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修行

8/15





 ロンによる修行は、早朝から始まった。  まずは基礎体力作りということで、塔の一階から最上階まで繋がる螺旋階段を、何度も登り降りさせられた。すぐに呼吸が苦しくなり、涙で目が霞む。十三年間まともに運動をしたことがなかった勇斗にとって、ウォーミングアップですら過酷だった。  階段の登り降りが終了すると、ミュールがトレーナーとなり、筋力トレーニングが始まる。腕立て伏せ。腹筋運動。スクワット。今まで使ってこなかった筋肉に、次々と刺激が与えられた。  ベッドから起きると筋肉痛。激しい疲労感。正直、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。何度挫折しそうになったか分からない。しかし、ランパとミュールに鼓舞され、勇斗は歯を食いしばりながらトレーニングを続けた。  一ヶ月経つと、戦闘訓練が行われた。木の剣を使っての素振りから始まり、剣術における体の使い方や受け身の取り方などを教え込まれる。穏やかなロンの表情は、鬼のように変化していた。気づくと、手のひらは血豆だらけになっていた。  修行を開始して三ヶ月。勇斗は自分の体の変化に驚く。ひょろひょろだった体にうっすらとしなやかな筋肉がつき始め、腹筋も割れてきていた。    明日から実践に移る――ロンにそう告げられた日の夜、勇斗は月を見上げていた。 「よっ、お疲れさん」  勇斗の隣にミュールが座る。 「いやー、最初はどうなるかとハラハラしてたけど、頑張るじゃん。筋肉も大分ついてきてるし」  ミュールは勇斗の腕を触り、白い歯を見せニカっと笑った。 「ミュールとランパが応援してくれたおかげだよ」  勇斗の頬が緩んだ。 「ちょっと、一杯やらない?」  ミュールはニコニコしながら、一本の瓶と二つのコップを目の前に置いた。 「これは?」 「ビールだよ。知らないの?」 「え、いや、僕まだ子どもだしお酒は――というかミュールっていくつなの?」 「今年で十四。ユートは十三だったっけ。オレの一個下だな」 「ミュールも子どもじゃん。飲んじゃだめだよ」 「え、ユートの世界って子どもはお酒飲んじゃダメなの?」  ミュールはきょとんとした顔をしている。 「うん。お酒と煙草は二十歳から。そういう法律があるんだ」 「ふーん。この世界はそんな決まりないんだけどな。子どもだって酒飲むし、煙草だって吸える。オレは吸わないけどね」 「そ、そうなんだ」 「うん。そうなの」  ビールをコップに注ぎ、クイっと飲んだミュールは、満足そうな顔をした。 「苦く、ないの?」 「あまり苦くないよ。栄養があるし、疲れもとれる」  ミュールはビールをもう一つのコップに注ぎ、勇斗に手渡した。 「明日から実践なんだから、体温めて、ホラ」 「う、うん」  勇斗は恐る恐る、コップに口をつけ、ビールを口に入れた。  思ったほど、苦くはなかった。でも、美味しいとも感じなかった。 「な、いけるだろ?」  ちびちびと飲んでいるうちに、なんだか体がふわふわしてきた。 「そういやユート、結局魔法は使えなかったんだよな」 「うん、全然できなかった。人間なら誰でも訓練したら使えるようになるって聞いたのだけど」 「じいちゃん、頭抱えてたよな」 「僕、運動よりも勉強が得意だから、何だかショックだったなぁ」  勇斗は苦笑いした。 「まぁ、オレも魔法は使えないけどな」 「ミュールも魔法使えないの?」 「モッケ族はみんな魔法が使えないんだよ。戦闘能力に特化した種族なんだ」  ミュールは一杯目のビールを飲み干し、二杯目を注ぎはじめた。 「へぇ、そうなんだ」 「でもさ、あの大きな鹿にぶちかましたあれは何だったんだよ。魔法じゃないの?」 「分からない。ランパは精霊術だって言ってたけど。