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ファースト・リブ

ー/ー



 ウィズに言われた通りに、風が集まる方――風が常に追い風になるように進んだ。一時間くらいたっただろうか。陽の光を受けきらめく砂の上に、それはあった。

『遠くに、何か見える』
 
 僕の書き込みに、ライから『敵か?』と素早く返事がなされる。僕は回答を保留したまま、早足で近づく。
 砂漠にたたずむそれは……初めは岩か、なにかの建物だと思った。立ち枯れた木々にも見えた。でも、太く白い湾曲が規則的に並ぶ、それはまさに――

『レオンが言ってた……“おっきなほね”だ!』

 ライはノートの中でヒュウ、と口笛を吹いた。砂を踏みしめて、僕は一軒家くらいのサイズがある骨格に近づく。象とか、大きな生き物の骨なのかな、と思っていたけど、なにかもっと巨大な生き物の骨格の一部みたいな気がする。でもこんなサイズの生き物、そもそも知らない。
 ドラム缶くらいの太さの白い柱と柱の間を抜けて、骨格の中に入り込んでみた。
 
 ドーム状に見えたそれは、等間隔に並んだオフホワイトの骨から成るトンネルだった。片側の出口は小さく、もう片側の出口は広い、歪な形をしている。砂の上には横断歩道みたいなシマシマ模様の影が落ちていて、中央には埋もれかけたひときわ太い骨が横たわっている。なんとなく、バスで隣町に行くのに通る国道の、排気ガスで薄汚れた中央分離帯みたいだと思った。
 数十本あるだろう柱は、太い骨に対して線対称に配置されていて、弧を描きながら天頂の梁のような骨に収束していた。トンネルの中央から見あげると、脚がいっぱいある大きな蜘蛛みたいだと思った。青空は規則的に骨に遮られ、その隙間から、目に痛いくらいに太陽が輝いている。

『で、このほねほねトンネルをくぐれば涯てに行けるってか?』

 暇そうなライからのコメントに、『とりあえず色々試してみるよ』と返事をする。通り抜けたり、触ったりしてみたけど、特に何も起こらない。

『何がおっきなほねならいちにちでーす、だ、あのコウモリ! またレオンのやつ、俺たちに嘘ついたんじゃないか?』

 ライの書き込みに、僕はしばし考えを巡らせた。
 
『でも、ウィズのアドバイスも、ここを指してると思うんだ』

 ここに辿り着くまでにあれだけ吹いていた追い風が、いつの間にかぴったり止まっていることをライに伝えた。あの状況で、ウィズが嘘を教える可能性は……ゼロではないけど、僕はウィズはそうしないと思った。
 やっぱり、二人のヒントが重なるこの場所が、『涯て』への近道に違いない。もう少し僕は色々試してみることにした。
 歩き回って、出たり入ったり、叫んでみたり。
 何も起きない。
 今度は、狭い方の出口から、柱を一本ずつ順番に触ってみることにした。十本目を触ったところで、次の柱が牙のようにそそりたっていることに気づく。広い方の出口にある柱数本は、天井中央の梁には接続していないみたいだった。
 十一本目、十二本目。牙のような二本を触りきって、広い方の出口を横切る。片側十二本の柱が左右対称に、二十四本。なんか、スカスカで歪なガリバートンネルみたいだなと思った。
 対岸にある十三本目に触れようとした時、砂漠の真ん中でするはずのない――潮の匂いが、鼻腔を、肺を満たして、僕は激しくむせた。鼻の奥が痛い。急に息苦しくなって、僕は立ってられなくなった。



 ひとしきりむせたあと、僕は呼吸を整えながら目を開けた。アスファルト。アスファルトだった。さっきまでの……砂漠特有の、天から降るような太陽の熱線由来の刺す暑さじゃない。とても馴染みのある、足元からゆらゆらと立ち上がるような、湿度のあるこもった暑さにまとわりつかれる。

「え、」

 波の音に顔を上げた僕の眼前には、嫌というほど見覚えのある――あの日僕が飛び込んだ、三島さんが雷に撃たれた、僕は雷に撃たれなかった、太平洋に向かって滑走路みたいに伸びる南堤防があった。
 もしかして、生き返ってて、あの日からやり直せたりするのかも。なんて、淡い期待を抱く僕の視界に、ふわりとノートが滑り込んで、ライが話しかけてくる。
 
