ここは国立アニマーリア大学。大きな講堂に、たくさんの学生。席はほぼ埋まっている。一匹の猫が大きなスクリーンの前で講義をしている。
人間学部の学長であり、人間言語学の教授のレックスだ。
「…であるから、古来日本人が用いていた日本語というものは非常に高度な言語であり、最も難しい言語の一つだとされている。そして…」
レックスは腕時計を確認した。時刻は12時。昼休みの時間である。
レックス「…時間だな。では、本日はここまで」
学生たちが一斉にざわめきだし、各々移動を始める。
学生たちがまばらになった講堂。講義を終えたレックスの元に、一匹の猫がやってくる。同じく人間学部に所属する、人間歴史学の教授でありレックスの友人、グッダだ。
グッダ「やあレックス。いつの間に人間言語学はこんなに人気になったんだ?うちに半分くれよ」
レックス「ははは」
グッダ「ほら、これ、頼まれてたものだ」
グッダが一冊の書類を手渡す。
レックス「ああ、ありがとう。やはり昔の文書は歴史学の君に頼むのが早いね」
グッダ「一から勉強というわけか、レックス。君も大変だな。今年の春から、急に人間研究所の所長も兼任だなんて」
レックス「仕方ないさ。前所長のアウラさんの直名だからね」
グッダ「でも、なぜ“彼“ではなくレックスなんだ?彼はアウラ氏の助手であったし、しかもかなり優秀なんだろう?」
レックス「ああ…フルーメンのことか…」
フルーメン。国立アニマーリア大学附属人間研究所の研究員。研究所の主任であり、人間心理学の学者でもある。
レックスは眉をひそめた。
レックス「さあ…アウラさんが失踪した今、分かることは少ないよ」
今年の3月。レックスの元に届いたアウラ氏からの一通の手紙。そこには、
『レックスくん。研究所を任せられるのは君しかいない。人間と、人間の未来を頼んだよ』
とだけ書かれていた。そして、アウラ氏は姿をくらませた。
アウラ氏とレックスは、失踪以前から親交があった。それゆえ、レックスはアウラの行方を憂いていた。
俯くレックスを見て、グッダはあえて声色を変えて言った。
グッダ「…そうだレックス。これから昼飯でもどうだ?今日の日替わり定食はマグロ丼だぞ」
レックス「…あ…いや、昼は遠慮しておくよ。片付けたい仕事があるんだ」
グッダ「ああ…例のあれか?君が書いた…『人間絶滅仮説』」
『人間絶滅仮説』。レックスがこの春リリースした論文。人間が絶滅危惧種になるまでに至った要因に対する仮説だ。レックスはこの論文の中で、人間の絶滅の要因を、人間の言語にあると仮定した。
人間は、人間同士で争い合い、その身を、国を滅ぼしてきた歴史を持つ生物である。
その歴史は暗く、多くの人間が数々の兵器の犠牲になった。物理的には。
しかし、争いの感情面のトリガー、それは、人間の感情を形にした、人間の言葉である。
人間は言葉によって他者を傷つけ、憎しみ合った。そして言葉によって他者を誘導、洗脳し、
殺し合い、ついには滅んだ。
現在、絶滅危惧種となった人間は、数十体人間研究所に保護されている。
そのどれもが、言葉を話さない。声帯はあるが、意味のある言葉を話さなくなってしまったのである。
それはなぜか、未だ明らかになっていない。
この理論で考えると、現在残された人間が再び言葉を話すようになれば、人間は再び争いを起こす危険性があるのだ。
人間が万が一言葉を習得してしまった際には、危険を回避する手段は一つしかない。
それは、「教育」である。人間に、2度と同じ過ちを繰り返させぬよう、正しい言葉の使い方を教えるのである。
これが『人間絶滅仮説』である。
この論文を世間に発表すると、たちまちこのレックスの考えは世間に広がった。
しかし、偏った解釈で。
レックス「世のメディアは、人間が再び争いを巻き起こす、という危険性だけを誇張して国民に伝えている。まるで、国民の恐怖を煽るかのように」
グッダ「実際に世論は君の仮説の話題で持ちきりだ。ニュースも、SNSも。人間がどんな生き物なのかもよく分からないまま、人間を猫たちの共通の敵に仕立てて、面白がっているようにも見える」
レックスは深いため息をついた。
レックス「ああ…報道各所に、報道内容の訂正依頼文を送るよ。メディアには、私の論文をありのままに伝えてもらいたいからね」
グッダ「それにしても、昼飯くらい摂ったっていいだろう。そんなに時間がかかるものでもないだろう」
レックス「いや。午後一で研究所に行かなくてはならないんだ。悪いが…」
グッダ「わかったよ。じゃあ、また今度な」
グッダはレックスに手を振って講堂を去っていった。
場所は変わって、大学附属人間研究所。
長い廊下を渡り、二匹の猫が大きな扉の前に辿り着く。研究所の主任、フルーメンと、その部下のミケだ。
扉には、「私語厳禁」と書かれている。
フルーメンが重たい扉を開けた。
そこは巨大な檻が並ぶ、人間の飼育室。薄暗く、湿っぽい、劣悪な環境。檻の中には、人間。全部で20体を保管している。絶滅危惧種となった人間の全てをここで保管している。だがそのどれもが、生気を失っていた。
飼育室の中には、白衣を着た研究員たちが、人間の最低限の世話をしている。
