謎の少女
ー/ー 森を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
どこまでも草原が続いていた。青く澄んだ空の下、草花が風に揺れている。遠くには山並みがぼんやりと浮かんでいた。
「あの道の先がソレイン王国だ」
ミュールは地図と羅針盤を見比べながら、地平線の彼方へまっすぐ伸びる街道を指さした。
「でも、その前に北へ向かう。セク砂漠の交易都市ホルタで情報を集めよう」
「どれくらい歩けば着くのかな」
「歩きなら四日か五日ってとこだな」
「そんなにも!?」
勇斗の眉がつり上がった。
「マンウーがいれば話は変わるんだがな」
マンウーは、この世界でよく使われる乗り物らしかった。背に人を乗せたり、キャビンを引いたりするという。勇斗は、なんとなく馬に近いものを思い浮かべた。
「野生も見当たらないし、町か村で借りるしかないね」
「そ、そうなんだ」
勇斗は果てしなく続く街道を見つめ、ため息を漏らした。
「ま、ゆっくり行こうぜ。水はオイラの精霊術で作れるし、メシはワンコがなんとかしてくれるだろ」
「誰がワンコだ」
「お前だって、いつもオイラのことチビチビ言ってるだろー! 犬っぽいからワンコ! それだけだ!」
ランパとミュールが睨み合う。勇斗は慌てて二人の間に入った。
その夜も野宿だった。薄い布をかぶって地面に横になり、交代で見張りをする。熟睡などできるはずもない。
森を抜けて三日。勇斗は布団が恋しくなっていた。
「この辺に村とかないの?」
「少し行ったところにキーナっていう小さな村があるみたい。あそこの分かれ道を左だ」
ミュールは丘の下に見える街道の分岐点を指さした。
勇斗たちは丘を下った。
「まったく、あの雑魚どもめ」
「アイツら、頭、悪い」
「は、はやく片付けるっス」
分岐点には三人の人間がいた。女と大男、それに少年。
荷物が散らばっていた。事故かと思ったが、近づくほど妙だった。三人とも、妙に張りつめた空気をまとっていた。
軽く会釈して通り過ぎようとした、そのときだった。
「何見てるのよ」
爬虫類のような目をした女に睨まれ、勇斗の肩がびくっと跳ねた。
そばにいたスキンヘッドの大男は、瞬きひとつせず勇斗を見ていた。何かに押さえつけられるような感覚に、体が強張った。
「すみません」
勇斗は小さく謝り、その場を離れようとした。
「お兄さんたち、旅の方っスか?」
一人の少年が近づいてきた。
額に包帯を巻いた少年だった。無造作なアッシュグレーの髪に、大きなベージュのコート。年は勇斗とそう変わらなさそうだった。
「ちょっと手伝ってほしいんス」
少年は困ったような顔で勇斗を見つめた。
「自分たち、マンウーで荷を運んでたんスけど、急に魔族に襲われたんス。キャビンはひっくり返るし、マンウーも逃げちゃって」
「おい、余計なこと喋るんじゃないよ」
女が眉間にしわを寄せ、少年の髪を掴んだ。
「で、でも」
少年はおろおろと身をよじった。
「悪いね。これはアタシたちの問題だから、気を使わなくてもいい」
「す、すみません」
勇斗の呼吸が浅くなる。
「わかったなら、さっさと行きな」
女が鼻を鳴らした。
「それにしても、お兄さん、立派な鎧っスね。頭につけてるサークレットも綺麗だ。それ、どこで手に入れたんスか?」
少年が勇斗の鎧をまじまじと見つめた。
「そうね。剣も鎧も、ずいぶん立派だこと」
「えっと、これは……」
「おい、ユート! チビスケ、どこ行った?」
ミュールの大声が勇斗の言葉を遮った。
「え、あれ?」
辺りを見回す。ランパの姿がどこにもなかった。
「おい、小僧がキャビンを漁っている」
無口だった大男が口を開いた。太く、低い声だった。
「はあっ?」
女の顔色が変わる。少年を片手で突き飛ばし、横倒しになったキャビンへ駆け出した。
「ちょっとアンタ、商売道具に手を出すんじゃないよ!」
「この箱、何が入ってんだー?」
キャビンの中からランパの声が響いた。
「何も入ってないわよ! 早く出ていきなさい!」
「怪しいなー」
「ランパ、どうしたの?」
中をのぞくと、大きな木箱の上にランパがあぐらをかいて座っていた。