『で、なんか起こったか?』

 僕は状況をライに説明しようとして……そういえばライに、そもそも死んだこととか、生きてた時のこととか、話してないな、なんて思い至る。僕が『涯て』を目指してることはなんとなく伝わってるみたいだけど。
 でも、どう説明すれば、僕が生きてたこの現代の世界観をライに伝えられるんだろう。羽根ペンを迷わせてから、とにかく状況を伝えることに徹しよう、と書き出す。

『なんか、気づいたら生まれ故郷の海辺の町にいた!』

 『そこが次の試練の会場か』とライからの返事が返ってくる。一度僕はこの街から、現実から逃げ出したけど、もしライと一緒なら、なんだかやり直せる気がしていた。

「いた!」

 遠くから聞こえた声に、僕は耳を疑った。
 いや、でも、そんな訳ないし……

「超探したんだよ!? なんでここなの!?」

 足音が近づいてきて、恐る恐る振り返る。

「良かった〜! ちゃんと僕が一番乗りで」

 目にかからないくらいの日に焼けた前髪。
 へらへら笑う腑抜けた、小学校高学年みたいな童顔。
 毎朝、毎朝、嫌というほど鏡で見てきた……
 
 僕だった。

 半袖の制服を着て、エナメルの肩かけカバンを提げて、笑顔で近寄ってくる。危機感を覚えて、金色に輝く羽根ペンで宙に浮くノートに状況を書き込んでいるのに、目の前にいる僕は全く気にしていないみたいだった。

「怖がらないで! 大丈夫大丈夫、教えてあげるから!」

 もう一人の僕は立ち止まると、突然半袖のカッターシャツのボタンを外し始めた。半袖を脱ぎ捨てると、今度は中に着ていたタンクトップを脱ぎ捨てる。

「――ね、人間の肋骨って何本あるか知ってる?」
 
 薄い胸板と真っ直ぐな腹を横に走る肋骨のうち、一本が、禍々しく赤く浮き上がっていた。

「片側十二本。十二本の肋骨が……君に関係あった人物として、この街にばら撒かれてる」

 半裸のまま、もう一人の僕は笑顔を浮かべている。

「は、何、どういう……」
「上、見て」

 僕は空を仰いだ。よく晴れた抜けるような青空に、昼間に上がる月のような青白さで……あの、蜘蛛みたいに見えた骨のトンネルが、片側十二本だけで空を満たしていた。僕はただ圧倒された。

「あれ、人間の肋骨と同じ形してるんだ。僕はあそこから外れて落ちた、一本」
 
 砂漠に落ちていたあの骨のトンネルは、巨大な、人間の肋骨だったんだ!

「僕たち肋骨は、あそこに還らなきゃいけないんだ。だから……」

 もう一人の僕は、なにかに耐えられなくなって、僕の足元に縋り付くと懇願し始めた。
 
「早く殺して、骨に戻して、お願いだから」
「何言ってるの、ごめん、もっと分かりやすく説明して」

 困惑する僕を、もう一人の僕が見あげる。背筋に悪寒が走った。だってそれは、さっきまでの笑顔と違って……虫とか、汚いものとかを見る目だったから。顔を思い切り歪ませたもう一人の僕は、腹の底から叫び始めた。

「だーかーらー、肋骨十二本! 僕ら十二人! ぜーんぶ! 殺せって言ってんだろッ!?」
「な、なんでそんなことしなきゃダメなんだよ!」

 もう一人の僕は舌打ちすると、僕に向かって唾を吐いた。

「お前のせいだ。お前が逃げたからだ」

 もう一人の自分が低く呟いた言葉に、心臓を掴まれたみたいに、僕は固まった。もう一人の僕は、バネのようなスピードで立ち上がり顔を近づけると、鼻に噛みつかんとするくらいの勢いで、吠えた。

「僕たち肋骨は、お前が向き合うはずだった、罪であり、運命なんだ! ちゃーんと、責任取って、全部殺せよ!」

 吠え切ると、もう一人の僕はあっかんべーをして……助走をつけてあの日みたいに、太平洋に飛び込んだ。バシャン、と白い飛沫が上がって、ワンテンポ遅れて、もう一人の僕が波の隙間に顔を出した。海水に濡れた髪が顔にまとわりついて、マヌケだった。

「早く! ほら早く早く殺してくれよ! 雷がいいな! ほら! 僕はここだよ! 早く早く早く!」

 あの日、雷を待っていた時みたいに、避雷針にでもなったつもりで天を指さすもう一人の僕は、とても滑稽で、恐ろしかった。こんなの……書けないよ。

「何してるの!? 早くしてよ! 死にたくてお前に教えたんだろ! 教えてやったじゃん! かっこよく死にたいの! 早くしてよ!」

 早口で捲し立てるもう一人の僕の目は爛々と輝いていて、恐ろしかった。あの日の僕は、こんなんだったんだろうか。

『おい、襲われてないだろうな』

 心配するライのコメントがノートに浮かぶ。もう一人の僕が、殺してくれって……と書こうとして、頭を振る。それで、ライに伝えて、殺すかどうかライに委ねるって……違うよな。