あのときは無我夢中だったからよく覚えてないや」  勇斗は一杯目のビールを飲み干した。すかさずミュールによって二杯目が注がれる。 「も、もういいよ」 「まあまあ、遠慮しない」  コップに注がれた二杯目をしばらく見つめたあと、勇斗は再びビールを口に入れた。 「精霊術が使えるって、ユートってもしかして精霊?」 「そんなわけないでしょ。僕は人間だよ」 「ははっ、冗談だって」  ミュールは勇斗の背中をポンポン叩いた。 「ところでミュールって、ロンさんのことをじいちゃんって呼んでるけど、家族なの?」 「いや、他人だよ。ケガしていたオレを助けてくれたんだ。その恩返しとして、料理とか作ってる」 「ケガって、どうしたの?」  ミュールは空になったコップを地面に置き、夜空を見上げ、フーッと息を吐いた。 「オレの故郷、魔族に襲われたんだよ。仲間は散り散り。どうなったか分からない」  ミュールの顔が曇ってきた。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。 「でも、みんな生きてると信じてる」 「う、うん」  それ以上の言葉が出てこなかった勇斗は、二杯目のビールを一気に飲み干した。とたん、睡魔に襲われてきた。頭が虚になる。 「ユート、それでな――って、寝ちゃってるし」  勇斗は三角座りをしながらスヤスヤ寝息を立てていた。 「しょうがないな」  勇斗を背負ったミュールは、小屋へと歩を進める。 「ガロ――」  ミュールはボソリと呟いた。  翌日は寝過ごしてしまった。二日酔い。勇斗にとって、はじめての経験だった。  ロンに叱られた勇斗は慌てて準備をした。実践ということで、実際に鎧を身につけて行うらしい。  久々に伝説の武具を纏った勇斗は、安心感を覚えた。しっくりくる感じ。まるで鎧と一体になったようだ。  塔の中階層にある広間では、完全武装したロンが待っていた。鉄仮面を被り、体は重厚な鎧で覆われていた。手に持つ大きな剣の先端が、鋭く光る。 「戦闘では、相手の動きをよく観察することが重要じゃ。さぁ、構えよ」 「は、はい」  勇斗は震える手で鞘から剣を抜き、構えた。 「ゆくぞ」  剣と剣がぶつかり合う音が響き渡る。 「基本の型を忘れるな!」 「は、はいっ」 「動きをよく読め!」 「うわあぁっ」 「力ずくじゃ剣術とは呼べんぞ!」 「ぎゃああっ」  ガシャンと金属が床にぶつかる音。怒号。叫び。様々な音が、長い時間、広間に響いていた―― 「どうした? そんなのでは元の世界には帰れぬぞ!」  片膝をつき、荒い息を吐き続ける勇斗に対して、ロンは厳しい言葉を浴びせる。 「弱い、弱すぎるっ! アルトはもっと強かったぞ!」 「うぅ」 「腰抜けめ、お主はアルトの足元にも及ばんな。所詮、温室育ちのお坊ちゃんかよ」  勇斗の頭の中で、糸が切れた。  何だよ、アルト、アルトって。僕は、僕は―― 「う、うおおおおおおっ」  これまで出したことのない叫び声をあげた勇斗は、ロンに向かって突進した。  剣が空振る。刹那、空気を鋭く切り裂く音が轟く。目の前にいたロンの姿がフッと消えた。 「お主、今、死んだぞ?」  刃が、勇斗の首筋ギリギリのところで止められていた。 「あ、う――」  勇斗はカシャンとその場にへたり込んでしまった。 「我を忘れるな。常に冷静でいろ。一瞬の隙が命取りとなる。魔族を相手にするときも同じじゃぞ」  言葉を返せなかった。死の恐怖。魔族に襲われた場面がフラッシュバックする。 「――今日はここまでにしようかの。続きはまた明日じゃ」  ロンは剣を鞘に納め、階段を登っていった。 「あ、うぅ、あぐっ、くそっ、くそぅ」  屈辱感、怒り、無力感――初めて意識した感情が一気に芽生え、ぐるぐると勇斗の中で渦を巻いた。 「うわああああああああああっ」  広間に、けたたましい泣き声が響き渡った。  実践訓練は一ヶ月続いた。