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修行

ー/ー



 ロンさんの訓練は、想像を絶するものだった。
 
 まずは基礎体力作りということで、塔の一階から最上階まで繋がる螺旋階段の上り下りをさせられた。すぐに呼吸が苦しくなり、涙で目が霞む。十三年間まともに運動をしたことがなかった自分にとって、ウォーミングアップですら過酷だった。
 
 ウォーミングアップが終了すると、筋力トレーニングが始まる。腕立て伏せ。腹筋運動。スクワット。今まで使ってこなかった筋肉に、次々と刺激が与えられた。激しい疲労感に耐えきれず、弱音を吐き、何度も休憩を求めた。そのたび、ロンさんに呆れられた。

 毎朝、激しい筋肉痛に襲われた。辛い。逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、逃げても、森で死ぬ。それだけはわかった。
 
 二ヶ月後、ようやく戦闘訓練が開始された。木の棒を使っての素振りから始まり、剣術における正しい姿勢や体の使い方などを叩き込まれる。最初は基礎的な動作もままならず、足がもつれたりして、再びロンさんを呆れさせてしまった。逃げたい気持ちはまだ残っていたが、懸命に教えてくれるロンさんや、応援してくれているランパとミュールを落胆させたくなかったので、必死となって訓練に喰らいついた。気づくと、掌は血豆だらけになっていた。
 
 三ヶ月後、自身の体の変化に驚いた。か細かった体に、うっすらとしなやかな筋肉がつき、腹筋も割れてきていた。

 筋肉のつき方が、どこか普通じゃない気がした。傷が治るのが早い体質――それと同じ匂いがする。
 
 明日から実戦形式での訓練に移る――ロンさんにそう告げられた日の夜、勇斗は見張りの塔の屋上に座り、三ヶ月間を振り返りながら、月を見上げていた。この世界の月は二つあった。自分の住んでいた世界と違うことを改めて思い知らされる。
 
