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屈辱

ー/ー



 訓練は過酷だった。

 螺旋階段の上り下り。腕立て伏せ。腹筋。スクワット。どれも勇斗には地獄だった。何度も弱音を吐いた。

 毎朝、筋肉痛で体中がきしんだ。逃げたかった。けれど、逃げても森で死ぬだけだ。それだけはわかっていた。

 二ヶ月ほどで、ようやく剣の訓練が始まった。素振り、足運び、姿勢。どれも最初はまともにできず、ロンに頭を抱えさせた。それでも勇斗は食らいついた。手のひらは血豆だらけになっていた。

 気づけば三ヶ月が過ぎていた。か細かった体には少しずつ筋肉がつき、腹にも薄く線が浮いてきている。

 明日からは実戦訓練。そう告げられた夜、勇斗は見張りの塔の屋上で月を見上げていた。この世界の月は二つあった。自分の住んでいた世界と違うことを改めて思い知らされた。

「最初はどうなるかと思ったけど、頑張るじゃん」

 振り向くと、ミュールが立っていた。手には瓶と木のコップを持っていた。

「ありがとう」

 勇斗が言うと、ミュールはにかっと笑った。

「明日から実戦だろ。ちょっとだけ飲むか?」

 ミュールは瓶を軽く振る。

「それ、何?」

「ビラード。酒だよ」

 勇斗はきょとんとした。まさか、お酒をすすめてくるとは思ってもいなかった。

「あの、僕の世界じゃ、お酒も煙草も二十歳になってからなんだけど」

「へぇ、決まりがあるんだな。こっちは違う。酒は体を温めるし、煙草も一人前の証みたいなもんだ。場数を踏んでりゃ、歳なんて関係ない」

 勇斗は少し迷いつつも、コップを受け取った。

 息を吐き、コップの中の黄色い液体に目をやる。

 おそるおそる口にした。甘い香りの奥に渋みが残る、変な味だった。喉の奥が熱くなった。

「な、いけるだろ?」

「う、うん」

 勇斗が答えると、ミュールは自分の分を一気に飲み干した。

「お母さんが知ったら、びっくりするだろうな……」

 ぽつりとこぼした声に、ミュールの狼のような耳がぴくりと動いた。

「母さんか。ユート、家族いるんだよな」

「うん。お父さんとお母さん。僕、一人っ子なんだ」

 お母さん、今頃どうしてるんだろう。ショックで倒れたりしていないだろうか。考えるほど胸が締め付けられた。

「どうした?」

「いや、何でもない」

 勇斗は首を振った。

「ミュールは、ロンさんの家族なの?」

「いや、違う。怪我してたオレをじーちゃんが拾ってくれたんだ。だから今はここにいる」

「怪我って……?」

 ミュールは二杯目を注いでから、夜空を見上げた。

「故郷が魔族に襲われた。仲間もたくさん死んだ」

 ミュールの声は静かだった。

「オレは魔族が許せない。特に、あいつだけは」

