エピソード2教会
ー/ーここはどこだろう。
暗い。
冷たい。
そして、痛い。
床なのか壁なのかも分からない硬い何かに、体を押し付けられている。
目を開けているはずなのに、何も見えない。
時間の感覚も曖昧だった。
どれくらい経つとだろう。
決まったように扉が開き、誰かが食べ物を置いていく。
顔は見えない。
声もない。
ただ、音だけ。
靴音と、容器が床に置かれる乾いた音。
――それだけ。
「……ねぇ」
声を出してみても、返事はない。
喉が乾いて、うまく言葉にならない。
それでも、誰かと話したかった。
でも、その人は何も言わずに去っていく。
そして、また時間が経つ。
次に来るときは――
違う。
大人たちは、私に“何か”をする。
痛い。
とても、痛い。
何をされているのかは分からない。
分からないのに、体だけがそれを拒絶する。
「やめて……」
声は震えていた。
「やめて……やめてよ……」
何度言っても、やめてくれない。
大人たちは、何も言わない。
ただ、無機質に。
まるで私を――
人として見ていないみたいに。
「……だれか」
誰でもいい。
「……たすけて」
ここから連れ出してほしい。
こういうの、なんて言うんだっけ。
頭がぼんやりして、うまく考えられない。
考えるのも、疲れる。
……もういいや。
眠ろう。
眠ってしまえば、
痛いことも、怖いことも、考えなくていい。
少女は、暗闇の中で体を丸めた。
そして、ゆっくりと意識を手放していく。
――その時だった。
薄れていく意識の奥で。
“何か”が、囁いた。
言葉ではない。
音でもない。
それでも確かに、そこに“意味”があった。
人間には理解できない、何かの声。
それは優しくもあり、
どこまでも冷たかった。
まるで――
ずっと前から、そこにいたかのように。
場面は変わる。
エンジン音が、山の静寂を切り裂いていた。
舗装もされていない山道を、黒亀迅のバイクが走る。
その横で、サイドカーに乗る深海玲奈が退屈そうに空を見上げていた。
空は曇っている。
昼間のはずなのに、どこか薄暗い。
木々が空を覆い隠し、光を遮っているせいか。
それとも――
別の理由か。
迅はアクセルを軽く緩めながら、ぽつりと呟いた。
「この依頼……どう思う?」
返事はすぐには返ってこない。
「俺は正直、関わりたくない」
その言葉に、玲奈は小さく鼻で笑った。
「それはいつもの感か?」
間髪入れずに続ける。
「ならば却下だ」
迅は眉をひそめる。
「そうは言うが、この事件にお前が興味を持つ要素があるとは思えん」
玲奈は、ゆっくりと首を傾けた。
その動きはどこか人間らしくなく、
妙に“計算された違和感”があった。
「ならなぜ、お前の“感”は関わりたくないと言っているんだ?」
静かな声だった。
だが、その一言は鋭く、確実に核心へと踏み込んでくる。
「自己防衛か?」
一拍。
「恐怖か?」
さらに一拍。
そして、わずかに口角を吊り上げた。
「――はたまた、“守れなかった過去”を思い出すのが怖いからか?」
その瞬間、風が止んだ気がした。
迅は何も言わなかった。
いや――
言えなかった。
言葉が喉の奥で凍りついたまま、外に出てこない。
視線だけが、わずかに逸れる。
それで十分だった。
玲奈は、それ以上何も言わなかった。
まるで、もう“答えは出た”と言わんばかりに。
バイクは再び加速する。
山の奥へ、奥へと進んでいく。
道は次第に細くなり、
周囲の木々は密度を増していく。
光はさらに薄れ、
昼間であることすら疑わしくなる。
やがて――
視界の先に、影が見えた。
それは建物だった。
山奥に不自然に佇む、古びた屋敷。
まるで、最初からそこに存在してはいけないものが、
無理やり“置かれている”かのような違和感。
その瞬間。
迅の背筋を、冷たいものが走った。
理由は分からない。
だが、本能が理解していた。
――ここは、来るべき場所ではない。
そして同時に。
“何か”が、こちらを見ている気がした。
玲奈は、目の前にある屋敷を一瞥すると、何の躊躇もなくインターホンに指を伸ばした。
その仕草は、あまりにも無邪気で。
この場所に漂う不気味さなど、一切感じていないかのようだった。
――ピンポーン。
電子音が、静まり返った山の空気に溶けていく。
数秒。
短いはずのその時間が、やけに長く感じられた。
やがて、スピーカー越しに声が響く。
