後編
ー/ー 奴が馬車に荷物のように載せられて、揺られて遠くなっていくのを見るでもなく見ていたとき、珍しく家の外へ出て来た親父に背中を叩かれた。村長宅での集まりでもない限り、これは珍しいことだったし、背中を叩かれるなんてことも、初めて狩りで獲物を獲って来て以来のことだった。
なぜそんなことをされたのかは、今でも分からない。
オレの背中があんまりに情けなかったから哀れんだのか、怒っていたのか、喝を入れたのか。
本当に、分からなかった。
村長が、オレも次の徴兵に選ばれたと告げた時、なんで親父が仲のいい村長をぶん殴ったのかも、そのときには分からなかった。
散々暴れて、声にならないうなり声みたいなのをあげながら拳を振り続ける親父を、オレはただ呆然と見ていた。そうして人が集まって来て、野次馬どもの中から親父を引き剥がす連中が出て来て、そのときになってようやく感情が動いたくらいだった。
オレは、恥ずかしかった。ただでさえ不名誉な噂が広まっているのに、親父まで頭がおかしくなったなんて、冗談じゃなかった。
野次馬の中に『セア』の顔を見つけると、それは途端に惨めさに変わった。出て行きたかった。
それが、村長という友人への怒りだったり、オレへの愛だったりしたと思い至ったのは、もう馬車に揺られる中での、ふとした瞬間のことだった。
あれだけ逃げたかった周囲の目。遠ざかりたかった村。オレのいない場所に行きたいなんていう、矛盾した願望。
なのに、親父がオレを守ろうとしていたことを、出発の直前に投げかけられた『帰ってこい』の重さと共に気付かされて、オレは————————
「ッ、……くそ」
太鼓の音に叩き起こされる。
涙が耳までを濡らしていた。
それを自覚した途端、何かが瓦解していた。
「ぅ、……ちくしょう、…………ちくっしょう……ぐぅ、ぅう……」
せり上がってくる波が収まるまで、両腕で目元と口元を押しつぶすようにして堪えようとした。仮面を維持できない。それでもナグは、まるで気づいていないように振る舞った。
オレたちは、互いの仮面に救われている。こんな感情を吐露したら、一緒に潰れてしまうだろう。
ようやく波が引いた後、汚れた装備を身に纏う。まるで自分から死に装束を着ている気分だった。喉が無性に乾いていた。
そうして汗臭い装備に纏わりつかれながら行軍し、それほどせずにその場所に到着する。
『目的地』という名の、漠然とした遠い言葉。オレたちが殺し合う場所。それがいよいよ形を持って、こうして目の前に現れる。
着いて……しまった。
ざわめきが広がる。
丘から見渡す戦場。だだっ広い荒野。多少の凹凸や丘とすら呼べない丘もどき。
すでに睨み合っている自軍の迫力もすごい。だがそのさらに先に——『敵』がいた。『目的地』と同じく形を持った、『敵』が。
「カイ」
「本当に……いたな。本当に黒いのか……黒い鎧なのか」
『黒の軍団』と呼ばれていることだけは、ここまでの道中で聞いていた。だが、実際にみると、その光沢すらない黒のせいで視界の中での違和感がとんでもない。
距離感すら狂わされて、まるですぐ目の前にいるようにすら見えてしまう。
それに……数が、多い。ナグの言ってた話と違う。違うじゃねえか。
「人ん土地にズカズカ来やがったクソどもだ。アイツらさえ来なかったら俺たちだって今頃は土でもいじってた」
「——ああ。そうだ、クソどもだ」
「クソどもさ! かかって来いってんだ!」
————今からアイツらと殺し合う。
それは、奇妙な感覚だった。
まだどこかふわふわしているクセして、心臓だけはずっと早い。
その場の空気の異質さもあるだろう。どうしても落ち着けない。掻きむしりたい気分だ。忘れていた痒さや、擦れて痛む部分が急に主張を強める。
本気でクソだった。