「ちょっと、ごめんよ」
ミュールはひょいとキャビンの中に入り込み、木箱をランパごと外へ引きずり出した。
「この箱の中、見られたくないもんでも入ってるのか?」
「……ただのガラクタよ」
女の顔がわずかに引きつった。
「でも、この中から生き物の匂いがするんだけどな」
ミュールが箱に顔を近づけ、鼻をくんくんさせた。
「開けるぞ。チビスケ、どいてくれ」
ミュールは木箱の蓋を開けた。
箱の中には、少女が押し込められていた。
顔は青白くやつれ、霞色の長い髪は乱れていた。何も身につけていない。
「そういや、じーちゃんが言ってたな。最近、王国の近辺で人攫いが流行してるって」
ミュールは少女を抱き上げ、薄い布をかけた。
「大丈夫、生きてる」
「ちょっと! 自分、こんなの聞いてないっス!」
少年の声が裏返った。
「バレちゃしょうがないね。殺す。チカップ、やっちゃいな」
「い、いやっス! 自分は人殺しなんてできないっス!」
「やれって言ってんだろ! それとも金が欲しくないのかい?」
女は鋭い目で少年――チカップを睨みつけた。
「逆らうとアンタから殺すよ?」
「は、はいっス」
チカップはコートの内側から、オーロラのように輝く羽ペンを取り出した。その手はひどく震えていた。
「早くやりな!」
「は、はいっ!」
チカップは羽ペンを走らせた。空中に赤い魔法陣が浮かび、中央から三つの火の玉が現れた。
「これは魔法!?」
「お兄さんたち、ごめんなさいっス。自分、死にたくないんで」
三つの火の玉が高速で放たれた。
熱風が顔に迫る。勇斗は反射的に剣へ手を伸ばした。だが遅い。避けられない――そう思った。
一つの火の玉が勇斗の頭上をかすめて飛び去った。ちり、と髪の先が焦げた。
「あれ?」
残る二つは大きく軌道を逸らし、女と大男に命中した。
「ぎゃああああぁっ!」
二人は火だるまと化した。
「あ……また、ズレたっス」
チカップは口元を押さえ、青ざめた。
「グギャアァァッ! ヨクモヨクモォ!」
炎の中から、人ではないものが姿を現した。
二本脚で立つ巨大なイグアナと、青い体毛を生やした熊のような怪物だった。
「魔族?」
チカップが目を見開く。
「キサマラ、ミナゴロシダ」
二匹の魔族が襲いかかってきた。
勇斗は剣を抜こうとした。
その前に、ミュールが動いていた。
一瞬で間合いを詰め、回し蹴りでイグアナの胴を断ち割った。続けざまに踏み込んだ掌底が、熊の腹を穿った。黒い血が弾ける。
二匹の魔族は短い悲鳴を上げ、消滅した。
あまりにも一瞬だった。
ミュールはチカップの前に立つ。
「お前も魔族か?」
黒く汚れた両腕のガントレットが、かちりと鳴った。
「自分は……」
チカップが背中に左腕を回す。
「ミュール、やめて!」
勇斗が叫ぶ。
「自分は魔族じゃねーっス!」
視界が白く弾けた。
まぶたの裏に焼きついた白い光は消えなかった。耳鳴りもひどかった。
「な、何だこれ」
ようやく光が薄れた頃には、チカップの姿はなかった。
「逃げやがったか」
ミュールは舌打ちした。
地面には、白い羽だけが散っていた。
「そうだ、あの女の子」
勇斗は少女のもとへ駆け寄った。
「とりあえず、キーナっていう村に運ぼうぜ。ユート、その子を背負ってくれない? オレは荷物があるから」
ミュールが少女を目で示した。
裸同然の少女を背負うのか。勇斗は一瞬ためらった。だが、そんなことを言っている場合ではないと自分に言い聞かせた。
「うん。わかった」
薄い布をきつく巻き直し、勇斗は少女を背負った。
しばらく歩くと、木の柵に囲まれた小さな村が見えてきた。入口の横には石造りの砦があり、二階の窓から青髪の少年が顔をのぞかせていた。
「す、すみません」
勇斗は息を切らしながら、村の入口に立つ槍持ちの中年男へ声をかけた。
「こんな辺境の村に、何の用かな?」
「ちょっと、助けてほしいんです」
説明しようとした、そのときだった。
砦の方から老女が出てきた。
「団長さん。トンキが慌ててましたけど、何かありました……えっ?」
老女は勇斗の顔を見たまま動きを止めた。
しばらくして、かすれた声がこぼれる。
