表示設定
表示設定
目次 目次




孤児院にて

13/15





 しわしわの手が、勇斗の頬をそっと撫でた。 「ああ、やっぱりアルトだ。帰ってきたんだねぇ。こんなに立派になって」 「え、あ、あの?」 「行方不明になったって聞いたから、アタシはもう心配で心配で――本当に、よかった」  少し老けた女性は両手を勇斗から放し、スッと胸を撫で下ろす。 「院長、アルトってもしかして」  槍を片手に持った兵士風の男が尋ねる。 「そう。三年前に勇者としてこの村を出て行った、うちの子だよ」 「なんと、あのやんちゃ坊主か。大きくなったな」  男は腰を屈め、ニッと笑った。 「ここでの立ち話もなんだから、孤児院に来ておくれ。ずっと女の子をおんぶしているのも大変だろうに」 「えーっと」  勇斗の視線がさまよう。人違いだと言うべきか迷っていると、耳元でミュールの声が囁いた。 「話を合わせよう」 「う、うん」 「おばちゃん、何言ってんだコイツの名前は――ムグッ」  目にも止まらぬ速さでランパの口が塞がれた。 「ムグムグーッ!」 「おや、そちらの方々はアルトの友達かい?」 「え、ああ、旅の途中で出会ったんだ。僕の、大切な仲間です」  嘘はついていない。 「じゃあ、お仲間さんの分も食事を用意しないとねぇ」 「アルトーっ!」  石造りの建物から、青髪の少年が飛び出してきた。 「マジでアルトなのかよ。ひっさしぶりだなー!」  青い髪を後ろで短くまとめた少年は目を輝かせた。大人っぽい顔立ちで、身長は勇斗より少し高い。簡素な皮の鎧を着ていて、腰にはロングソードが携えられていた。 「オレ自警団に入ったんだぜ」 「えっ、えっと」 「こら、トンキ。話は仕事が済んでからだ」  兵士風の男が、青い髪の上にポンと手を置いた。 「すんません、団長」 「まぁ、話は後でゆっくりしたらいいさ」  少し老けた女性はどうやら孤児院の院長らしい。彼女に案内され、村の中を歩く。  牧歌的だ。木造建築の小さな家々が点在していて、村の中心には古びた井戸がある。広々とした農地では種を蒔いている人々の姿が見えた。 「あれ、アルトくんじゃない?」 「生きてたんだ」 「立派な鎧を着ているぞ」  全員、勇斗をアルトだと思い込んでいるようだ。 「さあ、着いたよ。みんな驚くだろうね」  孤児院は村の端にひっそりと佇んでいた。低い石垣に囲まれた古びた建物で、ところどころに補修の跡が見える。玄関の前には小さな庭が広がり、色とりどりの花が咲き乱れていた。 「みんな、アルトが帰ってきたよ」  玄関の扉を開き、院長が大きな声を出す。やがて、甲高い声とバタバタした足音が聞こえてきた。 「アルトにいちゃん!」 「アルト!」 「アルトくんだぁ!」  幼い子供たちが飛び出してきた。みんな目をキラキラさせている。  あっという間に、勇斗は囲まれた。 「スッゲー、本物の剣だ!」 「鎧、ピカピカ!」  勇斗は照れくさそうに微笑んだ後、俯いた。 「おや、ピッキは?」 「ピッキは出かけてる。すぐに戻るって言ってたけどー!」 「そうかい、じゃあ中で待っていようかね」 「はーいっ!」  はつらつとした声が混ざり合った後、子供たちは孤児院の中に入っていった。 「さあ、アルトも入って。お仲間さんもどうぞ」  孤児院の中は暖かい雰囲気に包まれていた。壁には子供たちが描いた絵が飾られている。食堂に通されると、大きなテーブルと暖炉が出迎えてくれた。 「そのお嬢さん、大丈夫なのかい? かなりぐったりしている様子だけど」  院長は勇斗に担がれている少女を見て、浮かない顔をした。 「この子、街道で倒れていたのです」  咄嗟に話を作り変えた。実際は箱の中に入っていたのだが。 「それは大変。ちょっとこっちに連れておいで」  小さな個室に案内された勇斗は、ベッドに少女を寝かせた。 「ありがとうございます。怪我はしていないのですが、全然目を覚まさなくて」 「しばらく様子を見ようかね。そのうち目を覚ますかもしれない」 「そうですね」 「あと、アルト」 「は、はい?」 