ガヤガヤと騒がしいながらも、オレたちは先陣じゃないという安心感も大きく、整列が完了しても少し余裕があった。後方に待機し、突破した敵を殺すだけでいいし、突破なんてしっこない。
難しいことはない。いざ戦いが始まったら、自軍の旗を目指してついて行けばいいだけだ。
それに敵とは数日睨み合いになっているはず。オレたちが到着するまでのんびりしていた間抜けどもだ。戦争なんてしたくないはずだ。オレたちは好きなだけ睨んで飽きたら帰るだけ。お前らにも帰りを待つ連中がいるんだろ? なら帰ってやれよ。来んな。見るだけ見たんだ、満足して帰れ。
「————————」
思えば、徴兵を受けるとき、ほんの少しだけ胸の踊る自分もいた。
この村には、何もない。なんの変化もないと思っていた。
とりあえず親を手伝って、いつしか適当な誰かとガキを作って、今の祖父と親父の位置に、親父とオレが就く。そうして祖父に。そうして…………死ぬ。
そんな人生を、経験する前からもう何度も経験したような気になって、その味気なさに何かを思うことすら飽きていた。
だが、そんな考えこそがガキだったんだ。
未来なんて決まっていない。完全に同じ一日なんて、今まで一度もなかった。
こんなところでこうしているなんて、ただの一度も想像しなかった。
どこまでも高い山を、濃霧で視界も悪い中、地形も把握していない分際でありながら、今までの歩き方を続ければこうなるとかああなるとか、そんなあり得ない妄想を、その視野の狭さから正しいと盲信していただけ。本当は崖にぶち当たるかもしれない。近道を見つけるかもしれない。今みたく、谷に落ちるかもしれない。
実際に確たることなんて、今まで歩いて来た足跡と、今の一歩の積み重ねが人生を決めているってことだけしかない。
次の一歩なんて、何も保証されていないのだ。
ジリジリとした時間が過ぎる。
過去の、ありもしない人生を夢想して、勝手に退屈を感じていたオレ自身が恨めしい。
そんなに退屈なら、オレと代われ。お前には不要なその時間が、オレにはどんなに眩しいか。
"そこ"はオレのものだ。オレのものだったはずだ。返せ。返せ。返せ——!
安穏としていた、過去の全ての自分を恨み、妬む時間。
だがそれも過ぎると、だんだんと『今日はない』という弛緩した空気が広がるのを感じた。
その空気に抵抗するのは難しい。オレもナグも、喜んで弛緩した。
誰かを恨むのは、たとえそれが自分自身であっても、ひどく疲れた。
————。
その音に気づく。
みんな静まる。
それは太鼓の音。
オレたちじゃない。前の方の先陣から聞こえてくる。
そしてもっと向こうから、大勢の気の狂った雄叫び。
まるで巨大な怪物の咆哮だ。
心音がうるさい
咆哮が轟く
肩が跳ねる
先陣が動く
————戦争が
————————始まった
衝突音、金切り声。何かが発した何かの音。
地響き。
敵が見える。 見えるはずない敵。
黒い騎馬。抜かれる。誰もあれを止められない。
「カイ!」
「ッ——あ」
「聞こえるだろ! 始まるぞ!」
肩を叩く衝撃で我に返った。
もう太鼓の音はハッキリ聞こえる。これはオレたちへの指示だ。
旗が大きく振るわれる。
心臓はとっくに早鐘を打っている。
今すぐにでも叫び、走り出したい衝動を抑えられない。
「カイ! やってやろうぜぇ!」
「ナグ! 転ぶなよ!」
ギリギチと歯が軋む。
前で馬に乗った偉そうなのが何か叫んでいる。
「カイ! 遅れんじゃねぇぞ!」
「ナグ! 離れるなよ!」
肩を引っ叩き合う。
暴力的に、けど痛みなんて感じない。
グツグツグラグラと煮えたぎるものを、今にも吐きそうだ。
「カイ! 俺たち揃って帰るんだぞ!」
「ああ……ああ! 帰るんだ!」
呼吸がうるさい。まぶたがひくつく。唇なんて乾くたび舐めて擦り減っているかもしれない。
「カイ!」
「ナグ!」
号令が下る。その内容は——
「「死ぬなッ!」」
——『全軍突撃』。
吐き出す——迸る————全身が赤熱する!
