はれない気持ち
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大学に行かないことを親にばれることを避けるため、いつも通りの時間に家を出たけれど、指定された時間までにはまだ4時間近くある。 その間をどう過ごすかを思案し、私は何の気なしに駅前のカフェへと向かい、アッサムティーとスコーンのセットを注文し席に座っていた。 スマホで気になっていたことを調べる。 【女性でできる避妊】 スマホの画面には様々な情報が表示された、 ミレーナ、低用量ピル、IUD……。 ミレーナやIUDは自分の体の中に、たとえ小さくても器具を挿入するものらしい。 それだけは嫌だなと思ってしまう。 特にミレーナは、これ以上の妊娠を望まない人や長期間妊娠したくない人が用いるものという補足も書いてあり、彼ではなく慶介相手であれば別にできても構わないという気持ちがある私には、向いているとは思えない。 低用量ピルは、診断を受けて処方してもらうのが一般的なようだけど、それもまた私にはハードルが高い。 それに未だに根深い偏見により【遊んでいる女】と思われるという噂も聞いたことがあり、抵抗感がぬぐえない。 無難なところで、やはりいわゆるカップルゴム……つまりアレを薬局で手に入れて、私が持ち歩くのが一番かもしれない。 考えれば考えるほど気分が重くなり、再び吐き気に襲われるけれど、それでも彼の子供を妊娠してしまうよりはましだと思った。 無理やり抱かれることはあっても、絶対に妊娠だけはしたくない。 私は慶介以外の男との間に子供なんて作りたくない。 そもそも本当は、慶介以外に抱かれることだって嫌だ。 でもそれだけは避けることができないなら、せめて妊娠だけは防がなければ。 自分でも考えていることが意味不明だけれど、私の意志とは関係なく無理やりにでもされてしまうなら、せめて妊娠だけは絶対に避けるようにしなければならない。 それだけが私の心の中に強く残った感情。 調べ物をしている間に、いつの間にか時刻が9時半を回っていることに気が付いた私は、飲み残したアッサムティを一口で流し込み、席を立った。 ともかく早く薬局に行かないと……とそれだけを考えていた。 ●〇●〇●〇●〇● ソレを買うことは、本当に勇気が必要だった。 慶介と付き合うまで、一度も男性とお付き合いした経験もなかったし、昨日に昭博に無理やり散らされるまで男性と肌を重ねたことなどなかった私が、いきなり避妊具を買うことに抵抗がないわけがない。 ましてや愛する慶介との夜のために……ではなく、望まない気持ちで抱かれるために買う。 その事実がより一層わたしの抵抗感を強くしていた。 (なんで愛していない男に抱かれるために私が避妊具を買わなければならないの……) 怒りと恨み言、半々くらいの気持ちで思わずつぶやいてしまい、慌てて周囲を見回して誰にも聞かれていないことを理解して安堵のため息を吐く。 そして考える。 こうして堂々と売られているものなのだから、世の中の多くのカップルがコレを買い求めているのだと。 だから私が変に意識をしないで、自然にレジまでもっていけば何の問題もなく買えるのだと。 頭ではわかっている。 しかし体が凍り付いたように動かない。 心が拒絶し、それに体が従っている。 頭だけが冷静に事態を見ている中、それ以外のすべてが拒絶をしている。 (ならば、これを買わないままで昭博と会って、また受け入れるの? 妊娠するリスクを背負って) 必死に心に言い聞かせる。 これは自衛のためなのだと。 彼があきらめるまで絶対に妊娠をしないようにするために、自分を守るためにこれが必要なのだと。 そして私はソレの箱を持ってレジへと向かう。 緊張して妙にのどが渇く。 心臓の音が自分でも聞こえるくらいに大きくなっていて、汗が止まらない。 たっぷり時間をかけてレジへとたどり着き、それをカウンターに置く。 女性店員は特に気に留めることもなく、通り一遍のあいさつとポイントカードの有無を確認し、サラッとレジを通す。 「1点で2140円になります」 風邪薬を買う時と同じような声音と口調。 ちらりと顔を見るが、お客様向けのほほえみを浮かべているだけで特に変な表情をしていない。 気にしているのは自分だけだと漸くにして理解し、軽く息を吐くと財布を取り出して千円札2枚と小銭をトレーに置く。 終わってみれば実にあっけない時間だった。 あれほど緊張していた私は何だったのかと、そう思うと不謹慎かもしれないけれど少し笑えた。 そっと目線でバッグの中に入っている黒い小さなビニール袋を見る。 生理用品やこういったものは、目につきにくいように小袋に入れてくれるのはありがたい。 それと同時に、また彼に臨まないまま抱かれるのだという事実がしっかりと認識させられる。 自ら望んでいるわけではない。 だけど絶対に知られるわけにはいかない秘密を守るため、恋人ではない男に抱かれる。 その事実が重くのしかかる。 浮気じゃない。 望んでもいない。 だけど自分以外の男に、恋人が抱かれているという事実を、慶介が知ったらどう思うのだろう。 慶介から見たら、浮気と変わらないのかもしれない。 少しほぐれていた気持ちが、また深く沈み込む。 涙腺が鈍い痛みを放つのがわかる。 あ……と思った時には、もうすでに涙が流れ始めていた。 (どうしたら……いいの。どうすれば……この連鎖を止められるの) 誰にもこたえることができない、答えてくれない問いを発し続けて私はただ涙を流すことしかできなかった。 指定された時刻までまだ時間がある。 だから私は、無理に涙を止めることもなく静かに涙を流し続けた。 涙と一緒に、この苦しみが痛みが、流れて行ってくれればいいと思いながら。
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