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インターミッション 『交差軌条』バジャー1-燈虚の星船

ー/ー



 番号で管理される資源採掘用の準惑星。その隣接宙域に浮かぶ軌道ステーションでは薬品の生産に利用可能な希少鉱物が準惑星から次々と搬入されていた。その物質は惑星ヴェリザンが喉から手が出るほど欲しているもので……バジャー1はその物資をヴェリザンへ届けるため、この宙域を訪れていた。

「社長、今回は大変でしたな……」
「まったくです。船員が一人足りなくなるだけでこれほど手が回らなくなると思いませんでしたよ……」

 船のオーナーであり、バジャー1を運営する会社の社長でもあるプレストン・バジャー船長は、副長のぼやきに苦笑交じりで頷いた。
 もともとバジャー1は、拠点を置くペレジスと交易相手であるヴェリザンの間を定期運行する輸送交易船だ。しかし、偶然と運命に導かれた彼らは通常ルートを外れてクレリスへ赴くこととなった。そして、そこでの悲しい別れを経て、ヴェリザン経由でペレジスに戻る準備を進めていた。

 そんな最中、ヴェリザンのミラー大統領直々の依頼が舞い込んだ。希少鉱物を準惑星から輸送する緊急任務。しかし間の悪いことに、軌道ステーションでの積み込み作業中、船員の一人が負傷し、地表での療養を余儀なくされてしまった。
 代わりの船員を確保しようにも、慢性的な人手不足に悩むヴェリザンでは思うように人材が見つからない。結局、プレストンは無理を承知で人員不足のまま準惑星へと向かった。

 しかし、そこからの2ヶ月間あまりの航行は想像以上に過酷なものだった。副長のぼやきに耳を傾けながらも、プレストン自身もそれを痛感していた。

「ここで人員の補充は……」
「無理ですな。ヴェリザン以上に人がいませんからな」

 副長の言葉を聞くまでも無い。この準惑星は地表で人が生活できる環境ではなく、採掘スタッフをはじめとした全ての人間は軌道ステーションで生活している。つまり、暇を持て余した民間人や、仕事を探している船員などといった余剰人材がいるはずの無い場所なのだ。
 帰路の苦労を思い、ため息をつくプレストンだが、軌道ステーションでの停泊中に思わぬ出会いが彼を待ち受けていた。

「すみません」

 ヴェリザンへ輸送する物資の搬入作業を監督していたプレストンは、横合いから掛けられた声に一瞬懐かしいものを感じた。
 感情のこもらないどこか平坦な声は……声質こそ違うものの、かつてこの船に乗り合わせ、失意のまま船を下りた少女を思い起こさせるものだったから。プレストンが振り向くと、そこには長い黒髪の少女が立っていた。
 年の頃なら17、8ぐらいだろうか。見慣れない黒いコスモスーツの上から黒いコートを羽織り、肩には古びたバッグを背負っている。プレストンは黒いコスモスーツが最新式のものかと思ったが、よく見るとそれはどうみても古ぼけた旧式のもので、宇宙服として機能するのかも怪しい装備であることに気がついた。
 そんな風変わりな衣装と併せて全体的に黒っぽいイメージだが、彼女の肌は抜けるように白く、また瞳は血のように赤かった。無表情でなければ、誰もが振り返るほどの美少女だが……。どうしてそんな少女がここに?そう思うプレストンに少女が続けた。

「手持ちは少ないのですが……この船に乗せていただけませんか?下働きでもなんでもします。食事当番でも掃除でも、役に立てるよう頑張ります」

 感情の乗らない彼女の言葉には切羽詰まった様子はなく、むしろ何かを諦めたような響きがあった。プレストンは目を細め、彼女の全身を見渡した。疲れた表情、わずかに揺れる手先、赤い瞳の奥には孤独と迷いが隠れているように思えた。

「下働き……ですか?」

 プレストンは腕を組んで考え込む。この少女を乗せることに特別なリスクはなさそうだが、どうしてこんな行き止まりの星に?見たところ彼女は何らかの仕事をしている風でもない……つまり、この軌道ステーションの人間ではなさそうだった。理由を問うプレストンに少女はこともなげ言う。