「「ウワァあああああああぁあぁぁぁああッ!!」」
駆ける。雄叫びをあげて。
見慣れた村。幻覚だ。
見知った男女の歩く後ろ姿。知っている。
憎らしい男の太い指が、憎らしい女の尻に沈み込んでいる。やめろ。
その二人に割り込むように、突き飛ばした。駆ける。
『グガ』は固かった。『セア』は柔らかかった。怒声と罵声を背に、前だけ見て駆ける。
家に入る。押さえつけられた親父。鼻から口元を押さえた手から血を滴らせる村長。『行くな』というお袋の声。『帰ってこい』という親父の声。なにか喚いている祖母と、薄目で見つめてくる祖父。
駆けた。
なぜそんなことをされたのかは、今でも分からない。
オレの背中があんまりに情けなかったから哀れんだのか、怒っていたのか、喝を入れたのか。
本当に、分からなかった。
村長が、オレも次の徴兵に選ばれたと告げた時、なんで親父が仲のいい村長をぶん殴ったのかも、そのときには分からなかった。
散々暴れて、声にならないうなり声みたいなのをあげながら拳を振り続ける親父を、オレはただ呆然と見ていた。そうして人が集まって来て、野次馬どもの中から親父を引き剥がす連中が出て来て、そのときになってようやく感情が動いたくらいだった。
オレは、恥ずかしかった。ただでさえ不名誉な噂が広まっているのに、親父まで頭がおかしくなったなんて、冗談じゃなかった。
野次馬の中に『セア』の顔を見つけると、それは途端に惨めさに変わった。出て行きたかった。
それが、村長という友人への怒りだったり、オレへの愛だったりしたと思い至ったのは、もう馬車に揺られる中での、ふとした瞬間のことだった。
あれだけ逃げたかった周囲の目。遠ざかりたかった村。オレのいない場所に行きたいなんていう、矛盾した願望。
なのに、親父がオレを守ろうとしていたことを、出発の直前に投げかけられた『帰ってこい』の重さと共に気付かされて、オレは————————
「ッ、……くそ」
太鼓の音に叩き起こされる。
涙が耳までを濡らしていた。
それを自覚した途端、何かが瓦解していた。
「ぅ、……ちくしょう、…………ちくっしょう……ぐぅ、ぅう……」
せり上がってくる波が収まるまで、両腕で目元と口元を押しつぶすようにして堪えようとした。仮面を維持できない。それでもナグは、まるで気づいていないように振る舞った。
オレたちは、互いの仮面に救われている。こんな感情を吐露したら、一緒に潰れてしまうだろう。
ようやく波が引いた後、汚れた装備を身に纏う。まるで自分から死に装束を着ている気分だった。喉が無性に乾いていた。
そうして汗臭い装備に纏わりつかれながら行軍し、それほどせずにその場所に到着する。
『目的地』という名の、漠然とした遠い言葉。オレたちが殺し合う場所。それがいよいよ形を持って、こうして目の前に現れる。
着いて……しまった。
ざわめきが広がる。
丘から見渡す戦場。だだっ広い荒野。多少の凹凸や丘とすら呼べない丘もどき。
すでに睨み合っている自軍の迫力もすごい。だがそのさらに先に——『敵』がいた。『目的地』と同じく形を持った、『敵』が。
「カイ」
「本当に……いたな。本当に黒いのか……黒い鎧なのか」
『黒の軍団』と呼ばれていることだけは、ここまでの道中で聞いていた。だが、実際にみると、その光沢すらない黒のせいで視界の中での違和感がとんでもない。
距離感すら狂わされて、まるですぐ目の前にいるようにすら見えてしまう。
それに……数が、多い。ナグの言ってた話と違う。違うじゃねえか。
「人ん土地にズカズカ来やがったクソどもだ。アイツらさえ来なかったら俺たちだって今頃は土でもいじってた」
「——ああ。そうだ、クソどもだ」
「クソどもさ! かかって来いってんだ!」
————今からアイツらと殺し合う。
それは、奇妙な感覚だった。
まだどこかふわふわしているクセして、心臓だけはずっと早い。
その場の空気の異質さもあるだろう。どうしても落ち着けない。掻きむしりたい気分だ。忘れていた痒さや、擦れて痛む部分が急に主張を強める。
本気でクソだった。
ガヤガヤと騒がしいながらも、オレたちは先陣じゃないという安心感も大きく、整列が完了しても少し余裕があった。後方に待機し、突破した敵を殺すだけでいいし、突破なんてしっこない。
難しいことはない。いざ戦いが始まったら、自軍の旗を目指してついて行けばいいだけだ。
それに敵とは数日睨み合いになっているはず。オレたちが到着するまでのんびりしていた間抜けどもだ。戦争なんてしたくないはずだ。オレたちは好きなだけ睨んで飽きたら帰るだけ。お前らにも帰りを待つ連中がいるんだろ? なら帰ってやれよ。来んな。見るだけ見たんだ、満足して帰れ。
「————————」
思えば、徴兵を受けるとき、ほんの少しだけ胸の踊る自分もいた。
この村には、何もない。なんの変化もないと思っていた。
とりあえず親を手伝って、いつしか適当な誰かとガキを作って、今の祖父と親父の位置に、親父とオレが就く。そうして祖父に。そうして…………死ぬ。
そんな人生を、経験する前からもう何度も経験したような気になって、その味気なさに何かを思うことすら飽きていた。
だが、そんな考えこそがガキだったんだ。
未来なんて決まっていない。完全に同じ一日なんて、今まで一度もなかった。
こんなところでこうしているなんて、ただの一度も想像しなかった。
どこまでも高い山を、濃霧で視界も悪い中、地形も把握していない分際でありながら、今までの歩き方を続ければこうなるとかああなるとか、そんなあり得ない妄想を、その視野の狭さから正しいと盲信していただけ。本当は崖にぶち当たるかもしれない。近道を見つけるかもしれない。今みたく、谷に落ちるかもしれない。
実際に確たることなんて、今まで歩いて来た足跡と、今の一歩の積み重ねが人生を決めているってことだけしかない。
次の一歩なんて、何も保証されていないのだ。
ジリジリとした時間が過ぎる。
過去の、ありもしない人生を夢想して、勝手に退屈を感じていたオレ自身が恨めしい。
そんなに退屈なら、オレと代われ。お前には不要なその時間が、オレにはどんなに眩しいか。
"そこ"はオレのものだ。オレのものだったはずだ。返せ。返せ。返せ——!
