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君へ捧ぐうた

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 本土の首都が白に染まった日。  遠く離れた【洋上廃都】で俺はライブの当日を迎えていた。  隣ではまだのんきにサンが寝息を立てている。 「朝ご飯、作らないとな」  眠るサンに小さくキスを落としてベッドを降りる。  シャワールームの鏡に映る自分の姿に、俺はもう時間がないことを悟った。  胸の結晶石は夢で見たのと同じ大きさまで成長していた。今は、痛みはない。  結晶石は俺のサンへの想いに比例して成長した。  想いを自覚してからたった数日で。 「……」  サンの一族にかけられた残酷な呪い。そして自らを待つ終焉の運命。  首に残るあかしをそっと指でなぞる。  怖くないと言えば嘘になる。  少し前まで【ノクチルカ】などただの伝承で、同じ髪と瞳の色を持っていたとしても  それはただの突然変異で、自分には関係ないのだと、【ノクチルカ】ではないのだと信じていた。  だから理不尽に歌を奪われ、住む場所も奪われた時には絶望しかなかった。  だが、自分が【ノクチルカ】の生まれ変わりであることを、知った今となっては。 「……終わらせる。俺が【ノクチルカ】ならすべてを終わらせられるはずだ」  融け合ったあと、まどろみの中で夢を見た。 【ノクチルカ】が受けた仕打ちをすべて夢の中で受けた。  理不尽に体を穢されて殺されるのは酷く理不尽で残酷で、夢の中の男を俺は憎んだ。  おそらく初めの【ノクチルカ】は俺を蔑んだのだろう。  その男の一族の血を引くサンに身体まで開いた俺を理解できないのだろう。  殺せと、憎めと、胸のあたりから声がした。  しかし、その夢のおかげで逆に俺の決意は固まった。  サンはその男とは違う。  優しい言葉をかけてくれ、孤独から救ってくれ、何より運命から逃れられないことを彼自身が苦しんでいた。  泣き顔と泣き声を今でも思い出せる。  何度も何度も愛しい人を、同じ名前と同じ姿の『チル』を手にかけたから、きっと俺の手は汚れていると。それでもまた繰り返すとわかっていても、求めてしまうから、本当にごめんと。 「……謝るのはこっちだ。ずっとずっと縛り付けて。箱庭のシステムまで作り上げて。同じ血を引くというだけで、罪もないひとりの青年を苦しめ続けてきたのだから」  シャワーの湯を止めて、外に出る  もう、迷いはなかった。  ―― 「おーチル、早いな?」  朝ご飯の匂いに釣られてサンが起きてきた。まだ、準備は整っていない。 「おはよう。シャワー浴びてきて。その間にはできると思うし」 「わかった。……体、どこも痛くないか?ほら、わりと何度も……」  その言葉で改めて思い出してしまい、耳が赤くなる。それを悟られないように、さっさとシャワールームにサンを押し込んだ。 「よし、できた」  俺が選んだのはサンの好物である揚げ菓子と、サンが釣ってきた魚のフライ。  最後になるのなら、彼の好物を作ってあげたかった。  飲み物は本土でよく飲まれていた緑茶。  取り合わせがめちゃくちゃな気がするが、気にしなくてもいいだろう。  何気なくつけたラジオからは、首都が雪に覆われたというニュースが流れていた。  冷気を感じてみてみると足元に雪色のペンギンが立っていた。 <……たすけてあげるんだね。あのひと> 「ああ」  ペンギンが喋った。驚くべき事態だがそんなことを気にしている場合ではない。 <よかったね。やっとのくちるかはあいされた。だから、きみにうたを、かえす>  淡い光の粒となって、雪色のペンギンが俺の中へと吸い込まれる。 (あ)  同時にことり、と音がして何かが外れた。 (喉が……苦しくない……)  これなら、歌える。  サンと共に。そして、歌うべきその歌も。 ** 「あがったぞーって、何この俺の好物ばかりの食卓」  サンは嬉しそうに言うと、いただきますと呟いてぱくぱくと食べ始める。  俺はそれを微笑みながら見つめていた。 「あれ?食べないのか?」 「残りでいい。元々俺が少食なの知ってるだろ?」 「そうだな、じゃあ少し残しとくよ」  俺は初めて、サンに嘘を吐いた。  本当は結晶石が現れた日から、何も食べていない。食べられなくなったのだ。  味を感じることができなくて、初日はひどく戸惑った。だが、本で調べてストレスでそういう症状が出るとわかり、そうだろうと納得したので、まさか結晶石のせいだとは思いもしなかった。  他の感覚も消えるのかと少しだけ思っていたが他の感覚は全て正常だった。 【ノクチルカ】はおそらく精霊や神に近い存在だから、食事は必要とはしないのだろう。  言葉通りにほんの少しだけ残された朝食を、胃袋に押し込んだ。  