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虫やらいの御役目

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「佐倉川さんにお願いしたいのは『虫やらい』と呼ばれる御役目です。オカバ様と私の対局が終わるまでの間、花の香りに惹かれてやって来る虫達から〈宵戸よいのとの木〉の実を守っていただきたいのです」 「虫といっても、これくらいの大きさがありましたよ」利玖は腕をめいっぱい横に広げた。「遠目で見たので本当はもっと大きかったかもしれません。どちらにしろ、生身でやり合って勝てるとは思えませんが」 「あ、いえ……」鶴真は、慌てて胸の前で片手を振った。「説明不足で申し訳ありません。佐倉川さんが手ずから追い払っていただく必要はないのです」 「ほう」 「儀式の刻になると〈宵戸よいのとの木〉の周りに、部外者を立ち入らせない為の結界が張られます。それだけでもある程度の守りにはなるのですが、オカバ様の従者とこちら側からの使者、それぞれ一人ずつが支柱となる事で、より強固な防壁となるのです。つまり、身も蓋もない言い方をすれば、佐倉川さんはただ儀式の場にいてくださるだけで良い、という訳です」 「おや。それは、一気に気が楽になりました……、と申し上げたい所ですが」  利玖は斜めに首をかしげて、鶴真を見つめる。 「虫が寄ってくるという事は、結界は〈宵戸よいのとの木〉自体を不可視に出来る類の物ではないのですね? つまり、虫達にも我々の姿が見えている可能性が高いという事。部外者を遮断する、という性質を彼らが知っていれば、誰が結界の保持に関わっているのかは一目瞭然です。  そこまで知恵の回る虫はほんの一握りかもしれません。ですが、結託して総攻撃を仕掛けられたら、いくら結界の内側にいても、のんべんだらりと寝転がっていられるほど安全とは言えないのではないでしょうか?」  鶴真は目を見開いた。  すうっ、と息を詰め、膝の上できつく拳を握る。 「おっしゃるとおりです。まったく危険のない物だと、申し上げる事は出来ません」  利玖は頷き、先を促す。 「私自身、何度か結界の支えとして務めたのでわかる事なのですが、虫達の中にはヒトに都合の良い幻を見せる事が出来るモノがいるのです」 「なるほど。親しい者、あるいは逆に嫌悪している者の姿を利用して、内側から結界を解くように訴えかけるのですね? こちら側でよく用いられるセオリーを踏襲しているのは興味深いですね」 「そうですね……、ええ」  頷いた鶴真は、少し遅れて苦笑する。 「ただ、正直な所、結界が破られても大きな問題はないのです。 〈宵戸よいのとの木〉の実は樺鉢温泉にもたらされる恵みが形になった物。かすめ取られて良い気はしないのは確かですが、道具も持たない虫達が自力で持ち出せる量などたかが知れています。全体に対する比率で言えば、ほとんど無視して良いと言える程度なのです。そもそも、初めに結界が作られたのも『対局中にそこら中を虫に飛び回られては気が散る』という理由からでして」 「つまり、幻を見せられる事によって一時的な錯乱に陥る危険性はあるものの、結界を保持し通せるかどうかによって樺鉢温泉の行く末が左右される訳ではない、と」 「そう考えて頂いて差し支えありません」 「ふむ……」  利玖は顎をつまんでうつむき、鶴真が語った内容を反芻した。  見落としているもの、訊き忘れている事、巧妙にカモフラージュされている事象がないか丹念に確かめる。それらの作業が終わっても、決意は変わっていなかった。 「わかりました。──虫やらいの御役目、わたしで良ければ、お引き受け致します」



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虫やらいの御役目

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「佐倉川さんにお願いしたいのは『虫やらい』と呼ばれる御役目です。オカバ様と私の対局が終わるまでの間、花の香りに惹かれてやって来る虫達から〈宵戸よいのとの木〉の実を守っていただきたいのです」 「虫といっても、これくらいの大きさがありましたよ」利玖は腕をめいっぱい横に広げた。「遠目で見たので本当はもっと大きかったかもしれません。どちらにしろ、生身でやり合って勝てるとは思えませんが」 「あ、いえ……」鶴真は、慌てて胸の前で片手を振った。「説明不足で申し訳ありません。佐倉川さんが手ずから追い払っていただく必要はないのです」 「ほう」 「儀式の刻になると〈宵戸よいのとの木〉の周りに、部外者を立ち入らせない為の結界が張られます。それだけでもある程度の守りにはなるのですが、オカバ様の従者とこちら側からの使者、それぞれ一人ずつが支柱となる事で、より強固な防壁となるのです。つまり、身も蓋もない言い方をすれば、佐倉川さんはただ儀式の場にいてくださるだけで良い、という訳です」 「おや。それは、一気に気が楽になりました……、と申し上げたい所ですが」  利玖は斜めに首をかしげて、鶴真を見つめる。 「虫が寄ってくるという事は、結界は〈宵戸よいのとの木〉自体を不可視に出来る類の物ではないのですね? つまり、虫達にも我々の姿が見えている可能性が高いという事。部外者を遮断する、という性質を彼らが知っていれば、誰が結界の保持に関わっているのかは一目瞭然です。  そこまで知恵の回る虫はほんの一握りかもしれません。ですが、結託して総攻撃を仕掛けられたら、いくら結界の内側にいても、のんべんだらりと寝転がっていられるほど安全とは言えないのではないでしょうか?」  鶴真は目を見開いた。  すうっ、と息を詰め、膝の上できつく拳を握る。 「おっしゃるとおりです。まったく危険のない物だと、申し上げる事は出来ません」  利玖は頷き、先を促す。 「私自身、何度か結界の支えとして務めたのでわかる事なのですが、虫達の中にはヒトに都合の良い幻を見せる事が出来るモノがいるのです」 「なるほど。親しい者、あるいは逆に嫌悪している者の姿を利用して、内側から結界を解くように訴えかけるのですね? こちら側でよく用いられるセオリーを踏襲しているのは興味深いですね」 「そうですね……、ええ」  頷いた鶴真は、少し遅れて苦笑する。 「ただ、正直な所、結界が破られても大きな問題はないのです。 〈宵戸よいのとの木〉の実は樺鉢温泉にもたらされる恵みが形になった物。かすめ取られて良い気はしないのは確かですが、道具も持たない虫達が自力で持ち出せる量などたかが知れています。全体に対する比率で言えば、ほとんど無視して良いと言える程度なのです。そもそも、初めに結界が作られたのも『対局中にそこら中を虫に飛び回られては気が散る』という理由からでして」 「つまり、幻を見せられる事によって一時的な錯乱に陥る危険性はあるものの、結界を保持し通せるかどうかによって樺鉢温泉の行く末が左右される訳ではない、と」 「そう考えて頂いて差し支えありません」 「ふむ……」  利玖は顎をつまんでうつむき、鶴真が語った内容を反芻した。  見落としているもの、訊き忘れている事、巧妙にカモフラージュされている事象がないか丹念に確かめる。それらの作業が終わっても、決意は変わっていなかった。 「わかりました。──虫やらいの御役目、わたしで良ければ、お引き受け致します」



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