苦痛の時間
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「じゃあまずはあれに乗ろうか」 軽い調子で言う昭博。 さり気なく手が私の肩に回されていることに気がつくけど、それを振り払えばどうなるかわからないから、私は黙って肩を抱かれるままにした。 「おい、昭博……」 昭博の馴れ馴れしい態度が気になったのか、いつもより少し荒い声で慶介が言う。 「あん?どうしたんだよ慶介、そんな怖い顔をして……せっかくまた三人揃ったていうのに」 白々しい……と心のなかで毒づく。 わかってやっているのに。 当てつけか、見せつけか、その目的は不明だけど、こうして私にちょっかいを掛けて、私が受け入れているところを慶介に見せつけるつもりのくせに……。 内心では怒りの感情が荒れ狂っているけれど、今すぐ肩に回された手を振りほどいて、その横面を叩きたいけど、でもアレを握られている以上、軽率な行動は取れない。 私は必死に、怒りの感情を押さえつけながら、ちらりと慶介を見る。 明らかに不満げな、不快であることを隠そうとしない顔で、慶介は昭博を見ている。 睨みつけるまで行かないところは、辛うじて残っている幼馴染という関係性のためだろうか。 慶介が、私に馴れ馴れしい態度を取る昭博に、怒りを感じてくれているのはとても嬉しかった。 それほどまでに大切にされているのだと分かるから。 だけど、今はそれは私の口から言うことは出来ない。 「け……慶介、昭博も久しぶりだから……ちょっと気分が高ぶってるのかも……、せっかく幼馴染でまた仲良くできるんだもん、今日だけは……ね?」 心にもないことを言わなければならない自分に胸が痛む。 慶介の味方をすべきなのに、出来ない状況が歯がゆい。 「いいじゃん、別にキスしたり抱きしめたりしてるわけじゃないんだしさ。お前って案外独占欲強いんだな」 相変わらず軽薄そうに笑いながら、慶介に向かって言う昭博。 でもよく見ればその目が笑っていないことに気がつく。 むしろ悪意で淀んだ瞳をしていることさえ見えてくる。 「いや……でも、朋美は俺の恋人で……幼馴染でもさ……その、あまり馴れ馴れしいのは……」 感情と言葉がうまく一致しないのだろうか、珍しく歯切れの悪い口調で慶介は、それでも必死に言葉を紡ぐ。 「そうは言うが、朋美も別に嫌がってないだろ? 朋美が嫌がってたらさすがの俺も手を離すさ」 そういって、私だけに分かるような笑みを浮かべ、昭博は私の方を見る。 どう答えればいいかわかっているよな? と言外の圧力をかけて。 私は心の中で、慶介へ謝罪しながら、下唇をぎゅっと噛み締め、そして無理矢理に感情を抑え込む。 「今日はさ……久々に集まれたんだもん、ようやくまた幼馴染3人になれるんだもの、慶介も少し大目に見て……」 本当はそんなこと、欠片も思っていない。 あんなことをされたのだ、二度とこの男を幼馴染なんて思いたくもない。 だけど……それでも……、あのことを慶介に知られるわけには行かない。 だから私は、無理矢理に笑顔を浮かべて、慶介に微笑みかける。 心のなかで血を流しながら。 胸を切り裂くような痛みに耐えながら。 それでも私は、慶介にほほえみを向けるしかないのだ。 「朋美が……そう言うなら」 本当は納得なんてしていないのだろう、だけど私からの願いという形を取ったから、慶介は渋々ではあったがうなづいてくれた。 本当に、優しい人だと思う。 だから好きになったのだ。 なのにそんな好きな人を、裏切る片棒を担いでいる自分。 何もかもバラしてしまいたい。 昭博にされたこと、されていることのすべてを話して、開放されたい。 だけど……もし万が一、慶介が全てを悪い意味に捉えたら? 私をふしだらな、他の男にも抱かれる女だと思ったら? そう考えると、恐ろしくて、どうしても決断が鈍ってしまう。 それを狙っていたのだとしたら、昭博は恐ろしいほどに狡猾な人間なのだろう。 ずっとそんな本性を隠して、わたしたちの幼馴染を演じてきたと言うなら……、迂闊な行動は私にとって致命傷になってしまう。 だから昭博の綻びが見つかるまで、私は大人しく従っているふりを続けるしかないのだ。 その私の考えが、自分自身をさらに追い込むことを、そして最愛の人である慶介を苦しめることを、このときの私は気づくことが出来なかった。 今のこの状況を乗り越えることしか見えていない私は、少しづつ、ボタンを掛け違え始めていたのだと。 「話が付いたなら、楽しもうぜ。ほんと久々だよなぁ……あれ覚えてるか、俺たちにからかわれるのが嫌で、本当は怖いくせに無理して乗って、半べそになってたんだよな朋美……」 慶介や私の表情など気にも留めない様子で、楽しそうに昭博が言う。 彼の話していることは覚えている。 小学生当時のこと。 本当は怖かったのだけど、どうしても乗りたいと譲らない昭博に押し切られて、3人で乗ることになったジェットコースター。 最初は色々と理由をつけて断っていたのだけど、怖いんだろう……と小馬鹿にしたように昭博に言われ、そうなのかと顔を覗き込んできた慶介に格好悪いところを見られたくなくて、変な意地を張って乗ることを承諾したこと。 でもやはりとても怖くて、終着点についた時には一人で立てないくらいになって、ぼろぼろと涙を流した居た私に、無理させたな……ごめんなといって、手を差し伸べてくれた慶介のことを今でも覚えている。 「前回は……ジャンケンで席を決めて、俺と慶介が横並び、朋美は一人でその後ろだったんだよな。じゃあ今回は俺が朋美の隣に乗ろうかな」 何の気負いもなくさらりとそういう昭博。 慶介が口を開くより早く、昭博がかぶせるように口を開く。 「お前らは付き合ってるんだから、いつだって二人で遊べるわけだろ……ちょっとくらい譲ってくれてもいいんじゃないか? 仲良し三人組というならさ」 明るい笑顔、だけど唇の端は少しだけゆがませた笑顔で、昭博は無邪気にそういう。 慶介は何か言い返そうと、何度か口を開きかけ、時々私の様子を窺うようにこちらを見てきたけれど、最終的にはその場の空気を悪くすることを避けるためか、渋々といった様子で首を縦に振ってくれた。 そんな慶介の、苦しそうな痛々しい姿に、私の心はひそかに血を流す。 だけどそれは、慶介に伝えることのできない、私だけが抱える傷であり痛みだった。
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