「船を乗り間違えてしまって。ここで3週間、足止めされているんです」

 何を間違えば場末の資源採掘場へたどり着くのかと口に仕掛けたが、記憶の少女……トワも、同じような事をしようしていた事を思い出した。
 あの時、自分はトワを止めることができず、そのことは彼の心に後悔の念を残す事になった。なら……トワを救う代わりに、この少女の手助けをしてやっても良いか。そう考えた。

「わかりました。人手が足りていないので、こちらも助かります。臨時船員として雇いますので船賃は不要ですが、仕事はしてもらいます。それでいいですか?」
「はい、もちろん。ありがとうございます」

 そう言って頭を下げた少女の所作は非常に洗練されており、見た目と相まって高貴な出自であることが見て取れた。

「お名前を伺っても?」
「カレン……カレン・キサラギです」

 プレストンはその名前を反芻する。カレンという名はともかく、キサラギという姓は耳慣れない。やはりどこかの惑星のやんごとない家系のお嬢様か……。そんな事を思いながらプレストンは副長を呼び、カレンを臨時雇用することを伝えると共に船内への案内を任せることにした。
 プレストンは彼女に背を向け、積み込み作業の続きを指示しながら心の片隅でカレンの事を考えた。この少女は本当に手違いでこの場所へ流れ着いたのだろうか?それとも……何か目的があるのだろうか?


 積み込みが終わり、必要物資の補充を終えたバジャー1は速やかに軌道ステーションを離れ、ヴェリザンへの帰路に就いた。カレンに割り当てられた仕事は新人のデッキクルーと同じような船内雑務の担当だった。
 手際が良いとは言えないが、カレンは言いつけを守ってよく働いた。決して熱意にあふれる積極的な働きぶりではなく、船賃分だけの労働をこなしていれば誰も文句は無いだろうと言わんばかりの態度ではあったが。

 仕事が無い時間帯、カレンは船の窓辺を好み一人で外を眺めていた。亜光速で飛ぶ航宙船の船窓は星の光すら満足に見えない純粋な闇に近い。そこに浮かぶかすかな星々を、時折呟きを漏らしながら一人遠くを見つめるカレン。その姿はなまじ彼女が美人であるが故に、乗員たちに声を掛けることを許さないようなオーラを醸し出していた。
 そして航行が始まって数日経ったある日、たまたまカレンの横を通り過ぎようとしたプレストンは彼女が漏らすつぶやきを耳にする。

「こんなに星があるのに、どうして誰も私を信じてくれないんだろう」

 窓に映る彼女の顔は漆黒の宇宙を移し込んだように暗い影が落ちていた。プレストンには彼女の言葉が寂しさによるものではなく、純粋な疑念を述べているように思えた。もしかしたら、彼女が場末の軌道ステーションにいたのは自分の事を信じて貰える居場所を探して流離っていたのかもしれない。
 プレストンはその言葉に、ここがあなたの居場所になりうると声を掛けようかと思ったが、カレンの言葉は自分に対するものではでないことは明らかだったのであえて何も言わずにその場を後にした。
 求められれば手を差し伸べるが、向こうが求めないのであれば無理に手を差し伸べるべきではないと考えて。


 いつものように空いた時間に窓辺で宇宙を眺めていたある日、カレンは不意に過去の記憶の断片に囚われた。

「あなたは選ばれた存在なのに。どうしてそれにふさわしくあろうとしないの!」

 厳しい声と共に脳裏に浮かぶ醜く歪んだ母の顔と、彼女が向ける純白の刃の記憶。信仰と期待。憧れと嫉妬。感情が渦巻く母の声色の中にあった、冷たい愛情。それは幼き日のカレンにとって、求めてやまず……そして、手が届かなかったものだった。
 母の面影が映る窓にカレンは手をそっと触れる。