「……アルト?」
どこまでも草原が続いていた。青く澄んだ空の下、草花が風に揺れている。遠くには山並みがぼんやりと浮かんでいた。
「あの道の先がソレイン王国だ」
ミュールは地図と羅針盤を見比べながら、地平線の彼方へまっすぐ伸びる街道を指さした。
「でも、その前に北へ向かう。セク砂漠の交易都市ホルタで情報を集めよう」
「どれくらい歩けば着くのかな」
「歩きなら四日か五日ってとこだな」
「そんなにも!?」
勇斗の眉がつり上がった。
「マンウーがいれば話は変わるんだがな」
マンウーは、この世界でよく使われる乗り物らしかった。背に人を乗せたり、キャビンを引いたりするという。勇斗は、なんとなく馬に近いものを思い浮かべた。
「野生も見当たらないし、町か村で借りるしかないね」
「そ、そうなんだ」
勇斗は果てしなく続く街道を見つめ、ため息を漏らした。
「ま、ゆっくり行こうぜ。水はオイラの精霊術で作れるし、メシはワンコがなんとかしてくれるだろ」
「誰がワンコだ」
「お前だって、いつもオイラのことチビチビ言ってるだろー! 犬っぽいからワンコ! それだけだ!」
ランパとミュールが睨み合う。勇斗は慌てて二人の間に入った。
その夜も野宿だった。薄い布をかぶって地面に横になり、交代で見張りをする。熟睡などできるはずもない。
森を抜けて三日。勇斗は布団が恋しくなっていた。
「この辺に村とかないの?」
「少し行ったところにキーナっていう小さな村があるみたい。あそこの分かれ道を左だ」
ミュールは丘の下に見える街道の分岐点を指さした。
勇斗たちは丘を下った。
「まったく、あの雑魚どもめ」
「アイツら、頭、悪い」
「は、はやく片付けるっス」
分岐点には三人の人間がいた。女と大男、それに少年。
荷物が散らばっていた。事故かと思ったが、近づくほど妙だった。三人とも、妙に張りつめた空気をまとっていた。
軽く会釈して通り過ぎようとした、そのときだった。
「何見てるのよ」
爬虫類のような目をした女に睨まれ、勇斗の肩がびくっと跳ねた。
そばにいたスキンヘッドの大男は、瞬きひとつせず勇斗を見ていた。何かに押さえつけられるような感覚に、体が強張った。
「すみません」
勇斗は小さく謝り、その場を離れようとした。
「お兄さんたち、旅の方っスか?」
一人の少年が近づいてきた。
額に包帯を巻いた少年だった。無造作なアッシュグレーの髪に、大きなベージュのコート。年は勇斗とそう変わらなさそうだった。
「ちょっと手伝ってほしいんス」
少年は困ったような顔で勇斗を見つめた。
「自分たち、マンウーで荷を運んでたんスけど、急に魔族に襲われたんス。キャビンはひっくり返るし、マンウーも逃げちゃって」
「おい、余計なこと喋るんじゃないよ」
女が眉間にしわを寄せ、少年の髪を掴んだ。
「で、でも」
少年はおろおろと身をよじった。
「悪いね。これはアタシたちの問題だから、気を使わなくてもいい」
「す、すみません」
勇斗の呼吸が浅くなる。
「わかったなら、さっさと行きな」
女が鼻を鳴らした。
「それにしても、お兄さん、立派な鎧っスね。頭につけてるサークレットも綺麗だ。それ、どこで手に入れたんスか?」
少年が勇斗の鎧をまじまじと見つめた。
「そうね。剣も鎧も、ずいぶん立派だこと」
「えっと、これは……」
「おい、ユート! チビスケ、どこ行った?」
ミュールの大声が勇斗の言葉を遮った。
「え、あれ?」
辺りを見回す。ランパの姿がどこにもなかった。
「おい、小僧がキャビンを漁っている」
無口だった大男が口を開いた。太く、低い声だった。
「はあっ?」
女の顔色が変わる。少年を片手で突き飛ばし、横倒しになったキャビンへ駆け出した。
「ちょっとアンタ、商売道具に手を出すんじゃないよ!」
「この箱、何が入ってんだー?」
キャビンの中からランパの声が響いた。
「何も入ってないわよ! 早く出ていきなさい!」
「怪しいなー」
「ランパ、どうしたの?」
中をのぞくと、大きな木箱の上にランパがあぐらをかいて座っていた。
「ちょっと、ごめんよ」
ミュールはひょいとキャビンの中に入り込み、木箱をランパごと外へ引きずり出した。