今日も乾いた音が、広間に木霊する。 「ぬっ」  ガキイィィンと、ロンの剣が宙を舞い、地面を転がった。 「はあぁっ」  勇斗の剣先が、ロンの鉄仮面をコツンとした。 「あ、あぁっ、ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか」  慌てて剣を下げる。 「ホッホ、大丈夫じゃよ。上出来じゃ」  鉄仮面の下から、優しい声が聞こえてきた。 「ユートー! やったなーっ!」  観戦していたランパが勇斗に飛びつく。 「まさか、ここまでやるとはなー。驚いたよ」  ミュールは白い歯をこぼし、サムズアップをする。 「本当に頑張ったの」  ボーッとしている勇斗の頭に、ポンと手が置かれる。 「ロン、さん――」  瞳に涙がたまる。 「あ、ありがとぅ、ございます」  勇斗はひっくひっくした後、晴れやかな表情を作り出した。  「ホッホ、それじゃあ食事にするかの。ミュール、頼んだぞ。酒もたんまりとな」 「オイラ蜂蜜酒がいいー!」    その夜、勇斗はミュールの手作り料理を堪能した。少し抵抗があったビールもゴクゴク飲めるようになっていた。 「ユート、いい飲みっぷりすんじゃん」  ミュールがコップ片手に、手を勇斗の肩に回す。 「まだ美味しさは分からないけどね」  勇斗は三杯目のビールを飲み干し、ゲップをした。 「グオーっ」 「あのチビ、ほんとうるさいな」  ミュールは視線をランパに向けた。  ランパは顔を真っ赤にし、大きなイビキをかいて床で大の字になっている。 「精霊も酔っ払うんだな。初めて見たよ」 「ランパって、不思議な精霊だよね」 「よく食うし、まるで人間みたいだよな」 「そうだね」  勇斗は厚めの布をランパに被せた。 「ふあぁ、眠くなってきた」  勇斗は腕で目をこする。 「そろそろお開きにするかの」  おぼつかない足取りで部屋に戻った勇斗はベッドに倒れこみ、すぐ深い眠りについた。 「おーい、起きんかい!」  ごつんと、ロンの杖が勇斗の額に激突した。 「ふえぇ、ロン、さん? 訓練は終わったんじゃ――」 「誰があれで最後と言った。仕上げじゃ。ついてきなさい」  二日酔いの勇斗はフラフラと、部屋を出た。  朝日が眩しい。  見張りの塔の最上階から見える空は、清々しい青色で、雲ひとつなかった。 「よっ、おはよう」  ミュールが手を振っている。その横ではランパがあくびをしていた。 「仕上げって、何ですか?」 「あれを見なさい」  ロンが指差す先を見下ろす。森の一角に存在する、荒れ果てた地帯が目に入った。灰色の煙がもくもくと立ち昇っている。 「魔族の棲家じゃ。あそこにいる魔族を全て倒してもらう」 「全てって、どれくらいいるのですか?」 「うーむ、ざっと百匹くらいかの。前は大人しかったんじゃが、最近活発になっていての。森の動物たちがいい迷惑をしとるんじゃよ」  ロンが長い髭をさすりながら、勇斗に目線を合わせた。 「百匹!?」 「なぁに、威張ってるばかりで、大したことはない。苦戦はせんよ。日が暮れるまでには片付くじゃろ」  ニヤリと、ロンは笑みを浮かべた。 「僕、一人で、ですか?」  勇斗はおずおずと、聞いた。 「いいや、三人で討伐に向かってもらう。協力して戦うのじゃ」 「三人?」  勇斗はランパとミュールの顔を見た。ランパはよだれを垂らし、立ちながら寝ている。一方、ミュールは尻尾をだらんと下げ、きょとんとした顔をしていた。 「じいちゃん、オ、オレも行くの?」 「勿論じゃ。ユートをしっかりとサポートしてやりなさい。お主にもいい訓練になるじゃろ」 「わ、わかったよ」 「それじゃあ、支度ができたら一階まで降りてきなさい」  ロンはゆっくりと、階段を降りていった。 「ど、どうしよう」 「大丈夫。できるよ。頑張ろう!」 「う、うん」  勇斗は震える手を、ぎゅっと握りしめた。



