森の中で、勇斗たちは魔族の群れに囲まれていた。
「ユート、そっちいったぞー!」
ランパの声に、勇斗は聖剣クトネシスをしっかりと握り直した。
一匹のウサギが、勇斗目掛けて跳ねてきていた。目の前のウサギは、普通のウサギより図体が大きく、額に黒い螺旋状の角が生えている。脇には大きな人参が抱えられていた。
ウサギは、赤い目で勇斗を睨んだ。
剣が小刻みに震える。ロンさんとの稽古では臆することなく剣を振ることができたのに、いざ魔族を目の前にすると、思うように体が動かない。
「ぼさっとするな! やられるぞ!」
ミュールの怒声が飛んできた。
ウサギが跳び上がり、両手で持った人参を勇斗目掛けて振り下ろしてきた。慌てて剣で受け止める。金属音が鳴った。
勇斗は間合いを取り、ウサギを凝視する。ロンさんが言っていた言葉を思い出す。相手の動きをよく見ること――
ウサギが再び跳んだ。人参が当たる寸前、勇斗は足に力を入れ、身体を横に移動させた。人参が地面に深く突き刺さる。ウサギは甲高い声を上げながら、じたばたと両脚を動かしていた。
今だ。勇斗は剣を振り下ろした。刃がウサギの肉体に深々と入り込む。嫌な感覚。黒い液体が飛び散り、耳をつんざくような悲鳴が森の中に響き渡った。自分の鼓動が速まるのを自覚した。
死体はできれば見たくない。勇斗は目を瞑り、心の中で「ごめんなさい」と呟き、ウサギから背を向けた。
「ユート、後ろ! 危ねぇ!」
ランパが叫んだ。振りむくと、大きな口を開けたウサギが跳んできていた。勇斗の首元に、鋭い牙が迫り来る。
重心が後ろに傾く。ランパが勇斗のマントを思い切り引っ張っていた。
直後、ミュールの拳が、ウサギを叩き落とした。地面に転がったウサギは、頭部が粉々に粉砕されていた。
ミュールが荒い息を吐いていた。彼の腕に装着された爪付きガントレットの先からは、黒い液体が滴り落ちている。
勇斗は状況をうまく飲み込めないでいた。
「お前、オレとチビスケがいなかったら死んでたぞ? 最後まで気を抜くな。魔族との戦いは殺すか殺されるかなんだ」
恐ろしいほどの剣幕をしたミュールは、低い声を発したあと、ぎりぎりと歯軋りをした。尻尾がピンと逆立っている。
「ご、ごめん」
勇斗がしゅんとして呟くと、ミュールは天を見上げた。
「悪い。ちょっとキツイ言い方しちゃった」
ミュールは唖然とうなだれた。尻尾もだらんと下がる。
「行こう、もうすぐ森を抜ける」
大きなリュックを担いだミュールは、ゆっくりと歩き出した。
あんなに怒ったミュールの顔を見るのは初めてだ。怖かった。でも、彼がいなかったら、今頃首を食いちぎられていて死んでいただろう。思えば、この世界に来てから助けられてばっかりだ。なんともきまりが悪い。
勇斗は、よろよろと木の幹に寄りかかった。
森を抜けると、一気に視界が開けた。
「わあっ」
どこまでも続くような緑の海に、勇斗は目を奪われた。ブルースカイの空。遠くには山のシルエットがぼんやりと浮かぶ。駆け抜ける爽やかな風で、草花が波打っている。
「あの道をずーっとまっすぐ行って、山を越えたらソレイン王国だ」
ミュールは地図と羅針盤を交互に眺めたあと、地平線の彼方に向けて真っ直ぐ伸びる街道を指差した。
「山を越える前に、北へ進む。そしたらセク砂漠だ。中央にホルタっていう交易都市がある。そこで情報を集めよう」
「どれくらい歩けば着くのかな」
「んー、歩くなら四日か五日はかかりそう」
「そんなにも!?」
勇斗の眉が吊り上がった。
「マンウーがいたら話は変わるんだがな」
マンウーとは、首が長い四足歩行の動物のことだとミュールが話してくれた。背中に人を乗せたり、キャビンを引くのが得意だという。この世界ではメジャーな乗り物らしい。勇斗の頭の中で、馬が想像された。
「野生も見当たらないし、町や村で借りるしかないね」
「そ、そうなんだ」
勇斗は肩を落としたあと、果てしなく伸びる街道を見つめた。
「ま、ゆっくり行こうぜ。水はオイラの精霊術で作れるし、メシはワンコがなんとかしてくれるだろ」
「誰がワンコだ」
「お前もオイラのことチビチビっていつも言ってるだろー! 犬っぽいからワンコ! それだけだ!」
ランパとミュールが睨み合った。勇斗は慌てて二人をなだめた。
勇斗たちは、道中襲ってくる魔族を退治しつつ、街道をひたすら歩いていた。
今日も野宿だろうか。勇斗にとって野宿は初めての経験だった。テントなんてものはなく、薄い布だけを被り、地面で横になる。いつ魔族に襲われるかわからないので、三人で交代しながら見張りをする。常に緊張感が漂っていた。熟睡はできなかった。
森を抜けて三日。勇斗は布団が恋しくなってきた。
「この辺に村とかないの?」
「少し行ったところにキーナっていう小さな村があるみたい。あそこの分かれ道を左だ」
ミュールは、丘の下に見える街道の分岐点を指差した。
勇斗たちは丘を下った。
「まったく、あの雑魚どもめ」
「アイツら、頭、悪い」
「は、はやく片付けるっス」
分岐点には三人の人間がいた。女と男と少年。軽く会釈をして通り過ぎようと思ったが、周辺に散らばった荷物を見て足を止めた。どうしたのだろう。事故?
