狂いだした時の中で
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「なぁ朋美……お前解っているか」 私の中に2回目の精を放ち終えた後、ゆっくりと身体を離して昭博が言う。 「…………」 「お前は今日のことを慶介には言っていない、それどころか嘘の予定を伝えている」 「それは……それは昭博……あなたが!」 「そう。サプライズにしたいから慶介には言うな、上手く誤魔化してくれ。俺はそう言った。だからお前は大学のサークルのミーティングだと嘘を言い、俺と出かけた。解るか? その意味が」 昭博の言葉で、ぼんやりとしていた私の中に一つの答えが思い浮かぶ。 「そ……そんな、まさか」 「ああ……その通りだ。お前が妙な動きをしたりすれば、俺は今日お前と一緒だったことをばらす。かつて俺に告白されたお前が、あいつにウソをついてまで俺と会っていた。しかも身体を重ねていた写真付きだ。あいつはどう思うだろうな」 悪魔……そう形容したくなる様な、醜悪な笑みを浮かべて昭博は私に言う。 浮気を疑われると、彼は言外にそう言っていることが私にはすぐに解った。 「俺はお前をものにする……だが、お前が俺のものになるまでは自由にしていて良いさ。あいつとデートするなり抱かれるなりな。だから……妙なことは考えない方がいい。じゃないと俺もこの事実をばらすしか無くなるからな」 彼は……昭博はここまで周到に計画していたのか。 彼の中にこれほどの黒く淀んだ感情が、そしてこれほどの狡猾さがあることを私は知らなかった。 私の知る彼は明るくて自信家で、その自信家な側面が少し鼻につくこともあったけれど、でも仲間思いのいい人だと思っていた。 なのにまさか、こんな悪意を持っている人だったなんて。 裏切られたという思いが強かった。 それとも、彼の本性を変えてしまったのは私なのだろうか。 私が私の想いを優先した結果、彼は歪んでしまったのだろうか。 身体を汚されたことではない、別の理由で私の目からまた涙がこぼれ落ちた。 「いつまでそうしているつもりだ。もう一回抱かれたいのか」 蔑む様な、揶揄う様なそんな昭博の口調。 その一言が私の中に眠る僅かな怒りに火をつけた。 私は痛みを訴える身体を無理矢理に動かして、はだけた胸元をなおし昭博を睨み付ける。 「……最低よ……貴方は、最低の男よ。幼馴染みの信頼を裏切って、力尽くで女をものにしようとして……貴方を選ばなかったことに、心の底から安堵するわ」 「……先に裏切ったのはどっちだ。幼馴染みで、三人で居たいから……お前は喫茶店で俺の告白を拒んだときそう言ったよな? なのにその後に慶介に告白して付き合っただ? 先に裏切ったのはどっちだ!」 怒りのにじんだ昭博の声。 これは彼の本心なのだと瞬時に理解した。 「私は……ずっと、この気持ちを抑え込もうとしてた。先に私たちの関係に男女の感情を持ち込んだのは貴方じゃない! だから私は……私も……抑え込めなくなったんじゃない」 「知らねぇよ……俺はお前を絶対にものにするって決めた。いまさら慶介なんかにむざむざ奪われてたまるか。お前を……お前のことを先に好きになったのも俺だ。そしてお前の初めてを奪ったのも俺だ。絶対にあいつには渡さねぇ。どうしてもというなら精々足掻けば良い。俺がお前をものにするのが先か、俺が終わるのが先か……」 そこまで言うと昭博は口を閉ざした。 セルの回る音がして、エンジンが動き始めた。 私は上着をかき抱く様にして胸元をかくし、窓の外を黙ってみていた。 昭博もその後、何も話すことは無く私を言っていたとおりに駅前まで送ってくれた。 駅前ロータリーに静かに停車した車から、私は無言で降りる。 「もう一度だけ言う。誰にもこのことは言うな。そして俺が呼び出したら必ず出てこい。ソレを破ればこの写真を大学にもネットにも、そして慶介にもばらすからな。わかったか」 昭博がダメ押しの様に言う。 私は悔しさで下唇を噛み締めながら、しかし状況的に肯かざるを得ないことを理解し、無言で1度だけ肯いた。 その姿を見て満足したのだろうか、昭博はにやりと口の端を歪める様な笑いを浮かべて、静かに車を発進させた。 恐怖、悲しみ、悔しさ……そういった感情が一気に押し寄せてきて、私はその場にうずくまる。 足から力が抜けた様な感覚があった。 「けい……すけ……」 無意識に助けを求めてしまう。 愛おしい、大切な彼を求めてしまう。 しかし同時に、彼に捧げようと決めていた自分の大切な初めてが、昭博の手によって散らされたことをハッキリと自覚して、私は目の前が暗くなった様に感じた。 いっそこのまま……と一瞬くらい感情が芽生えたが、そうすることでアノ写真が慶介や両親の目に触れてしまうかもしれないと思って、辛うじて思いとどまる。 どうすればいいのだろう。 最愛の慶介にこの事実がばれない様にしなければならない。 それはつまり、対策のめどが立つまでの間は昭博に従うしかないという事。 彼に心を奪われることは絶対に無いと言い切れるけれど、また彼に汚されてしまうのだろうかと言う不安が残る。 何度も精を放たれ、避妊すらしてくれないなら……最悪の事態も考えられると思い、私は不意に襲ってきた寒気から身を守る様に、自分の腕で自分を抱きしめた。 誰か助けて……この暗闇から救い出して……。 叶うはずのない、届くはずのない、そんな願いだけを心の中で念じながら。
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