「いやー、最初はどうなるかとハラハラしてたけど、頑張るじゃん。筋肉も大分ついてきてるし」
 
 振り向くと、ミュールが立っていた。白い歯を見せニカっと笑っている。

「ありがとう」

 頭の中をうれしさが占拠する。

「ちょっと、一杯やらない?」

 目の前に、瓶と木のコップが置かれた。

「これは?」
 
「ビラード。こっちじゃ、わりと普通の酒だ」

「僕の世界では、お酒と煙草は二十歳からで……」
 
「へぇ、厳しいんだな。こっちは違う。酒は嗜好品っていうより、栄養だ。寒さと疲れに効く」

「煙草は?」

「一人前になったら吸うもんだ。ただの嗜みじゃない。持ち方や吸い方で、そいつが何者かわかる。場数を踏んでりゃ、歳なんて関係ない」

 信じられない気持ちに脳が支配される。ここは、元いた世界とは根本から違う。

 息を吐き、コップの中の液体に目をやる。

「明日、実戦だろ? 少しだけ体を温めとけ」

 勇斗はその言葉にすがった。

 ――少しだけ。

 コップを両手で持ち、口をつける。
 
 蜂蜜みたいな甘い香りの奥に、木の皮みたいな渋みが残った。喉の奥がじわっと熱くなる。変な味だ。

「な、いけるだろ?」

「う、うん」

 勇斗は愛想笑いをした。

「じゃ、オレも飲もうかな」

 笑みをこぼしたミュールは、自身のコップにビラードを注ぎ、一気に飲み干した。

「お母さん、僕がお酒飲んだって知ったらどんな顔するかなぁ」

 ちびちびと飲んでいる勇斗が、ぼそっと呟いた。

 ミュールの狼のような耳がぴくりと動く。

「母さんか。ユートって何人家族?」

「えっと、お母さんとお父さんがいる。兄弟はいない。僕、一人っ子なんだ」

 お母さん、今頃どうしてるんだろう。ショックで倒れたりしていないだろうか。考えるほど胸が締め付けられてくる。

「どうした、ぼーっとして。もう酔ってきた?」

「あ、いや、大丈夫だよ。そういや、ミュールってロンさんのことをじーちゃんって呼んでるけど、家族なの?」
 
「いや、他人だよ。怪我していたオレを助けてくれたんだ。その恩返しとして、今は料理や洗濯を手伝っている。いずれ出ていくつもりだけどな」
 
「怪我って、どうしたの?」

 勇斗は、戸惑いの顔をミュールに向けた。
 
 ミュールは二杯目のビラードを注ぎ、飲み干したあと、無数の星が煌めく夜空を仰ぎ、静かに息を吐いた。
 
「オレの故郷、魔族に襲われたんだよ。半年くらい前にな。仲間が、たくさん殺された。オレは逃げている最中に川に流されて、気づいたらこの塔にいた」
 
「殺され……」
 
「オレは魔族が嫌いだ。あんなことをしやがった魔族を絶対許せない。特に、あいつだけは」
 
 ミュールの顔つきが、みるみるうちに険しくなった。彼の手に握られたコップが小刻みに振動している。

 勇斗は、ミュールにどう声をかけて良いのかわからなくなり、おろおろした。
 
「あ、ごめん。気にしなくていいから。さ、飲もうぜ!」
 
 朗らかな表情に戻ったミュールに、肩を叩かれた。

 勇斗は、半分以上残っていたビラードを一気に流し込む。体が熱を帯び、ほどなくして睡魔が襲ってきた。
 
「ユート。オレは、あいつを殺したい。あいつだけは――」
 
 ミュールが何かを言っているようだが、聞き取れなかった。深淵へと沈んでいく感覚。ふわりと意識が飛んでいった。
 

 翌日は寝過ごしてしまった。頭が痛い。はじめての二日酔いだった。

 今日から実際に武具を身につけての訓練が行われる。久々に黄金色の鎧をまとった勇斗は、安心感を覚えた。まるで鎧と一体化したようだ。
 
 塔の中階層にある広間では、完全武装したロンが待っていた。鉄仮面を被り、体は重厚な鎧で覆われていた。
 
「戦闘では、相手の動きをよく観察することが重要じゃ。さぁ、構えよ」
 
「は、はい」
 
 勇斗は震える手で剣を構えた。剣は、刃が潰された練習用だった。
 
「遠慮はいらん。情は捨て、ワシを魔族だと思ってかかってこい」

「い、いきます」

 金属同士のぶつかる音が、絶え間なく響いた。
 
「基本の型を忘れるな!」

 ロンは叫ぶ。
 
「は、はいっ」
 
「動きをよく読め!」

 ロンの厳しい声が止まない。勇斗は歯を食いしばった。
 
「力ずくじゃ剣術とは呼べんぞ! 体全体を使え!」

 次々と飛んでくる鋭い指摘に戸惑いながら剣を振るう。ひとつひとつの細かい指示を理解しようと、懸命に頭を回転させる。しかし、脳と体の連携が全然うまくいかない。額から流れ続ける汗が目に入りそうになる。攻撃に転じることはできず、怪我をしないように自分の体を守るのが精一杯だった。
 
 金属が床にぶつかる音。勇斗は激しく尻もちをついていた。
 
「どうした? 早く立て。そんなのでは元の世界には帰れぬぞ!」

 片膝をつき、荒い息を吐き続ける勇斗に対して、ロンは厳しい言葉を浴びせる。
 
「弱い、弱すぎるっ! アルトはもっと強かったぞ!」
 
「うぅ」
 
「腰抜けめ、お主はアルトの足元にも及ばんな」

「そんなこと、言われても」

「甘えるな。温室育ちのお坊ちゃんめ」
 
 十三年間、他人と比較されることはなかった。テストで少し悪い点数を取ったときも、体育の授業で見学が多いと先生から指摘されたときも、「勇斗は勇斗。今のままでいいのよ」と母にずっと言われてきた。だから、他人がどれだけ優れていようと気にする必要はないと思っていた。しかし、今、その信念は鋭く切り裂かれた。