「何がふさわしいか、自分で決められないなんて……。そんなに不自由なら、選ばれないほうが良かった。私は選ばれたくなかったのに」

 小さな声で呟き、窓からそっと手を離す。その表情に浮かぶ涙は、すぐに彼女自身の手で拭われた。

 「選ばれた」カレンには、彼女と両親しか知らない秘密の力があった。
 その日、仕事を終えたカレンの姿は割り当てられた寝床ではなく船尾に近い船倉にあった。そこは貨物や冷凍睡眠ポッドが置かれた場所で、用事の無い人間が滅多に立ち入らない場所――つまるところ、カレンが船内で一人でいられる場所だったから。その一角で久しぶりに母の事を思いだし、眠れなくなったカレンは一人膝を抱えて座り込んでいた。
 母の記憶が呼び覚ますカレンの「力」。意識を閉ざそうとするほど、不意打ちのように心の中に映像が広がる。

 ――燃え盛る炎。崩壊する建物。逃げ惑う人々。その中心に立つのは、哄笑する自分の姿だった。

「壊れていく……全部、壊れていく。……違う……私が、壊すんだ……」

 自分が見た光景の意味を思い、カレンは震える手で自らの肩を抱く。それが未来のいつかに起こる、避けられない運命であることは理解していた。そしてその光景が意味する未来の予感よりも、強烈な光景そのものがカレンに恐怖を感じさせる。

「未来なんて……視たくないのに……」

 無人の船室に小さなつぶやきがこぼれ……やがて押し殺したような泣き声が響いた。


 同じ夜、船長であるプレストンは船内に設けられた自室で一人、物思いにふけっていた。まず思い浮かべるのは今回の航行に同乗している少女、カレンの事。
 彼女は悪人や危険人物には思えないが、それでも彼女が抱えた闇が大きいことは彼にも感じられた。彼女が望むのであれば、力になってやりたいところだが……と考え、ふとかつて彼が手を差し伸べられなかった少女の事を思い出す。

「似ていますよね……カレンと、トワさんは。どうして私の船にはあんな悲しい目をした少女ばかり乗るのでしょうか……」

 トワ。ギルドに所属する優秀なクリスタルシンガーで、惑星ヴェリザンを救った英雄の一人。だが、彼女は……姉を亡くした。私の、この船の中で。
 トワの姉であるアイリスを救えなかったのはプレストンにとっては悔やんでも悔やみきれない出来事だった。たとえそれが不可避の出来事であったとしても。

 だから彼は、せめてトワの助けになりたいと考えた。アイリスの葬儀やトワが目的としていた場所への付き添い。大した事ではないが、姉の死に自失状態だったトワに対して少しは手助け出来たと自負してはいる。
 だが。最後の最後でトワは彼の助けを拒絶した。行く宛てもない旅に出るトワを自らの船で故郷へ送ろうと提案したプレストンだが、トワはそれを拒んだのだ。

「心遣いに感謝します。でも……私は旅をしないといけないから……遠くへ。どこまでも」

 そう答えたトワの瞳には深い闇が宿っていて、救いの手を振りほどくとどこへ墜ちていくか判らないほどの危うさを秘めていた。だが……それでもプレストンはトワの意思を尊重し、彼女の手を無理には取らなかった。

 それがどのような結果をもたらしたのか……そして、トワが今も旅を続けているのか、それともどこかで命を落としたのか……プレストンに知る術はない。
 思い悩んでも仕方ない。悩むぐらいなら……今度は少しぐらい強引にでも、手を取ってみても良いかもしれない。そんな事を想いながら、プレストンは眠りに就いた。


 人手不足の影響はパジャー1の機関部にも及んでいた。航宙船の推進装置であるレゾナンスドライブは本来メンテナンスフリーな設計になっているが、この所まともにドック入りしていないバジャー1の機関部は若干の不調を抱えていた。
 その対応に割ける人員の不足はメンテナンス不足の機関がさらに不調を累積させていく危険性を意味していて……今日もまた機関士が調子の悪いサブユニットを相手に悪態をつきながら作業を行っていた。

 修理のために開かれた配線パネルの中では赤い警告灯が複数踊るように明滅している。どこもかしこも劣化が進んでいて、マニュアル通りなら配線調整で済むはずの修理が、もはや手の付けようすらない状態になっていた。修理キットを握りしめ悪戦苦闘する機関士が警告灯の数を見て苦虫を噛み潰したような顔をするのも仕方のない事だった。
 手を止めて溜め息をつく彼の背後に手提げ鞄を持ったカレン立っていた。どうやら当直中の船員に食事……スラリー(どろどろ)のパックを届けて回っているようだ。機関士の様子を見たカレンは淡々とした声で問う。

