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母の想い

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 素麺とかき卵入りのスープ、蒸し野菜、山菜の天ぷらの皿が、昼食の卓には並んだ。すべて母・佐倉川さくらがわ真波まなみの手作りである。  匠はまだ戻っていなかったので、母娘二人で、互いに近況報告を交わしながら卓を囲んだ。 「それが例のチョーカー?」  食後に、甘酸っぱい果実の入ったゼリーを食べていると、真波が興味深そうに訊ねてきた。  利玖よりは背が高いが、真波もかなり小柄である。そこに、童顔がさらに幼く見える丸眼鏡をかけているので、ひと目見ただけでは、とても成人した子どもが二人いるようには見えない。  利玖が頷くと、真波は机の上に身を乗り出してきた。 「ちょっと見せてくれる?」  利玖がチョーカーを外して、手渡すと、真波はまじまじとそれを見つめた。 「ふうん、なるほど……。大人しい作りね。声そのものに干渉するんじゃなくて、喉の調子を元に戻す、というアプローチなのね」  佐倉川家の管理を任されているだけあって、真波は妖の事情にも精通している。彼らの世界に積極的に関わる事はしないが、人間側の事情──例えば、妖と上手く付き合っていく為の道具や、身を守る為の薬などには詳しい。  妖と付き合っていく為の道具、薬。そして、作法。  界隈ではもっぱら、動植物や細菌に対して施すそれと区別して『じゅつ』と呼ばれるそれらは、水稲の成長を妨げる草を枯らす為に撒く薬剤や、蚊取り線香を炊く行為と何が違うのだろう。利玖は生物科学科に入学してから一年経っても、まだその答えを見つけられていない。  真波はチョーカーを握ったまま、利玖の顔を見つめた。 「ちょっと、何か話してごらんなさい」  利玖はぶんぶんと首を振ったが、真波は「いいから」と言って引かない。  仕方なく、余計な感情が入らないように、子どもの頃に覚えた外国の歌を口ずさんだ。 「……懐かしいわね」  利玖が歌い終えて、チョーカーを返してもらって着けていると、真波はしみじみと呟いた。 「聞こえたのですか?」 「ううん。でも、見ていればわかるわよ。あなた、小さな時から、よくそうやって歌っていたもの」  真波は満足した様子で、ゼリーの器を重ねて立ち上がった。 「うん、大体わかったわ。同じ効き目の薬があったはずだから、蔵から取ってきてあげる」 「ありがとうございます」  部屋を出て行こうとした母を、利玖は、呼び止めた。 「お母さんも、妖には詳しいのですよね」 「ええ」母は茶目っ気たっぷりにウインクをした。「こうして、困っている人に合った薬がわかるくらいだけど」 「それはやはり、生まれ持った素質ですか?」 「妖の存在を感じられるかどうか、という事? それは、まあ……、そうね。血統とか、遺伝に左右される要素が大きいわね。生死の境を彷徨さまよいでもしない限り、大人になってから感じられるようになるっていう話はほとんど聞かない。逆は、とてもありふれているけれど」 「そういった素質を持たない人が、妖を使役する家に嫁ぐという事は、相当に厳しいのでしょうか」  母は、そうね、と言って、しばらく思案した後、ため息をついた。 「針のむしろと言っても生ぬるいでしょうね」  匠は結局、夕飯時になっても家に戻って来なかった。ようやく玄関先に現れたのは、出発時刻ぎりぎりの十九時半になってからである。  兄は、いつも何かと理由をつけて実家に長居をしない。確執でもあるのだろうか、と勘ぐった事もあるが、母と話している時は肩の力の抜けた優しい表情をしているし、彼の好物であるおからの煮物が詰まったタッパを受け取る時など、心底喜んでいるように見える。おそらく、事情があるとしたら、それは自分が思っているよりもずっと複雑なのだろう。  利玖も、いずれはそういう問題に向き合わなければならない時が来るのかもしれない。  だが今は、自分に何も強いず、好きな道を行く事を応援してくれる両親と兄を信じていたかった。 「収穫はあった?」  警備所を抜けた頃、匠が上機嫌な調子で訊ねてきた。夜道を運転する時は黙っている事が多いが、よほど母の煮物が嬉しかったのだろう。 「期待していたほどでは……。『五十六番』の姿形はわからないままですし、そもそも、数字に何か意味があるのかどうかさえ……」 「姿形を描いた本はあるよ。今日は別の所を探していたんだね。あと、五十六っていうのは連番。潟杜の近くには、色んな家や人間に妖を貸し与えて実験じみた事をしている研究機関があるんだ。この研究機関について書かれた本も、ちゃんと書庫の中にあるよ」 「…………」  半日かけて得られなかった答えが、ものの十数秒で展開される。  しかし、今さら落胆などしない。兄は、人が何かを知りたいと思った時、まっすぐに答えに辿り着けずに迷ったり、見当外れな道を進んだ経験が、後になって物の見方に多様性を与えてくれる、という持論の持ち主なのだ。  それに、発見がなかったわけではない。治療記録から派生して、災害の記録にまで手を伸ばして調べるうちに、熊野家以外の人間に『五十六番』を憑かせて生き物を操ったという記述が見つかったのだ。  まだ文明が発達し切っていない頃、大量発生したバッタによって近隣の村々の農作物が食い荒らされ、食べる物を失った民の中から飢え死にする者が出た年があった。その知らせを聞いた当時の熊野家当主が、気心の知れた友人に『五十六番』を憑かせ、バッタを追い払い、村を飢饉から救ったのだという。  その男は、危機が去った後も熊野家の食客として生活を安堵され、息を引き取るその時まで穏やかに暮らしたらしい。  元々は、妖の存在を感じる事さえ出来ない人間だったそうだ。