「この箱の中、見られたくないもんでも入ってるのか?」
「……ただのガラクタよ」
女の顔がわずかに引きつった。
「でも、この中から生き物の匂いがするんだけどな」
ミュールが箱に顔を近づけ、鼻をくんくんさせた。
「開けるぞ。チビスケ、どいてくれ」
ミュールは木箱の蓋を開けた。
箱の中には、少女が押し込められていた。
顔は青白くやつれ、霞色の長い髪は乱れていた。何も身につけていない。
「そういや、じーちゃんが言ってたな。最近、王国の近辺で人攫いが流行してるって」
ミュールは少女を抱き上げ、薄い布をかけた。
「大丈夫、生きてる」
「ちょっと! 自分、こんなの聞いてないっス!」
少年の声が裏返った。
「バレちゃしょうがないね。殺す。チカップ、やっちゃいな」
「い、いやっス! 自分は人殺しなんてできないっス!」
「やれって言ってんだろ! それとも金が欲しくないのかい?」
女は鋭い目で少年――チカップを睨みつけた。
「逆らうとアンタから殺すよ?」
「は、はいっス」
チカップはコートの内側から、オーロラのように輝く羽ペンを取り出した。その手はひどく震えていた。
「早くやりな!」
「は、はいっ!」
チカップは羽ペンを走らせた。空中に赤い魔法陣が浮かび、中央から三つの火の玉が現れた。
「これは魔法!?」
「お兄さんたち、ごめんなさいっス。自分、死にたくないんで」
三つの火の玉が高速で放たれた。
熱風が顔に迫る。勇斗は反射的に剣へ手を伸ばした。だが遅い。避けられない――そう思った。
一つの火の玉が勇斗の頭上をかすめて飛び去った。ちり、と髪の先が焦げた。
「あれ?」
残る二つは大きく軌道を逸らし、女と大男に命中した。
「ぎゃああああぁっ!」
二人は火だるまと化した。
「あ……また、ズレたっス」
チカップは口元を押さえ、青ざめた。
「グギャアァァッ! ヨクモヨクモォ!」
炎の中から、人ではないものが姿を現した。
二本脚で立つ巨大なイグアナと、青い体毛を生やした熊のような怪物だった。
「魔族?」
チカップが目を見開く。
「キサマラ、ミナゴロシダ」
二匹の魔族が襲いかかってきた。
勇斗は剣を抜こうとした。
その前に、ミュールが動いていた。
一瞬で間合いを詰め、回し蹴りでイグアナの胴を断ち割った。続けざまに踏み込んだ掌底が、熊の腹を穿った。黒い血が弾ける。
二匹の魔族は短い悲鳴を上げ、消滅した。
あまりにも一瞬だった。
ミュールはチカップの前に立つ。
「お前も魔族か?」
黒く汚れた両腕のガントレットが、かちりと鳴った。
「自分は……」
チカップが背中に左腕を回す。
「ミュール、やめて!」
勇斗が叫ぶ。
「自分は魔族じゃねーっス!」
視界が白く弾けた。
まぶたの裏に焼きついた白い光は消えなかった。耳鳴りもひどかった。
「な、何だこれ」
ようやく光が薄れた頃には、チカップの姿はなかった。
「逃げやがったか」
ミュールは舌打ちした。
地面には、白い羽だけが散っていた。
「そうだ、あの女の子」
勇斗は少女のもとへ駆け寄った。
「とりあえず、キーナっていう村に運ぼうぜ。ユート、その子を背負ってくれない? オレは荷物があるから」
ミュールが少女を目で示した。
裸同然の少女を背負うのか。勇斗は一瞬ためらった。だが、そんなことを言っている場合ではないと自分に言い聞かせた。
「うん。わかった」
薄い布をきつく巻き直し、勇斗は少女を背負った。
しばらく歩くと、木の柵に囲まれた小さな村が見えてきた。入口の横には石造りの砦があり、二階の窓から青髪の少年が顔をのぞかせていた。
「す、すみません」
勇斗は息を切らしながら、村の入口に立つ槍持ちの中年男へ声をかけた。
「こんな辺境の村に、何の用かな?」
「ちょっと、助けてほしいんです」
説明しようとした、そのときだった。
砦の方から老女が出てきた。
「団長さん。トンキが慌ててましたけど、何かありました……えっ?」
老女は勇斗の顔を見たまま動きを止めた。
しばらくして、かすれた声がこぼれる。
「……アルト?」
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