――――世界樹。それは、空を飛ばねばたどり着けない、宙を漂う不思議な大樹。
その根元に、ジャスティン、ヴェロニカ、ディックは立っていた。それぞれの胸に、自分の決めた思いを秘めて。
「……ここからは、歩きになる。それほど遠くはない」
ディックの言葉に、二人はうなずく。
と同時に、ジャスティンはオートジャイロの座席から、両手で抱ええるほどの大きさの小銃を取り出した。
「……それは?」
途端に不安顔になるヴェロニカに、ジャスティンはばつの悪そうな顔をして見せる。
「――――お守りだ。あくまで念のための、な」
そううそぶきながら、ジャスティンは代えの弾薬をこっそりとふところに忍ばせた。
――――自分たちは、王の意志に逆らってここへ来た。きっと、そのまますんなりとはいくまい。恐らく王は、彼女を取り返しに来る。その時は――――。
「ずいぶん大きなお守りですね。使うことにならないといいですけど」
ジャスティンの思考を斬り裂くように、ヴェロニカの言葉が響いた。いや、切り裂くようにという表現は正しくないだろう。ヴェロニカの言葉は冗談じみていて、その笑顔は屈託ないものだったからだ。
ただ、ジャスティンにとっては、その笑顔は彼の心を斬り裂くように思えた。
「さあ、行こう。あまり時間をかけない方がいい」
複雑な表情で、ディックが二人をうながす。彼もまた、国を裏切りここにいることということを背負っているのだ。
世界樹の根からさほど遠くないところに、洞穴のような樹のうろがある。そこが、世界樹の核へと続く道だ。それは見上げるほど大きく、まるで樹で造られた街の門のようにも思えた。
その内部はヒカリゴケが群生し、あちらこちらがほのかに輝き、それこそ明かりの輝く夜の街を思わせた。
「――――いつ来ても、きれいな場所」
感嘆するかのように、ヴェロニカが囁いた。まるでそれに樹が呼応するかのように、コケがぼんやりと明滅する。
「――――そうだな」
ヴェロニカの言葉は、ジャスティンには上の空だった。彼女とこうして言葉を交わすのも、もう恐らく数えるほどしかない。
うろの奥は、まっすぐと続く通路になっている。不思議なことに、ここから先はまるで人が造りだした通路のように、平らでまっすぐだ。
一歩、また一歩と三人は通路を進んでいく。それを出迎えるかのように、徐々にコケの明かりは明るさを増していく。
やがて三人は、小さなドーム状の空間へとたどり着いた。天井は高く先が見えず、奥行きは10mほどの、空間。
その真ん中に、静かに輝く樹の根があった。優しく、緑に、時として青に輝く、不思議な樹の根。
それがこの星の万物の命の源、世界樹の核であった。
「……これが、世界樹の核」
それを始めて目の当たりにするヴェロニカが、ぼうとつぶやく。
「……私は、どうすればいいの?」
その眼前まで進んだヴェロニカが、助言を乞うようにジャスティンを振り返ったその時、静かに核が輝きを増した。
「……え? そう……。そうすればいいのね」
思わず核を振り返ったヴェロニカが、不意に呟いた。
「……ヴェロニカ?」
「大丈夫。樹が教えてくれるって」
ヴェロニカが優しく微笑んだその時――――。
不意に。
軍靴の音が響いた。
その音に、ジャスティンが息を飲む。
「――――まさかッ! 早すぎる!」
その声が合図であったかのように、突然、研究所の兵たちが空間になだれ込んだ。みな銃を構え、ジャスティンらと、そして核に狙いを定めている。
「――――やはりそうだったか、ジャスティン少佐」
兵たちに続いてゆっくりとその姿を現したのは、ナルティリア王国国王その人だった。
「……父様……」
茫然とした様子で、ヴェロニカが囁いた。
「ヴェロニカよ……なぜこんなバカなことをする? なぜお前一人が犠牲になることを受け入れる? 私には、到底受け入れられん」
