老女の手が、勇斗の頬をそっと撫でた。その仕草に、勇斗は体をこわばらせた。優しいのに、自分に向けられたものではない気がした。
「ああ、やっぱりアルトだ。帰ってきたんだねぇ。こんなに立派になって」
「院長、アルトってもしかして」
槍を片手に持った中年の男が、声を弾ませた。
「そう。三年前に勇者としてこの村を出て行った、うちの子だよ」
「なんと、あのやんちゃ坊主か。大きくなったな」
「ここでの立ち話もなんだから、孤児院に来ておくれ。ずっと女の子をおんぶしているのも大変だろうに」
勇斗の視線がさまよう。この人たちは自分のことをアルトだと勘違いしている。人違いだと言うべきか迷っていると、ミュールが耳元に手を当ててきた。
「話を合わせた方がいいんじゃない?」
勇斗は無言で二回うなずいた。確かに、ここで人違いですとか言ってしまうと後から面倒なことになりそうだ。とりあえず、適当に話を合わせてみよう。
「何言ってんだコイツの名前は――ムグッ」
ミュールの手が、素早くランパの口を塞いだ。
「おや、そちらの方々はアルトの友達かい?」
「え、ああ、旅の途中で出会ったんだ。僕の、大切な仲間です」
嘘はついていない。
「アルトーっ!」
石造りの砦から、青髪の少年が勢いよく飛び出してきた。
「ひっさしぶりだなー!」
青い髪を後ろで短くまとめた少年は目を輝かせた。大人っぽい顔立ちで、身長は勇斗より少し高い。簡素な皮の鎧を着ていて、腰には素朴な長剣が携えられていた。
「オレ自警団に入ったんだぜ!」
青髪の少年が気取った態度をとった。
「こら、トンキ。気持ちはわかるが、話は仕事が済んでからだ」
中年の男はため息をついたあと、トンキという少年に向かって言った。
「すんません、団長。じゃ、アルト。また後でな」
トンキは手を振りながら砦に戻っていった。
「アルト、孤児院の子たちにも顔を見せてやりな」
老女は、孤児院の院長らしい。彼女に案内され、村の中を歩く。素朴な村だ。木造建築の小さな家々が点在していて、広々とした農地では種を蒔いている人々の姿が見えた。
「さあ、着いたよ。みんな驚くだろうね」
孤児院は村の端にひっそりと佇んでいた。低い石垣に囲まれた古びた建物で、ところどころに補修の跡が見える。敷地内には花畑があり、色とりどりの花が咲き乱れていた。
「みんな、アルトが帰ってきたよ」
扉を開き、院長が大きな声を出す。やがて、甲高い声とバタバタした足音が聞こえてきた。
「アルトにいちゃん!」
幼い子供たちが飛び出してきた。男の子が二人と女の子が三人。みんな目をキラキラさせている。呼ばれるたびに、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「スッゲー、本物の剣だ!」
「よろい、ピカピカ!」
「それってお嫁さんー?」
子供たちに囲まれた勇斗は、おろおろしていた。
「こらこら、アルトが困ってるだろ。話は中でするよ!」
「はーい!」
はつらつとした声が混ざり合ったあと、子供たちは孤児院の中に入っていった。
「さあ、アルトも入って。お仲間さんもどうぞ」
孤児院の中は暖かい雰囲気に包まれていた。壁には子供が描いた絵が飾られている。食堂に通されると、大きなテーブルと暖炉が出迎えてくれた。
「そのお嬢さん、大丈夫なのかい? かなりぐったりしている様子だけど」
院長は、勇斗に担がれている少女を見て浮かない顔をした。
「この子、魔族に捕まってたのです。なんとか助けたのですけど、全然目を覚まさなくて」
「それは大変。ちょっとこっちに連れておいで」
小さな個室に案内された勇斗は、ベッドに少女を寝かせた。
「女の子を助けるなんて立派じゃない!」
「あ、ありがとうございます」
実際に助けたのは、ほとんどランパとミュールだったけど。
「さっきから気になってたんだけどね、どうしてそんなによそよそしいんだい? 昔のように喋ってくれていいんだよ?」
「う、うん、ちょっといろいろあって」
「全く、王国ってのはキチンとしすぎなんだよ。あのアルトがこんなにも丁寧な言葉使いになるなんてね。別人かと思ったよ」
冷や汗が頬を伝った。
食堂の隅で、勇斗とミュールは小声で話し合っていた。
「で、どうする? あの子をここに預けてオレたちはすぐにでも出発するか?」
「一晩、ここで過ごそうよ。疲れも取りたいし」
