離れの露天風呂も格別だったけど、大浴場は大浴場なりに、湯気に包まれた空間の良さがある。
そんなことを思いながら、申し訳なさそうに僕の隣で体を沈めた日向を軽く睨んだ。何で僕たち、昨日からこんな裸の付き合いをしなきゃならないんだよ。
「……気づいてたのかよ、安芸」
ポツリと呟く日向。
コイツの気配に気づいたのは、僕が和泉を抱き締めて、再び歩き始めた辺りからだった。
「当たり前だ、僕と和泉のこと覗いてたんだろ」
「はぁ!? んな人を変態みたいな言い方すんな!」
そこまで僕は思ってなかったのに、そうゆう自覚があるのか? と言いかけて言葉を飲む。そんな言い合いをしたところで、意味などない。
どうやら日向は日課である早朝ランニングをしていて、帰りに大浴場へ寄ろうとしたところ僕たちを見つけたらしい。だが、流石の日向もあの状況で声をかけることは憚れたのだ。端から見れば、僕が和泉に言い寄っているようにしか見えなかっただろうし。
ま、別に否定するつもりもないけど。
「僕が和泉とどうしようが、日向には関係ないだろ。言ったはずだ、君が彼女をどう思おうと僕は遠慮しないって」
「そりゃ分かってっけど……。お前、もしかして告った……のか?」
「まさか。今は彼女を困らせるだけと分かってて、告白なんかできないさ」
恥じることなく淡々と語る僕に、日向は完全に圧倒されているようだった。でも結論を聞くと、半ば安堵の表情を浮かべた。
ふーん……いつの間にか、ちゃんと意識してるじゃないか。コイツ、
心体増強の反動から和泉が目覚めた時、思いっきり抱き締めてたしな。思い出したらイラっとしてきたけど、そう考えると日向とはこれでお相子ってことだ。
寧ろ、彼とは同じ土俵で戦えるだけ、ありがたい。
「……君も聞いてたんだろう? 武蔵の過去の話」
湯煙の中に、昨日の光景が浮かび上がる。軽い物音に目が覚めて、和泉と武蔵の声だと気づくのにそう時間はかからなかった。でも何故か二人の間に割り込む勇気はなく、寝ているフリをしてしまった。
バレないように薄目でしか見られなかったけど、話し声だけはハッキリと聞こえていた。武蔵は彼女に、自らの過去の体験を暴露していたのだ。
「あぁ。……アイツの覚悟の理由がよく分かったぜ」
「僕もだ。僕らは皆、前世があるせいで辛い経験をしているけど、武蔵を上回るほどの過去を持つ仲間はいないと思う」
自分たちもキツい過去を乗り越えたと思っている。……でも彼は母を亡くし、目の前で父を殺され、副長という責任を背負った意味を問う壮絶な運命を辿ってきた。僕の経験なんてちっぽけなものだと思わされるほどの過去だ。
そんな話を聞かされたら、優しい和泉が武蔵を包もうとする気持ちは分からなくない。そう理解はしていても、彼女の行動はあまりにも衝撃だった。更にそれをいいように受け取って、武蔵のあの色気を武器にした言動……気が狂いそうだった。
武蔵は無敵だ。あの過去を乗り越えたからこその強さ、副長としての精神力、そして大人の魅力を持っている。どれにも僕は勝てる気がしない。彼女だけは取られたくないのに、日向と違って対等に戦えるとは到底思えないのだ。
悔しいけど惨めで起きられなくて、結局最後まで盗み聞きをする形になってしまった。
「武蔵を相手にしたら、僕は自分に自信が持てないよ……」
「そうですかねぇ。過去の経験の大小なんて、関係ないと思いますけど」
「まぁ確かに、それで和泉が人を選ぶとは思わな――」
さらりと僕らの会話へ紛れ込んだ声に、僕と日向は固まって一斉に横を振り向いた。
「やーっぱり、昨晩の気配は君たちでしたか」
「む……武蔵、さん!? いつの間にッ!?」
上擦った僕の声が、大浴場の中に情けなく響き渡る。話題の中心人物が堂々と隣で座っていたら、誰だって驚くものだろう。
日向の気配には気づけたのに、武蔵からは息づかいすら感じなかった。それ以前に彼は、眼鏡を取ったら一瞬誰だか分からなくなるからズルい。
「ってオイ。知ってたってことは、テメまさか昨日のはわざと……」
「えぇ、もちろん。でも文句を言われる筋合いはありませんよ? 僕は盗み聞きしてた君たちに、ちょっとだけ意地悪をしたくなっただけです」
悪びれる様子もなく、和やかに日向の問いに答える武蔵。
恐らく彼は和泉に対し異性としての好意があるわけではなく、シンプルに僕らの反応を試しているだけなのだろう。いや、面白がっていると言っても過言ではない。
だが、盗み聞きしていた僕らが制裁されるのは仕方がないとしても、純粋な和泉を弄んで困らせるとなれば話は別だ。僕だって彼女を傷つけたくないから、気を孕んでいるわけで。
問題は武蔵にそれを言ったところで、優雅に交わされてしまうこと。真っ向から挑んでも勝ち目がないから、今こうなっているのだ。
ならば、どうするか。
考えた末、腹黒いと言われる僕の思考にひとつの手段が浮かんだ。
未だ喚いている日向を差し置き、甘んじて武蔵のイタズラを受け入れたフリをして、僕は「そろそろ出ましょう」と彼らを脱衣所に促す。事実、今朝はあまり寛いでいる時間がない。
身体を拭き、私服に着替えたところで、彼が手にした
アレを手早く奪った。
「……え?」
「僕が思うに、武蔵さんにとってこの眼鏡は、すごーく大事なもの……ですよね?」
そう言って微笑むと、いつも余裕の表情で澄ましている武蔵の顔が、僅かに引きずった。確信した僕は更に眼鏡を両手で掴み、今にもへし折る素振りを見せる。
武蔵は眼鏡のことを〝色気のフィルター〟と言っていた。あれは強ち冗談でなく、彼はお母さんの形見である顔を守るために眼鏡をかけたと推測したのだ。奇しくも盗み聞いた話から得た賜物である。
かなり卑怯だけど、力でも口でも勝てないなら、物理的攻撃で勝負するしかないだろ?
「いや、それは……」
「ほーん、なるほどな。いいぞ安芸、思いっきりいけ」
狼狽える武蔵の様子に、どうやら日向も察したようで。
じゃあ遠慮なく、とほくそ笑めば、武蔵はいよいよ観念したのか根を上げた。
「分かりました! 謝りますから、僕の眼鏡を壊すのは止めなさいッ!!」
彼の様子に、僕は満足して眼鏡を差し出した。