その言葉に、ヴェロニカがうつむく。
「父様……これは犠牲ではありません。私がそう生きると決めた、道なのです。ジャスティンも同じ。これは反逆ではなく、私の生きる道なのです」
「……………」
ヴェロニカの言葉に、王は沈黙する。今まで、彼女がこのようにはっきりとものを言ったことは、少なくとも彼に対してはなかった。それが、彼の決断力を鈍らせていた。
「……いや、これはやはり反逆だ。兵よ、ジャスティンを捕縛せよ! 裏切者を、捕獲するのだ! 生死は問わん!」
その叫びと同時に、兵たちが動く。銃を構え、ジャスティンを捕縛しようとその周囲を取り囲む。
「くそ!」
ジャスティンが構えた銃を兵たちに向け、ヴェロニカを下がらせた。
「ヴェロニカ! 早く核の元へ!」
「ジャスティン! でも……!」
たたらを踏むヴェロニカの耳に、一発の銃声が響く。
「――――ぐっ!」
兵たちから放たれた銃弾はジャスティンの頬をかすめて飛来する。
「――――早くっ!」
ジャスティンの悲鳴のような叫びとともに、ヴェロニカは駆けだす。後ろに残ったのは、怒号と銃声、そして悲鳴のみであった。
それは、不思議な色をした石だった。淡い紫色の、透き通った光沢を持つ、世界樹の核。
ヴェロニカは、そっとその核に触れる。
「……そう、こうすればいいのね」
刹那、静かに核の輝きが増す。その小さな空間は瞬く間に光に包まれた。
その光は静かに空間の中を広がっていく。それはやがて、ジャスティンたちが争う場所までも飲み込んでいた。
「……ヴェロニカ」
傷ついたジャスティンと王が同時につぶやく。片方は絶望とともに。もう片方はそれ以外に、かすかな喜びと悲しみを帯びて。
――――そして光が晴れた時、そこにヴェロニカの姿はなかった。あったのは――――先ほどのものよりも、かすかに小さな核。
「――――お前、やったんだな」
ひどく重く、ジャスティンは口を開いた。それよりもさらに重く開いた瞼から、音もなしに涙があふれる。
「さあ……あとやることは一つだけだ」
ゆっくりと、彼は王を振り返る。
「――――俺を撃て。それですべておしまいだ」
その声に合わせて、兵たちが銃を構えた。
当の王はすでに放心したように座り込んだまま、空を見据えている。
――――これで、いい。
ジャスティンは静かに瞼を閉じた。
だが、いつになっても弾丸が放たれる気配はない。そっと、ジャスティンは瞳を開く。
そこにあったのは、彼を守るように天井から突き出した、樹の根であった。それはあたかも壁のようにジャスティンと王たちの間に立ちふさがり、彼を守っていた。
「ヴェロニカ……お前……」
つぶやくジャスティンの目から、涙がこぼれる。彼女は、知っていたのだ。ジャスティンが彼女の信じた道を進ませるために、死ぬ覚悟であるということを。
「……これは……」
王が、信じられないものを見たように囁いた。
「……そうか。それがお前の答えか……」
さらにそうつぶやいた王は、ジャスティンらに背を向ける。
「王……?」
「ジャスティン少佐。どうやら、君が正しかったようだ。私はここを去る。……君は、君のするべきことをしたまえ」
「俺のするべきこと……」
やがて王は兵を引き連れ、その場所から去る。ただ後には、呆然とするディックと、何かを決意したように顔を上げるジャスティンの姿があった。
この世界には、一つの伝説がある。星を守るために樹になった姫君と、彼女を守るために一生を尽くした、一人の男の話。
姫が世界樹となった後、生涯、男はその場所から一歩も出ることもなく、ただ一丁の銃のみで世界樹を守り抜いた。男がいなくなった今でも、その銃は樹を守るように地に突き刺さっているのだという。
それは、はるか昔の出来事。だが、今もその星には命があふれ、そして、花々が咲き乱れるようになった。
そう――――ヴェロニカの花の咲く星に。