 他人と比べて劣る自分。しかも、比較の対象が、自分と同じ顔をした人間ときた。悪寒がする。ふつふつと、闘争心がたぎってくる。

「どうした、アルト以下のユートよ」

 頭の中で、糸の切れる音が聞こえた。
 
 立ち上がった勇斗は咆哮し、ロンに向かって突進した。
 
 剣が空振る。空気を鋭く切り裂く音が耳をかすめる。目の前にいたロンの姿が消えていた。
 
「お主、今、死んだぞ?」
 
 首元に、冷たい空気が触れた。刃が、勇斗の首筋ギリギリのところで止められていた。
 
 勇斗は、その場にへたり込んだ。体に全く力が入らない。床の一点だけをじっと見つめる。
 
「我を忘れるな。常に冷静でいろ。一瞬の隙が命取りとなる。魔族を相手にするときも同じじゃぞ」
 
 ビクッと肩が跳ねた。死の恐怖。魔族に殺されかけた場面が再びフラッシュバックする。両肩が小刻みに震えてきた。
 
「ふぅ、今日はここまでにしようかの。続きはまた明日じゃ」
 
 ロンは剣を鞘に納め、静かに階段を登っていった。広間に静寂が訪れる。
 
 屈辱感、怒り、無力感――初めて意識した感情が一気に芽生え、ぐるぐると勇斗の中で渦を巻いた。
 
 勇斗は、泣き叫んだ。

 激しい訓練は何日も続き、休む暇は一日たりともなかった。その中で、勇斗を突き動かしていたのは、心の奥底から湧き上がる「悔しい」という感情だった。毎晩、落胆を感じながらも、訓練の内容を振り返り、反省点を一つ一つ洗い出しては、次に活かすために努力をした。

 今日も乾いた音が、塔の広間に木霊する。
 
「ぬっ」
 
 ガキイィィンと、ロンの剣が宙を舞い、床を転がった。
 
「はあぁっ!」
 
 勇斗の剣先が、ロンの鉄仮面をかすめた。反射的に剣を下げ、深く頭を下げた。
 
「上出来じゃ。ひとまず合格としよう」
 
 久々に聞くロンさんの優しい声に、温かさがこみ上げてきた。
 
「ありがとう……ございます」

 勇斗はしゃくり上げたあと、晴れやかな表情を作り出した。すがすがしい気分だった。

 その夜、小さな宴が開かれた。いつもより豪勢なミュールの手料理に舌鼓をうち、ビラードも飲んだ。

「ユートよ、ワシが教えたことは基礎中の基礎。本来ならもっと教えたいところなのじゃが。まぁ、あとは実際に魔族と戦って体で覚えていくことじゃな」

 はい、と勇斗は少し頼りなさげな声を出した。

「心配するな。ワシとの訓練で得たことは決して無駄にはならん。逃げずによう頑張った。これからの努力次第でお前は強くなれる。ワシが言うのじゃから絶対じゃ!」

 ロンが豪快に笑う。

「そうそう、じーちゃんが言うんだから間違いないって。ユート、お前はもっと自信を持てよ」

 顔を赤くしたミュールが、勇斗の肩に手を回した。酒臭さがぷんぷんとする。

「こりゃ、ミュール! お前もまだまだ未熟なんじゃから、努力せんといかんのじゃぞ!」

「わ、わかってるよ」

 ミュールが口を尖らせた。

 ロンさんに稽古をつけてもらっている裏で、ミュールが自主的に訓練していたことはランパから聞いて知っていた。声もかけられないくらい真剣だったという。

「ふぃー、もう食えねぇー」

 ランパが床で寝転がった。あっという間にいびきをかき、鼻ちょうちんを膨らませ始めた。たいへん幸せそうな顔をしている。

「こいつ、本当によく食うよな。というか、何で精霊なのにメシ食うの?」

 ミュールは椅子から手足をだらんと放り出し、怪訝そうな目でランパを見つめた。

「精霊はマナさえあれば体を維持できる。食事なんかする必要はないのじゃが」

 ランパって、普通の精霊とは違うのだろうか。味覚もあるし、怪我もするし。人間みたいだ。

「ランパ、そんなところで寝てたら風邪引くよ」

 勇斗はランパを揺すった。しかし、全く起きる気配はなかった。仕方ない、ベッドまで運んでやろう。

「ユートォ、オイラが守ってやるからなぁー。ずっと一緒だぞぉー。むにゃむにゃ」

 勇斗に抱えられたランパの口から、よだれとともに寝言が漏れた。

 翌朝、ベッドから起き上がると、激しい頭痛に襲われた。飲みすぎてしまったのか、宴の終盤の記憶がない。

 ベッドサイドの小さなテーブルの上に視線をやると、一枚の紙が置かれていた。文字が書かれている。

『準備ができたら塔の一階まで来てくれ。じーちゃんから大切な話があるらしい。あと、朝メシはキッチンに置いてあるから勝手に食べてくれよな』

 見たこともない文字で書かれてあったが、なぜか読めた。

 大切な話って何だろう?