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 ロンによる修行は、早朝から始まった。  まずは基礎体力作りということで、塔の一階から最上階まで繋がる螺旋階段を、何度も登り降りさせられた。すぐに呼吸が苦しくなり、涙で目が霞む。十三年間まともに運動をしたことがなかった勇斗にとって、ウォーミングアップですら過酷だった。  階段の登り降りが終了すると、ミュールがトレーナーとなり、筋力トレーニングが始まる。腕立て伏せ。腹筋運動。スクワット。今まで使ってこなかった筋肉に、次々と刺激が与えられた。  ベッドから起きると筋肉痛。激しい疲労感。正直、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。何度挫折しそうになったか分からない。しかし、ランパとミュールに鼓舞され、勇斗は歯を食いしばりながらトレーニングを続けた。  一ヶ月経つと、戦闘訓練が行われた。木の剣を使っての素振りから始まり、剣術における体の使い方や受け身の取り方などを教え込まれる。穏やかなロンの表情は、鬼のように変化していた。気づくと、手のひらは血豆だらけになっていた。  修行を開始して三ヶ月。勇斗は自分の体の変化に驚く。ひょろひょろだった体にうっすらとしなやかな筋肉がつき始め、腹筋も割れてきていた。    明日から実践に移る――ロンにそう告げられた日の夜、勇斗は月を見上げていた。 「よっ、お疲れさん」  勇斗の隣にミュールが座る。 「いやー、最初はどうなるかとハラハラしてたけど、頑張るじゃん。筋肉も大分ついてきてるし」  ミュールは勇斗の腕を触り、白い歯を見せニカっと笑った。 「ミュールとランパが応援してくれたおかげだよ」  勇斗の頬が緩んだ。 「ちょっと、一杯やらない?」  ミュールはニコニコしながら、一本の瓶と二つのコップを目の前に置いた。 「これは?」 「ビールだよ。知らないの?」 「え、いや、僕まだ子どもだしお酒は――というかミュールっていくつなの?」 「今年で十四。ユートは十三だったっけ。オレの一個下だな」 「ミュールも子どもじゃん。飲んじゃだめだよ」 「え、ユートの世界って子どもはお酒飲んじゃダメなの?」  ミュールはきょとんとした顔をしている。 「うん。お酒と煙草は二十歳から。そういう法律があるんだ」 「ふーん。この世界はそんな決まりないんだけどな。子どもだって酒飲むし、煙草だって吸える。オレは吸わないけどね」 「そ、そうなんだ」 「うん。そうなの」  ビールをコップに注ぎ、クイっと飲んだミュールは、満足そうな顔をした。 「苦く、ないの?」 「あまり苦くないよ。栄養があるし、疲れもとれる」  ミュールはビールをもう一つのコップに注ぎ、勇斗に手渡した。 「明日から実践なんだから、体温めて、ホラ」 「う、うん」  勇斗は恐る恐る、コップに口をつけ、ビールを口に入れた。  思ったほど、苦くはなかった。でも、美味しいとも感じなかった。 「な、いけるだろ?」  ちびちびと飲んでいるうちに、なんだか体がふわふわしてきた。 「そういやユート、結局魔法は使えなかったんだよな」 「うん、全然できなかった。人間なら誰でも訓練したら使えるようになるって聞いたのだけど」 「じいちゃん、頭抱えてたよな」 「僕、運動よりも勉強が得意だから、何だかショックだったなぁ」  勇斗は苦笑いした。 「まぁ、オレも魔法は使えないけどな」 「ミュールも魔法使えないの?」 「モッケ族はみんな魔法が使えないんだよ。戦闘能力に特化した種族なんだ」  ミュールは一杯目のビールを飲み干し、二杯目を注ぎはじめた。 「へぇ、そうなんだ」 「でもさ、あの大きな鹿にぶちかましたあれは何だったんだよ。魔法じゃないの?」 「分からない。ランパは精霊術だって言ってたけど。あのときは無我夢中だったからよく覚えてないや」  勇斗は一杯目のビールを飲み干した。