 勇斗は何と言えばいいのかわからなかった。ミュールの横顔は、別人みたいに固かった。

 しばらくして、ミュールはいつもの顔に戻る。

「ま、今はいいや。ごめんな、変な話して。明日に響くとまずいし、そろそろ寝ろよ」

 そのあと勇斗は自分のコップを少しずつ空けた。体が熱くなり、ほどなくして眠気が押し寄せてきた。

 翌朝、勇斗は頭痛で目を覚ました。はじめての二日酔いだった。

 その日から、武具を身につけての実戦訓練が始まった。黄金色の鎧――精霊器ラクメトをまとうと、不思議と心が落ち着く。

 塔の中ほどの広間では、完全武装したロンが待っていた。

 ミュールの話では、ロンはソレイン王国元騎士団長の肩書きを持っているという。アルトに稽古をつけたこともあるらしい。

「戦いで大事なのは、相手をよく見ることじゃ。さあ、構えよ」

「は、はい」

 勇斗は聖剣クトネシスを構えた。手が震える。

「遠慮はいらん。ワシを魔族だと思え」

「い、いきます」

 広間に、金属音が鳴り響いた。

「型を崩すな!」「動きを読め!」「力任せに振るな!」

 ロンの叱声が次々と飛ぶ。勇斗は歯を食いしばった。頭ではわかっていても、体がついていかない。守るだけで精一杯だった。

 気づけば尻もちをついていた。

「どうした。立て」

 ロンの声が降ってくる。

「弱い。アルトはもっと強かったぞ」

 じりじりとした焦燥感に駆られた。勇斗は、剣の柄を強く握りしめた。

「お主は、あやつの足元にも及ばん」

 十三年間、他人と比較されることはなかった。テストで少し悪い点数を取ったときも、体育の授業で見学が多いと先生から指摘されたときも、「勇斗は勇斗。今のままでいいのよ」と母にずっと言われてきた。だから、他人がどれだけ優れていようと気にする必要はないと思っていた。しかし、今、その信念は鋭く切り裂かれた。

 アルトは、自分と同じ顔の人間だ。だからこそ、負けたくない。胸の内がざわざわと波打つ。

「どうした、ユート」

 勇斗は立ち上がり、叫びながら突っ込んだ。

 剣先が空を切る。

「ぬるい」

 ロンの姿は目の前になかった。次の瞬間、冷たい刃が首元で止まっていた。

 勇斗は絶句して息を呑んだ。

「我を忘れるな。一瞬の隙が命取りになる。魔族相手も同じじゃ」

 勇斗は何も言えなかった。

「今日はここまでじゃ」

 ロンが去ったあと、勇斗は膝をついて崩れ落ちた。

 不快だった。悔しかった。情けなかった。

 さまざまな感情が頭の中で渦巻いた。

 勇斗は、嗚咽を漏らした。

 訓練はその後も続いた。勇斗を支えていたのは、「悔しい」という感情だった。毎晩、自分の動きを振り返り、次に活かそうとした。皆が寝静まったあと、一人で木の棒を握る日もあった。今日転んだ場所。遅れた一歩。読めなかった動き。何度も思い返しながら、懸命に棒を振った。