 勇斗は立ち上がり、部屋をあとにした。


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 ロンさんの訓練は、想像を絶するものだった。
 まずは基礎体力作りということで、塔の一階から最上階まで繋がる螺旋階段の上り下りをさせられた。すぐに呼吸が苦しくなり、涙で目が霞む。十三年間まともに運動をしたことがなかった自分にとって、ウォーミングアップですら過酷だった。
 ウォーミングアップが終了すると、筋力トレーニングが始まる。腕立て伏せ。腹筋運動。スクワット。今まで使ってこなかった筋肉に、次々と刺激が与えられた。激しい疲労感に耐えきれず、弱音を吐き、何度も休憩を求めた。そのたび、ロンさんに呆れられた。
 毎朝、激しい筋肉痛に襲われた。辛い。逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、逃げても、森で死ぬ。それだけはわかった。
 二ヶ月後、ようやく戦闘訓練が開始された。木の棒を使っての素振りから始まり、剣術における正しい姿勢や体の使い方などを叩き込まれる。最初は基礎的な動作もままならず、足がもつれたりして、再びロンさんを呆れさせてしまった。逃げたい気持ちはまだ残っていたが、懸命に教えてくれるロンさんや、応援してくれているランパとミュールを落胆させたくなかったので、必死となって訓練に喰らいついた。気づくと、掌は血豆だらけになっていた。
 三ヶ月後、自身の体の変化に驚いた。か細かった体に、うっすらとしなやかな筋肉がつき、腹筋も割れてきていた。
 筋肉のつき方が、どこか普通じゃない気がした。傷が治るのが早い体質――それと同じ匂いがする。
 明日から実戦形式での訓練に移る――ロンさんにそう告げられた日の夜、勇斗は見張りの塔の屋上に座り、三ヶ月間を振り返りながら、月を見上げていた。この世界の月は二つあった。自分の住んでいた世界と違うことを改めて思い知らされる。
「いやー、最初はどうなるかとハラハラしてたけど、頑張るじゃん。筋肉も大分ついてきてるし」
 振り向くと、ミュールが立っていた。白い歯を見せニカっと笑っている。
「ありがとう」
 頭の中をうれしさが占拠する。
「ちょっと、一杯やらない?」
 目の前に、瓶と木のコップが置かれた。
「これは?」
「ビラード。こっちじゃ、わりと普通の酒だ」
「僕の世界では、お酒と煙草は二十歳からで……」
「へぇ、厳しいんだな。こっちは違う。酒は嗜好品っていうより、栄養だ。寒さと疲れに効く」
「煙草は?」
「一人前になったら吸うもんだ。ただの嗜みじゃない。持ち方や吸い方で、そいつが何者かわかる。場数を踏んでりゃ、歳なんて関係ない」
 信じられない気持ちに脳が支配される。ここは、元いた世界とは根本から違う。
 息を吐き、コップの中の液体に目をやる。
「明日、実戦だろ? 少しだけ体を温めとけ」
 勇斗はその言葉にすがった。
 ――少しだけ。
 コップを両手で持ち、口をつける。
 蜂蜜みたいな甘い香りの奥に、木の皮みたいな渋みが残った。喉の奥がじわっと熱くなる。変な味だ。
「な、いけるだろ?」
「う、うん」
 勇斗は愛想笑いをした。
「じゃ、オレも飲もうかな」
 笑みをこぼしたミュールは、自身のコップにビラードを注ぎ、一気に飲み干した。
「お母さん、僕がお酒飲んだって知ったらどんな顔するかなぁ」
 ちびちびと飲んでいる勇斗が、ぼそっと呟いた。
 ミュールの狼のような耳がぴくりと動く。
「母さんか。ユートって何人家族?」
「えっと、お母さんとお父さんがいる。兄弟はいない。僕、一人っ子なんだ」
 お母さん、今頃どうしてるんだろう。ショックで倒れたりしていないだろうか。考えるほど胸が締め付けられてくる。
「どうした、ぼーっとして。もう酔ってきた?」
「あ、いや、大丈夫だよ。そういや、ミュールってロンさんのことをじーちゃんって呼んでるけど、家族なの?」