「調子が悪いのですか?」
「ん……ああ、あんたか。配線の殆どが傷んでてな……修理部品も不足してるから、正直お手上げだ。飯でも食ってからどうするか考えるが……」

 スラリー(どろどろ)を受け取った機関士がそう言って制御パネルの前から離れると、入れ替わるようにカレンがパネルの前に立った。いつも身に纏っているコートのポケットをまさぐったカレンは小さなツールを取り出した。
 機関士の目には彼女が手にしたツールは歴史の教科書に載っているような骨董品にしか見えなかったが、カレンはその骨董品を手に、躊躇せず配線を切断する。

「待て!お前、何やってるんだ!そんな事したらドライブが止まっちまうぞ!」

 慌てて制止する機関士を無視して、カレンは次々と配線を切断していく。機関士は最悪の事態を想定して慌てるが、カレンは冷静に切断した回線を他の経路へと繋ぎ替えていく。彼女の手が一通りの作業を終えた後……パネルの警告灯は落ち着きを取り戻していた。

「動かない原因はここで短絡しているから。余計な部分を切り離して、最低限の回路は維持しました」

 短く説明するカレンの言葉に機関士は唖然としながら状況を確認する。確かに彼女が言うように簡素な応急処置ではあったが、必要最低限の動作が保証される配置に修正されている……ただし、普通の技術者なら絶対にやらないようなイレギュラーな方法ではあったが。
 やり方はともかく、手際と思い切りの良さに驚いた機関士がカレンに技師の経験があるかと問うが、彼女は無言で首を横に振る。熟練技師並の手際で修理をする素人。そんなものがいる筈が無いと毒づく機関士を残し、カレンは静かにその場を立ち去った。


 機関部へ至る通路からその一部始終を見ていたプレストンは、通路へ出てきたカレンを無言で見つめた。カレンも足を止め、プレストンを見返す。どちらも言葉を口にしないが、カレンは事情を説明しないとこの場を立ち去れないと観念したのか、軽く息を吐くと口を開いた。

「前に、古い船に一人で乗っていたんです。故障だらけで……生きるために技術を身につける必要がありました。だから、技師として働いた事はありません」

 プレストンはその言葉が意味することを脳裏で考える。旧式の無人船にでも乗ってしまったのだろうか?そういえば初対面の時にカレンが言った「船を乗り間違えて」とい言葉。不自然だと思ったが……無人船なら乗り間違いもあるかもしれない。
 自分の中でそう推論したプレストンは頷くと、カレンに「大変でしたね」とだけ告げる。
 実際の所、プレストンの想像していたことは半分も当たっていなかったのだが……両者ともその事実を知る事もないまま、カレンは軽くお辞儀をすると通路へ向かって跳ぶ。だが、少し進んだ所でカレンは手すりをつかみ慣性を殺すと、プレストンを振り返る。

「壊れたものを直そうとしても、全てが元通りになるわけではないですよね。場合によっては不要な部分を排除した方が早いと思いませんか」

 自分が切除したケーブルを示し、プレストンにそう告げる。カレンの言葉が修理方針を示しているのか、それとも彼女の人生哲学なのかとプレストンが思案している間に、カレンは通路の奥へ姿を消していた。


 次の日、プレストンはいつものように窓の外を見つめるカレンの横を通り過ぎようとした。窓の外には代わり映えのしない宇宙の闇に散らばる無数の星々が静かに輝いている。
 昨日の事を思い出し、プレストンは何気なくカレンに声を掛けてみた。

「これだけ広い宇宙なら、どんな未来でも見つかる。そう思えませんか?」

 その言葉は以前カレンが呟いた居場所のなさを嘆く言葉に対する、プレストンなりの答えだった。自分に投げかけられた言葉にカレンはしばらく黙っていたが、小さく肩をすくめると……微笑むことに慣れていないのか、どこか作り物のようにも見える笑みを浮かべた。