 ある日のことだった。

「ぬっ」

 ロンの剣が宙を舞い、床を転がった。剣先がロンの鉄仮面をかすめた。反射的に剣を下げ、深く頭を下げた。

「上出来じゃ。ひとまず合格としよう」

「ありがとう……ございます」

 勇斗の声は少しかすれていた。顔には自然と笑みが浮かんでいた。

 その夜は、小さな宴になった。いつもより少し豪華なミュールの手料理が並び、ビラードまで出てきた。

「ワシが教えたのは、まだ基礎にすぎん。だが、逃げずによくやった」

 ロンが笑いながら言った。

「心配するな。お主はこれからもっと強くなれる。元騎士団長のワシが言うのじゃから間違いない」

「そうそう。ユート、もっと自信持てよな」

 顔を赤くしたミュールが肩を叩いてくる。酒臭さがぷんぷんした。飲み過ぎだと思う。

「こら、ミュール。お前もまだまだじゃ」

「わ、わかってるって」

 ミュールが口を尖らせた。

「ふあー、もう食えねえ……」

 パンを片手に床で寝転がっていたランパが、幸せそうな声を出した。そのままいびきをかき始める。

「こいつ、本当によく食うよな」

 ミュールが呆れたように言った。

 勇斗は笑いながら、床に寝転ぶランパを揺すった。

「ランパ、そんなところで寝たら風邪ひくよ」

 だが、ランパは起きなかった。仕方なく抱き上げようとすると、寝言が漏れた。

「ユートォ……オイラが守ってやるからなぁ……ずっと一緒だぞぉ……イッシンドータイってやつだぁ」

 勇斗は少しだけ目を丸くしたあと、静かに微笑んだ。

 翌朝はミュールにたたき起こされた。

「じーちゃんからの伝言だ。準備ができたら、チビスケといっしょに塔の一階まで来いってさ。大事な話があるらしいぜ」

 勇斗は首をかしげながらも、ゆっくり立ち上がった。


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 訓練は過酷だった。
 螺旋階段の上り下り。腕立て伏せ。腹筋。スクワット。どれも勇斗には地獄だった。何度も弱音を吐いた。
 毎朝、筋肉痛で体中がきしんだ。逃げたかった。けれど、逃げても森で死ぬだけだ。それだけはわかっていた。
 二ヶ月ほどで、ようやく剣の訓練が始まった。素振り、足運び、姿勢。どれも最初はまともにできず、ロンに頭を抱えさせた。それでも勇斗は食らいついた。手のひらは血豆だらけになっていた。
 気づけば三ヶ月が過ぎていた。か細かった体には少しずつ筋肉がつき、腹にも薄く線が浮いてきている。
 明日からは実戦訓練。そう告げられた夜、勇斗は見張りの塔の屋上で月を見上げていた。この世界の月は二つあった。自分の住んでいた世界と違うことを改めて思い知らされた。
「最初はどうなるかと思ったけど、頑張るじゃん」
 振り向くと、ミュールが立っていた。手には瓶と木のコップを持っていた。
「ありがとう」
 勇斗が言うと、ミュールはにかっと笑った。
「明日から実戦だろ。ちょっとだけ飲むか?」
 ミュールは瓶を軽く振る。
「それ、何?」
「ビラード。酒だよ」
 勇斗はきょとんとした。まさか、お酒をすすめてくるとは思ってもいなかった。
「あの、僕の世界じゃ、お酒も煙草も二十歳になってからなんだけど」
「へぇ、決まりがあるんだな。こっちは違う。酒は体を温めるし、煙草も一人前の証みたいなもんだ。場数を踏んでりゃ、歳なんて関係ない」
 勇斗は少し迷いつつも、コップを受け取った。
 息を吐き、コップの中の黄色い液体に目をやる。
 おそるおそる口にした。甘い香りの奥に渋みが残る、変な味だった。喉の奥が熱くなった。
「な、いけるだろ?」
「う、うん」
 勇斗が答えると、ミュールは自分の分を一気に飲み干した。
「お母さんが知ったら、びっくりするだろうな……」
 ぽつりとこぼした声に、ミュールの狼のような耳がぴくりと動いた。
「母さんか。ユート、家族いるんだよな」
「うん。お父さんとお母さん。僕、一人っ子なんだ」
 お母さん、今頃どうしてるんだろう。ショックで倒れたりしていないだろうか。考えるほど胸が締め付けられた。
「どうした?」
「いや、何でもない」
 勇斗は首を振った。
「ミュールは、ロンさんの家族なの?」
「いや、違う。怪我してたオレをじーちゃんが拾ってくれたんだ。だから今はここにいる」
「怪我って……?」
 ミュールは二杯目を注いでから、夜空を見上げた。
「故郷が魔族に襲われた。仲間もたくさん死んだ」
 ミュールの声は静かだった。
「オレは魔族が許せない。特に、あいつだけは」
