後編
ー/ー
終点に着くと、確かにジオパークしかなかった。平日だからなのか、誰もいない。
ジオパークは、岬の成り立ちや室戸市の文化の説明の展示があって、室戸市はキンメダイが有名なことに改めて気が付いた。食べたいが、市街地はかなり距離がある。ちゃんと計画を立てておくべきだった、と後悔する。
「キンメダイおいしそうだな…。」
「食べて帰りますか?」
「いや、せっかくなので、室戸岬を見ていきたいと思っています。」
私の今日の目標は室戸岬だ。そのつもりでこんな遠くまで来ているのだから、あきらめるわけにはいかない。ただ、ジオソフト内に置いてあったマップを見て呆然とする。
「結構遠くまで来ていますね、これは。」
「バス、乗りますか?」
正直、悩む。この炎天下、この距離はきつい。今更スマホで地図アプリを見てみると、行こうと思っていた辺りから6kmくらい離れている。6kmか…、お昼ごはんをアイスしか食べていない私に耐えられるかな。だが、しかし、ここまで来て、バスで行ったり来たり、というのもつまらない。
「歩きます。私は。」
矢向さんは驚いたような顔をして、それからまた声を出して笑った。
「負けず嫌いなんですね。僕も歩きますよ。」
「別に無理して来ていただかなくてもいいんですよ。」
「僕もスケジュールがあるわけではないし、失敗は旅にはつきものですから。そこが楽しいですよね。」
闇が深い人と思っていたけれど、そうやって笑うところは意外に前向きなのかもしれない。
「前向きですね。」
「いや、というか、僕は失敗していないですから。」
「あ、ひどい!」
私も笑って、少し気が楽になった。スタッフ以外誰も見当たらないジオパークに二人の笑い声が響いた。
青いジオソフトを買って、写真を撮ったら、食べながら入口を出る。暑い中でのソフトクリームは最高だけれど、これは溶けるのも早い。一気に食べて、頭がキーンとしてきた。
「さて、歩きますか。」
日陰のない道を歩く。空が青くて広い。海は高い防潮堤とその手前に茂る木々に阻まれて見えないのが少し残念だが、行けそうなところを見つけた。
「海の方を歩きませんか?」
矢向さんに尋ねる。
「行きますか。」
私は普段から人に話しかけるのは苦手だし、自分のしたいことを主張するのも苦手。幼いころの家族旅行でも家族と一緒にいると自分の行きたいところがあっても言い出せなかった。それなのに両親は自分の行きたいところに行って、私を連れまわして、そこでスタッフの人に図々しいことを言ったり、クレームをつけたり、それがすごくストレスだった。一人旅ではそんなことはないし、多少失敗したり、お店の対応が悪くても私は旅行の醍醐味ってことで受け流せた。矢向さんとの旅でも、なんだかそれができる気がした。
高い防潮堤の上は歩けるようになっていて、ずっと続いていた。水平線が美しく広がる海を眺めながら歩ける。
「津波対策なんですかね。」
「ああ、なんかものものしいですもんね。」
高い防潮堤は、行ったことはないけれどまるで万里の長城。
「このあたりをバスで走っているとき、道路からは海があまり見えなかったじゃないですか。なんか、少し寂しいな、って思いました。観光客として、っていうのもそうですけど、地元の人的にはどうなんでしょうね。」
「私もわからないですけど…。」
「海の方、降りられそうなところがあったら、もう少し近くに行きませんか?」
「私もそうしたいな、と思っていました。誰も歩いていないですけど、行っていいのかな?」
「あそこ、階段があります。行きましょうよ。観光客なんで、迷っちゃった、って言えばOKですよ。」
意外と図々しい。でも、せっかくだから近くを歩いていきたい。
砂浜というより、ごつごつした岩場が多くて、ジオパークの説明を思い出す。マグマに由来する岩なんだろう。潮だまりの方まで歩いてみる。
「気をつけてくださいよ。」
「スニーカーなんで大丈夫です。私、こう見えてもアクティブなんです。」
魚がいるかな、と思って近づいてみたが、澄んだ潮だまりには何も泳いでいない。カニが一匹、足元を横切っていった。手で水を触れると冷たい。
岩をうまく使いながら、矢向さんのところまで戻る。
「何かいました?」
「カニだけでした。」
視界には、右側はひたすら防潮堤で不思議な感じがするし、左側はひたすら海で解放感がすごい。足元には浜辺の植物が花をつけていて、それもまたほっとさせてくれる。潮風は涼しい。そうは言ってもしかし、太陽を避けられないこの場所では、暑さで思った以上に疲れてくる。休む場所がないし、景色が変わらないので、目的地に着く気配が感じられない。
「暑いですね。」
「疲れましたか?そういえば、鶴さん…って苗字ですか?」
それ、今聞くこと?
