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Far beyond the time

ー/ー



 研究所には、飛行場があった。徒歩で近づくことのできない世界樹に、接近するための飛行機を飛ばすための場所である。

 そこに、ディックと数人の整備員らしき人物の姿があった。どうやら彼らは小型の数人乗り用の飛行機――――オートジャイロの準備をしているようだった。

「……しかし副所長、今日はフライトの予定があるとは聞いていませんが?」

 数人のうちの一人がふと作業の手を止め、その様子を見守っていたディックを振り返る。

「いいんだよ。今日は。なにしろ、お前らが準備してるそれは、お姫様と王子様の、魔法の絨毯なんだからな」

 少々気障ったらしく肩をすくめて見せるディックに、しかし整備員は納得したようにうなずく。

 姫が乗るのだから許可などいらない。彼は、そう思い至ったのだろう。

 ――――まあ、魔法の絨毯と呼ぶには、待ち構える運命が酷すぎるがな。

 ただ一人、その場ではディックのみがその運命を苦々しく噛みしめていた。

「整備、完了しました。後はいつでも離陸することができます」

 先ほどの整備員が敬礼しながらディックに言う。

「――――ご苦労。もう下がってくれ。どうやら姫様方も到着されたようだ」

 敬礼に一つうなずいて見せてから、ディックは下がるようにジェスチャーをして見せた。彼らにはひどく鷹揚に見えただろうが、そんなことに構ってはいられない。

 やがて警備員たちが姿を消すのと入れ替わりに、ジャスティンとヴェロニカがやってきた。

「これはこれはお姫様に未来の王子様、お待ちしておりました」

 大仰に礼をして見せるディックに、ジャスティンは苦虫を噛み潰したような表情に、ヴェロニカは輝くような笑顔にそれぞれ染まる。

「お久しぶりです、ディックさん。こんなことに巻き込んでしまってごめんなさい」

 笑顔から申し訳なさそうな表情に変わったヴェロニカに、ディックが笑って顔を上げる。

「いいんですよ。俺のモットーはレディファーストでして。それは国家規模、世界規模の問題になっても変わりありません。な、王子様」

「王子様はやめろ。それに、ことが済んだら、王子どころか立派な国家反逆罪の罪人だ」

 さらに額のしわを深くするジャスティンに、ヴェロニカの表情が暗く曇った。

「……ごめんなさい。私の、わがままのせいで」

「……………」

 その言葉に、ジャスティンが沈黙する。その顔にはまるで、先ほどの言葉は失言だったと書いてあるようだ。

「ま、まあとにかく時間がない。二人はオートジャイロに乗り込んでくれ。俺もすぐに同じ機で後を追う」

 場を取り繕うかのように、オートジャイロに乗るよう促すディックを尻目に、二人はそれぞれの席へ乗り込んだ。

 前席と後部席しかない、完全に二人用のオートジャイロだ。それはジャスティンの操縦で幾度となくヴェロニカと空を飛んだ、思い出の愛機だった。

 それも、これで最後だ。

 不意に心に浮かんだ、まるで他人が突き付けてきたような思いが、ジャスティンの胸に去来した。

 同時に、何とも言えないもやもやとした霧の中にいるような気分になる。

 それを振り払おうとするかのように、ジャスティンはオートジャイロのエンジンをかける。低いモーター音とともに、前方のプロペラが回りだした。

 やがてオートジャイロはゆっくりと進みだし、離陸する。進む方向には、傾きかけた太陽と青い空。

 高度が安定したころ、ジャスティンはふと、後ろを振り返る。

『怖くはないか?』

 プロペラやモーターの音に遮られぬよう、手でのサインでの言葉に、ヴェロニカはいつもの屈託のない笑みを浮かべて見せた。

『大丈夫です』

 たったそれだけの短いやり取りだったが、それがジャスティンの心を、じわりと暗く湿らせる。

 ――――大丈夫なはずがない。

 そう、彼は考えていたからだった。これから彼女は国を裏切り、父を裏切り、世界樹の核へとなりに行くのだ。人間でなくなるために彼女は飛ぶのだ。それが、怖くないはずがない。