「……はい?」
男とも女ともつかない、平坦な声。
ここは山奥だ。
電気が通っていること自体は不思議ではない。
だが――
この“反応の速さ”と“声の落ち着き”は、どこか不自然だった。
玲奈は間髪入れず、明るい声で答える。
「すみません! この間雑誌を見まして!」
「こちらの宗教団体に興味を持ちまして来ました!」
「もしお時間ありましたら、お話を伺えればと思いまして!」
その声音は、まるで本当に興味本位で訪れた一般人そのものだ。
迅は隣で小さくため息をついた。
「ハァ……」
――やっぱりな。
予想はしていた。
こいつのことだ。
最初から潜り込むつもりで来ている。
内部から調べる。
それが一番早いと、分かっているから。
だからこそ、迅はあの無駄に大きな鞄に“色々”詰め込んできたのだ。
沈黙の後、再び声が返ってくる。
「承知いたしました」
「今、迎えに参りますので……少々お待ちください」
あまりにも自然だった。
突然の訪問。
しかも山奥の宗教施設。
普通なら、警戒する。
だがこの対応は――
“慣れている”。
まるで、こういう訪問者が来ることを前提にしているかのように。
通話が切れる。
静寂が戻る。
数分後。
玲奈が腕を組み、不満そうに口を開いた。
「遅い! 遅すぎる!」
声がやけに大きく、空気を乱す。
「アイツら本当に社会人か? お客様を待たせるなんて、大人として失格だ」
迅は呆れたように肩をすくめた。
「急に来たんだからしょうがないだろ」
煙草に火をつけながら続ける。
「客人かもしれないが、客人カースト的には最下層だろうよ」
その言葉を言い終えた瞬間だった。
玲奈は再びインターホンに手を伸ばした。
――ピンポーン。
ためらいがない。
というより、“待つ”という概念が存在しないかのようだ。
だが――
今度は、返事がなかった。
沈黙。
空気が、少しだけ重くなる。
風が止み、木々のざわめきすら消えた。
時間だけが、妙にゆっくりと流れる。
三分。
それだけのはずなのに、やけに長く感じた。
その時だった。
ギィ……と、鈍い音が響いた。
屋敷の門が、ゆっくりと開く。
中から現れたのは、二人。
一人は女。
身長は百五十センチほど。
年齢は三十代半ばといったところか。
もう一人は男。
百八十は優に超える体格。
筋肉質で、無駄に大きい。
二人とも、無表情だった。
女が一歩前に出る。
「申し訳ございません。遅くなってしまいまして」
丁寧な言葉。
だが、その声には温度がなかった。
「どうぞ、お入りください」
そう言って、門の鍵を外す。
カチリ、と小さな音がした。
――その音が、やけに耳に残る。
迅は視線を細めた。
二人を観察する。
武器は――見当たらない。
女はパンフレットを持っている。
おそらく、説明用に用意されたものだろう。
男は何も持っていない。
だが。
その立ち位置、その視線、その体の向き。
“いつでも動ける”配置だった。
――警戒している。
こちらと同じように。
玲奈はそんな空気など気にも留めず、軽い足取りで門をくぐった。
迅は一瞬だけ空を見上げる。
曇天。
光は弱く、空気は重い。
まるで、ここだけ“外界と切り離されている”ような感覚。
小さく息を吐き、後を追った。
屋敷の敷地内に入った瞬間。
空気が変わった。
温度ではない。
“質”が違う。
鼻につく、微かな臭い。
湿った土の匂いに混じって――
何かが腐ったような、
あるいは、古すぎて形を失ったものの匂い。
迅は無意識に眉をひそめた。
案内されるまま、屋敷の中へと入る。
廊下は長く、静かだった。
足音だけが、やけに響く。
壁には宗教画のようなものが飾られているが、
どれも“何かがおかしい”。
人の形をしているのに、顔が曖昧だったり。
目の位置が微妙にずれていたり。
見れば見るほど、脳が理解を拒む。
玲奈はそれらを一瞥しただけで、興味なさそうに通り過ぎていく。
やがて、一つの部屋の前で止まった。
「こちらへどうぞ」
扉が開かれる。
中は簡素な部屋だった。
テーブルと椅子が四脚。
客を迎えるための部屋だろう。
だが――
どこか、閉じ込めるための“箱”にも見えた。
迅は一瞬だけ立ち止まる。
背後で、扉がゆっくりと閉まる音がした。
――カタン。
その音が、やけに重く響いた。
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