核心

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 三人はフロアの中央に近いテーブルに集まった。  一度は席に着こうとした千堂だったが、途中ではたと思い出したように腰を上げる。 「お飲み物があった方がよろしいですね」 「あ、それはご心配なく」  利玖は鞄の中から水筒を取り出してテーブルに置く。どん、と丸太みたいな鈍い音がした。中身が二リットル入る大容量のもので、真空断熱機構が採用されている。去年の夏に、必修のフィールドワークがあって、片道一時間ほどかけて自転車で現場まで通わなければならなかった時に、暑さに耐え切れなくて買った物だった。とても重いので、両手で支えなければ移動させられないのだが、今日わざわざ持ってきた理由は、千堂が用意した飲み物には何らかの細工がされるかもしれない、という危惧が半分と、素敵なロケイションの喫茶店でお気に入りの茶を飲んでみたい、という利玖の願望が半分である。 「営業中であれば失礼にあたるでしょうが、先日、介抱をして頂いたご恩もあります。暖房を効かせたフロアでお仕事をされていると、喉がいがらっぽくなる日もありませんか? 炎症を緩和する効果のあるカモミール・ティーですので、よろしければ」 「うわあ、嬉しいです」千堂はにっこりと笑って腰を下ろした。「では、お言葉に甘えて頂戴します」  テーブルの上に、利玖が準備をした紙コップが三つ並んだ。 「いい香りですね」千堂は紙コップに鼻先を近づけて目を細める。しかし、すぐにそれをテーブルに置いた。「では、何からお答えすればよろしいでしょうか?」 「千堂さんには今、とある怪異と取引を行っている疑いがかけられています」  史岐が話し始めた。  千堂はテーブルの上で両手を組み、かすかに笑みをたたえてそれを聞いている。 「この世界に存在する怪異、あやかし、或いは神として祀られているモノ。そういった存在と関わる事自体は一概に咎められるべきものではありません。ただ、それによって第三者が被害を受ける可能性があるとみなされた場合には、僕らのような人間にお呼びがかかるというわけです」 「穏やかじゃありませんね」千堂は紙コップを取って中身を一口飲み、満足げに嘆息して、二口目を飲もうとした所で「あ……」と呟いて利玖を見た。 「それじゃあ、この間、お連れの方が倒れてしまったのも、お化けがいたのでびっくりした、という理由ですか?」 「恐縮です」利玖は短く答えて微笑む。 「そうか、そうか……」千堂は紙コップを唇に当てたまま、首を縦に振った。  その口調と身振りに、利玖は一瞬、これまで彼に対して抱いた事のなかった野生的な印象と危ういバランスを感じ取った。 「いや、参りましたね。面と向かって『ここにはお化けがいる』と言われてしまうと、住んでいる側としては、どうしたものか」 「縁を断ち切る方法がないわけではありません」利玖も説得に加わった。「我々がお手伝い出来る事もあると思います。それを実行に移すかどうかは、ひとえに千堂さんがどうされたいか、というお心持ちにかかっています」 「どうされたいか」千堂は利玖の言葉をくり返して、指で顎をつまむ。「うん……、どうしたいんでしょうね。ちょっと、すぐには結論が出ないな」 「それでは、今、こちらで得ている情報を元に立てた仮説と、それに即した対策をご説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」  史岐が訊ねると、千堂は、どうぞお好きに、という風に手のひらを彼に向けた。 「娘さんが柏名湖で行方不明になった後、貴方の前に『自分の力を使えば娘との再会が叶う』と持ちかける存在が現れた。彼は実際に、現代科学では説明不可能な奇蹟をいくつか起こしてみせ、貴方の信頼を得た。  貴方は、彼の言葉に従って柏名湖の近くに住まいを移し、娘さんの状況を知らせてもらう事と引き換えに彼への協力を続けた。しかし、最終かつ最大の望み──娘さんの肉体を蘇らせて、もう一度家族として共に暮らす事──に関しては、彼は大きな見返りを要求した」史岐は、隣に座っている後輩に目を移す。「ここにいる利玖を、生贄として捧げる事です」 「娘は死にました」千堂は柔らかな発音で言った。「運が良ければ、私が生きているうちに骨の一部が見つかるかどうか、といった所です。それをそっくりそのまま、いなくなった時と同じ姿に復元出来るというのは、荒唐無稽な話かと思いますが」 「その通りです」史岐は頷く。「死者を蘇らせるという行為は、あらゆる時代と文明でこいねがわれ、そして、否定されてきました。強大な力を持つ神といえど、簡単に成し遂げられる事ではありません。むしろ、これまでの前例を踏まえれば、どこの誰ともわからないしろに適当な魂を入れたものを『時間が経てば本来の人格に戻る』という言い訳付きで寄越されるのが関の山です」 「それでも、ある程度の時間を共に過ごす事が出来れば、幸福感は得られるでしょうね」 「では、一つ補足を」史岐は人差し指を立てた。「死者の蘇生を試みる事は、現代では、神々の間においても固く禁じられています。そのタブーを犯した事がばれないように、彼は、貴方を利用出来る所まで利用し尽くしたと感じたら、最初に示した報酬を与えるよりも先に、すべての証拠を消し去ろうとする可能性が高い。何かの拍子に自分の名を喋ってしまうかもしれない、貴方という存在も含めて……」 「なるほど、そういうお話でしたか」  千堂は目をつむって両手の指先を合わせ、一度天井を仰いでから、利玖に視線を移した。 「確かに、利玖さんと伝手をつけられないか、という依頼は来ています。ですが、それは『捧げる』だなんて物騒なものじゃありませんよ」