「苗字です。」
「あ、すみません。水とか飲んでいないけど、大丈夫ですか?」
「買ってくればよかったです。どこかに自動販売機くらいある、と思っていたので。」
こんなにひたすら浜辺を歩くと思わないじゃないですか。
「僕のお茶、飲みます?」
差し出されたペットボトルは保冷効果のあるペットボトルケースをつけている。中にあるのは、開封済みの土佐紅茶。いつもなら、人が口飲みしたペットボトルは飲みたくない。まして他人ならなおさら。なのに、手が勝手に動く。暑いから。本当に。
「すみません。」
ボトルはまだ冷たい。すっと紅茶の香りがのどに消えていく。
夢でも見ている感じだ。ロマンチックな、素敵な夢ではない。さっきからの暑さで意識がもうろうとして、判断力がにぶっているんだ。普段はしないことを平気でしている。矢向さんと歩いていると、そんなことばかり。
「そろそろ遊歩道が近いはずです。防潮堤を上がれる場所があれば、上がりましょう。」
矢向さんは右の先の方を指さす。階段が見えるが、その下はだいぶ草で埋もれている。誰も使っていないんだろうか。
「あそこ上がれますかね。草がだいぶありますけど。」
「いや、でも、あそこを逃すと、しばらく階段なさそうですから。」
右の先をぼんやりと見るが、確かに登れそうなところはない。
「でも、不思議ですよね、この景色は。この向こうに人里があるなんて思えないし、隔絶されている感じがします。」
「隔絶っていうのも面白い言葉のチョイスですね。道路の側にいたときは少し寂しいなと思いましたけど、なんかこっちの方がいいかもしれないですよね。こちらからは海の世界、あちらは人の世界、みたいで。」
「わかります。」
茂った草花をなるべく踏まないように気を付けながら、階段までたどり着いた。上に上がると、何かの工場が見えた。
「海洋深層水ですね、たぶん。」
確かに高知県の海洋深層水を聞いたことがある。本当に人は色々なものを摂取したがるものだと思う。
目的地まで、あと少しといったところか。もう3,4kmは歩いたことだろう。
ひたすら歩き、観光地らしい遊歩道までたどり着いた。これだけ歩いて疲れているはずなのに、海の景色がきれいだからか、それとも適度におしゃべりしながらだったからなのか、目的地まで来られたからか、体も心も軽い気がした。
「結構歩きましたね。」
「いや、汗まみれですよ。臭かったらすみません。」
「それは私もです。」
いくつかパワースポットを見つけて、写真を撮った。空海のゆかりの地。空海の修行の日々で使用したという洞窟や池。私は仏教徒ではないし、どちらかと言えば神とか仏とか信じないタイプだけれど、昔から人がパワースポットとして祀るようなところには、何か人知を超えたパワーがあるような気分になる。たぶん、神とか仏とかと呼んでいるものは、そういうパワーによるものなんだと思っている。こうして立ち寄った私にも、少しはパワーが付けばよいと思う。矢向さんは写真も撮らないで、ただ大きく深呼吸をする。
「写真とか、撮らないんですか?」
「きれいな海とかは結構撮りましたけど、洞窟とかは写真ではうまく撮れないですから。パワーだけ取り込んでいきます。」
また大きく深呼吸をしている。息を吸い込むときに冗談みたいに体を伸ばすのが可笑しい。
「取り込んでいるんですか?パワーを。私もやろうかな。」
「ははは、そうですよ。取り込みましょう。」
オーバーに深呼吸する間抜けな二人を、横からおじさんが邪魔くさそうに見ていた。二人だから、今日は気にしない。
室戸岬のバス停に着く。中岡慎太郎の像がお出迎えだ。この人、有名だけど、何をした人なんだっけ。
