8.あなたは好きな枚数のカードを手札に加える
ー/ー教室の老朽化したエアコンが、ついに熱に負け始めた午後。
五限終わりの休憩を迎えた今となっても、俺は未だにこの“第2弾”を渡すタイミングが見つけられずにいた。
そして、ちょうど海風が座席で一人になった頃合いを見計らい、俺から声をかけようと立ち上がった、まさにその時だった。
「海風ちゃん、リレメン選抜されたって本当?」
あの不動のマドンナ――1-6の篠崎絢美が何人かの取り巻きを連れて、海風を訪ねて来たのだ。
「うん、昼休みに先輩から直接そう教えてもらったよ」
「へぇ、そうなんだ。その先輩って……男子水泳部の一条先輩?」
篠崎はウェーブのかかった明るく長い髪をふわりと揺らしながら、机に身体を乗り出して海風に顔を近づける。
海風は上体をわずかに後ろに反らしながら、目を白黒させている。
「う、ううん、坂野先輩だよ。女子水泳部主将の」
「……そう、だったらいいんだけど」
篠崎はゆっくりと顔を海風から離す。
海風のこわばっていた肩からスンと力が抜けたのも束の間、篠崎はさらに言葉を続けた。
「いやぁ、それにしてもスゴいよねぇ、海風ちゃん。一年生なのにこんなトントン拍子でスタメン入りできるなんて」
「あ、ありがとう」
「でも大変じゃない?高一の今って、一番楽しいときじゃん。頑張りすぎちゃってさぁ、先輩に目を掛けられて時間取られても……絢美、あんまいいことないと思うなぁ」
「……っ」
篠崎が口角をにっと上げながらそういい放つと、後ろの取り巻きが適当スマホをいじりながら、クスクスと相槌を打つ。
……そうか、次は一条先輩なんだな、あいつ。
「あ、でも学費免除の特待生なんだし……頑張らなくちゃここにいられないのかぁ、残念」
海風は「あはは」と苦笑いを返しながら、机の下でスカートの布地をぎゅっと握っていた。
「……篠崎」
「ん、なぁに?」
返事は軽い。
しかし、振り返ったその目は笑っていない。
取り巻きも一斉に俺を見てくる。
篠崎に声かけたのなんて……中学ぶりだな。
なんだろう。
彼女は、いつの間にこうなっちゃったんだろうなぁ。
「その例の人だけど、今グラウンドにいたよ。なんか女子と話してる」
「……ふぅん」
「一条先――」
「さんきゅ、アタシもちょっとお誘いかけてこよっかな。バイバイ、海風ちゃん」
そう言って、篠崎はほとんど俺と海風を見ること無く、踵を返していく。
取り巻きたちも、スマホを触りながらヘラヘラとその後をついていった。
彼女たちが出て行って少し経ってから、ドア横席の横山が「閉めていけよな、冷気が逃げるだろ」とぶつくさ言いながら、ドアをぴしゃりと閉めた。
「……本当にいたんだよ。古墳研究会の一条先生がグラウンドに」
「……ぷっ」
海風が小さく吹く声が聞こえた。
あの会話の後だからだろうか。
今の彼女が、どんな顔をしているのか見ることはできなかった。
ならば「せめて」と思い、ズボンのポケットに忍ばせていた紙束を取りだそうとした、その時。
チャイムの音と共に、古文の高石先生がのしのしと入ってきた。
「よーし、みんな座れ~」
あぁクソッ、間に合わなかったか。
海風に小さく手で「また」とサインを送ってから、俺はそそくさと席についた。
◆
放課後、またしても俺は海風に声をかけることができなかった。
先にHRを終えた他のクラスの水泳部仲間が、すぐに海風を連れていってしまったからだ。
「忍、今日もバイトか?」
「う、うん。西垣は?」
「きょーやとアップルストアいってくるわ。カバーがもうパカパカでヤバくてさ」
「さよか。なんか面白そうなカバーあったら教えてくれ」
西垣は「うい」と返して、そのまま教室を後にした。
俺はそのまま席で何をするでもなく、ただ肘をついて、廊下を挟んで見える窓の外の空をぼーっと眺めることにした。
しばらくして、教室には誰もいなくなった。
窓の外からは、部活に打ち込む大勢の生徒たちが打ち鳴らす音や、歓声といったありとあらゆる響きが、校舎というフィルターを通して一つに混じり合っている。
俺はそんな響きを遠くに感じながら、海風の机の引き出しに一束のデッキをこっそりと入れた。
教室を後にした俺は、校内をぷらぷらと歩きつつ、ゆっくりと下駄箱の方角を目指した。
渡り廊下に出ると、透き通った空気とともに、すでに傾き始めた西日が目に飛び込んだ。
そして、光の差す方角からぼんやりと聞こえていたある歓声が、よりくっきりと聞こえるようになった。
校舎西側にあるのは――25mプールだ。
『ゴーゴー、レッツゴーゴーゴー!レッツゴーゴーゴー、かーなーえっ!!』
プールサイドでは、ウインドブレーカーに身を包んだ大勢の女子水泳部員たちが、両手に持ったプラスチックメガホンを懸命に叩いて、夏の大会に向けた応援練習に励んでいる。
彼女たちの熱意が向く先は、西日を反射してギラギラと揺らめく黄金のプール。
そして、コースロープの間に一糸乱れないひとすじの軌跡を描く、黒い競泳用水着に身を包んだ一人の女子部員の姿があった。
完成されたクロールのフォームが生み出す飛沫。
息継ぎのたびに見せる、ゴーグル越しの真剣な彼女の表情。
そんな鮮明なビジョンが、離れた場所にいる俺のところまで運ばれてきたことで、思わず息を呑んだ。
そうか。
これこそが、普段の海風なんだ。
「……説明、しておきたかったんだけどな」
そう一人ごちたものの、理解はすでにできていた。
俺と海風の過ごしている、普段の世界が違いすぎる。
そのくせ、交わることのできる限られた時間では――俺のカードたちは息ができない。
◆
一度、海風の引き出しに入れていたカードの束たちはいま、再び俺の手にある。
「……」
下駄箱までやって来たところで、俺は裏向けになった束の一番上にあるカードをめくり、表にした。
『精霊龍プラチナ・ユニバース・ドラゴン』が、俺を見た。
第2弾のカードたちは、以前作った『殲滅漆黒神魔龍』をはじめとしたカードよりも省エネで生まれたにも関わらず、テキストとイラストのまとまりを中心として、明確な改善が見られている気がした。
すべては、俺の中に生まれたひとつの目的を達成するために、なるべくしてそうなったはずだ。
……そうだよな。
こいつらにだって、俺は、息継ぎの仕方を練習させてやらなくちゃならない。
それに、昨日の海風が吐き出した気持ちは、絶対に嘘なんかじゃなかったはずだ。
自分でも女々しいと思う。
スニーカーを下駄箱に戻して、一度は持って帰ろうとしていた紙束を手に、俺は何度目か分からない教室への出戻りを決意した。
「あっ」
「あ……」
すっかり陽が落ちて、完全な暗がりとなった1-3の教室には、塩素の香りに身を包んだ海風がいた。
間の抜けた声を二人で漏らしてから、彼女の顔がにぱっと晴れるまでの動きが、暗がりの中でもよく分かった。
交わる時間がないのなら、俺たちはこうして自分で創るしかないんだ。
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