「何見てるのよ」
爬虫類のような目をした女に睨まれた。肩が跳ねる。傍にいたスキンヘッドの大男には無言で見つめられた。何かを押し付けられるような感覚に縛られる。
すみません、とささやく程度の声を出し、その場を立ち去ろうとした時、一人の少年が声をかけてきた。
「お兄さんたち、旅の方っスか?」
額に包帯をバンダナのように巻いた少年が、無造作なアッシュグレーの髪を触りながら近づいてきた。身長は勇斗と同じくらいか、少し高い。フード付きの大きなベージュのコートの先端は鳥の羽のようになっていて、風でひらひらとなびいている。
「ちょっと手伝ってほしいんス」
浮かない顔をした少年が、勇斗の顔を見つめた。
「自分たち、マンウーで荷物を運んでたんスけど、急に魔族に襲われちゃったんス。キャビンはひっくり返り、マンウーも逃げちゃって」
「おい、余計なこと喋るんじゃないよ」
女が眉間にシワを寄せながら、少年の髪の毛を掴んだ。
「で、でも」
少年がおろおろと体を動かした。
「悪いね。これはアタシたちの問題だから、気を使わなくてもいい」
「す、すみません」
勇斗の呼吸が少しばかり浅くなった。
「わかったならサッサと行きな」
女が鼻を鳴らした。爬虫類のような目は相変わらずだった。
「それにしてもお兄さん、豪華な鎧着てるっスね。頭につけているサークレットも綺麗だ。それ、どこで買ったんスか?」
少年が、勇斗が身にまとっている鎧をまじまじと見つめた。
「そうね、剣の装飾も豪華。高く売れそう」
女の口角が徐々に上がる。
「えっと、これは……」
「おい、ユート! チビスケどこ行った?」
勇斗の声を遮るように、ミュールが大きな声を出した。
「え、あれ?」
辺りを見回す。ランパの姿がどこにもなかった。
「おい、小僧が、荷物を漁っている」
無口だった大男が喋った。太く、低い声。
「はあっ!?」
大男の声に反応した女は血相を変える。少年を片手で突き飛ばし、横倒しになったキャビンに向かって走り出した。
「ちょっとアンタ、商売道具に手を出すんじゃないよ!」
「このでっかい箱、何が入ってんだー? 食いもんかー?」
「何も入ってないわよ。早く出ていきなさい!」
「うるさいオバサンだなー」
キャビンの中から、ランパと女が言い合っている声が聞こえる。
「ランパ、どうしたの?」
中を覗くと、大きな木箱の上にランパがあぐらをかいて座っていた。
「ちょっと、ごめんよ」
ミュールはひょいとキャビンの中に入り込み、木箱をランパごと外に引き出した。
「この箱の中は、見られたくないもんでも入ってるのかな?」
「……ただのガラクタよ」
女が気まずそうな顔をした。
「でも、この中から生き物の匂いがするんだけどな」
ミュールの鼻が箱に近づく。
「開けるぞ。おい、チビスケ、どいてくれ」
ミュールは箱を開けた。
箱に入っていたのは、一人の少女だった。顔が青白くやつれ、霞色をした長い髪は乱れている。服は着ていなかった。
「そういやじーちゃんが言ってたな。最近王国の近辺で人拐いが流行してるって」
ミュールは少女を外に出し、体に薄い布を被せた。
「大丈夫、生きてる」
「ちょっと! 自分、こんなの、聞いてないっス!」
少年は、震えながら叫んだ。
「バレちゃしょうがないね。殺す。チカップ、やっちゃいな」
「い、いやっス! 自分は人殺しなんてできないっス!」
チカップと呼ばれた少年が、バタバタと慌てふためいた。
「やれって言ってんだろ! それとも金が欲しくないのかい?」
女は、チカップを鋭い目で睨みつけた。
「逆らうと、アンタから殺すよ?」
「は、はいっス」
チカップは、コートの内側からオーロラのように輝く羽ペンを取り出した。