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 素麺とかき卵入りのスープ、蒸し野菜、山菜の天ぷらの皿が、昼食の卓には並んだ。すべて母・佐倉川さくらがわ真波まなみの手作りである。  匠はまだ戻っていなかったので、母娘二人で、互いに近況報告を交わしながら卓を囲んだ。 「それが例のチョーカー?」  食後に、甘酸っぱい果実の入ったゼリーを食べていると、真波が興味深そうに訊ねてきた。  利玖よりは背が高いが、真波もかなり小柄である。そこに、童顔がさらに幼く見える丸眼鏡をかけているので、ひと目見ただけでは、とても成人した子どもが二人いるようには見えない。  利玖が頷くと、真波は机の上に身を乗り出してきた。 「ちょっと見せてくれる?」  利玖がチョーカーを外して、手渡すと、真波はまじまじとそれを見つめた。 「ふうん、なるほど……。大人しい作りね。声そのものに干渉するんじゃなくて、喉の調子を元に戻す、というアプローチなのね」  佐倉川家の管理を任されているだけあって、真波は妖の事情にも精通している。彼らの世界に積極的に関わる事はしないが、人間側の事情──例えば、妖と上手く付き合っていく為の道具や、身を守る為の薬などには詳しい。  妖と付き合っていく為の道具、薬。そして、作法。  界隈ではもっぱら、動植物や細菌に対して施すそれと区別して『じゅつ』と呼ばれるそれらは、水稲の成長を妨げる草を枯らす為に撒く薬剤や、蚊取り線香を炊く行為と何が違うのだろう。利玖は生物科学科に入学してから一年経っても、まだその答えを見つけられていない。  真波はチョーカーを握ったまま、利玖の顔を見つめた。 「ちょっと、何か話してごらんなさい」  利玖はぶんぶんと首を振ったが、真波は「いいから」と言って引かない。  仕方なく、余計な感情が入らないように、子どもの頃に覚えた外国の歌を口ずさんだ。 「……懐かしいわね」  利玖が歌い終えて、チョーカーを返してもらって着けていると、真波はしみじみと呟いた。 「聞こえたのですか?」 「ううん。でも、見ていればわかるわよ。あなた、小さな時から、よくそうやって歌っていたもの」  真波は満足した様子で、ゼリーの器を重ねて立ち上がった。 「うん、大体わかったわ。同じ効き目の薬があったはずだから、蔵から取ってきてあげる」 「ありがとうございます」  部屋を出て行こうとした母を、利玖は、呼び止めた。 「お母さんも、妖には詳しいのですよね」 「ええ」母は茶目っ気たっぷりにウインクをした。「こうして、困っている人に合った薬がわかるくらいだけど」 「それはやはり、生まれ持った素質ですか?」 「妖の存在を感じられるかどうか、という事? それは、まあ……、そうね。血統とか、遺伝に左右される要素が大きいわね。生死の境を彷徨さまよいでもしない限り、大人になってから感じられるようになるっていう話はほとんど聞かない。逆は、とてもありふれているけれど」 「そういった素質を持たない人が、妖を使役する家に嫁ぐという事は、相当に厳しいのでしょうか」  母は、そうね、と言って、しばらく思案した後、ため息をついた。 「針のむしろと言っても生ぬるいでしょうね」  匠は結局、夕飯時になっても家に戻って来なかった。ようやく玄関先に現れたのは、出発時刻ぎりぎりの十九時半になってからである。  兄は、いつも何かと理由をつけて実家に長居をしない。確執でもあるのだろうか、と勘ぐった事もあるが、母と話している時は肩の力の抜けた優しい表情をしているし、彼の好物であるおからの煮物が詰まったタッパを受け取る時など、心底喜んでいるように見える。おそらく、事情があるとしたら、それは自分が思っているよりもずっと複雑なのだろう。  利玖も、いずれはそういう問題に向き合わなければならない時が来るのかもしれない。  だが今は、自分に何も強いず、好きな道を行く事を応援してくれる両親と兄を信じていたかった。 「収穫はあった?」  警備所を抜けた頃、匠が上機嫌な調子で訊ねてきた。夜道を運転する時は黙っている事が多いが、よほど母の煮物が嬉しかったのだろう。 「期待していたほどでは……。『五十六番』の姿形はわからないままですし、そもそも、数字に何か意味があるのかどうかさえ……」 「姿形を描いた本はあるよ。今日は別の所を探していたんだね。あと、五十六っていうのは連番。潟杜の近くには、色んな家や人間に妖を貸し与えて実験じみた事をしている研究機関があるんだ。この研究機関について書かれた本も、ちゃんと書庫の中にあるよ」 「…………」  半日かけて得られなかった答えが、ものの十数秒で展開される。  しかし、今さら落胆などしない。兄は、人が何かを知りたいと思った時、まっすぐに答えに辿り着けずに迷ったり、見当外れな道を進んだ経験が、後になって物の見方に多様性を与えてくれる、という持論の持ち主なのだ。  それに、発見がなかったわけではない。治療記録から派生して、災害の記録にまで手を伸ばして調べるうちに、熊野家以外の人間に『五十六番』を憑かせて生き物を操ったという記述が見つかったのだ。  まだ文明が発達し切っていない頃、大量発生したバッタによって近隣の村々の農作物が食い荒らされ、食べる物を失った民の中から飢え死にする者が出た年があった。その知らせを聞いた当時の熊野家当主が、気心の知れた友人に『五十六番』を憑かせ、バッタを追い払い、村を飢饉から救ったのだという。  その男は、危機が去った後も熊野家の食客として生活を安堵され、息を引き取るその時まで穏やかに暮らしたらしい。  元々は、妖の存在を感じる事さえ出来ない人間だったそうだ。



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