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 三人はフロアの中央に近いテーブルに集まった。  一度は席に着こうとした千堂だったが、途中ではたと思い出したように腰を上げる。 「お飲み物があった方がよろしいですね」 「あ、それはご心配なく」  利玖は鞄の中から水筒を取り出してテーブルに置く。どん、と丸太みたいな鈍い音がした。中身が二リットル入る大容量のもので、真空断熱機構が採用されている。去年の夏に、必修のフィールドワークがあって、片道一時間ほどかけて自転車で現場まで通わなければならなかった時に、暑さに耐え切れなくて買った物だった。とても重いので、両手で支えなければ移動させられないのだが、今日わざわざ持ってきた理由は、千堂が用意した飲み物には何らかの細工がされるかもしれない、という危惧が半分と、素敵なロケイションの喫茶店でお気に入りの茶を飲んでみたい、という利玖の願望が半分である。 「営業中であれば失礼にあたるでしょうが、先日、介抱をして頂いたご恩もあります。暖房を効かせたフロアでお仕事をされていると、喉がいがらっぽくなる日もありませんか? 炎症を緩和する効果のあるカモミール・ティーですので、よろしければ」 「うわあ、嬉しいです」千堂はにっこりと笑って腰を下ろした。「では、お言葉に甘えて頂戴します」  テーブルの上に、利玖が準備をした紙コップが三つ並んだ。 「いい香りですね」千堂は紙コップに鼻先を近づけて目を細める。しかし、すぐにそれをテーブルに置いた。「では、何からお答えすればよろしいでしょうか?」 「千堂さんには今、とある怪異と取引を行っている疑いがかけられています」  史岐が話し始めた。  千堂はテーブルの上で両手を組み、かすかに笑みをたたえてそれを聞いている。 「この世界に存在する怪異、あやかし、或いは神として祀られているモノ。そういった存在と関わる事自体は一概に咎められるべきものではありません。ただ、それによって第三者が被害を受ける可能性があるとみなされた場合には、僕らのような人間にお呼びがかかるというわけです」 「穏やかじゃありませんね」千堂は紙コップを取って中身を一口飲み、満足げに嘆息して、二口目を飲もうとした所で「あ……」と呟いて利玖を見た。 「それじゃあ、この間、お連れの方が倒れてしまったのも、お化けがいたのでびっくりした、という理由ですか?」 「恐縮です」利玖は短く答えて微笑む。 「そうか、そうか……」千堂は紙コップを唇に当てたまま、首を縦に振った。  その口調と身振りに、利玖は一瞬、これまで彼に対して抱いた事のなかった野生的な印象と危ういバランスを感じ取った。 「いや、参りましたね。面と向かって『ここにはお化けがいる』と言われてしまうと、住んでいる側としては、どうしたものか」 「縁を断ち切る方法がないわけではありません」利玖も説得に加わった。「我々がお手伝い出来る事もあると思います。それを実行に移すかどうかは、ひとえに千堂さんがどうされたいか、というお心持ちにかかっています」 「どうされたいか」千堂は利玖の言葉をくり返して、指で顎をつまむ。「うん……、どうしたいんでしょうね。ちょっと、すぐには結論が出ないな」 「それでは、今、こちらで得ている情報を元に立てた仮説と、それに即した対策をご説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」  史岐が訊ねると、千堂は、どうぞお好きに、という風に手のひらを彼に向けた。 「娘さんが柏名湖で行方不明になった後、貴方の前に『自分の力を使えば娘との再会が叶う』と持ちかける存在が現れた。彼は実際に、現代科学では説明不可能な奇蹟をいくつか起こしてみせ、貴方の信頼を得た。  貴方は、彼の言葉に従って柏名湖の近くに住まいを移し、娘さんの状況を知らせてもらう事と引き換えに彼への協力を続けた。しかし、最終かつ最大の望み──娘さんの肉体を蘇らせて、もう一度家族として共に暮らす事──に関しては、彼は大きな見返りを要求した」史岐は、隣に座っている後輩に目を移す。「ここにいる利玖を、生贄として捧げる事です」 「娘は死にました」千堂は柔らかな発音で言った。「運が良ければ、私が生きているうちに骨の一部が見つかるかどうか、といった所です。それをそっくりそのまま、いなくなった時と同じ姿に復元出来るというのは、荒唐無稽な話かと思いますが」 「その通りです」史岐は頷く。「死者を蘇らせるという行為は、あらゆる時代と文明でこいねがわれ、そして、否定されてきました。強大な力を持つ神といえど、簡単に成し遂げられる事ではありません。むしろ、これまでの前例を踏まえれば、どこの誰ともわからないしろに適当な魂を入れたものを『時間が経てば本来の人格に戻る』という言い訳付きで寄越されるのが関の山です」 「それでも、ある程度の時間を共に過ごす事が出来れば、幸福感は得られるでしょうね」 「では、一つ補足を」史岐は人差し指を立てた。「死者の蘇生を試みる事は、現代では、神々の間においても固く禁じられています。そのタブーを犯した事がばれないように、彼は、貴方を利用出来る所まで利用し尽くしたと感じたら、最初に示した報酬を与えるよりも先に、すべての証拠を消し去ろうとする可能性が高い。何かの拍子に自分の名を喋ってしまうかもしれない、貴方という存在も含めて……」 「なるほど、そういうお話でしたか」  千堂は目をつむって両手の指先を合わせ、一度天井を仰いでから、利玖に視線を移した。 「確かに、利玖さんと伝手をつけられないか、という依頼は来ています。ですが、それは『捧げる』だなんて物騒なものじゃありませんよ」



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