「……そう、ですね。期待してみるのも、悪くないかもしれません」

 だがカレンの言葉には僅かな希望が宿っているように見えた。昨日の経験を通じて彼女が少しでも自信を得ることが出来ていれば……。プレストンはそう願った。
 カレンは再び黙り込んだが、その横顔はどこか穏やかに見えた。プレストンは彼女の変化を感じ取り、「きっと、彼女は前を向き始めた」と思い込んだ。
 だが、プレストンが目を離した次の瞬間、カレンの目は一瞬だけ暗い何かを宿していた。


 目的地であるヴェリザンまであと数日となったある日。バジャー1は大きな危機に直面していた。
 空調装置の故障。酸素供給こそ機能しているが、排熱もままならない航宙船内では空調故障は生命の危険がある重大な事故だ。今のところ一部ブロックの空調が止まっているだけだが、放置しているとヴェリザン到着までに船内全ての空調が止まってしまうかもしれない。
 手すきの船員達は各自で空調の修理を試みるが、十分な補修部品がない状況では打てる手も少なく、船内は生活領域を縮小するという消極策しか打ち出せない状況にあった。

 ラウンジで状況を報告する船員達の話を聞いていたカレンはブリーフィングの最中、いつの間にか姿を消していた。そのことに気付いたプレストンは仄かな期待を抱きつつ、船員達に現状維持の指示を行う。
 そしてブリーフィング終了後、船尾付近の閉鎖ブロックへ向かったプレストンが目にしたのは期待していた光景と、思いも寄らぬ光景が入り交じったものだった。

 真っ先に空調が止まったのはカレンが一人籠もることが多い船倉だった。カレンはそこで空調装置を解体し、持てる技術力を駆使して修理を試みていた。
 サウナのような高温環境ではコスモスーツを着ていても長くは耐えられない。ましてや、機能不全の旧式スーツでは。なのでカレンは上半身をはだけた状態で修理を行っていた。

 息苦しささえ感じさせる熱気に満ちた通路をプレストンは急ぎ、彼が船倉に顔を出したのは……船倉の空調装置から少し生ぬるいがそれでも冷気を感じられる風が吹き出し始めた時だった。

「見事な手並みですね。……おっと、失礼」

 カレンの修理技能を褒めたプレストンだが、彼女が肌を露出している事に気付き、慌てて目をそらす。カレンは気にした様子も無く、自分のために修理をしたと静かに答えた。プレストンはその言葉を聞きながら、彼女に疑問を投げかけるべきかどうか思案していた。

 カレンの右肩にある、ひどい傷跡についての疑問を。

 怪我や火傷なら詮索することは無い。だが……その傷は明らかに人為的な……それも刃物による切り傷にしか見えなかったからだ。プレストンが沈黙している理由を理解しているカレンだが、今回は自分から話す気にはなれないのか黙ってプレストンを見つめている。
 沈黙に耐えかねたプレストンは口を開き、その傷はと問うた。

「アマテラス……」

 カレンが答えた言葉は、名前のようであった。その言葉が意味するところはプレストンには判らなかったが、それでも言葉が持つ響きに何故か女性的なものを感じた。怪訝な表情で見つめるプレストンに気付いたのか、カレンは軽くため息を付くと改めて説明をおこなう。

 自分がとある鎖国状態にある惑星の出身であること。惑星は宗教国家が統治しており、神官やそれに連なるものが権力を握っていること。カレンの両親はその中でも最高位の神官……すなわち惑星の支配者であったこと。

 カレンの語る過去にプレストンは圧倒された。何か過去がある少女だとは思っていたが、まさか宗教国家の支配者令嬢(プリンセス)だったとは。
 しかしそんな令嬢に大きな傷があることが理解できない。そう感じていると、カレンが傷の由来を語り出した。

「儀式で……二振りの刀を使って舞を奉納するんです。父と、母がそれそれの刀を持って」

 儀式の刀と聞いてプレストンはカレンの肩の傷に目をやり、思う。やはり刀傷だったか、と。カレンは続ける。幼い彼女がその儀式の邪魔をしてしまった事。両親……特に母親がそのことに激怒したこと。そして……。

