三日後、カルマンはラプラスを連れて宮殿の中に入った。兵士が四人付き添って案内された応接室は豪華で、眩暈を起こしそうだった。黒茶色の漆喰で出来たテーブルに赤い絨毯。壁には鳥の剥製に、高価で質の高いロウソク。ラプラスは口を半開きにして壁に飾られていた様々な宝石のネックレス群を見ていた。
暖炉には火がくべられている。
やがて使用人がハーブティーを持ってきてから数分後、ドミノフは姿を現した。甲冑を身にまとい、腰にはエストックが見えた。
カルマンとドミノフは簡単な握手をして礼をすると、使用人と付き添いの兵士は部屋の外に出て、高価な片開きの扉を閉めた。
「哲学者か。俺の嫌いな連中だ」
彼は緑色の皮製ソファに、まるで入浴するように両手を広げて深々と腰を下ろした。
「お前らは人生観について知ったような口をきくが、所詮は人間。人間など肉の塊でしかない。もし猿が哲学者で偉そうな言葉を言っていたらお前はどうする」
「感心はしますが、所詮は猿だと聞く耳を持たないかもしれません」
早速ラプラスは退屈そうな表情を浮かべていて、まだ視線はネックレスの方に集中していた。
「だろう。哲学者ってのは総じて浅い。人生とは何か? 簡単だ。神のオママゴトに過ぎん。俺たちは行儀よくしておけばいいのだ」
関心が彼の口ぶりに向いたようだ。ラプラスは視線をドミノフに移してから言った。
「もしかして、アンタは無宗教?」
殺されるのが嫌だと言っていたわりには強気な言葉だ。肝が冷えそうなカルマンを安心させるようにドミノフは鼻で笑った。
「知らないのか、この国じゃ俺が神だ。人民達に不自由な暮らしはさせまいと日々考えている」
「あんまり甲斐が出てないみたいだけど」
肝だけでなく全身が凍り付きそうな思いのカルマンは、急いで話題を切り替えた。
「戦争をするというのは本当ですか」
憂いもせずに彼は肯定した。敗戦したら彼は真っ先に処刑されるだろうし、国民も兵士もただで済むとは思えない。他国との同盟無しに単騎で挑むというのは無謀だろう。
どこと戦うのか、戦争の計画についてカルマンは知らない。しかし、自分の予想が当たってしまうと確信した。
「失礼ながら、勝つ計略というのはあるのですか」
「首尾は滞りない。俺が忍ばせたスパイによれば、仕掛ける国は食糧難に陥っているらしい。大地震が起きたようでな」
機を逃すわけにはいかない。ドミノフとしての作戦だった。
しかし、安直だ。
地震が起きた国といえば連合組合から独立したサラン大国だろう。ここはあらゆる国と同盟を結んでおり、侵略された場合直ちに周辺の大国から援助されるように声明まで出しているのだ。地震が起きて損害が出たとはいえ、戦争に負けるような国ではない。兵力、国力ともに無謀という二文字のピースが形も変えずに当てはまるような状況だ。
「なぜ戦争をしようと?」
カルマンはハーブティーを口にした。植物の体液のような苦みある味がした。
「周りの諸国を見てみろ、奴らは利口とは言えん」
彼のその言葉で、カルマンはある仮説を立てた。もし合っているならば、彼は無宗教とはまったく違った立ち位置に属する。
「未だに奴隷を使ってのし上がろうとする国がどれだけ愚かしいか。人間はそもそも、最初は男と女の数人から成り立っていたはずだ。その時に奴隷はいたか? いない。自分達が特別であると分かっていたからだ。それが時代が進んで人が増えるとどうだ。人類は自分達が特別であると、家族であるというのを忘れてしまった」
ラプラスが何かを言いかけたが、寸前でカルマンは彼女の腰を指でつついた。彼女はビクっと背筋を伸ばし、カルマンに不機嫌そうな顔を見せたのだった。
「俺はララリエのように優生劣等を決めるつもりはない。いいか、真の平和というのは戦争によってしか訪れない。俺の考えは間違っちゃいない」
