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あの時に…

10/18





「ずっと……ずっとね、私あなたのことが好きだった。やっと……会えたからもう……離れたくない」  心の底から聞きたかった言葉。  本当に願っていた言葉。  それを聞くことが出来たのに、俺の心はむしろ苦しみしか感じていなかった。  思うことは沢山ある。  何でもっと早く。  なんであの時に。  苦しい、悲しい、様々な葛藤が心の中で湧き上がって暴れる。  いっそのこと、ずるい男になれたら楽なのに。  俺はいま告白してくれた彼女、市川染華いちかわそめかの事が好きだった。  幼稚園で仲良くなり、家が比較的近所だったこともあって小学校に上がってもずっと一緒に過ごしていた。  だけど染華が中学二年の秋に、彼女の両親が離婚した。  染華は母親と一緒に母親の地元に引っ越すことになり、俺たちはお互いに想いを伝え合うこともなく離ればなれになった。  振り返れば多分、お互い相手のことを好きだったと思う。  ただあまりにも身近に居て、誰よりも親しくて、誰よりも理解し合っていたからこそ、言葉に出来なかった気がする。  あの頃の俺たちにとって、お互いの関係性に付ける名前なんて必要ないと思っていたから。  ずっと未来まで、一緒に歩んでいけると思っていたから。  だから敢えて言葉に……告白を……していなかった。  そして染華が引っ越すことがわかったあとは、逆に告げることが出来なくなっていた。  彼女の母親の実家は、中学生の俺からすれば遙か遠い土地で、だからこそ関係性に名前を与えてしまえば、そのとてつもない距離に押しつぶされてしまうと、無意識にわかっていたから。  だから俺たちは、涙を流しながらそれでも必死に笑って、握手をして別れた。  いつの日かまた会えるように祈りながら。  それから随分時間が流れた。  染華のことは時折思い出して、少しばかり胸を痛めて、だけどそれも青春の1頁なんだと思えるほどの時間が。  今になれば思う、せめて未来に約束を交わしていれば良かったと。  だけどあまりに幼すぎて、そしてあまりにも近すぎた俺たちはそんなことを考えもしていなかった。  未来の約束もなく、二度と会えないと思った最愛の人は、やがて思い出に変わっていき、俺が心を痛めることもほぼなくなっていった。    大学三年の時、同じゼミをとっていた女子から告白された。  その女子は思えば少し染華に雰囲気が似ていたこともあって、俺はなんとなく惰性で交際を始めた。  交際を重ねるほどに、彼女がとても優しくて愛情深くて一途な女子だと知り、俺はどんどんと彼女のことを好きになった。  そして大学を卒業後に同棲を始めた。  同棲して三年。  そろそろ結婚もと考え始めた俺に、長期出張の話が舞い込んだ。  出張先は染華の母親の地元のある県だったが、そんな偶然もないと思い俺は淡々と仕事をこなしていた。    2週間に一度は金曜の夜に、彼女が俺の出張先に遊びに来てくれて、俺たちはデートをして土曜日は泊まっていき、日曜日の夕方に彼女を駅に送るのが当たり前になってきた頃だった。  彼女を見送り、彼女が改札を通り抜けてこちらを振り返り手を振るという、いつもの流れを見送り、家に帰るべく歩き始めた俺を呼び止める越が会った。  染華だった。  声を聞いた瞬間にすぐにわかり、そして堰を切ったようにあふれ出す思い出たち。  二度と会えないと思っていた、最愛だった人。  染華は嬉しそうに俺に走り寄ってきて、俺の胸に飛び込んできた。  これの背中に回して腕に力を込め何度も俺の名前を繰り返し呼んでくる。  奇跡のような再会のあと、俺たちは近くにあった公園に移動してベンチに腰を下ろして話し合った。  離れてから今日までの、おおよそ10年の話を。 「私ね……高校とか大学とか……今の職場でも、何回か告白されたんだけどね……どうしてもつきあうって気持ちになれなかった」  手を自分の膝の上に置いたまま、明るい口調で染華が言った。  何かを決意するかのように、きゅっと引き結んだ唇。  何度か息を吸って吐いて、そして空を黙って見上げたあと、ゆっくりと顔を下ろして俺の目を見つめてくる染華。 「ずっと……ずっとね、私あなたのことが好きだった。