「ううっ」
チカップの手に握られている羽ペンが小刻みに震える。
「はやくやりなッ!」
「は、はいっ!」
チカップは羽ペンを宙で踊らせた。まるで透明なキャンバスに描くように、サラサラと空中に模様が浮かび上がっていく。
鮮やかな赤い魔法陣の中央から、サッカーボールほどの大きさを持つ三つの火の玉が現れた。
「これは、魔法!?」
「お兄さんたち、ごめんなさいっス。自分、死にたくないんで」
三つの火の玉が、高速回転をしながら発射された。熱風が顔面に襲いかかってくる。勇斗は目を瞑った。これは、避けられない。――そう、思ってしまった。
勇斗の頭上を、一つの火の玉が通り過ぎた。チリチリと髪が少し焦げる。
「あれ?」
残り二つの火の玉は、軌道を大きく逸らし、女と大男にそれぞれ命中した。
一瞬、理解が追いつかなかった。
「ぎゃああああああぁっ!」
女性と大男が火だるまと化す。
「ああーっ、またやっちゃったっス」
チカップは口もとに手を当てたあと、頭を抱えてうずくまった。
「グギャアァァッ! ヨクモ、ヨクモォ!」
おぞましい咆哮。炎の中から、人間ではないものが姿を現した。赤黒い鱗を持つ大トカゲと、青い体毛を生やしたクマのような怪物だった。
「ホォッ、魔族!?」
チカップの口が、あんぐりと開いた。
「魔族が、人間に化けてた!?」
「キサマラ、ミナゴロシダ」
二匹の魔族が襲いかかってくる。勇斗は鞘に手をかけた。
勇斗が剣を抜くより速く、ミュールが動いていた。回し蹴りでトカゲの胴体を真っ二つに割ったあと、素早く腰を落とし、クマに掌底を放った。クマの腹部に大穴が開き、黒い血が弾けた。
二匹の魔族は短い悲鳴を上げ、消滅した。あっという間の出来事だった。
ミュールは軽く息を吐いたあと、地面に座り込んでいるチカップの元へと歩み寄った。
「お前も魔族か?」
ミュールは、黒く汚れた両腕のガントレットをカチカチと鳴らし、冷ややかな目でチカップを見下した。
「自分は……」
体の後ろへ回したチカップの左腕が、小刻みに動く。
「ミュール、やめて!」
勇斗の声を無視したミュールが、肘を思い切り引いた。
「自分は魔族じゃねーっス!」
チカップが叫んだ瞬間、視界が一瞬にして白に染まった。目を閉じても、まぶたの裏側に焼き付いた白い光は消えることなく、視界を埋め尽くす。耳鳴りもひどい。周囲の状況がつかめない。
「な、何だこれ」
ようやく周囲の音や光が正常に戻り始めた頃には、チカップの姿はなかった。
「逃げやがったか」
ミュールは周囲を見回したあと、舌打ちをした。
地面に、白い羽が散らばっていた。
「そうだ、あの女の子」
勇斗は、倒れている少女の元へと向かった。
「とりあえず、キーナっていう村に運ぼうぜ。ユート、ごめんだけどその子背負ってくれない? オレはリュックがあるから」
ミュールが、少女を目で指した。
裸の女の子を背負う?
勇斗の首もとがさわさわした。
勇斗は、薄い布を体に巻き付けた少女を背負いながら歩いていた。しばらくすると、木の柵で囲われた小さな村が見えてきた。入り口の左側には石造りの砦が堂々と立っている。二階の窓からは、青髪の少年がひょこっと顔を覗かせていた。
「す、すみません」
勇斗は息を切らしながら、村の入り口に立っている槍を持った中年の男に声をかけた。
「こんな辺境の村に、何の用かな?」
「ちょっと、助けて欲しいのです」
勇斗が説明を始めようとしたとき、砦から老女が出てきた。
「団長さん。トンキが慌ててましたけど、何かありました――えっ?」
老女は勇斗を見据える。しばらくの沈黙のあと、唇を震わせた。
「アルト?」