「考えとは、なんです」
静かに、しかし威厳を損なわない声で彼はこう言った。
「国という概念を滅ぼす」
仮説は、それ以上の形で当てはまってしまった。ドミノフが成し遂げようとしているのは統一どころの話ではない。国という境目を無くし、奴隷を無くし人類の歴史を白紙に戻そうというのだ。その先には何が待っているか。考えるだけでも気が遠くなりそうな話だった。
「国という制度は人類史上最悪といっても過言ではない。国があるから戦争が起こる。国という概念のせいで、人類は進化できずにいるんだ。お前達哲学者はそれを理解できない。なぜか、簡単だ。お前達は自分達の考えから突飛したものをそもそも考えだと認めないからだ!」
彼は激昂しながらこう続けた。
「お前達に言わせると俺の考えは思想という言葉に成り下がる。だがな、はっきり言わせてもらうが俺は過ちを犯さない。この戦争に勝利し、人類を進化させる。それが人類が平和になる唯一の方法なんだ」
話を聞き終えたカルマンは、ラプラスにも茶を飲むように勧めた。
背筋にまた悪寒が走るのを嫌がったラプラスは仕方なく口にした。どうやら彼女にとっては口に合う味だったらしく、意外な表情をしてから喉を鳴らして飲んでいった。
カルマンはティーカップを置いてからドミノフと視線を合わせた。
「私はもう帰りますが、最後に一つお尋ねしても良いでしょうか」
「なんだ」
「あなたにも例に漏れず預言者はいるのですか?」
今まで厳格さを崩さなかったドミノフが、初めて眉をしかめた。なぜそんな話を、と言いたげだ。
どう答えようか迷っているようだったが、その反応だけでカルマンは十分だった。
宮殿を後にしたカルマンは弟子達を連れて急ぎ足で国を出た。
馬車を借りて町の北西門までいくと次の国へと向かう森の中へ入っていった。そしてラプラスにお願いしていた変装を解いたのだった。
「どうして変装魔法なんかって思ってたけど、そういうことだったのね」
弟子達は何も分からないと口々にしている。カルマンは弟子達の前、つまり入国時やホテルの時はいつも通りの顔をしていたがラプラスと二人になる時だけは顔を変えていたのだ。この魔法はラプラスが得意としていた。
月明りの下でキャンプをしていたカルマンは、焚火の暖かさを感じながらこう言った。
「ジズ、どうして私たちが歓迎されたのか。簡単でした。預言者の取り計らいだったんです」
「何を言っているのか分かりませんよ、カルマンさん」
「分からずとも良い。ただ預言者はこう思っていたのは間違いないでしょう。戦争を止めてほしいと。私は彼女の希望に沿って、動いたんです」
結局、弟子達はカルマンが何を言わんとしているのか理解できないままだった。ラプラスだけが分かっていたが、カルマンはむしろ理解されない方が助かっているのだ。
今日の月はなぜか眩しく思えた。
戦争を止めたと言えば聞こえはいい。だが、根底の部分は変わってはいない。彼の考えにも理解は示せるところがあった。
「ねえカルマン、あなたの旅の目的ってなんなの」
ツキ草と名前のあるそれを食べながらラプラスが尋ねた。カルマンは少しだけ考えてからこう言った。
「人間は手遅れか否か、それを確かめるんですよ」
「こりゃ、哲学者は嫌われるわ」
ラプラスは翳りを帯びた表情を見せた。カルマンも同じだ。
服の端に血がついている。まだ手が震えている。彼は眩しい月を見上げて、懺悔の言葉を口にした。彼は愛されるに値する人間だった。ではなぜ失わなければならなかったのか。多くの哲学者が一度は考えた説がある。
人間そのものが罪なのだ。生まれるべきではなかった。
重い十字架を感じながら、カルマンはその説を頭の中で何度も復唱していた。もし罪を形にできるなら、二度と思い出さないように目の前の炎に投げ入れていただろう。