フルーメンとミケはとある檻の前で足を止めた。
檻の中には、長髪の少女。体を丸めて俯いているが、フルーメンたちの気配に気づき、顔を上げた。
フルーメンと目が合う。フルーメンは少女を睨みつけた。
次の瞬間、少女は激しく檻を揺らし、フルーメンを威嚇。まるで獣だ。
「グルルルル…」
フルーメン「…NO.18。呼吸の乱れが見られるが、威嚇できるほどの体力。今日も異常なし」
ミケ「…さっすがです主任!」
ミケは目を輝かせた。
ミケ「こんな得体の知れない生物の状態を、一目で判断するなんて!」
フルーメン「それと、18は感情が不安定だ。安定剤を餌に混ぜておけ」
ミケ「了解です、主任!」
フルーメンは飼育室を後にした。
研究員たちをまとめる主任、フルーメン。
本来であれば、フルーメンが前所長の後を継ぎ、所長になるはずだった。
あの男…レックスが指名されなければ。
フルーメンを慕っている研究員たちは、レックスの就任をよく思わない者たちがほとんどであった。
レックスが研究所の事務所に到着する。
レックス「すまない。遅くなってしまった」
事務作業をしていたフルーメンが時計をチラリと見る。
フルーメン「随分とお忙しいようで。午後の見回りはもう終わらせてしまいましたよ」
レックス「う…すまない…」
レックスはフルーメンのデスクに置いてある新聞に気がついた。『人間絶滅仮説』の記事が一面に載っている。
レックス「フルーメン。君はその記事を読んだのかね?」
フルーメン「…ええ。最近はこの話題で持ちきりですね。この記事によると、近い未来に人間は言葉を覚え、猫たちを虐殺するのだとか。そうなのですか?」
レックス「な…!話が随分大きくなっているじゃないか」
フルーメンは事務作業に戻った。
レックス「…君はこの記事を信じるかい」
フルーメン「…」
フルーメン「いいえ。メディアは、あなたの仮説のほんの一部分を誇張し、他の内容には一切触れていないため、にわかには信じ難い。それに心理学者の私からすると、人間がここまで数を減らした原因を、言葉だけに限定するあなたの仮説が正しいとは思えません。大体、人間の絶滅から我々の猫社会「アニマーリア」の確立までには空白の5年間がある。その5年で人間に何があったのかを解明しない限り、あなたの仮説を正しいと判断するのはあまりにも軽薄でしょう」
レックス「…ああ、その通りだ。仮説は私の主張に過ぎない」
フルーメン「…それに」
フルーメン「他者は自分に都合のいいように解釈するものですから」
研究員たちが事務室で各々PCに向かって作業をしている。
中には、仕事をサボってSNSを見ているものも。猫たちのメジャーなSNS、ミュイッターのトレンドには、#人間が上がっていた。
「最近、どこもかしこも人間人間ってうるさいけどさ、皆未知の生物に興味津々なんだろうな。いっそこの研究所の人間を飼わせてみたいくらいだね。一回人間を飼ってみりゃ、こんなアホなミュイート出来なくなるさ…」
レックス「おい。人間の私的飼育は法律で禁止されている。立場をわきまえてくれ」
研究員たちの視線が一斉にレックスに集まる。
注意を受けた研究員は、決まり悪そうに視線を外した。
「…わかってますよ、そんなこと」
定時になり、研究員たちが一斉に帰っていく。
フルーメン「お先に失礼します」
研究員たち「「お疲れ様です」」
フルーメンの後に続いて、他の研究員たちも席を立つ。
レックス「お疲れ」
研究員たち「「……っす」」
レックスの挨拶を無視するかのように、研究員たちが帰っていく。
事務室にはレックス一匹になった。
レックスが開いたのは研究所のHP。国立アニマーリア大学附属人間研究所。
ーーー今から4年前の2529年に設立。当時既に数を減らしていた人間を絶滅危惧種に指定し、20体を保護。現在ではこの20体以外に人間の存在は確認されていない。
人間は今から12年前に、突如としてこの世界から消えた。
正確には、12年前を境に人間が残したであろう歴史資料が途絶えているのだ。運よく人間のそれまでの歴史を学ぶことができた我々猫は、人間の歴史に倣い、猫の社会「アニマーリア」を形成した。
人間が絶滅した年を12年前の2521年とすると、アニマーリアが成立した2526年までに、5年の空白期間が存在することになる。
人間がここまで数を減らすことになった謎は、この5年に隠されている。
この空白期間の謎を解明し、絶滅の危機にある人間を救う。
それが人間研究所の使命である。
人間の歴史を継ぐ種族として、我々は全力を尽くす所存である。
ーーー研究所所長、アウラーーー
レックス「…しかしここの人間の保護環境は劣悪なものだ。人間を救う?これじゃあまるで…監視じゃないか」
レックス「…アウラさん、一体どこへ行ってしまったんだ…」
レックスは帰宅した。
レックスが住んでいるのは、閑静な住宅街の一角。
鍵をかけ、家に入ろうとした次の瞬間。
ガサッ
庭の方から物音が。怪しんで見に行ってみると、物陰に…
金色の長い髪、長いまつ毛、そしてすらりと伸びた長い手足。
レックス「に、人間…?!」