「何でそんなによそよそしいんだい? 昔のように喋ってくれていいんだよ」  ギクりとした。もう少し自然に喋らなくては。 「う、うん、ちょっと色々あって。ごめん」  勇斗は頑張って作り笑いをした。 「全く、王国ってのはキチンとしすぎなんだよ。あのアルトがこんなにも丁寧な言葉使いになるなんてね。別人かと思ったよ」 「あ、あはは」  冷や汗が頬を伝った。  食堂の隅で、勇斗とミュールはコソコソ話をしていた。 「で、どうする? あの子をここに預けてオレたちは砂漠に向かうか?」 「一晩、ここで過ごそう。疲れも取りたいし」 「じゃ、しばらく自由行動な。オレは料理の手伝いをしてくるよ」 「僕は外の空気を吸ってくる」  庭に出ると、花畑の前に薄汚れた服を着た男の子が立っていた。彼は村の入り口で出会った、トンキという少年と同じ青い髪をしている。男の子は、花畑の前で屈んでいるランパの背中を不思議そうに見つめていた。 「ランパ、何してるの?」 「おっ、ユート――じゃなかった。アルト!」  勇斗の声でランパが振り向いた。 「えっ、アルト? 帰ってきてたの?」  青髪の男の子も振り向き、勇斗を見つめる。 「えっと、君は」 「ボクはピッキだよ。トンキの弟。忘れちゃった?」 「あ、あぁ――ピッキ、久しぶり」 「もう」  ピッキは頬を膨らませた。 「この子はアルトの友達?」 「うん、ランパっていうんだ」 「ふーん。で、ランパくんは何で花をじっと見てたの?」 「この花たち枯れちゃっててさ。周りは元気なのに、こいつらだけ可哀想だと思って」  ランパは枯れた二輪の花の上に手をかざした。 「ほんとだ、枯れてる。せっかく毎日水やりしてたのになぁ」 「ただいま」 「あ、兄貴お帰り」  トンキが疲れ顔で歩いてきた。 「よっ、アルト。孤児院、何も変わってないだろ」 「そ、そうだね」 「飯食いながら、色々話聞かせてくれよな」 「そうだ、メシーっ!」  ランパは猛ダッシュで孤児院の中に入って行った。青髪の兄弟はポカンとした表情を浮かべている。 「あれ?」  ふと花畑を見ると、枯れた二輪の花は姿はなかった。代わりに一輪の黄金色の花が咲いていた。  孤児院の食事は薄味だった。ランパは素早く平らげた後、もっと濃いものが欲しいと叫び、周りを呆然とさせた。すかさず勇斗が頭を下げて謝った。  トンキは子供たちに手を焼いていた。話を聞く限り、彼はこの施設で最年長。リーダー的存在だ。去年から村の自警団に入り、わずかな収入を孤児院に入れているようだ。弟のピッキもまた自警団に入る予定だが、戦うのは苦手だと、ちょっと自信なさげに話していた。 「それで、魔神とやらはまだ死んでいなくて、アルトは力をつけるために砂漠に行くというのかい? すぐ出ていっちまうのは寂しいけど、仕方ないね――」  明日には村を出ることを伝えると、子供たちからは「えー」とか「いやだー」といった声が上がったが、院長はあっさりと了承してくれた。 「それで、あの女の子は預かってていいいんだね?」 「うん。お願い」 「任せな。それにしても、あの子の髪、珍しい色をしていたねぇ」 「ピンクの髪って、珍しいのか?」  子供に尻尾を引っ張られているミュールが尋ねた。 「珍しいよ。あの髪の色はね、伝説の勇者ルークの恋人と同じ色なんだ」  ガタッと、奥の部屋から物音がした。 「あら、もしかして目を覚ましたのかしら」  勇斗たちは院長の後に続いて、少女が寝ている部屋へと向かった。  ピンク色の髪をした少女はベッドに腰掛け、虚な目をしていた。細い手で、体のあちこちを触っている。 「君、大丈夫?」  勇斗が声をかける。  少女はビクッとした。勇斗の顔を見た後、何回も瞬きをする。 「あ、あ――」  彼女の顔がどんどん青ざめていく。 「いやああああああっ!」  頭を抱えた少女は叫び、ガタガタと震え出した。 「お、落ち着いて。僕は魔族じゃないよ」 「この子がアンタを助けてくれたんだよ」 「貴方が、私を――うっ」  少女は両手で口を押さえた。