「私の傷は母が……アマテラスが、付けたものなんです」

 アマテラスという名はカレンが最初に口にした言葉だ。プレストンはそれが母の名であろうと推測した。
 カレンの肩の傷は母によって付けられたもので、おそらくそれはカレンの心にも大きな傷を残した事だろう。カレンは続けた。アマテラスは理想の象徴。だから私は……理想や未来を信じることが出来ない、と。

 母親が理想の象徴というカレンの言葉はプレストンを少し混乱させたが、宗教的な意味があるのだろうと無理に自分を納得させる。込み入ったことを聞いたと謝罪するプレストンに、身なりを整えていたカレンはいつものように黙って会釈をすると無言のままその場を立ち去ろうとする。
 以前とは逆に、今回はプレストンが彼女に声を掛けた。「その傷は治さないのか」と。

「治さない方が、いいんです。……この傷があるから、私はここにいます」

 プレストンは彼女の言葉の意味を測りかねながらも、あえて深く追及せず、ただ穏やかな声でその傷が痛まないことを祈ります、とだけ告げた。カレンは振り返らず、そのまま通路へ姿を消した。

 ――カレンが「修理」した空調装置の修理痕が動作不良を起こした基板の破壊と、迂回路設定によるものであった事にプレストンが気付くのはずいぶんと先の事だった。


 船内時間で2ヶ月近い航海を終え、バジャー1はヴェリザンの衛星軌道に到達した。なにやらVIPが到着したとの理由で軌道ステーションの管制官から入港待ちを指示されたバジャー1のクルー達は一時の休息を行っていた。
 カレンはラウンジで一人、ホロディスプレイに映る惑星の姿を見つめていた。軌道上から見下ろす広大な大地には二つの大きな都市が見えている。だが、大きい方の都市はその半分が黒ずんだ傷跡のような……まるで廃墟であるように見えた。

「この星は……一体……?」

 カレンがぽつりと呟くと、隣のテーブルで打ち合わせをしていた船員が、ヴェリザンという惑星の名前と、ここがパンデミックと騒乱によって一度滅びかけた惑星であることを教えてくれた。
 救われた惑星と言う言葉にかすかに反応するカレン。だがその瞳に浮かぶのは希望というよりも疑念だった。

「オレたちが運んだ物資が無いと復興後も疫病の不安が収まらないみたいだけどな、まぁここの連中はそれでも立ち直りつつあるみたいだぜ」

 そう言って笑う船員に軽く会釈し感謝の念を伝えたカレンは再びホロディスプレイに視線を送る。黒い傷跡のような廃墟の光景は、彼女の中に奇妙な――「未来」の既視感を呼び起こしていた。

「壊れた、もの……」

 彼女のが無意識に漏らした呟きは小さく、誰の耳にも届かなかった。

 やがてバジャー1は軌道ステーションに入港し、物資の搬出が始まる。指揮を執っていたプレストンは、船室からバッグを担いだカレンが漂い出てきた事に気がついた。
 カレンもプレストンに気付いたのか、エアロックの端で一旦止まり、プレストンに向き直り「お世話になりました」と礼を告げる。プレストンにはその言葉が、これまでの彼女の淡白な話し方とは違い、少しだけ力がこもっていたように感じられた。

「ここで下船するのですか?もっと乗っていてくれてもかまいませんよ。優秀な技術者なら大歓迎ですから」

 プレストンの言葉はカレンの想像していたものと違ったのか、彼女は一瞬戸惑ったような表情を浮かべる。だが、カレンは少し微笑んで首を振った。

「働いてみようと思うんです。この星で、技師として」

 技師として、と言う言葉にプレストンは軽い驚きを感じたが、一方でそれなら彼女は十分に生計を立てられるだろうと納得もした。ただ、この星は……まだ不安定な状況だ。彼女が望む仕事があるかどうかも判らない。そう思ってプレストンが身の振り方を聞くと、カレンはこともなげに告げた。