 それが、無機質なサインでは送り切れなかったジャスティンの想いだった。だが、自他ともに認める不器用な男である彼が、口での言葉であってもそれを伝えられはしないだろうことも、同時に彼はわかっていた。

 不意に、バックミラーに彼女がサインを送ってくる。うつむき加減だったジャスティンは、あわててそれを確認した。

『始めて飛んだ時のことを思いだしませんか?』

 ――――始めて飛んだ時。それは、まだ二人が婚約を結ぶ前。どうしても空から世界樹が見てみたいとせがむヴェロニカを乗せて飛ぶパイロットとして、ジャスティンに白羽の矢が立ったのだった。

 それは同時に、二人の初めての出会いでもあった。無論、その時は一兵卒と国の姫という関係であったし、ヴェロニカは空でのサインなど知りもしなかったから、言葉を交わすことすらなかった。

 しかし、それから彼女はたびたび、世界樹を空から見るためにやってくるようになった。そのたびにジャスティンは彼女を乗せて世界樹の上空を飛んだものだった。彼女が空でのサインを独学で勉強し、覚えてきたときには驚いたものだ。

『あのころから、もう私は世界樹に呼ばれていたのかもしれませんね』

『……そうだな』

 ぶっきらぼうなサインで彼女に言葉を返すも、彼女のサインからは言葉以上のものは読み取れない。

 その心のうちにあるのが、不安なのか、喜びなのか、恐怖なのか。それすらも読み取れない。

 彼女の心根がどうあれ、きっと彼女は笑っているから。喜びならもちろん、不安や恐怖であっても、彼女はそれをジャスティンに見せようとはするまい。

『お前は……強いな』

 静かに息をつきながら、ジャスティンはサインを送る。

『え?』

『怖くないはずがない。人でないものになるんだ、それがたとえこの星を救うのだとしても、怖くないはずがないだろう。それをおくびにも出さないお前は……強いよ』

 そう、彼女は強い。少なくとも、今愛するものを失うと知りながら、その道を一歩ずつ、悲しみと不安とともに歩む自分よりは、よほど彼女は強い。

『……そんなことはありませんよ。私、怖いですもの』

 少し間をおいて、ヴェロニカが答えた。


 ちらりと見やった彼女の顔は、ゴーグルに隠れてよく見えない。しかしそれでも、かすかにのぞく彼女の表情は、ジャスティンには笑って見えた。

『どうなるのかもわからない。私の意識は残るのかもしれないし、溶けて消えてしまうのかもしれない。あるいは――――』

 そこで彼女は、言葉を切る。迷うように。あるいは、恐れるように。

『死に、近いのかもしれない』

 その言葉に、ジャスティンは目を逸らす。だとするなら、自分は彼女を死地へと向かわせていることになる。

 『死に近い』のではなく、ジャスティンから見れば、それは『死』だ。自分が自分でなくなるかもしれない。自分という存在すら消え去るのかもしれない。なにも感じない、なにも想うことすらなくなるのかもしれない。