時計を見ると、もう結構良い時間だ。これでは、次のバスで奈半利駅に戻っても、そのままホテルに向かう帰路につくだけとなりそうだ。次のバスまで少し時間がある。なんとなく名残惜しい気がする。何があるというわけではないのだけど、この場所にまた来たい。
「中岡慎太郎の後ろに展望台があるみたいです。まだバスが来るまで時間ありますから、どうです?もう疲れました?」
正直疲れた。けれど。
「いえ、行きましょう。」
近づくと、恋人の聖地という看板があった。ここが恋人の聖地、とは。きれいな景色の場所に行くと、大体恋人の聖地だとか、恋みくじだとか、置いてあって、一人旅だとますます悲しくなる。一人のやつはきれいな景色を見るのはおかしい、と言われている気がして。
恋人じゃないけれど、今日は一人じゃない。横から見たら恋人みたいなんだろうけれど、そんなつまらないことは考えなくていい。視線を気にしなくていい。実は、一人旅のときより、視線から、人から解放されているんじゃないか、って思う。
少し坂道を登る。カナヘビが足元を通った。誰もいない静かな坂道の上に、突然私たちが通ったから驚かせてしまったのか、ごめんね。
蜘蛛の巣の張った展望台に上ると、海がきれいに広がった。確かに、これは絶景かな。
恋人の聖地だから、フォトスポットとして、カメラ台がおいてある。本当は自分が映っている写真は嫌いなんだけれど、暑さで判断力が鈍っているから。
「写真を撮りましょう。そこに立っていてください。」
「え、僕は映らなくていいですよ。撮りますよ。」
「せっかく来たので、一緒に撮りますよ。セルフタイマー機能初めて使うな…。」
スマホの設定に苦戦して、なんとか準備する。私たちはカップルのようにはなれず、微妙に離れて海をバックに並んだ。
「さて、戻りましょう。」
「あの…」
矢向さんが気まずそうに自分のスマホを私の方に出した。
「後で写真を送ってもらいたいので、ラインを交換しませんか。」
「いいですよ。」
私の連絡先リストは、ほとんど公式アカウントと職場の同じ班のグループアドレスくらいしかなかったりする。人に教えること自体、久しぶりだ。交換したアカウントから、知らないキャラクターのスタンプが送られてきた。
「このスタンプ、なんですか?」
「地元のゆるキャラです。」
「ちなみに、今さらですけど、矢向さんってどこ住みなんですか?」
「東京です。」
「あっ、私も東京です。東京というか、厳密には隣の川崎なんですが、勤務は新橋で。」
「そうですか。僕も京浜東北線沿いですよ。どこかでお会いしていたかもしれないですね。」
「もしお見かけしたら、私からお声かけします。」
東京近郊の二人がこうしてよくわからないまま高知県で会ってひたすら海辺を歩く。あまりに謎なことをしたけれど、とにかく世界は狭いってことだ。
バスが少し時間に遅れて到着した。
「涼しい!」
二人のつぶやきがはもる。
「矢向さんのこの後のスケジュールは?」
「僕は今日は高知駅の近くにホテルをとっているので、その近くで夕食です。鶴さんはお帰りですかね?」
「実は、私も高知のビジネスホテルに宿泊予定です。」
彼は少し嬉しそうな驚いたような、何かを期待するような顔をする。
「じゃあ、夕食までご一緒しても良いですか?土佐料理のお店があります。」
「良かったです。私、また失敗して、スーパーマーケットとかでご飯を買う羽目になっていたかもしれないので。」
「それはもったいないなあ。」
二人旅はもう少し続きそうだ。
(了)
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