「……壊れたものを直す仕事です。ここなら、その機会も多いでしょうから」

 確かに、それなら一度壊れかけたこの惑星を選ぶのは正解だ。笑いながらそう告げるプレストンは、彼女の視線がわずかに逸れた事に気がつかなかった。
 カレンは改めて礼を言うとバッグを持ち直してステーションへの通路を進む。そして、一度だけ振り返って……プレストンとバジャー1に軽く手を振った。

 プレストンはその仕草を見て、彼女は自分の道を見つけたのかもしれないと考え、心の中で小さな満足感を感じた。


 軌道ステーションを進むカレンの前に、人だかりが出来ていた。先ほど船内で聞いたVIPとやらがいるのだろうか。人混みを煩わしく思いながら、カレンはその場を迂回しようとする。

「――レイラ・クロウリーさん、今回の凱旋公演、ヴェリザンの皆が期待しています!是非コメントを!」
「はい、久しぶりに故郷の皆さんに私の演奏を聴いて頂きたいです――」

 そういえばここは「元」芸術の星だと船員が言っていた。音楽家……自分には関係の無い人間だ。そう思ってカレンはその場を足早に通り過ぎようとする。が、レポーターらしき男性の声に足が止まった。

「お母様の方も、講演活動が順調と伺っておりますが、何かコメントを!」
「私は特に。娘の付き添いですから――」
「もうママ、ちゃんとコメントして!」

 ……母娘。自分が求めても得られなかった関係が、そこにあった。互いに笑い合う幸せそうなやり取りにカレンは胸の奥にある何かが掻きむしられるような感覚を覚えた。紅の瞳を一瞬細め、仲睦まじい母娘の姿を睨み付けると……カレンは呟きをその場に残し、足早にその場を去った。

「――幸せが簡単に手に入るなんて。羨ましい限りね」



 惑星ヴェリザン、旧都――かつてこの星の中心であり、今では朽ち果てた廃墟が立ち並ぶ場所。30年以上前にパンデミックと混乱が襲い、人々が去ったまま放置された、壊れた都。
 その廃墟の中にぽつんと立つ、半壊した建物にカレンはいた。天井の一部は剥がれ、壁にはひびが走っている。窓枠にはひしゃげた鉄骨がむき出しになり、外から吹き込む風が時折低い唸り声のように響く。
 ここにはかつての賑わいを想像させる気配はどこにもない。

 カレンは鏡の前に座っていた。鏡は古く、無数のひび割れや曇りが彼女の姿を歪めて映し出している。黒いコスモスーツをはだけると、白い裸身が露わになる。右肩に残る傷跡は……プレストンが見たときよりもずいぶんと薄くなってた。

「……直せるのかしら。こんな風になっても……」

 彼女は半ば自分に問いかけるように呟いた。だが、その言葉に答える者はない。旧都の光景は彼女が「幻視」で視た破壊の痕跡と似通っているが、ここではない。なぜならこの破壊は彼女がもたらしたものではないから。そして、今の彼女は哄笑などしていないから。
 窓の外を見れば、遠くに新都の明かりがぼんやりと輝いている。それはまるで星の光のように冷たく、彼女のいる旧都とは違う世界を映し出しているかのようだった。

「……どうせ、壊れたものには誰も期待しない」

 カレンの声は低く、冷たい確信に満ちていた。バッグの中からカレンは小さな刃物を取るとその切っ先を見つめ「アマテラス」と呟く。
 頭を振った彼女は手に取った刃物を右肩の傷にそっと当てた。金属の冷たさが肌をなぞり……新たな血がゆっくりと滲み出る。

「消えないで……」

 呟いたその言葉は、傷跡に対する願いなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか。鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。そこには感情のない瞳と、薄く歪んだ微笑みがあった。

「直らないものは……壊すしかないのに」

 カレンは窓から見える新都の明かりを一瞥すると、すぐに視線を外した。その光がまるで自分を嘲笑っているかのように感じられたから。彼女は短く息を吐き捨てるように呟くと、血が付いたままの刃物を無造作にポケットへと押し込んだ。