「なんでよ! なんでッ殺してくれないの!?」

 もう一人の僕は、声を裏返しながら、半ば泣き叫んでいた。それは間違いなく、あの最後の夜に、雷を待っていた僕だった。ズブ濡れで左手で天を指し、避雷針にもなれていない僕は……自分に酔っていて、あまりにも情けなくて、ダサかった。

『おい、大丈夫か』

 ライの返事に、僕は何も書かずに頭を振った。
 死を懇願する、もう一人の僕の声が響き続ける。あんなの……僕じゃない。苛立ちすら覚える。正直、もう顔を見たくなかった。殺してやりたいとすら思っていた。ほら、あいつだって、死にたがってるじゃないか。それに、あの情けない僕を殺さないと、たぶん先に進めないんだろう。
 自分を正当化してから、すう、と息を吸うと、僕は羽根ペンを動かした。
 
『ライ、目の前に雷落として』

 ライは緊急事態と判断したのか、何も言わずに雷を呼んだ。雷は轟音とともに、僕ともう一人の僕の間に落ちて、海に吸い込まれていった。

「下手くそ!」

 何様のつもりなのか、海からもう一人の僕が怒鳴っている。共感性羞恥ってやつで、見てられなかった。

「お前……カッコ悪いよ」
 
 呆れながら零した僕のコメントに、もう一人の僕は目をかっ開くと、半ば錯乱状態で暴れ叫び始めた。気色が悪い。殴ってやりたかった。僕はライにもう一度雷を呼んでもらった。

 轟音。
 極楽に蕩けるような、幸せそうな顔でもう一人の僕は、雷を受けた。

「やっと! このクソみたいな世界からッ、解放されるッ……」

 絞り出すように歓喜の声を上げながら、もう一人の僕は息絶えた。途端に、身体が解けて、人一人くらいのサイズの一本の肋骨が、海上に浮かぶ。肋骨は重力に逆らって青空に向かって消えていき――空に広がる、片側十二本だけだった肋骨の反対側に、一本の肋骨が追加された。
 もう一人の僕は、肋骨として、あるべき場所に戻ったということなんだろうか。

 ――僕たち肋骨は、お前が向き合うはずだった、罪であり、運命なんだ!

 半狂乱で水面を叩き天を指すもう一人の自分が、脳裏にこびりついて離れない。ずっと逃げたかった僕自身と、僕は初めて正面から向き合った。それは酷く、醜くて幼くて、ダサかった。あれが僕だってのかよ。でもたぶん、客観的に見たら、僕は……