 勇斗は何と言えばいいのかわからなかった。ミュールの横顔は、別人みたいに固かった。
 しばらくして、ミュールはいつもの顔に戻る。
「ま、今はいいや。ごめんな、変な話して。明日に響くとまずいし、そろそろ寝ろよ」
 そのあと勇斗は自分のコップを少しずつ空けた。体が熱くなり、ほどなくして眠気が押し寄せてきた。
 翌朝、勇斗は頭痛で目を覚ました。はじめての二日酔いだった。
 その日から、武具を身につけての実戦訓練が始まった。黄金色の鎧――精霊器ラクメトをまとうと、不思議と心が落ち着く。
 塔の中ほどの広間では、完全武装したロンが待っていた。
 ミュールの話では、ロンはソレイン王国元騎士団長の肩書きを持っているという。アルトに稽古をつけたこともあるらしい。
「戦いで大事なのは、相手をよく見ることじゃ。さあ、構えよ」
「は、はい」
 勇斗は聖剣クトネシスを構えた。手が震える。
「遠慮はいらん。ワシを魔族だと思え」
「い、いきます」
 広間に、金属音が鳴り響いた。
「型を崩すな!」「動きを読め!」「力任せに振るな!」
 ロンの叱声が次々と飛ぶ。勇斗は歯を食いしばった。頭ではわかっていても、体がついていかない。守るだけで精一杯だった。
 気づけば尻もちをついていた。
「どうした。立て」
 ロンの声が降ってくる。
「弱い。アルトはもっと強かったぞ」
 じりじりとした焦燥感に駆られた。勇斗は、剣の柄を強く握りしめた。
「お主は、あやつの足元にも及ばん」
 十三年間、他人と比較されることはなかった。テストで少し悪い点数を取ったときも、体育の授業で見学が多いと先生から指摘されたときも、「勇斗は勇斗。今のままでいいのよ」と母にずっと言われてきた。だから、他人がどれだけ優れていようと気にする必要はないと思っていた。しかし、今、その信念は鋭く切り裂かれた。
 アルトは、自分と同じ顔の人間だ。だからこそ、負けたくない。胸の内がざわざわと波打つ。
「どうした、ユート」
 勇斗は立ち上がり、叫びながら突っ込んだ。
 剣先が空を切る。
「ぬるい」
 ロンの姿は目の前になかった。次の瞬間、冷たい刃が首元で止まっていた。
 勇斗は絶句して息を呑んだ。
「我を忘れるな。一瞬の隙が命取りになる。魔族相手も同じじゃ」
 勇斗は何も言えなかった。
「今日はここまでじゃ」
 ロンが去ったあと、勇斗は膝をついて崩れ落ちた。
 不快だった。悔しかった。情けなかった。
 さまざまな感情が頭の中で渦巻いた。
 勇斗は、嗚咽を漏らした。
 訓練はその後も続いた。勇斗を支えていたのは、「悔しい」という感情だった。毎晩、自分の動きを振り返り、次に活かそうとした。皆が寝静まったあと、一人で木の棒を握る日もあった。今日転んだ場所。遅れた一歩。読めなかった動き。何度も思い返しながら、懸命に棒を振った。
 ある日のことだった。
「ぬっ」
 ロンの剣が宙を舞い、床を転がった。剣先がロンの鉄仮面をかすめた。反射的に剣を下げ、深く頭を下げた。
「上出来じゃ。ひとまず合格としよう」
「ありがとう……ございます」
 勇斗の声は少しかすれていた。顔には自然と笑みが浮かんでいた。
 その夜は、小さな宴になった。いつもより少し豪華なミュールの手料理が並び、ビラードまで出てきた。
「ワシが教えたのは、まだ基礎にすぎん。だが、逃げずによくやった」
 ロンが笑いながら言った。
「心配するな。お主はこれからもっと強くなれる。元騎士団長のワシが言うのじゃから間違いない」
「そうそう。ユート、もっと自信持てよな」
 顔を赤くしたミュールが肩を叩いてくる。酒臭さがぷんぷんした。飲み過ぎだと思う。
「こら、ミュール。お前もまだまだじゃ」
「わ、わかってるって」
 ミュールが口を尖らせた。
「ふあー、もう食えねえ……」
 パンを片手に床で寝転がっていたランパが、幸せそうな声を出した。そのままいびきをかき始める。
「こいつ、本当によく食うよな」
 ミュールが呆れたように言った。
 勇斗は笑いながら、床に寝転ぶランパを揺すった。
「ランパ、そんなところで寝たら風邪ひくよ」
 だが、ランパは起きなかった。仕方なく抱き上げようとすると、寝言が漏れた。
「ユートォ……オイラが守ってやるからなぁ……ずっと一緒だぞぉ……イッシンドータイってやつだぁ」
 勇斗は少しだけ目を丸くしたあと、静かに微笑んだ。
 翌朝はミュールにたたき起こされた。
「じーちゃんからの伝言だ。準備ができたら、チビスケといっしょに塔の一階まで来いってさ。大事な話があるらしいぜ」
 勇斗は首をかしげながらも、ゆっくり立ち上がった。