ライブ会場に行くまではまだ少し時間がある。  サンはあろうことかのんきに俺の家のソファで寝息を立て始めた。 「お腹が一杯になったから眠るって子どもみたいだな」  苦笑しながら、ブランケットをかけてやる。 (こうしてこの家でこうしてふたりで過ごすのも、最後か)  こみ上げてくる切なさを押し殺すように、代わりに笑顔を浮かべて眠るサンを見ていた。 (出会えて、よかった)  時計を見て、サンを起こしふたりでライブ会場へと向かった。 **  ライブ会場は【洋上廃都】の中央広場。  すでにスタッフが機材を運び込んで準備をしてくれている。  あとはステージ衣装に着替えて、本番を待つのみ。 「あのさ、サン。ちょっと不思議な出来事があって、俺、歌えるようになったんだ」 「ホントか!?」  この言葉にサンは目を輝かせる。 「本当だ。だから一緒に唄おう」  ふわりと体が抱きしめられる。サンが泣いていた。 「よかった……これからは聞けるんだなお前の歌。言っただろ、俺チルの歌が好きだって」  ずきりと痛む胸を無視して、「そうだな」と返した。  その未来が決してやってこないと知りながら。  そして予定通りに午前二時、最初で最後のライブが始まった。  観客は本土でのライブとは比べ物にならないぐらい少ない。ステージに立つのもふたりだけ。  それでも久々に歌う歌は楽しくて。何よりもサンとのデュエットが嬉しくて。  あっという間に時間は過ぎ、世界が黄昏に染まる頃――  俺は、最期の歌を歌う。 「……これは、歪んだ世界を閉ざす歌。そして大切な人へ捧ぐ歌」  黄昏の空に、初めのフレーズを歌う。  〈I An Epoh……Esolc Dlrow…… 私の歌で世界を閉ざす〉  〈I Ow Ecifircas         この身を贄として捧ぐ〉  〈I An Uoy Ow Evol      あなたを愛しているから〉  古い喪われた言葉。【ノクチルカ】のみが知る言葉。  聞いている人には多分、わけのわからない造語にしか聞こえないだろう。  〈I An Evigrof Uoy       【ノクチルカ】としてあなたを許す〉  黄昏の色に、白が混ざる。 「チル……いや、零っ!」  ぼやけ始める視界の端にサンを捉えた。  歌うたびに、体が熱を帯びていく。結晶石がひび割れていく。 「……日向。もう大丈夫。この世界は閉ざされる。もう苦しまなくていい……」  ぱきん、ぱきん。  音が聞こえた。世界が閉じようとしている。これはきっと箱庭が砕ける音。  世界のすべては一度凍り付くだろう。世界は一度、滅びるだろう。 「……大丈夫……雪はいつか……融けるもの。やっとこの世界から【ノクチルカ】の残滓は全て消え去る。新しい世界は、サンたちが……【ノクチルカ】から解き放たれた者たちが作っていくんだ……」  その世界に、きっと俺はいない。  いてはいけないのだ。  だけど、それでいい。それがいい。 「嫌だ……!そんなのは嫌だ……!」  泣きじゃくる日向にそっとキスを落とす。 「大丈夫。全部記憶は持っていくから。理が壊れたら、【ノクチルカ】ははじめからいなかったことになる。俺と出会うこともないよ。日向は優しいから、きっと素敵な人に出会える」 「……ありがとう。さよなら」 「零っ!」  絶叫。  そして世界は崩れ落ちた。 **  雪が降っていた。  こんな日は思い出してしまう。  正確に言えば、会ったことすらないのに。  雪が降るたびに夢を見る。  雪色の髪と藍色の瞳を持つ青年の夢。  名前すらわからないのに、胸が苦しくてたまらなくなる。 「……」  数日前、藍色の石をフリーマーケットで見つけて、つい買ってしまった。  夢で見た青年の瞳と同じ色をしていたから。たしかアズライトという石だったと思う。  その石をペンダントにして肌身離さず持ち歩いていた。  もう一度名前も知らない君に会える気がして。  だが、所詮そんなのは妄想なのだ。夢は夢。そう自分に言い聞かせて  踵を返そうとしたとき―― 「ペンギン?」  雪色のペンギンが手招きするように羽ばたいた。 「待て!」  雪色のペンギンを追って、走る。 「ここは――」  袋小路の先に、見覚えのある景色があった。 【洋上廃都】で、彼が暮らしていた家だ。違うのはここが都心であり、今の世界には【洋上廃都】も  人間以外の存在もいないということ。  雪色のペンギンにぺしぺしと叩かれて、震える手でドアを押した。 「まさかお前の方から訪ねて来てくれるなんてな。……――」  小さく呟かれたその名前に、熱いものがこみ上げて、零れ落ちる。  黒髪に藍色の瞳の青年は、そっとそんな俺を抱きしめた。 「……今の名前、教えて」 <おわり>



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