体はまだ震えている。 「そうとう怖い思いをしたんだろうね」  院長は少女の背中を優しくさすった。 「ごめんなさい」 「いいんだよ。アンタ、名前は?」 「――ソーマ」 「どうして倒れていたのか覚えてる? お母さんとお父さんは?」  ソーマは首を横に振る。 「思い出せないんです。覚えているのは自分の名前と、勇者を探しているという目的だけ――」 「記憶喪失?」  勇斗はランパをチラッと見た。 「勇者ならここにいるよ。これから魔神を倒しに行くんだってさ」 「魔神――うっ」  フラッとしたソーマは、再び頭を抱えた。 「まだ休んでおいた方がよさそうだね。アタシが見ておくから、アンタたちは戻りな」  窓の外を見ると、辺りは薄暗くなっていた。  月明かりの下、勇斗は孤児院の裏にある横長の椅子に座っていた。椅子の端には金属製の器が置かれている。目を凝らすとタバコの吸い殻が入っていた。 「アルト」  声のする方を振り向くと、トンキが立っていた。 「お前も一服?」 「いや、なかなか寝付けなくて――えっ?」  トンキは勇斗の横に座り、ポケットから取り出した茶色く細長い棒を口に咥えた。  シュッと、マッチの火が棒の先端に灯る。暗闇に浮かぶ赤い光。次第に、甘いような苦いような香りが漂ってきた。 「それは、タバコ? トンキはタバコ吸うの?」 「安物だけどな」  トンキの口から煙が吐き出される。驚いたが、ここは飲酒も喫煙も年齢制限がない世界だったことを思い出した。 「アルトは吸わないの?」 「僕は、吸わないよ」 「そっか。王国でゴツい葉巻でも吸ってるのかと思ってた」 「葉巻なんて、僕には似合わないよ」 「あっちでは、どんな暮らしをしてたんだ? 色々厳しかった?」  勇斗は黙り込んでしまった。アルトが王国で厳しい訓練を受けていたことは知っている。それ以外は、どんなことをしていたのだろう。優雅な生活を送っていたのだろうか。 「まぁ、大変だったんだろうな」  灰皿の縁でタバコをトントンした後、トンキは夜空を見上げた。 「オレな、王国の騎士団に入ろうと思ってるんだ。自警団じゃあまり稼げないからな。いっぱい稼いで、世話になった孤児院に恩返しするんだ」  チリチリと音を立てて煙を吸い込み、フゥーっと吐き出す。 「ちょっとだけど、お前の顔見れて嬉しかった。頑張れよ。オレも頑張るからさ」  タバコを灰皿に押し付けた後、トンキは暗闇へと姿を消した。 「僕も、そろそろ寝よう」  扉の前では、院長が立っていた。 「ちょっといいかい」  院長に誘われ、勇斗は食堂まで足を運ぶ。  食堂は、深い静寂と漆黒の闇に包まれていた。長いテーブルの上では、一本の蝋燭の灯りが揺らめき、小さな光の波が壁に不規則な影を描き出している。  勇斗と院長は向かい合って座った。 「アルト、ここに来たときのこと、覚えているかい」 「いや、覚えていない」  当たり前だ―― 「だろうね。十年前、アンタは若い女性に連れられ、この村に来た。酷い雨の日だったよ。女性――アンタの母親だね」  アルトの、お母さん―― 「彼女は病気で、アンタを私に預けた後、すぐに死んじまった」  お母さんが、死んだ―― 「代わりにアタシが一生懸命育てたよ。まぁ、ここのみんなそうだけどね。全員、アタシの大切な子さ。だから、アンタが王国に連れて行かれる時、猛反対したよ。でもね、子供はいつか大人になり、旅立つ。そう考えると、急に誇らしくなってねぇ。トンキもそのうち出ていくって言ってるし――」  何を、聞かされているのだろう―― 「だから胸を張って行っておいで。そしていつでも帰ってきな。ここはアンタの家だからね――」  違う。ここは帰る場所じゃない―― 「うん、ありがとう」  勇斗は笑った。心の中はグチャグチャにかき乱されていた。  翌朝、勇斗たちは村を出発した。院長と孤児院の子供たちに見送られ、緑の大地を踏み締める。  しばらく歩いていると、後方から透き通った声が聞こえてきた。 「ま、待って」  振り向くとソーマが息を切らしていた。