「そうだな。じゃ、オレは料理の手伝いをしてくるよ」
「僕は外の空気を吸ってくる」
庭に出ると、トンキが息を切らせていた。
「えっと、トンキ。早いね」
声が少し上ずった。
「あぁ、仕事、早めに切り上げてきた。ところで、あの小さいのはアルトのツレ?」
トンキは、孤児院の敷地内にある花畑の方に顔を向け、顎を動かした。
花畑の端で、ランパが身を屈めていた。珍しくしょげた顔をしている。
「どうしたの、ランパ」
「ユートか。この花たち枯れちゃっててさ。周りは元気なのに、こいつらだけ可哀想だと思って」
ランパは枯れた二輪の花の上に手をかざした。
「ほんとだ、枯れてる。せっかく毎日水やりしてたのになぁ。てか、あれ? 今ユートとか言ってなかった?」
トンキが不思議そうに首をかしげた。
「言ってない! 空耳だよ!」
勇斗はおろおろと動き回ったあと、ランパに耳打ちをした。今、僕はアルトなの。
「おや、トンキ。帰ってきてたのかい。食事の用意ができてるよ。アルトも緑の子も、中に入ってお食べ」
院長が手招きをしていた。
「メシーっ!」
ランパははしゃいで跳び上がったあと、孤児院の中に駆け込んでいった。
「元気なやつだな」
「そ、そうだね」
ふと花畑を見ると、枯れた二輪の花は姿を消していた。代わりに、一輪の黄金色の花が咲いていた。
出された食事を素早く平らげたランパは、もっと濃いものが欲しいと叫び、周りを呆然とさせた。すかさず勇斗が頭を下げて謝った。
「しっぽ、もふもふー」
食器を片付けていたミュールの尻尾が、子供たちに引っ張られている。ミュールは苦笑いしていた。
「こら、お前たち! お客さんに失礼だろ!」
「わーっ、トンキが怒ったー! 逃げろー!」
トンキはやんちゃな子供たちに手を焼いていた。話を聞く限り、彼はこの施設で最年長の十五歳。リーダー的存在だ。去年から村の自警団に入り、わずかな収入を孤児院に入れているという。
「すぐ出ていっちまうのは寂しいけど、仕方ないねぇ」
明日には村を出ることを、院長はあっさりと了承してくれた。
「それで、あの女の子は預かってていいんだね?」
「はい、お願いします」
「任せな。それにしても、あの子の髪、珍しい色をしていたねぇ」
「珍しい?」
「珍しいよ。霞のようなあの髪の色はね……伝説の勇者ルークの恋人と同じなんだ」
ガタッと、奥の部屋から物音がした。
「あら、もしかして目を覚ましたのかしら」
勇斗と院長は、少女が寝ている部屋へと向かった。
霞色の髪をした少女は、ベッドに腰掛け、虚な目をしていた。痩せた細い手で、体のあちこちを触っている。
「きみ、大丈夫?」
勇斗が声をかけると、少女の肩がビクッと跳ねた。少女は、勇斗の顔と鎧を交互に見つめる。特に鎧から、目を逸らせなくなっていた。やがて、顔が青ざめていった。
「いやああああああっ!」
少女は悲鳴を上げた。両手で頭を押さえ、がくがくと全身が震える。
「そうとう怖い思いをしたんだろうね。大丈夫、アンタは助かったのさ」
院長は少女の背中をさすった。大丈夫、大丈夫、と優しく声をかけ続ける。
「アンタ、名前は?」
「……ソーマ」
「ソーマね。どうして魔族に捕まったのか覚えてる? ご両親は?」
ソーマは首を横に振った。
「思い出せないんです。覚えているのは自分の名前と、勇者を探しているという目的だけ……」
「勇者ならここにいるよ」
院長は、おろおろしている勇斗の頭の上に手を置いた。
「勇者アルト。アンタの命の恩人さ」
その言葉に、勇斗の胸が少し痛んだ。
「えっ?」
ソーマは目を見開いたあと、再び頭を抱えた。
「まだ休んでおいた方がよさそうだね」
窓の外は薄暗くなっていた。
寝付けなかった勇斗は、孤児院の裏にある横長の椅子に座り、二つある月を見上げていた。
「お前も一服?」
声がした方を向くと、トンキが立っていた。小さくて細長い葉巻を咥えている。
「トンキ、葉巻吸うの?」
勇斗は驚いたが、ここは飲酒も喫煙も年齢制限がない世界だったことを思い出した。
「支給されてる安物のミニョンだけどな」
「ミニョン?」
「あれ、知らない?」
葉巻は大きさによって三種類に分かれる。細く短いミニョン、太く長いグランデ、その中間にあたるエスタンド。使われる葉によって味も吸い心地も全く違うということだった。
「アルトは吸わないの?」
