最終話
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潟杜に戻り、清史や充とメールをやり取りして記事の作成を進めているうちに、あっという間に一週間が過ぎ、実家に帰る日がやって来た。 十二月三十日の早朝である。兄・佐倉川匠がSUVを運転してアパートまで迎えに来てくれた。 「史岐君は?」 助手席に乗り込むや、思いも寄らない質問をされたので、利玖はつかの間、眉をひそめて、何を言われたのかと考え込んでしまった。 「最近はお会いしていませんが、まあ、元気でいらっしゃるのではないでしょうか」 「来るって聞いたけど」 「誰がですか?」 「だから、史岐君」 「え」 「え?」 ほんの数秒の間に、利玖の中でいくつもの処理が同時に走った。 「すみません、兄さん」シートベルトを戻して、利玖は助手席のドアを開ける。「少し待っていてもらえますか。三分──いえ、六分で戻ります」 「あ、ちょっと、利玖……」脇目も振らずにアパートめがけて走って行く妹の背中に、慌てて兄は叫んだ。「急がなくていいから。ちゃんと足元を見て歩きなさい」 宣言通り、利玖は五分ほどで戻ってきた。 出て行った時とは打って変わって、慎重な足取りで、黒々と結氷した水たまりを避けながら歩いて来る。持ち手の付いた小さな紙袋を胸に抱えていた。 「お待たせしました」 「忘れ物?」 「ええ。こういう物は、鮮度を疎かにすると痛い目を見ると言いますから」 「鮮度」 「何でもありません」 利玖は、花のように品の良い笑顔で首をかしげた。 母が直々に仕込んだだけあって、淑女の仕草もなかなか板に付いているが、性分に合わない奥ゆかしい真似をするのを恥ずかしがって普段は隠している癖に、誤魔化したい事がある時に限って引っ張り出してくるので、今も、どうにも怪しさの方が際立っていた。 「後ろに置いたら?」 「いえ、このままで」 頑なに紙袋を手元に置いておこうとする姿に、匠はいよいよ疑念を深くする。 「ケーキ……、にしては、小さいか。二つも入らなさそうだね」 利玖は無言で微笑んでいる。 「史岐君が来るって聞いた途端、思いついたみたいに見えたけど」 「…………」 「あ、僕も何か買って行こうかな。その辺のコンビニで、どら焼きとか」 「本当にわたしの部屋から史岐さんが出てきたらどうするつもりだったんですか?」 利玖が真顔になって訊いた。 「さてと」匠はわざとらしく前を向いて両手をこすり合わせる。「じゃあ、道が混まないうちに出発しようか」
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