 認めたくなかった。そのまま、しばらく僕は、震えて動けなかった。
 
『今の雷は、何に当てたんだ?』

 ライからの問いかけに僕は、『聞かないでほしい』としか返事できなかった。


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 ライはノートの中でヒュウ、と口笛を吹いた。砂を踏みしめて、僕は一軒家くらいのサイズがある骨格に近づく。象とか、大きな生き物の骨なのかな、と思っていたけど、なにかもっと巨大な生き物の骨格の一部みたいな気がする。でもこんなサイズの生き物、そもそも知らない。
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 数十本あるだろう柱は、太い骨に対して線対称に配置されていて、弧を描きながら天頂の梁のような骨に収束していた。トンネルの中央から見あげると、脚がいっぱいある大きな蜘蛛みたいだと思った。青空は規則的に骨に遮られ、その隙間から、目に痛いくらいに太陽が輝いている。
『で、このほねほねトンネルをくぐれば涯てに行けるってか?』
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 ライの書き込みに、僕はしばし考えを巡らせた。
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 ここに辿り着くまでにあれだけ吹いていた追い風が、いつの間にかぴったり止まっていることをライに伝えた。あの状況で、ウィズが嘘を教える可能性は……ゼロではないけど、僕はウィズはそうしないと思った。
 やっぱり、二人のヒントが重なるこの場所が、『涯て』への近道に違いない。もう少し僕は色々試してみることにした。
 歩き回って、出たり入ったり、叫んでみたり。
 何も起きない。
 今度は、狭い方の出口から、柱を一本ずつ順番に触ってみることにした。十本目を触ったところで、次の柱が牙のようにそそりたっていることに気づく。広い方の出口にある柱数本は、天井中央の梁には接続していないみたいだった。
 十一本目、十二本目。牙のような二本を触りきって、広い方の出口を横切る。片側十二本の柱が左右対称に、二十四本。なんか、スカスカで歪なガリバートンネルみたいだなと思った。
 対岸にある十三本目に触れようとした時、砂漠の真ん中でするはずのない――潮の匂いが、鼻腔を、肺を満たして、僕は激しくむせた。鼻の奥が痛い。急に息苦しくなって、僕は立ってられなくなった。
 ひとしきりむせたあと、僕は呼吸を整えながら目を開けた。アスファルト。アスファルトだった。さっきまでの……砂漠特有の、天から降るような太陽の熱線由来の刺す暑さじゃない。とても馴染みのある、足元からゆらゆらと立ち上がるような、湿度のあるこもった暑さにまとわりつかれる。
「え、」
 波の音に顔を上げた僕の眼前には、嫌というほど見覚えのある――あの日僕が飛び込んだ、三島さんが雷に撃たれた、僕は雷に撃たれなかった、太平洋に向かって滑走路みたいに伸びる南堤防があった。
 もしかして、生き返ってて、あの日からやり直せたりするのかも。なんて、淡い期待を抱く僕の視界に、ふわりとノートが滑り込んで、ライが話しかけてくる。
『で、なんか起こったか?』
 僕は状況をライに説明しようとして……そういえばライに、そもそも死んだこととか、生きてた時のこととか、話してないな、なんて思い至る。僕が『涯て』を目指してることはなんとなく伝わってるみたいだけど。
 でも、どう説明すれば、僕が生きてたこの現代の世界観をライに伝えられるんだろう。羽根ペンを迷わせてから、とにかく状況を伝えることに徹しよう、と書き出す。
『なんか、気づいたら生まれ故郷の海辺の町にいた!』
 『そこが次の試練の会場か』とライからの返事が返ってくる。一度僕はこの街から、現実から逃げ出したけど、もしライと一緒なら、なんだかやり直せる気がしていた。
「いた!」
 遠くから聞こえた声に、僕は耳を疑った。
 いや、でも、そんな訳ないし……
「超探したんだよ!? なんでここなの!?」
 足音が近づいてきて、恐る恐る振り返る。
「良かった〜! ちゃんと僕が一番乗りで」
 目にかからないくらいの日に焼けた前髪。
 へらへら笑う腑抜けた、小学校高学年みたいな童顔。
 毎朝、毎朝、嫌というほど鏡で見てきた……
 僕だった。
 半袖の制服を着て、エナメルの肩かけカバンを提げて、笑顔で近寄ってくる。危機感を覚えて、金色に輝く羽根ペンで宙に浮くノートに状況を書き込んでいるのに、目の前にいる僕は全く気にしていないみたいだった。
「怖がらないで! 大丈夫大丈夫、教えてあげるから!」
 もう一人の僕は立ち止まると、突然半袖のカッターシャツのボタンを外し始めた。半袖を脱ぎ捨てると、今度は中に着ていたタンクトップを脱ぎ捨てる。
「――ね、人間の肋骨って何本あるか知ってる?」
 薄い胸板と真っ直ぐな腹を横に走る肋骨のうち、一本が、禍々しく赤く浮き上がっていた。
「片側十二本。十二本の肋骨が……君に関係あった人物として、この街にばら撒かれてる」