「僕は、吸わないよ」
「王国でグランデを吸ってるのかと思ってた。あっちではどんな暮らしをしてたんだ?」
勇斗は黙り込んでしまった。アルトが王国で訓練を受けていたことは知っている。それ以外は、どんなことをしていたのだろう。優雅な生活を送っていたのだろうか。
「まぁ、大変だったんだろうな」
灰皿に灰を落としたあと、トンキは夜空を見上げた。
「オレな、王国の騎士団に入ろうと思ってるんだ。自警団じゃあまり稼げないからな。いっぱい稼いで、世話になった孤児院に恩返しするんだ」
トンキは、煙を吸い込み、フゥーっと吐き出した。
「ちょっとだけど、お前の顔見れて嬉しかった。頑張れよ。オレも頑張るからさ」
小さな葉巻を灰皿に置いたあと、トンキは暗闇へと姿を消した。
勇斗は、葉巻の残り香を嗅ぎながら、孤児院に戻った。
扉の前では、院長が立っていた。
「ちょっといいかい」
院長に誘われ、勇斗は食堂まで足を運んだ。
食堂は、深い静寂と漆黒の闇に包まれていた。長いテーブルの上では、一本の蝋燭の灯りが揺らめき、小さな光の波が壁に不規則な影を描き出している。
勇斗と院長は向かい合って座った。
「アルト、ここに来たときのこと、覚えているかい」
「いや、覚えていない」
当たり前だ――
「だろうね。赤ん坊の頃、アンタは若い女性に連れられ、この村に来た。酷い雨の日だったよ。女性――アンタの母親だね」
アルトの、お母さん――
「彼女は病気で、アンタを私に預けた後、すぐに死んじまった」
死んだ――
「代わりにアタシが一生懸命育てたよ。まぁ、ここのみんなそうだけどね。全員、アタシの大切な子さ。だから、アンタが王国に連れて行かれる時、猛反対したよ。でもね、子供はいつか大人になり、旅立つ。そう考えると、急に誇らしくなってねぇ。トンキもそのうち出ていくって言ってるし」
何を、聞かされているのだろう――
「だから胸を張って行っておいで。そしていつでも帰ってきな。ここはアンタの家だからね」
違う。ここは帰る場所じゃない――
「うん、ありがとう」
勇斗は笑った。
早朝、勇斗たちはキーナの村を出発した。
自警団の団長が好意で小型のマンウーを貸してくれた。本当にありがたい。これで移動は楽になりそうだ。
初めて見るマンウーは、以前想像した通り、馬に似ていた。長い首、長い肢、長い尻尾。唯一違ったのは、全身に渦巻きの模様が描かれている点だった。じっと眺めていると目が回りそうになった。
ミュールの指導でマンウーに乗る練習をしていると、村の方角から透き通った声が聞こえてきた。
「みなさま!」
振り向くと、こちらに向かって走ってくるソーマの姿が見えた。
勇斗の目の前で、ソーマは足を止めた。両手を膝につき、息を切らしている。
「ど、どうしたの?」
「まだ、お礼を言ってなかったので。あなたが、わたくしを助けてくれたのですよね。ありがとうございます」
ソーマは、勇斗の手を握った。
「いや、僕はきみを運んだだけだから」
「それでも、助けてくれたことに違いはありませんわ」
ソーマは顔を上げ、勇斗の顔をじっと見つめる。
勇斗は漆黒に輝く宝石のような瞳に吸い込まれそうになった。思わず、目をそらす。
「じゃ、じゃあ僕たちはこれで」
「待ってください」
「ま、まだ何かあるの?」
「わたくしを、連れて行って下さいませ!」
思ってもいなかった発言に、勇斗の体は固まった。
「孤児院にいた方がいいと思うよ。院長も心配してると思うから早く戻った方が……」
綺麗にセットされた霞色のツインテールが左右に揺れた。
「あなたについて行くこと……おばさまは、止めませんでした」
黒を基調としたゴシック風ドレスの裾が、草原を駆け抜ける風でひらひらと舞う。
「あなたと一緒なら、わたくしの記憶も戻りそうな気がしますの。……離れるのが、怖いのです」
「ど、どうしよう」
勇斗の目が、ランパとミュールに助けを求めた。二人も反対意見を述べたが、ソーマは頑なに引き下がらなかった。やがて、全員が根負けしてしまった。
「それでは、同行させてもらってもよろしいのですね?」
勇斗は首を縦に振った。
「ありがとう。嬉しいですわ」
ソーマの華奢な手が、すがるように勇斗を抱きしめた。
「うわぁっ、急に何?」
体温が上昇する。勇斗の顔が真っ赤になっていること指摘されるまで、あまり時間はかからなかった。