乱れていたピンクの髪は綺麗なツインテールになっている。服装はゴシック風で、黒と紫のフリルが印象的なドレスを纏っていた。 「ど、どうしたの?」 「まだ、お礼を言ってなかったので。貴方が私を助けてくれたのですよね。ありがとうございます」  ソーマは腰を深く曲げ、丁寧にお辞儀をした。 「いや、僕は君を運んだだけだから」 「それでも、助けてくれたことに違いはありません。ありがとうございます」  ソーマは顔をあげ、勇斗の顔をじっと見つめる。  勇斗は漆黒に輝く宝石のような瞳に吸い込まれそうになった。思わず、目をそらす。急に鼓動が速まる感覚を覚えた。 「じゃ、じゃあ僕たちはこれで。げ、元気でね」 「待ってください」 「ま、まだ何かあるの?」 「私を、連れて行って下さい!」  思ってもいなかった発言に、勇斗の体は固まった。 「孤児院にいた方が、いいと思うよ。院長も心配してると思うからはやく戻った方がいいよ」 「どうしても、ついていきたいのです」  ツインテールが左右に揺れる。 「貴方についていくこと、おばさまも許可してくれました。あと、この服も旅立ちの記念にと、おばさまから貰ったものです」  波打ったドレスの裾が、草原を駆け抜ける風でひらひらと舞った。 「貴方と一緒なら、私の記憶も戻りそうな気がするんです。お願いします」  ソーマは勇斗の手をギュッと握った。 「ど、どうしよう」  頬を赤らめた勇斗の視線が泳ぐ。 「足手まといにならなければいいんだけどなー」  ランパの口が尖る。 「自分の身は自分で守ります!」  ソーマは真剣な眼差しで、勇斗をじっと見た。 「わ、分かったよ。一緒に行こう」 「ありがとう」  華奢な手が、勇斗を抱きしめた。 「わああっ」  体温が上昇する。勇斗の顔が真っ赤になっていること指摘されるまで、あまり時間はかからなかった。



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!


表示設定 表示設定
ツール 目次
前のエピソード 草原

孤児院にて

13/15

 しわしわの手が、勇斗の頬をそっと撫でた。 「ああ、やっぱりアルトだ。帰ってきたんだねぇ。こんなに立派になって」 「え、あ、あの?」 「行方不明になったって聞いたから、アタシはもう心配で心配で――本当に、よかった」  少し老けた女性は両手を勇斗から放し、スッと胸を撫で下ろす。 「院長、アルトってもしかして」  槍を片手に持った兵士風の男が尋ねる。 「そう。三年前に勇者としてこの村を出て行った、うちの子だよ」 「なんと、あのやんちゃ坊主か。大きくなったな」  男は腰を屈め、ニッと笑った。 「ここでの立ち話もなんだから、孤児院に来ておくれ。ずっと女の子をおんぶしているのも大変だろうに」 「えーっと」  勇斗の視線がさまよう。人違いだと言うべきか迷っていると、耳元でミュールの声が囁いた。 「話を合わせよう」 「う、うん」 「おばちゃん、何言ってんだコイツの名前は――ムグッ」  目にも止まらぬ速さでランパの口が塞がれた。 「ムグムグーッ!」 「おや、そちらの方々はアルトの友達かい?」 「え、ああ、旅の途中で出会ったんだ。僕の、大切な仲間です」  嘘はついていない。 「じゃあ、お仲間さんの分も食事を用意しないとねぇ」 「アルトーっ!」  石造りの建物から、青髪の少年が飛び出してきた。 「マジでアルトなのかよ。ひっさしぶりだなー!」  青い髪を後ろで短くまとめた少年は目を輝かせた。大人っぽい顔立ちで、身長は勇斗より少し高い。簡素な皮の鎧を着ていて、腰にはロングソードが携えられていた。 「オレ自警団に入ったんだぜ」 「えっ、えっと」 「こら、トンキ。話は仕事が済んでからだ」  兵士風の男が、青い髪の上にポンと手を置いた。 「すんません、団長」 「まぁ、話は後でゆっくりしたらいいさ」  少し老けた女性はどうやら孤児院の院長らしい。彼女に案内され、村の中を歩く。  牧歌的だ。