『でも、それは死ではない、という気もどこかでしているんです』

『……え?』

 だが、彼女のその次の言葉に、ジャスティンは息を飲んだ。

『――――それは、そういう生き方なのかもしれない、と。世界樹の核となって、その理を継ぐ。そして、みんなの生きる星を守る。そういう生き方なのかもしれない、と』

『……………だが』

 思わずジャスティンの口をついて反論の言葉が出るが、それ以上の言葉が続かない。

『あなたと同じですよ、ジャス』

『……俺と……?』

 再びヴェロニカの顔を見るジャスティンに、ヴェロニカは微笑む。

『はい。国を守るために軍に入ったあなたと、同じです。あなたがその道を自分で選んだように、私もそういう生き方を自分で選んだんです』

 笑って言うヴェロニカに、ジャスティンは沈黙する。

 その言葉にどう返したらいいのかわからないまま、やがて雲の向こうに世界樹が姿を現した。

 彼女は、生き方を決めた。ならば――――自分も、決めなければならない。

 遠く見える、この星の中核を担う樹に視線を注ぎながら、ジャスティンは無言のまま、オートジャイロのスピードを上げた。





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 研究所には、飛行場があった。徒歩で近づくことのできない世界樹に、接近するための飛行機を飛ばすための場所である。
 そこに、ディックと数人の整備員らしき人物の姿があった。どうやら彼らは小型の数人乗り用の飛行機――――オートジャイロの準備をしているようだった。
「……しかし副所長、今日はフライトの予定があるとは聞いていませんが?」
 数人のうちの一人がふと作業の手を止め、その様子を見守っていたディックを振り返る。
「いいんだよ。今日は。なにしろ、お前らが準備してるそれは、お姫様と王子様の、魔法の絨毯なんだからな」
 少々気障ったらしく肩をすくめて見せるディックに、しかし整備員は納得したようにうなずく。
 姫が乗るのだから許可などいらない。彼は、そう思い至ったのだろう。
 ――――まあ、魔法の絨毯と呼ぶには、待ち構える運命が酷すぎるがな。
 ただ一人、その場ではディックのみがその運命を苦々しく噛みしめていた。
「整備、完了しました。後はいつでも離陸することができます」
 先ほどの整備員が敬礼しながらディックに言う。
「――――ご苦労。もう下がってくれ。どうやら姫様方も到着されたようだ」
 敬礼に一つうなずいて見せてから、ディックは下がるようにジェスチャーをして見せた。彼らにはひどく鷹揚に見えただろうが、そんなことに構ってはいられない。
 やがて警備員たちが姿を消すのと入れ替わりに、ジャスティンとヴェロニカがやってきた。
「これはこれはお姫様に未来の王子様、お待ちしておりました」
 大仰に礼をして見せるディックに、ジャスティンは苦虫を噛み潰したような表情に、ヴェロニカは輝くような笑顔にそれぞれ染まる。
「お久しぶりです、ディックさん。こんなことに巻き込んでしまってごめんなさい」
 笑顔から申し訳なさそうな表情に変わったヴェロニカに、ディックが笑って顔を上げる。
「いいんですよ。俺のモットーはレディファーストでして。それは国家規模、世界規模の問題になっても変わりありません。な、王子様」
「王子様はやめろ。それに、ことが済んだら、王子どころか立派な国家反逆罪の罪人だ」
 さらに額のしわを深くするジャスティンに、ヴェロニカの表情が暗く曇った。
「……ごめんなさい。私の、わがままのせいで」
「……………」
 その言葉に、ジャスティンが沈黙する。その顔にはまるで、先ほどの言葉は失言だったと書いてあるようだ。
「ま、まあとにかく時間がない。二人はオートジャイロに乗り込んでくれ。俺もすぐに同じ機で後を追う」
 場を取り繕うかのように、オートジャイロに乗るよう促すディックを尻目に、二人はそれぞれの席へ乗り込んだ。
 前席と後部席しかない、完全に二人用のオートジャイロだ。それはジャスティンの操縦で幾度となくヴェロニカと空を飛んだ、思い出の愛機だった。
 それも、これで最後だ。
 不意に心に浮かんだ、まるで他人が突き付けてきたような思いが、ジャスティンの胸に去来した。
 同時に、何とも言えないもやもやとした霧の中にいるような気分になる。
 それを振り払おうとするかのように、ジャスティンはオートジャイロのエンジンをかける。低いモーター音とともに、前方のプロペラが回りだした。
 やがてオートジャイロはゆっくりと進みだし、離陸する。進む方向には、傾きかけた太陽と青い空。