すかさずミュールによって二杯目が注がれる。 「も、もういいよ」 「まあまあ、遠慮しない」  コップに注がれた二杯目をしばらく見つめたあと、勇斗は再びビールを口に入れた。 「精霊術が使えるって、ユートってもしかして精霊?」 「そんなわけないでしょ。僕は人間だよ」 「ははっ、冗談だって」  ミュールは勇斗の背中をポンポン叩いた。 「ところでミュールって、ロンさんのことをじいちゃんって呼んでるけど、家族なの?」 「いや、他人だよ。ケガしていたオレを助けてくれたんだ。その恩返しとして、料理とか作ってる」 「ケガって、どうしたの?」  ミュールは空になったコップを地面に置き、夜空を見上げ、フーッと息を吐いた。 「オレの故郷、魔族に襲われたんだよ。仲間は散り散り。どうなったか分からない」  ミュールの顔が曇ってきた。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。 「でも、みんな生きてると信じてる」 「う、うん」  それ以上の言葉が出てこなかった勇斗は、二杯目のビールを一気に飲み干した。とたん、睡魔に襲われてきた。頭が虚になる。 「ユート、それでな――って、寝ちゃってるし」  勇斗は三角座りをしながらスヤスヤ寝息を立てていた。 「しょうがないな」  勇斗を背負ったミュールは、小屋へと歩を進める。 「ガロ――」  ミュールはボソリと呟いた。  翌日は寝過ごしてしまった。二日酔い。勇斗にとって、はじめての経験だった。  ロンに叱られた勇斗は慌てて準備をした。実践ということで、実際に鎧を身につけて行うらしい。  久々に伝説の武具を纏った勇斗は、安心感を覚えた。しっくりくる感じ。まるで鎧と一体になったようだ。  塔の中階層にある広間では、完全武装したロンが待っていた。鉄仮面を被り、体は重厚な鎧で覆われていた。手に持つ大きな剣の先端が、鋭く光る。 「戦闘では、相手の動きをよく観察することが重要じゃ。さぁ、構えよ」 「は、はい」  勇斗は震える手で鞘から剣を抜き、構えた。 「ゆくぞ」  剣と剣がぶつかり合う音が響き渡る。 「基本の型を忘れるな!」 「は、はいっ」 「動きをよく読め!」 「うわあぁっ」 「力ずくじゃ剣術とは呼べんぞ!」 「ぎゃああっ」  ガシャンと金属が床にぶつかる音。怒号。叫び。様々な音が、長い時間、広間に響いていた―― 「どうした? そんなのでは元の世界には帰れぬぞ!」  片膝をつき、荒い息を吐き続ける勇斗に対して、ロンは厳しい言葉を浴びせる。 「弱い、弱すぎるっ! アルトはもっと強かったぞ!」 「うぅ」 「腰抜けめ、お主はアルトの足元にも及ばんな。所詮、温室育ちのお坊ちゃんかよ」  勇斗の頭の中で、糸が切れた。  何だよ、アルト、アルトって。僕は、僕は―― 「う、うおおおおおおっ」  これまで出したことのない叫び声をあげた勇斗は、ロンに向かって突進した。  剣が空振る。刹那、空気を鋭く切り裂く音が轟く。目の前にいたロンの姿がフッと消えた。 「お主、今、死んだぞ?」  刃が、勇斗の首筋ギリギリのところで止められていた。 「あ、う――」  勇斗はカシャンとその場にへたり込んでしまった。 「我を忘れるな。常に冷静でいろ。一瞬の隙が命取りとなる。魔族を相手にするときも同じじゃぞ」  言葉を返せなかった。死の恐怖。魔族に襲われた場面がフラッシュバックする。 「――今日はここまでにしようかの。続きはまた明日じゃ」  ロンは剣を鞘に納め、階段を登っていった。 「あ、うぅ、あぐっ、くそっ、くそぅ」  屈辱感、怒り、無力感――初めて意識した感情が一気に芽生え、ぐるぐると勇斗の中で渦を巻いた。 「うわああああああああああっ」  広間に、けたたましい泣き声が響き渡った。  実践訓練は一ヶ月続いた。今日も乾いた音が、広間に木霊する。 「ぬっ」  ガキイィィンと、ロンの剣が宙を舞い、地面を転がった。 