木造建築の小さな家々が点在していて、村の中心には古びた井戸がある。広々とした農地では種を蒔いている人々の姿が見えた。 「あれ、アルトくんじゃない?」 「生きてたんだ」 「立派な鎧を着ているぞ」  全員、勇斗をアルトだと思い込んでいるようだ。 「さあ、着いたよ。みんな驚くだろうね」  孤児院は村の端にひっそりと佇んでいた。低い石垣に囲まれた古びた建物で、ところどころに補修の跡が見える。玄関の前には小さな庭が広がり、色とりどりの花が咲き乱れていた。 「みんな、アルトが帰ってきたよ」  玄関の扉を開き、院長が大きな声を出す。やがて、甲高い声とバタバタした足音が聞こえてきた。 「アルトにいちゃん!」 「アルト!」 「アルトくんだぁ!」  幼い子供たちが飛び出してきた。みんな目をキラキラさせている。  あっという間に、勇斗は囲まれた。 「スッゲー、本物の剣だ!」 「鎧、ピカピカ!」  勇斗は照れくさそうに微笑んだ後、俯いた。 「おや、ピッキは?」 「ピッキは出かけてる。すぐに戻るって言ってたけどー!」 「そうかい、じゃあ中で待っていようかね」 「はーいっ!」  はつらつとした声が混ざり合った後、子供たちは孤児院の中に入っていった。 「さあ、アルトも入って。お仲間さんもどうぞ」  孤児院の中は暖かい雰囲気に包まれていた。壁には子供たちが描いた絵が飾られている。食堂に通されると、大きなテーブルと暖炉が出迎えてくれた。 「そのお嬢さん、大丈夫なのかい? かなりぐったりしている様子だけど」  院長は勇斗に担がれている少女を見て、浮かない顔をした。 「この子、街道で倒れていたのです」  咄嗟に話を作り変えた。実際は箱の中に入っていたのだが。 「それは大変。ちょっとこっちに連れておいで」  小さな個室に案内された勇斗は、ベッドに少女を寝かせた。 「ありがとうございます。怪我はしていないのですが、全然目を覚まさなくて」 「しばらく様子を見ようかね。そのうち目を覚ますかもしれない」 「そうですね」 「あと、アルト」 「は、はい?」 「何でそんなによそよそしいんだい? 昔のように喋ってくれていいんだよ」  ギクりとした。もう少し自然に喋らなくては。 「う、うん、ちょっと色々あって。ごめん」  勇斗は頑張って作り笑いをした。 「全く、王国ってのはキチンとしすぎなんだよ。あのアルトがこんなにも丁寧な言葉使いになるなんてね。別人かと思ったよ」 「あ、あはは」  冷や汗が頬を伝った。  食堂の隅で、勇斗とミュールはコソコソ話をしていた。 「で、どうする? あの子をここに預けてオレたちは砂漠に向かうか?」 「一晩、ここで過ごそう。疲れも取りたいし」 「じゃ、しばらく自由行動な。オレは料理の手伝いをしてくるよ」 「僕は外の空気を吸ってくる」  庭に出ると、花畑の前に薄汚れた服を着た男の子が立っていた。彼は村の入り口で出会った、トンキという少年と同じ青い髪をしている。男の子は、花畑の前で屈んでいるランパの背中を不思議そうに見つめていた。 「ランパ、何してるの?」 「おっ、ユート――じゃなかった。アルト!」  勇斗の声でランパが振り向いた。 「えっ、アルト? 帰ってきてたの?」  青髪の男の子も振り向き、勇斗を見つめる。 「えっと、君は」 「ボクはピッキだよ。トンキの弟。忘れちゃった?」 「あ、あぁ――ピッキ、久しぶり」 「もう」  ピッキは頬を膨らませた。 「この子はアルトの友達?」 「うん、ランパっていうんだ」 「ふーん。で、ランパくんは何で花をじっと見てたの?」 「この花たち枯れちゃっててさ。周りは元気なのに、こいつらだけ可哀想だと思って」  ランパは枯れた二輪の花の上に手をかざした。 「ほんとだ、枯れてる。せっかく毎日水やりしてたのになぁ」 「ただいま」 「あ、兄貴お帰り」  トンキが疲れ顔で歩いてきた。 「よっ、アルト。孤児院、何も変わってないだろ」 「そ、そうだね」 「飯食いながら、色々話聞かせてくれよな」 「そうだ、メシーっ!」  ランパは猛ダッシュで孤児院の中に入って行った。