 高度が安定したころ、ジャスティンはふと、後ろを振り返る。
『怖くはないか?』
 プロペラやモーターの音に遮られぬよう、手でのサインでの言葉に、ヴェロニカはいつもの屈託のない笑みを浮かべて見せた。
『大丈夫です』
 たったそれだけの短いやり取りだったが、それがジャスティンの心を、じわりと暗く湿らせる。
 ――――大丈夫なはずがない。
 そう、彼は考えていたからだった。これから彼女は国を裏切り、父を裏切り、世界樹の核へとなりに行くのだ。人間でなくなるために彼女は飛ぶのだ。それが、怖くないはずがない。
 それが、無機質なサインでは送り切れなかったジャスティンの想いだった。だが、自他ともに認める不器用な男である彼が、口での言葉であってもそれを伝えられはしないだろうことも、同時に彼はわかっていた。
 不意に、バックミラーに彼女がサインを送ってくる。うつむき加減だったジャスティンは、あわててそれを確認した。
『始めて飛んだ時のことを思いだしませんか?』
 ――――始めて飛んだ時。それは、まだ二人が婚約を結ぶ前。どうしても空から世界樹が見てみたいとせがむヴェロニカを乗せて飛ぶパイロットとして、ジャスティンに白羽の矢が立ったのだった。
 それは同時に、二人の初めての出会いでもあった。無論、その時は一兵卒と国の姫という関係であったし、ヴェロニカは空でのサインなど知りもしなかったから、言葉を交わすことすらなかった。
 しかし、それから彼女はたびたび、世界樹を空から見るためにやってくるようになった。そのたびにジャスティンは彼女を乗せて世界樹の上空を飛んだものだった。彼女が空でのサインを独学で勉強し、覚えてきたときには驚いたものだ。
『あのころから、もう私は世界樹に呼ばれていたのかもしれませんね』
『……そうだな』
 ぶっきらぼうなサインで彼女に言葉を返すも、彼女のサインからは言葉以上のものは読み取れない。
 その心のうちにあるのが、不安なのか、喜びなのか、恐怖なのか。それすらも読み取れない。
 彼女の心根がどうあれ、きっと彼女は笑っているから。喜びならもちろん、不安や恐怖であっても、彼女はそれをジャスティンに見せようとはするまい。
『お前は……強いな』
 静かに息をつきながら、ジャスティンはサインを送る。
『え?』
『怖くないはずがない。人でないものになるんだ、それがたとえこの星を救うのだとしても、怖くないはずがないだろう。それをおくびにも出さないお前は……強いよ』
 そう、彼女は強い。少なくとも、今愛するものを失うと知りながら、その道を一歩ずつ、悲しみと不安とともに歩む自分よりは、よほど彼女は強い。
『……そんなことはありませんよ。私、怖いですもの』
 少し間をおいて、ヴェロニカが答えた。
 ちらりと見やった彼女の顔は、ゴーグルに隠れてよく見えない。しかしそれでも、かすかにのぞく彼女の表情は、ジャスティンには笑って見えた。
『どうなるのかもわからない。私の意識は残るのかもしれないし、溶けて消えてしまうのかもしれない。あるいは――――』
 そこで彼女は、言葉を切る。迷うように。あるいは、恐れるように。
『死に、近いのかもしれない』
 その言葉に、ジャスティンは目を逸らす。だとするなら、自分は彼女を死地へと向かわせていることになる。
 『死に近い』のではなく、ジャスティンから見れば、それは『死』だ。自分が自分でなくなるかもしれない。自分という存在すら消え去るのかもしれない。なにも感じない、なにも想うことすらなくなるのかもしれない。
『でも、それは死ではない、という気もどこかでしているんです』
『……え?』
 だが、彼女のその次の言葉に、ジャスティンは息を飲んだ。
『――――それは、そういう生き方なのかもしれない、と。世界樹の核となって、その理を継ぐ。そして、みんなの生きる星を守る。そういう生き方なのかもしれない、と』
『……………だが』
 思わずジャスティンの口をついて反論の言葉が出るが、それ以上の言葉が続かない。
『あなたと同じですよ、ジャス』
『……俺と……?』
 再びヴェロニカの顔を見るジャスティンに、ヴェロニカは微笑む。
『はい。国を守るために軍に入ったあなたと、同じです。あなたがその道を自分で選んだように、私もそういう生き方を自分で選んだんです』
 笑って言うヴェロニカに、ジャスティンは沈黙する。
 その言葉にどう返したらいいのかわからないまま、やがて雲の向こうに世界樹が姿を現した。
 彼女は、生き方を決めた。ならば――――自分も、決めなければならない。
 遠く見える、この星の中核を担う樹に視線を注ぎながら、ジャスティンは無言のまま、オートジャイロのスピードを上げた。