「はあぁっ」  勇斗の剣先が、ロンの鉄仮面をコツンとした。 「あ、あぁっ、ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか」  慌てて剣を下げる。 「ホッホ、大丈夫じゃよ。上出来じゃ」  鉄仮面の下から、優しい声が聞こえてきた。 「ユートー! やったなーっ!」  観戦していたランパが勇斗に飛びつく。 「まさか、ここまでやるとはなー。驚いたよ」  ミュールは白い歯をこぼし、サムズアップをする。 「本当に頑張ったの」  ボーッとしている勇斗の頭に、ポンと手が置かれる。 「ロン、さん――」  瞳に涙がたまる。 「あ、ありがとぅ、ございます」  勇斗はひっくひっくした後、晴れやかな表情を作り出した。  「ホッホ、それじゃあ食事にするかの。ミュール、頼んだぞ。酒もたんまりとな」 「オイラ蜂蜜酒がいいー!」    その夜、勇斗はミュールの手作り料理を堪能した。少し抵抗があったビールもゴクゴク飲めるようになっていた。 「ユート、いい飲みっぷりすんじゃん」  ミュールがコップ片手に、手を勇斗の肩に回す。 「まだ美味しさは分からないけどね」  勇斗は三杯目のビールを飲み干し、ゲップをした。 「グオーっ」 「あのチビ、ほんとうるさいな」  ミュールは視線をランパに向けた。  ランパは顔を真っ赤にし、大きなイビキをかいて床で大の字になっている。 「精霊も酔っ払うんだな。初めて見たよ」 「ランパって、不思議な精霊だよね」 「よく食うし、まるで人間みたいだよな」 「そうだね」  勇斗は厚めの布をランパに被せた。 「ふあぁ、眠くなってきた」  勇斗は腕で目をこする。 「そろそろお開きにするかの」  おぼつかない足取りで部屋に戻った勇斗はベッドに倒れこみ、すぐ深い眠りについた。 「おーい、起きんかい!」  ごつんと、ロンの杖が勇斗の額に激突した。 「ふえぇ、ロン、さん? 訓練は終わったんじゃ――」 「誰があれで最後と言った。仕上げじゃ。ついてきなさい」  二日酔いの勇斗はフラフラと、部屋を出た。  朝日が眩しい。  見張りの塔の最上階から見える空は、清々しい青色で、雲ひとつなかった。 「よっ、おはよう」  ミュールが手を振っている。その横ではランパがあくびをしていた。 「仕上げって、何ですか?」 「あれを見なさい」  ロンが指差す先を見下ろす。森の一角に存在する、荒れ果てた地帯が目に入った。灰色の煙がもくもくと立ち昇っている。 「魔族の棲家じゃ。あそこにいる魔族を全て倒してもらう」 「全てって、どれくらいいるのですか?」 「うーむ、ざっと百匹くらいかの。前は大人しかったんじゃが、最近活発になっていての。森の動物たちがいい迷惑をしとるんじゃよ」  ロンが長い髭をさすりながら、勇斗に目線を合わせた。 「百匹!?」 「なぁに、威張ってるばかりで、大したことはない。苦戦はせんよ。日が暮れるまでには片付くじゃろ」  ニヤリと、ロンは笑みを浮かべた。 「僕、一人で、ですか?」  勇斗はおずおずと、聞いた。 「いいや、三人で討伐に向かってもらう。協力して戦うのじゃ」 「三人?」  勇斗はランパとミュールの顔を見た。ランパはよだれを垂らし、立ちながら寝ている。一方、ミュールは尻尾をだらんと下げ、きょとんとした顔をしていた。 「じいちゃん、オ、オレも行くの?」 「勿論じゃ。ユートをしっかりとサポートしてやりなさい。お主にもいい訓練になるじゃろ」 「わ、わかったよ」 「それじゃあ、支度ができたら一階まで降りてきなさい」  ロンはゆっくりと、階段を降りていった。 「ど、どうしよう」 「大丈夫。できるよ。頑張ろう!」 「う、うん」  勇斗は震える手を、ぎゅっと握りしめた。



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