青髪の兄弟はポカンとした表情を浮かべている。 「あれ?」  ふと花畑を見ると、枯れた二輪の花は姿はなかった。代わりに一輪の黄金色の花が咲いていた。  孤児院の食事は薄味だった。ランパは素早く平らげた後、もっと濃いものが欲しいと叫び、周りを呆然とさせた。すかさず勇斗が頭を下げて謝った。  トンキは子供たちに手を焼いていた。話を聞く限り、彼はこの施設で最年長。リーダー的存在だ。去年から村の自警団に入り、わずかな収入を孤児院に入れているようだ。弟のピッキもまた自警団に入る予定だが、戦うのは苦手だと、ちょっと自信なさげに話していた。 「それで、魔神とやらはまだ死んでいなくて、アルトは力をつけるために砂漠に行くというのかい? すぐ出ていっちまうのは寂しいけど、仕方ないね――」  明日には村を出ることを伝えると、子供たちからは「えー」とか「いやだー」といった声が上がったが、院長はあっさりと了承してくれた。 「それで、あの女の子は預かってていいいんだね?」 「うん。お願い」 「任せな。それにしても、あの子の髪、珍しい色をしていたねぇ」 「ピンクの髪って、珍しいのか?」  子供に尻尾を引っ張られているミュールが尋ねた。 「珍しいよ。あの髪の色はね、伝説の勇者ルークの恋人と同じ色なんだ」  ガタッと、奥の部屋から物音がした。 「あら、もしかして目を覚ましたのかしら」  勇斗たちは院長の後に続いて、少女が寝ている部屋へと向かった。  ピンク色の髪をした少女はベッドに腰掛け、虚な目をしていた。細い手で、体のあちこちを触っている。 「君、大丈夫?」  勇斗が声をかける。  少女はビクッとした。勇斗の顔を見た後、何回も瞬きをする。 「あ、あ――」  彼女の顔がどんどん青ざめていく。 「いやああああああっ!」  頭を抱えた少女は叫び、ガタガタと震え出した。 「お、落ち着いて。僕は魔族じゃないよ」 「この子がアンタを助けてくれたんだよ」 「貴方が、私を――うっ」  少女は両手で口を押さえた。体はまだ震えている。 「そうとう怖い思いをしたんだろうね」  院長は少女の背中を優しくさすった。 「ごめんなさい」 「いいんだよ。アンタ、名前は?」 「――ソーマ」 「どうして倒れていたのか覚えてる? お母さんとお父さんは?」  ソーマは首を横に振る。 「思い出せないんです。覚えているのは自分の名前と、勇者を探しているという目的だけ――」 「記憶喪失?」  勇斗はランパをチラッと見た。 「勇者ならここにいるよ。これから魔神を倒しに行くんだってさ」 「魔神――うっ」  フラッとしたソーマは、再び頭を抱えた。 「まだ休んでおいた方がよさそうだね。アタシが見ておくから、アンタたちは戻りな」  窓の外を見ると、辺りは薄暗くなっていた。  月明かりの下、勇斗は孤児院の裏にある横長の椅子に座っていた。椅子の端には金属製の器が置かれている。目を凝らすとタバコの吸い殻が入っていた。 「アルト」  声のする方を振り向くと、トンキが立っていた。 「お前も一服?」 「いや、なかなか寝付けなくて――えっ?」  トンキは勇斗の横に座り、ポケットから取り出した茶色く細長い棒を口に咥えた。  シュッと、マッチの火が棒の先端に灯る。暗闇に浮かぶ赤い光。次第に、甘いような苦いような香りが漂ってきた。 「それは、タバコ? トンキはタバコ吸うの?」 「安物だけどな」  トンキの口から煙が吐き出される。驚いたが、ここは飲酒も喫煙も年齢制限がない世界だったことを思い出した。 「アルトは吸わないの?」 「僕は、吸わないよ」 「そっか。王国でゴツい葉巻でも吸ってるのかと思ってた」 「葉巻なんて、僕には似合わないよ」 「あっちでは、どんな暮らしをしてたんだ? 色々厳しかった?」  勇斗は黙り込んでしまった。アルトが王国で厳しい訓練を受けていたことは知っている。それ以外は、どんなことをしていたのだろう。優雅な生活を送っていたのだろうか。 「まぁ、大変だったんだろうな」  灰皿の縁でタバコをトントンした後、トンキは夜空を見上げた。 