。
足音が近づいてくる。重く、ゆっくりと、確実に。
「これで終わりだな、勇者」
低い笑い声が耳に届く。
意識が沈みかけた、そのときだった。
「はい、そこまで」
落ち着いた声が響いた。
一閃。大鹿の胴体が真っ二つに裂けた。
黒い血が噴き上がり、巨体が崩れ落ちる。
「な、に――」
それだけ言い残し、大鹿は消えた。
「やれやれ、ひどい有様じゃのう」
遠くで誰かの声がする。
「おいミュール、運ぶのを手伝ってくれんか」
「わかったよ、じーちゃん」
勇斗の意識は、そこで完全に途切れた。
「ねえ、精霊と契約すると、何ができるの?」
「今みたいに一緒に動ける。戦えって言われたら戦うし、守れって言われたら守る。ただな、精霊によっては見返りを求めるやつもいるぞ」
見返り、という言葉に心臓が跳ねた。ランパは一体何を求めているのだ。
「そんな顔するなよ。オイラは何もいらない。ユートと一緒にいられればいい。あ、でも食べ物は欲しいぞ」
ランパはけろっと笑った。勇斗は胸を撫で下ろした。
「契約はやめることもできる。でも、その間の記憶は消える」
さっきより少し低い声だった。
「だ、大丈夫だよ。僕はそんなことしないから」
契約を破棄して記憶を失えば、元の世界に戻る手がかりまで消えてしまう。それだけは、どうしても避けなければならない。
「ありがとう、ユート」
ランパは軽く跳ねるように歩き出した。勇斗は慌てて追う。
「精霊樹って、どこにあるの?」
「マナの流れを辿れば、そのうち着くぞ!」
そのうち、という言葉に勇斗は不安になった。
「ところで、マナって何?」
「精霊や魔法の源だ。精霊樹から生まれて、この世界に満ちてる」
「じゃあ、魔法もそれを使うの?」
「そういうことだ」
勇斗は少し黙ったあと、ランパに尋ねた。
「僕も魔法を使えたりする?」
「マナを感じられないなら無理だな」
少しだけ肩が落ちた。異世界に来たのなら、魔法のひとつくらい使ってみたかった。
「ランパは魔法を使えるの?」
「オイラが使うのは精霊術だ。魔法よりすごいんだぞ」
歩きながら、ランパは喋り続けた。
魔法は周囲の、精霊術は体内のマナを使用する。魔法の発動には詠唱が必要だが、精霊術には不要。ランパの話を要約すると、こんな感じだった。
森を歩き続けるうちに、勇斗の足は重くなっていった。
「もう無理……」
「ユート、体力なさすぎだろ」
体力がないのは昔からだった。仮病を使って体育を見学するのは日常茶飯事だった。そのせいで成績はいつも最低だった。
「お腹も空いた。喉も渇いた」
勇斗は嘆いた。この世界に来てから何も食べてないのだ。頭がふらふらする。
「しょうがないな。食いもの探してくる。動くなよ!」
ランパは身軽に木々の奥へ消えた。
一人きりになった。
さっきみたいな魔族がまた出たらどうしよう。勇斗は太い根に腰を下ろし、木にもたれた。両手がじわじわ震えていた。
頭上で葉が鳴った。
次の瞬間、二匹の黒い影が目の前に降り立った。
小柄な人型。醜い顔に赤い目。一匹は棍棒を握っている。ファンタジー作品に登場する、ゴブリンに似ていた。
血の気が引いた。
「ランパ、助けて!」
叫んでみたが、返事はない。助けてくれるんじゃなかったのか。
魔族がじりじり距離を詰めてくる。動悸が激しくなった。
何とかするしかない。
勇斗は柄に手をかける。だが、手が震えて、鞘から剣を抜くことができなかった。
怯える勇斗を嘲笑うかのように、棍棒を持った魔族が身軽に跳びかかってきた。
「ひっ!」
勇斗は反射的に腕を上げた。硬い音が響く。ガントレットに棍棒が当たり、腕が痺れた。
もう一匹も笑いながら踏み込んでくる。手には尖った石が握られていた。
胴に一撃。足に一撃。痛みが全身を突き抜けた。
このままでは死んでしまう。帰る前に死ぬのは嫌だ。
勇斗は目を閉じたまま、でたらめに剣を振った。
「ギッ!」
何かが裂ける感触があった。
目を開けると、魔族が倒れていた。黒い液体を流し、ぴくりとも動かない。
殺した。自分が。こんなこと、本当はしたくなかったのに。
鼻の奥に鉄のような匂いが刺さった。吐き気が込み上げる。涙が止まらない。