やっと……会えたからもう……離れたくない」  別れた時は夢に見た、俺がもっとも聞きたくて、もっとも望んだはずの言葉。  だけどそれは今の俺には、強く刺さる刃のような言葉だった。  なんで今になって……という卑怯な想いが沸き立つ。  あの時、あの別れのときそう言ってくれたら……せめて再会の約束をしていれば……大人になったら結婚しようとか何かすがれるものがあったら……という女々しい言い訳が浮かんでは消えていく。 「その言葉、あの時にどちらかが言うことが出来ていたら……違う未来になっていたのかな」  俺の言葉に染華は、短く「えっ」と言う言葉を漏らし、そして何かを悟ったかのように凍り付き、そして寂しい笑顔で笑った。 「そっか……時間は流れてたんだね。私だけがずっと足踏みしていたんだ……現実を受け入れたくなくて」 「何の約束も、希望もないままで10年を待つことが出来なかったんだ。俺が……弱いから、弱かったから」 「誤魔化すことも、できたよね。でもそれでも、正直に答えてくれたんだよね。やっぱり私、あなたのこと好きになって良かった」  涙を流したまま、それでも精一杯の笑顔を向けてくれる染華。  彼女との縁を、繋がりを信じることが出来てたなら、今の俺はこの上ない幸せな気持ちで彼女を抱きしめることが出来ていたのだろう。  だけど小説や漫画みたいな奇跡が起こるはずがないと、そう思ってしまった。  自分の気持ちを、染華の気持ちを信じ切れなかった。  そして時間の流れの無情さを知ってしまっていたから、どんな思いもやがて色あせてしまうものだと、他ならぬ自分自身がそうだったから。  だから神様の与えてくれた、この奇跡を俺は享受することが出来ないのだろう。 「もう、あうことは無いだろうけど……元気でね……大好きだったよ」  泣きはらした目で笑った染華は、俺の知っている彼女の表情の中で、一番儚くてだけど、一番綺麗だった。  染華は俺が何かを言うよりも早く、ベンチから立ち上がり走り出した。  その姿は雑踏の中に紛れ、俺の目には二度と映ることはなかった。  



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「ずっと……ずっとね、私あなたのことが好きだった。やっと……会えたからもう……離れたくない」  心の底から聞きたかった言葉。  本当に願っていた言葉。  それを聞くことが出来たのに、俺の心はむしろ苦しみしか感じていなかった。  思うことは沢山ある。  何でもっと早く。  なんであの時に。  苦しい、悲しい、様々な葛藤が心の中で湧き上がって暴れる。  いっそのこと、ずるい男になれたら楽なのに。  俺はいま告白してくれた彼女、市川染華いちかわそめかの事が好きだった。  幼稚園で仲良くなり、家が比較的近所だったこともあって小学校に上がってもずっと一緒に過ごしていた。  だけど染華が中学二年の秋に、彼女の両親が離婚した。  染華は母親と一緒に母親の地元に引っ越すことになり、俺たちはお互いに想いを伝え合うこともなく離ればなれになった。  振り返れば多分、お互い相手のことを好きだったと思う。  ただあまりにも身近に居て、誰よりも親しくて、誰よりも理解し合っていたからこそ、言葉に出来なかった気がする。  あの頃の俺たちにとって、お互いの関係性に付ける名前なんて必要ないと思っていたから。  ずっと未来まで、一緒に歩んでいけると思っていたから。  だから敢えて言葉に……告白を……していなかった。  そして染華が引っ越すことがわかったあとは、逆に告げることが出来なくなっていた。  彼女の母親の実家は、中学生の俺からすれば遙か遠い土地で、だからこそ関係性に名前を与えてしまえば、そのとてつもない距離に押しつぶされてしまうと、無意識にわかっていたから。  だから俺たちは、涙を流しながらそれでも必死に笑って、握手をして別れた。  いつの日かまた会えるように祈りながら。  それから随分時間が流れた。  染華のことは時折思い出して、少しばかり胸を痛めて、だけどそれも青春の1頁なんだと思えるほどの時間が。  今になれば思う、せめて未来に約束を交わしていれば良かったと。  だけどあまりに幼すぎて、そしてあまりにも近すぎた俺たちはそんなことを考えもしていなかった。  