「オレな、王国の騎士団に入ろうと思ってるんだ。自警団じゃあまり稼げないからな。いっぱい稼いで、世話になった孤児院に恩返しするんだ」  チリチリと音を立てて煙を吸い込み、フゥーっと吐き出す。 「ちょっとだけど、お前の顔見れて嬉しかった。頑張れよ。オレも頑張るからさ」  タバコを灰皿に押し付けた後、トンキは暗闇へと姿を消した。 「僕も、そろそろ寝よう」  扉の前では、院長が立っていた。 「ちょっといいかい」  院長に誘われ、勇斗は食堂まで足を運ぶ。  食堂は、深い静寂と漆黒の闇に包まれていた。長いテーブルの上では、一本の蝋燭の灯りが揺らめき、小さな光の波が壁に不規則な影を描き出している。  勇斗と院長は向かい合って座った。 「アルト、ここに来たときのこと、覚えているかい」 「いや、覚えていない」  当たり前だ―― 「だろうね。十年前、アンタは若い女性に連れられ、この村に来た。酷い雨の日だったよ。女性――アンタの母親だね」  アルトの、お母さん―― 「彼女は病気で、アンタを私に預けた後、すぐに死んじまった」  お母さんが、死んだ―― 「代わりにアタシが一生懸命育てたよ。まぁ、ここのみんなそうだけどね。全員、アタシの大切な子さ。だから、アンタが王国に連れて行かれる時、猛反対したよ。でもね、子供はいつか大人になり、旅立つ。そう考えると、急に誇らしくなってねぇ。トンキもそのうち出ていくって言ってるし――」  何を、聞かされているのだろう―― 「だから胸を張って行っておいで。そしていつでも帰ってきな。ここはアンタの家だからね――」  違う。ここは帰る場所じゃない―― 「うん、ありがとう」  勇斗は笑った。心の中はグチャグチャにかき乱されていた。  翌朝、勇斗たちは村を出発した。院長と孤児院の子供たちに見送られ、緑の大地を踏み締める。  しばらく歩いていると、後方から透き通った声が聞こえてきた。 「ま、待って」  振り向くとソーマが息を切らしていた。乱れていたピンクの髪は綺麗なツインテールになっている。服装はゴシック風で、黒と紫のフリルが印象的なドレスを纏っていた。 「ど、どうしたの?」 「まだ、お礼を言ってなかったので。貴方が私を助けてくれたのですよね。ありがとうございます」  ソーマは腰を深く曲げ、丁寧にお辞儀をした。 「いや、僕は君を運んだだけだから」 「それでも、助けてくれたことに違いはありません。ありがとうございます」  ソーマは顔をあげ、勇斗の顔をじっと見つめる。  勇斗は漆黒に輝く宝石のような瞳に吸い込まれそうになった。思わず、目をそらす。急に鼓動が速まる感覚を覚えた。 「じゃ、じゃあ僕たちはこれで。げ、元気でね」 「待ってください」 「ま、まだ何かあるの?」 「私を、連れて行って下さい!」  思ってもいなかった発言に、勇斗の体は固まった。 「孤児院にいた方が、いいと思うよ。院長も心配してると思うからはやく戻った方がいいよ」 「どうしても、ついていきたいのです」  ツインテールが左右に揺れる。 「貴方についていくこと、おばさまも許可してくれました。あと、この服も旅立ちの記念にと、おばさまから貰ったものです」  波打ったドレスの裾が、草原を駆け抜ける風でひらひらと舞った。 「貴方と一緒なら、私の記憶も戻りそうな気がするんです。お願いします」  ソーマは勇斗の手をギュッと握った。 「ど、どうしよう」  頬を赤らめた勇斗の視線が泳ぐ。 「足手まといにならなければいいんだけどなー」  ランパの口が尖る。 「自分の身は自分で守ります!」  ソーマは真剣な眼差しで、勇斗をじっと見た。 「わ、分かったよ。一緒に行こう」 「ありがとう」  華奢な手が、勇斗を抱きしめた。 「わああっ」  体温が上昇する。勇斗の顔が真っ赤になっていること指摘されるまで、あまり時間はかからなかった。



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!