 半裸のまま、もう一人の僕は笑顔を浮かべている。
「は、何、どういう……」
「上、見て」
 僕は空を仰いだ。よく晴れた抜けるような青空に、昼間に上がる月のような青白さで……あの、蜘蛛みたいに見えた骨のトンネルが、片側十二本だけで空を満たしていた。僕はただ圧倒された。
「あれ、人間の肋骨と同じ形してるんだ。僕はあそこから外れて落ちた、一本」
 砂漠に落ちていたあの骨のトンネルは、巨大な、人間の肋骨だったんだ!
「僕たち肋骨は、あそこに還らなきゃいけないんだ。だから……」
 もう一人の僕は、なにかに耐えられなくなって、僕の足元に縋り付くと懇願し始めた。
「早く殺して、骨に戻して、お願いだから」
「何言ってるの、ごめん、もっと分かりやすく説明して」
 困惑する僕を、もう一人の僕が見あげる。背筋に悪寒が走った。だってそれは、さっきまでの笑顔と違って……虫とか、汚いものとかを見る目だったから。顔を思い切り歪ませたもう一人の僕は、腹の底から叫び始めた。
「だーかーらー、肋骨十二本! 僕ら十二人! ぜーんぶ! 殺せって言ってんだろッ!?」
「な、なんでそんなことしなきゃダメなんだよ!」
 もう一人の僕は舌打ちすると、僕に向かって唾を吐いた。
「お前のせいだ。お前が逃げたからだ」
 もう一人の自分が低く呟いた言葉に、心臓を掴まれたみたいに、僕は固まった。もう一人の僕は、バネのようなスピードで立ち上がり顔を近づけると、鼻に噛みつかんとするくらいの勢いで、吠えた。
「僕たち肋骨は、お前が向き合うはずだった、罪であり、運命なんだ! ちゃーんと、責任取って、全部殺せよ!」
 吠え切ると、もう一人の僕はあっかんべーをして……助走をつけてあの日みたいに、太平洋に飛び込んだ。バシャン、と白い飛沫が上がって、ワンテンポ遅れて、もう一人の僕が波の隙間に顔を出した。海水に濡れた髪が顔にまとわりついて、マヌケだった。
「早く! ほら早く早く殺してくれよ! 雷がいいな! ほら! 僕はここだよ! 早く早く早く!」
 あの日、雷を待っていた時みたいに、避雷針にでもなったつもりで天を指さすもう一人の僕は、とても滑稽で、恐ろしかった。こんなの……書けないよ。
「何してるの!? 早くしてよ! 死にたくてお前に教えたんだろ! 教えてやったじゃん! かっこよく死にたいの! 早くしてよ!」
 早口で捲し立てるもう一人の僕の目は爛々と輝いていて、恐ろしかった。あの日の僕は、こんなんだったんだろうか。
『おい、襲われてないだろうな』
 心配するライのコメントがノートに浮かぶ。もう一人の僕が、殺してくれって……と書こうとして、頭を振る。それで、ライに伝えて、殺すかどうかライに委ねるって……違うよな。
「なんでよ! なんでッ殺してくれないの!?」
 もう一人の僕は、声を裏返しながら、半ば泣き叫んでいた。それは間違いなく、あの最後の夜に、雷を待っていた僕だった。ズブ濡れで左手で天を指し、避雷針にもなれていない僕は……自分に酔っていて、あまりにも情けなくて、ダサかった。
『おい、大丈夫か』
 ライの返事に、僕は何も書かずに頭を振った。
 死を懇願する、もう一人の僕の声が響き続ける。あんなの……僕じゃない。苛立ちすら覚える。正直、もう顔を見たくなかった。殺してやりたいとすら思っていた。ほら、あいつだって、死にたがってるじゃないか。それに、あの情けない僕を殺さないと、たぶん先に進めないんだろう。
 自分を正当化してから、すう、と息を吸うと、僕は羽根ペンを動かした。
『ライ、目の前に雷落として』
 ライは緊急事態と判断したのか、何も言わずに雷を呼んだ。雷は轟音とともに、僕ともう一人の僕の間に落ちて、海に吸い込まれていった。
「下手くそ!」
 何様のつもりなのか、海からもう一人の僕が怒鳴っている。共感性羞恥ってやつで、見てられなかった。
「お前……カッコ悪いよ」
 呆れながら零した僕のコメントに、もう一人の僕は目をかっ開くと、半ば錯乱状態で暴れ叫び始めた。気色が悪い。殴ってやりたかった。僕はライにもう一度雷を呼んでもらった。
 轟音。
 極楽に蕩けるような、幸せそうな顔でもう一人の僕は、雷を受けた。
「やっと! このクソみたいな世界からッ、解放されるッ……」
 絞り出すように歓喜の声を上げながら、もう一人の僕は息絶えた。途端に、身体が解けて、人一人くらいのサイズの一本の肋骨が、海上に浮かぶ。肋骨は重力に逆らって青空に向かって消えていき――空に広がる、片側十二本だけだった肋骨の反対側に、一本の肋骨が追加された。
 もう一人の僕は、肋骨として、あるべき場所に戻ったということなんだろうか。
 ――僕たち肋骨は、お前が向き合うはずだった、罪であり、運命なんだ!
 半狂乱で水面を叩き天を指すもう一人の自分が、脳裏にこびりついて離れない。ずっと逃げたかった僕自身と、僕は初めて正面から向き合った。それは酷く、醜くて幼くて、ダサかった。あれが僕だってのかよ。でもたぶん、客観的に見たら、僕は……
 認めたくなかった。そのまま、しばらく僕は、震えて動けなかった。
『今の雷は、何に当てたんだ?』
 ライからの問いかけに僕は、『聞かないでほしい』としか返事できなかった。