未来の約束もなく、二度と会えないと思った最愛の人は、やがて思い出に変わっていき、俺が心を痛めることもほぼなくなっていった。    大学三年の時、同じゼミをとっていた女子から告白された。  その女子は思えば少し染華に雰囲気が似ていたこともあって、俺はなんとなく惰性で交際を始めた。  交際を重ねるほどに、彼女がとても優しくて愛情深くて一途な女子だと知り、俺はどんどんと彼女のことを好きになった。  そして大学を卒業後に同棲を始めた。  同棲して三年。  そろそろ結婚もと考え始めた俺に、長期出張の話が舞い込んだ。  出張先は染華の母親の地元のある県だったが、そんな偶然もないと思い俺は淡々と仕事をこなしていた。    2週間に一度は金曜の夜に、彼女が俺の出張先に遊びに来てくれて、俺たちはデートをして土曜日は泊まっていき、日曜日の夕方に彼女を駅に送るのが当たり前になってきた頃だった。  彼女を見送り、彼女が改札を通り抜けてこちらを振り返り手を振るという、いつもの流れを見送り、家に帰るべく歩き始めた俺を呼び止める越が会った。  染華だった。  声を聞いた瞬間にすぐにわかり、そして堰を切ったようにあふれ出す思い出たち。  二度と会えないと思っていた、最愛だった人。  染華は嬉しそうに俺に走り寄ってきて、俺の胸に飛び込んできた。  これの背中に回して腕に力を込め何度も俺の名前を繰り返し呼んでくる。  奇跡のような再会のあと、俺たちは近くにあった公園に移動してベンチに腰を下ろして話し合った。  離れてから今日までの、おおよそ10年の話を。 「私ね……高校とか大学とか……今の職場でも、何回か告白されたんだけどね……どうしてもつきあうって気持ちになれなかった」  手を自分の膝の上に置いたまま、明るい口調で染華が言った。  何かを決意するかのように、きゅっと引き結んだ唇。  何度か息を吸って吐いて、そして空を黙って見上げたあと、ゆっくりと顔を下ろして俺の目を見つめてくる染華。 「ずっと……ずっとね、私あなたのことが好きだった。やっと……会えたからもう……離れたくない」  別れた時は夢に見た、俺がもっとも聞きたくて、もっとも望んだはずの言葉。  だけどそれは今の俺には、強く刺さる刃のような言葉だった。  なんで今になって……という卑怯な想いが沸き立つ。  あの時、あの別れのときそう言ってくれたら……せめて再会の約束をしていれば……大人になったら結婚しようとか何かすがれるものがあったら……という女々しい言い訳が浮かんでは消えていく。 「その言葉、あの時にどちらかが言うことが出来ていたら……違う未来になっていたのかな」  俺の言葉に染華は、短く「えっ」と言う言葉を漏らし、そして何かを悟ったかのように凍り付き、そして寂しい笑顔で笑った。 「そっか……時間は流れてたんだね。私だけがずっと足踏みしていたんだ……現実を受け入れたくなくて」 「何の約束も、希望もないままで10年を待つことが出来なかったんだ。俺が……弱いから、弱かったから」 「誤魔化すことも、できたよね。でもそれでも、正直に答えてくれたんだよね。やっぱり私、あなたのこと好きになって良かった」  涙を流したまま、それでも精一杯の笑顔を向けてくれる染華。  彼女との縁を、繋がりを信じることが出来てたなら、今の俺はこの上ない幸せな気持ちで彼女を抱きしめることが出来ていたのだろう。  だけど小説や漫画みたいな奇跡が起こるはずがないと、そう思ってしまった。  自分の気持ちを、染華の気持ちを信じ切れなかった。  そして時間の流れの無情さを知ってしまっていたから、どんな思いもやがて色あせてしまうものだと、他ならぬ自分自身がそうだったから。  だから神様の与えてくれた、この奇跡を俺は享受することが出来ないのだろう。 「もう、あうことは無いだろうけど……元気でね……大好きだったよ」  泣きはらした目で笑った染華は、俺の知っている彼女の表情の中で、一番儚くてだけど、一番綺麗だった。  染華は俺が何かを言うよりも早く、ベンチから立ち上がり走り出した。  その姿は雑踏の中に紛れ、俺の目には二度と映ることはなかった。  



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