「キキーッ!」
残った一匹が同胞の棍棒を奪い、目を血走らせて突進してきた。
「うわあああ!」
やられる、と思った瞬間、ゴリっと重い音がした。
勢いよく飛んできた大きな木の実が、魔族の胴を打ち抜いていた。
「大丈夫か、ユート」
ランパが駆け寄ってくる。表情は険しかった。
「あんにゃろう」
ランパは短剣を抜き、痙攣する魔族の喉を迷いなく突いた。魔族の体は霧のように消えた。
勇斗はその場にへたり込んだ。剣についた黒い液体から目をそらせなかった。拭おうとしても、指がうまく動かなかった。
「ユート! 食いものいっぱい取ってきたぞー!」
ランパの声が、ひどく遠く聞こえた。
藪がざわめいた。
勇斗はびくりと肩を震わせた。
「また魔族……?」
現れたのは、一匹の鹿だった。
「あ……鹿か」
勇斗はほっと息をついた。この世界にも普通の動物がいるのかもしれない。
鹿はとことこと近づいてくる。つぶらな目が、やけに無防備に見えた。
勇斗は剣を鞘に納め、右手を差し出した。
硬いものが砕けた。
鹿の牙が勇斗の右手を貫いていた。ガントレットごと、突き破っていた。
「ぎゃああああっ!」
牙が抜ける。血が噴き出した。勇斗は右手を押さえてうずくまる。
直後、視界が跳ねた。
体が宙を舞う。
背中から大木に叩きつけられ、幹がへし折れた。鎧が砕ける。口から血がこぼれた。
鹿が吠えた。
体が膨れ上がる。毛皮が裂け、骨が軋む。あっという間に、象より大きな化け物へ変わった。
「こんなところで会うとはな。黄金の鎧をまとう者よ」
耳障りなうなり声だった。濁った眼には、飢えや怒りだけではない。もっと嫌なものが宿っている。殺意だ。
「あのときの恨み、晴らさせてもらおう」
大鹿がゆっくりと脚を持ち上げた。
「させねぇ!」
ランパが叫ぶ。
地面が割れ、無数の蔓が噴き出した。大鹿の脚に絡みつき、動きを止める。同時に、別の蔓が勇斗の体を包み、巨体の視界の外へ放り投げた。
「こしゃくな。また貴様か」
大鹿が身をよじる。蔓はあっさりと引き千切られた。
角が振り上がる。大鹿の頭上に、魔法陣が浮かび上がった。
「漆黒の風よ、切り裂け」
黒い竜巻が立ち上がる。ランパの小さな体が呑み込まれた。血が散った。
勇斗の息が止まった。
竜巻が消えると同時に、ランパは地面に叩きつけられた。赤黒く染まった体が、ぴくぴくと動き、やがて止まった。
ランパ、動いて。助けて。お願い。
「さて」
大鹿が勇斗を見下ろした。
「次は貴様だ、勇者」
巨体が一歩、また一歩と近づいてくる。踏み出すたびに地面が沈み、空気が震えた。
逃げなきゃ死ぬ。でも、体が動かない。どうしたらいい。
――勇気ってさ、小さな一歩から始まるんだよ。
光太の声が、頭の奥で響いた。
勇斗は歯を食いしばった。
立たなきゃいけない。
怖かった。体は痛くて、息をするだけで胸の奥が軋む。でも、ここで倒れたままなのは嫌だった。生きて元の世界に戻るんだ。
勇斗はゆっくりと立ち上がる。
地面に落ちていた剣を拾い、震える両手で握った。無我夢中だった。
剣先はぶれていた。
大鹿が鼻で笑った。
「その様で、まだ立つか」
巨体がさらに近づく。影が勇斗を覆い、視界が暗く沈んだ。
次の瞬間、膝が崩れた。
「あ……」
力が抜ける。
剣が手から滑り落ちた。乾いた音を立てて地面に転がる。勇斗は前のめりに倒れ、頬に土の冷たさを感じた。
だめだ。立てない。
足音が近づいてくる。重く、ゆっくりと、確実に。
「これで終わりだな、勇者」
低い笑い声が耳に届く。
意識が沈みかけた、そのときだった。
「はい、そこまで」
落ち着いた声が響いた。
一閃。大鹿の胴体が真っ二つに裂けた。
黒い血が噴き上がり、巨体が崩れ落ちる。
「な、に――」
それだけ言い残し、大鹿は消えた。
「やれやれ、ひどい有様じゃのう」
遠くで誰かの声がする。
「おいミュール、運ぶのを手伝ってくれんか」
「わかったよ、じーちゃん」
勇斗の意識は、そこで完全に途切れた。
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