「いや、他人だよ。怪我していたオレを助けてくれたんだ。その恩返しとして、今は料理や洗濯を手伝っている。いずれ出ていくつもりだけどな」
「怪我って、どうしたの?」
 勇斗は、戸惑いの顔をミュールに向けた。
 ミュールは二杯目のビラードを注ぎ、飲み干したあと、無数の星が煌めく夜空を仰ぎ、静かに息を吐いた。
「オレの故郷、魔族に襲われたんだよ。半年くらい前にな。仲間が、たくさん殺された。オレは逃げている最中に川に流されて、気づいたらこの塔にいた」
「殺され……」
「オレは魔族が嫌いだ。あんなことをしやがった魔族を絶対許せない。特に、あいつだけは」
 ミュールの顔つきが、みるみるうちに険しくなった。彼の手に握られたコップが小刻みに振動している。
 勇斗は、ミュールにどう声をかけて良いのかわからなくなり、おろおろした。
「あ、ごめん。気にしなくていいから。さ、飲もうぜ!」
 朗らかな表情に戻ったミュールに、肩を叩かれた。
 勇斗は、半分以上残っていたビラードを一気に流し込む。体が熱を帯び、ほどなくして睡魔が襲ってきた。
「ユート。オレは、あいつを殺したい。あいつだけは――」
 ミュールが何かを言っているようだが、聞き取れなかった。深淵へと沈んでいく感覚。ふわりと意識が飛んでいった。
 翌日は寝過ごしてしまった。頭が痛い。はじめての二日酔いだった。
 今日から実際に武具を身につけての訓練が行われる。久々に黄金色の鎧をまとった勇斗は、安心感を覚えた。まるで鎧と一体化したようだ。
 塔の中階層にある広間では、完全武装したロンが待っていた。鉄仮面を被り、体は重厚な鎧で覆われていた。
「戦闘では、相手の動きをよく観察することが重要じゃ。さぁ、構えよ」
「は、はい」
 勇斗は震える手で剣を構えた。剣は、刃が潰された練習用だった。
「遠慮はいらん。情は捨て、ワシを魔族だと思ってかかってこい」
「い、いきます」
 金属同士のぶつかる音が、絶え間なく響いた。
「基本の型を忘れるな!」
 ロンは叫ぶ。
「は、はいっ」
「動きをよく読め!」
 ロンの厳しい声が止まない。勇斗は歯を食いしばった。
「力ずくじゃ剣術とは呼べんぞ! 体全体を使え!」
 次々と飛んでくる鋭い指摘に戸惑いながら剣を振るう。ひとつひとつの細かい指示を理解しようと、懸命に頭を回転させる。しかし、脳と体の連携が全然うまくいかない。額から流れ続ける汗が目に入りそうになる。攻撃に転じることはできず、怪我をしないように自分の体を守るのが精一杯だった。
 金属が床にぶつかる音。勇斗は激しく尻もちをついていた。
「どうした? 早く立て。そんなのでは元の世界には帰れぬぞ!」
 片膝をつき、荒い息を吐き続ける勇斗に対して、ロンは厳しい言葉を浴びせる。
「弱い、弱すぎるっ! アルトはもっと強かったぞ!」
「うぅ」
「腰抜けめ、お主はアルトの足元にも及ばんな」
「そんなこと、言われても」
「甘えるな。温室育ちのお坊ちゃんめ」
 十三年間、他人と比較されることはなかった。テストで少し悪い点数を取ったときも、体育の授業で見学が多いと先生から指摘されたときも、「勇斗は勇斗。今のままでいいのよ」と母にずっと言われてきた。だから、他人がどれだけ優れていようと気にする必要はないと思っていた。しかし、今、その信念は鋭く切り裂かれた。
 他人と比べて劣る自分。しかも、比較の対象が、自分と同じ顔をした人間ときた。悪寒がする。ふつふつと、闘争心がたぎってくる。
「どうした、アルト以下のユートよ」
 頭の中で、糸の切れる音が聞こえた。
 立ち上がった勇斗は咆哮し、ロンに向かって突進した。
 剣が空振る。空気を鋭く切り裂く音が耳をかすめる。目の前にいたロンの姿が消えていた。
「お主、今、死んだぞ?」
 首元に、冷たい空気が触れた。刃が、勇斗の首筋ギリギリのところで止められていた。
