10分後。僕と日向は男湯を出て、和泉が戻ってくるのを待っていた。
武蔵は一緒ではない。彼が自ら「僕がいると和泉ちゃんが倒れてしまいそうですから」と遠慮して、何処かへ行ってしまったのだ。
自意識過剰かよ、とツッコみたいところだけど、武蔵の判断はそんな軽率なものではない。ただでさえ僕の行動で困らせてしまったのに、昨晩に強烈な色気を見せつけた武蔵が揃えば、彼女の思考がパンクしてしまうのは必至だからである。
その危険は回避したとて、一体どんな顔して彼女を迎えたらいいのやら……と悩んでいる内に、数分もせず和泉が女湯から出てきてしまった。寝癖も直って完璧の姿だ。
「お、お待たせ……。あれ、日向君も来てんだ……?」
上気した頬は温泉のせいか、それとも恥じらいのせいか。和泉は少し戸惑った表情を浮かべつつ、隣に座っていた日向を見てそう言った。僕の顔はやはり見づらいようだ。
「あぁ、中でバッタリ会った。んじゃ行くか」
日向が立ち上がり、一足先に離れへと向かい始める。彼を追いかける形で和泉が振り返り、僕もその後に続こうとした。
何だかいつもより和泉の背中を小さく感じ、申し訳なさが湧き上がる。
「あの、和泉……」
何か言わなければいけない。そう思い、彼女の肩を引こうと手を伸ばした。
でも直前、兄弟らしき子供二人が僕たちの間を走り抜け、後の子が和泉の背中を不意に強く押したのだ。
「きゃあ……!?」
小さく悲鳴を上げて前に倒れる和泉。だが背後の異変を察知した日向が、素早く彼女の体を抱き留めて大事には至らなかった。慌てて母親らしき人が駆け寄って僕たちに謝罪し、兄弟を厳しく叱咤して去っていった。
嵐のように起きたハプニングを僕と日向が唖然と見届けていた一方、和泉は日向の胸に縋りついたままだった。不思議に思った日向が彼女の顔を覗き込む。
「和泉、大丈夫か……?」
「――るの?」
細く消えそうな声に、日向は首を傾げて聞き返す。
すると和泉は、少し怒ったような表情を浮かべて、彼を見上げた。
「日向君は、どうゆうつもりで私を助けるの? 貴方も私をからかってるの?」
瞬間、僕の中を衝撃が走った。そして僕と武蔵の言動は、思っていた以上に彼女へ不信感を与えてしまったことを知った。今の和泉にとって僕らの行動は、純真な乙女心を弄んでいる以外の何物でもないのだ。
当然そんな風に言われると思ってもいなかった日向は、困ったように眉を顰めた。でもアイツは冷静に、堪らず口を挟もうとした僕を目で制し、彼女の問いに答える。
「んなもん、決まってんだろ。……お前は大事な
総長だからだよ」
「……え?」
和泉が虚を突かれたように目を見開く。日向が彼女を〝総長〟と称するのは珍しいことで、驚いたのは僕もだった。
「それ以外の理由があるか? 大体んなこと、お前が一番良く分かってんだろ。なぁ、安芸?」
「えっ、あぁ、えっと――」
突然振られて煮え切らない返事をしてしまった。だが日向の意味ありげな視線に、すぐその意図を理解した。恐らく彼は〝和泉を守るのは総長だから〟という理由を明確にすることで、僕らの関係は『男女』ではなく『総長と仲間』であると示したのだ。
それは揺るぎない事実。……でも僕は違う。本当は声を大にして言いたい、「僕が君を守るのは、君のことが好きだから」と。
無論、それは今言うべきでないと、僕が一番よく分かっている。恋愛に鈍い和泉を落ち着かせるには、日向に乗るしかないのだ。彼の選択は残酷にも正しい。
腹を括れ、安芸。これは
自分が招いた失態だろう?
「――うん、そうだよ。いやだなぁ、和泉は忘れちゃったの? 僕は前からそう言ってるはずだけど」
そう口にすると、和泉は戸惑って少し哀しそうに俯いた。
でも軽く目を閉じて、首を数回横に振った彼女は「そうだよね」と呟く。
「ごめんね二人とも。私、なんか余計なこと考えすぎてたみたい」
次に顔を上げた時、和泉の表情はいつもの柔らかい笑顔に戻っていた。その姿に僕は、心に小さな穴を感じながらも安堵した。
「でも、あんまりからかわないでね? 本気にしちゃうんだから」
「そりゃどうだろな、お前はからかい甲斐があるからよ」
「あはは、そうだね」
あくまで悪ふざけを通す僕たちに、「ひどーい!」と反発する和泉。
そこへ、一人の男が怒鳴り声を上げながら駆け込んできた。
「オイお前ら、呑気に風呂入ってる場合か!? お前らがいないと、朝メシ始まらないだろうがッ!」
ボサボサの紫苑色の髪を揺らし、目くじらを立てて現れたのは近江だ。そういえば、朝はアイツが一番早く帰らなきゃいけないんだっけ。
「おっと、寝起きが悪い近江クンの登場だぜ。どーする?」
「どーする? って、そりゃもちろん……逃げるよ、和泉」
「えぇ!? ちょ、ちょっと……!」
僕たちは和泉の手を自然に引き、近江から逃れるように走り始める。当然、鬼の形相で近江は追いかけてくるわけだけど、僕たちは何故かずっと笑っていた。……あぁ、今は一緒に笑っていられるだけで十分さ。
例え自分の気持ちに嘘を吐くことになっても、彼女だけは何としても守りたいんだ。
僕が大好きな、君のその輝く笑顔を――。
◇
「ふふ、青春してますねぇ」
子供のように戯れ合う四人を遠目に、僕は思わず笑ってしまいました。どうやら、うまく切り抜けられたようですね。
個人的には恋愛も自由に楽しんでもらいたいと思っていますが、彼らが懸念するように関係が壊れてしまうのも困るのは確かです。
茶々を入れた僕が偉そうな口は叩けませんけど……今後はイタズラも、程々にしなければいけませんねぇ。
彼らは前世より仲が良い四人組でした。しかし当時は自分たちの国を守る使命に精一杯で、こんな風に顔を合わせることは滅多にありませんでした。恐らく仲の良い彼らでも……いえ、恋人同士であったあの二人でも、月に一度会えれば良いほうで。
だからこそ自由に交流できる僕たちは、前世より深い絆で結ばれると思っています。
悪いですが和泉様、我々は貴方がたより強いと確信していますよ。どうか安心して見守ってください。
あぁ、それから。
「母さん、父さん。僕は今――」
――最高の理想の中で、楽しく暮らしています。