安穏としていた、過去の全ての自分を恨み、妬む時間。
だがそれも過ぎると、だんだんと『今日はない』という弛緩した空気が広がるのを感じた。
その空気に抵抗するのは難しい。オレもナグも、喜んで弛緩した。
誰かを恨むのは、たとえそれが自分自身であっても、ひどく疲れた。
————。
その音に気づく。
みんな静まる。
それは太鼓の音。
オレたちじゃない。前の方の先陣から聞こえてくる。
そしてもっと向こうから、大勢の気の狂った雄叫び。
まるで巨大な怪物の咆哮だ。
心音がうるさい
咆哮が轟く
肩が跳ねる
先陣が動く
————戦争が
————————始まった
衝突音、金切り声。何かが発した何かの音。
地響き。
敵が見える。 見えるはずない敵。
黒い騎馬。抜かれる。誰もあれを止められない。
「カイ!」
「ッ——あ」
「聞こえるだろ! 始まるぞ!」
肩を叩く衝撃で我に返った。
もう太鼓の音はハッキリ聞こえる。これはオレたちへの指示だ。
旗が大きく振るわれる。
心臓はとっくに早鐘を打っている。
今すぐにでも叫び、走り出したい衝動を抑えられない。
「カイ! やってやろうぜぇ!」
「ナグ! 転ぶなよ!」
ギリギチと歯が軋む。
前で馬に乗った偉そうなのが何か叫んでいる。
「カイ! 遅れんじゃねぇぞ!」
「ナグ! 離れるなよ!」
肩を引っ叩き合う。
暴力的に、けど痛みなんて感じない。
グツグツグラグラと煮えたぎるものを、今にも吐きそうだ。
「カイ! 俺たち揃って帰るんだぞ!」
「ああ……ああ! 帰るんだ!」
呼吸がうるさい。まぶたがひくつく。唇なんて乾くたび舐めて擦り減っているかもしれない。
「カイ!」
「ナグ!」
号令が下る。その内容は——
「「死ぬなッ!」」
——『全軍突撃』。
吐き出す——迸る————全身が赤熱する!
「「ウワァあああああああぁあぁぁぁああッ!!」」
駆ける。雄叫びをあげて。
見慣れた村。幻覚だ。
見知った男女の歩く後ろ姿。知っている。
憎らしい男の太い指が、憎らしい女の尻に沈み込んでいる。やめろ。
その二人に割り込むように、突き飛ばした。駆ける。
『グガ』は固かった。『セア』は柔らかかった。怒声と罵声を背に、前だけ見て駆ける。
家に入る。押さえつけられた親父。鼻から口元を押さえた手から血を滴らせる村長。『行くな』というお袋の声。『帰ってこい』という親父の声。なにか喚いている祖母と、薄目で見つめてくる祖父。
駆けた。
駆けて駆けて、駆けた。
知っている場所。見覚えのある顔が、一歩踏み出すごとに背後へ消える。隣にはナグだけがいた。
駆ける。駆ける。駆け抜ける。
その先へ。オレのいない、はるか知らない遠い先へ——!
————そうして兵士は駆け出した。
知っている場所。見覚えのある顔が、一歩踏み出すごとに背後へ消える。隣にはナグだけがいた。
駆ける。駆ける。駆け抜ける。
その先へ。オレのいない、はるか知らない遠い先へ——!
————そうして兵士は駆け出した。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
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