 勇斗は、その場にへたり込んだ。体に全く力が入らない。床の一点だけをじっと見つめる。
「我を忘れるな。常に冷静でいろ。一瞬の隙が命取りとなる。魔族を相手にするときも同じじゃぞ」
 ビクッと肩が跳ねた。死の恐怖。魔族に殺されかけた場面が再びフラッシュバックする。両肩が小刻みに震えてきた。
「ふぅ、今日はここまでにしようかの。続きはまた明日じゃ」
 ロンは剣を鞘に納め、静かに階段を登っていった。広間に静寂が訪れる。
 屈辱感、怒り、無力感――初めて意識した感情が一気に芽生え、ぐるぐると勇斗の中で渦を巻いた。
 勇斗は、泣き叫んだ。
 激しい訓練は何日も続き、休む暇は一日たりともなかった。その中で、勇斗を突き動かしていたのは、心の奥底から湧き上がる「悔しい」という感情だった。毎晩、落胆を感じながらも、訓練の内容を振り返り、反省点を一つ一つ洗い出しては、次に活かすために努力をした。
 今日も乾いた音が、塔の広間に木霊する。
「ぬっ」
 ガキイィィンと、ロンの剣が宙を舞い、床を転がった。
「はあぁっ!」
 勇斗の剣先が、ロンの鉄仮面をかすめた。反射的に剣を下げ、深く頭を下げた。
「上出来じゃ。ひとまず合格としよう」
 久々に聞くロンさんの優しい声に、温かさがこみ上げてきた。
「ありがとう……ございます」
 勇斗はしゃくり上げたあと、晴れやかな表情を作り出した。すがすがしい気分だった。
 その夜、小さな宴が開かれた。いつもより豪勢なミュールの手料理に舌鼓をうち、ビラードも飲んだ。
「ユートよ、ワシが教えたことは基礎中の基礎。本来ならもっと教えたいところなのじゃが。まぁ、あとは実際に魔族と戦って体で覚えていくことじゃな」
 はい、と勇斗は少し頼りなさげな声を出した。
「心配するな。ワシとの訓練で得たことは決して無駄にはならん。逃げずによう頑張った。これからの努力次第でお前は強くなれる。ワシが言うのじゃから絶対じゃ!」
 ロンが豪快に笑う。
「そうそう、じーちゃんが言うんだから間違いないって。ユート、お前はもっと自信を持てよ」
 顔を赤くしたミュールが、勇斗の肩に手を回した。酒臭さがぷんぷんとする。
「こりゃ、ミュール! お前もまだまだ未熟なんじゃから、努力せんといかんのじゃぞ!」
「わ、わかってるよ」
 ミュールが口を尖らせた。
 ロンさんに稽古をつけてもらっている裏で、ミュールが自主的に訓練していたことはランパから聞いて知っていた。声もかけられないくらい真剣だったという。
「ふぃー、もう食えねぇー」
 ランパが床で寝転がった。あっという間にいびきをかき、鼻ちょうちんを膨らませ始めた。たいへん幸せそうな顔をしている。
「こいつ、本当によく食うよな。というか、何で精霊なのにメシ食うの?」
 ミュールは椅子から手足をだらんと放り出し、怪訝そうな目でランパを見つめた。
「精霊はマナさえあれば体を維持できる。食事なんかする必要はないのじゃが」
 ランパって、普通の精霊とは違うのだろうか。味覚もあるし、怪我もするし。人間みたいだ。
「ランパ、そんなところで寝てたら風邪引くよ」
 勇斗はランパを揺すった。しかし、全く起きる気配はなかった。仕方ない、ベッドまで運んでやろう。
「ユートォ、オイラが守ってやるからなぁー。ずっと一緒だぞぉー。むにゃむにゃ」
 勇斗に抱えられたランパの口から、よだれとともに寝言が漏れた。
 翌朝、ベッドから起き上がると、激しい頭痛に襲われた。飲みすぎてしまったのか、宴の終盤の記憶がない。
 ベッドサイドの小さなテーブルの上に視線をやると、一枚の紙が置かれていた。文字が書かれている。
『準備ができたら塔の一階まで来てくれ。じーちゃんから大切な話があるらしい。あと、朝メシはキッチンに置いてあるから勝手に食べてくれよな』
 見たこともない文字で書かれてあったが、なぜか読めた。
 大切な話って何だろう?
 勇斗は立ち上がり、部屋をあとにした。