 そして……廃墟の中に足音を残しながら、彼女は静かに闇へと溶け込んでいった。



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「わかりました。人手が足りていないので、こちらも助かります。臨時船員として雇いますので船賃は不要ですが、仕事はしてもらいます。それでいいですか?」
「はい、もちろん。ありがとうございます」
 そう言って頭を下げた少女の所作は非常に洗練されており、見た目と相まって高貴な出自であることが見て取れた。
「お名前を伺っても?」
「カレン……カレン・キサラギです」
 プレストンはその名前を反芻する。カレンという名はともかく、キサラギという姓は耳慣れない。やはりどこかの惑星のやんごとない家系のお嬢様か……。そんな事を思いながらプレストンは副長を呼び、カレンを臨時雇用することを伝えると共に船内への案内を任せることにした。
 プレストンは彼女に背を向け、積み込み作業の続きを指示しながら心の片隅でカレンの事を考えた。この少女は本当に手違いでこの場所へ流れ着いたのだろうか?それとも……何か目的があるのだろうか?
 積み込みが終わり、必要物資の補充を終えたバジャー1は速やかに軌道ステーションを離れ、ヴェリザンへの帰路に就いた。カレンに割り当てられた仕事は新人のデッキクルーと同じような船内雑務の担当だった。
 手際が良いとは言えないが、カレンは言いつけを守ってよく働いた。決して熱意にあふれる積極的な働きぶりではなく、船賃分だけの労働をこなしていれば誰も文句は無いだろうと言わんばかりの態度ではあったが。
 仕事が無い時間帯、カレンは船の窓辺を好み一人で外を眺めていた。亜光速で飛ぶ航宙船の船窓は星の光すら満足に見えない純粋な闇に近い。そこに浮かぶかすかな星々を、時折呟きを漏らしながら一人遠くを見つめるカレン。その姿はなまじ彼女が美人であるが故に、乗員たちに声を掛けることを許さないようなオーラを醸し出していた。
 そして航行が始まって数日経ったある日、たまたまカレンの横を通り過ぎようとしたプレストンは彼女が漏らすつぶやきを耳にする。
「こんなに星があるのに、どうして誰も私を信じてくれないんだろう」
 窓に映る彼女の顔は漆黒の宇宙を移し込んだように暗い影が落ちていた。プレストンには彼女の言葉が寂しさによるものではなく、純粋な疑念を述べているように思えた。もしかしたら、彼女が場末の軌道ステーションにいたのは自分の事を信じて貰える居場所を探して流離っていたのかもしれない。
 プレストンはその言葉に、ここがあなたの居場所になりうると声を掛けようかと思ったが、カレンの言葉は自分に対するものではでないことは明らかだったのであえて何も言わずにその場を後にした。
 求められれば手を差し伸べるが、向こうが求めないのであれば無理に手を差し伸べるべきではないと考えて。
 いつものように空いた時間に窓辺で宇宙を眺めていたある日、カレンは不意に過去の記憶の断片に囚われた。
「あなたは選ばれた存在なのに。どうしてそれにふさわしくあろうとしないの!」
 厳しい声と共に脳裏に浮かぶ醜く歪んだ母の顔と、彼女が向ける純白の刃の記憶。信仰と期待。憧れと嫉妬。感情が渦巻く母の声色の中にあった、冷たい愛情。それは幼き日のカレンにとって、求めてやまず……そして、手が届かなかったものだった。
 母の面影が映る窓にカレンは手をそっと触れる。
「何がふさわしいか、自分で決められないなんて……。そんなに不自由なら、選ばれないほうが良かった。私は選ばれたくなかったのに」
 小さな声で呟き、窓からそっと手を離す。その表情に浮かぶ涙は、すぐに彼女自身の手で拭われた。
 「選ばれた」カレンには、彼女と両親しか知らない秘密の力があった。
 その日、仕事を終えたカレンの姿は割り当てられた寝床ではなく船尾に近い船倉にあった。そこは貨物や冷凍睡眠ポッドが置かれた場所で、用事の無い人間が滅多に立ち入らない場所――つまるところ、カレンが船内で一人でいられる場所だったから。その一角で久しぶりに母の事を思いだし、眠れなくなったカレンは一人膝を抱えて座り込んでいた。
 母の記憶が呼び覚ますカレンの「力」。意識を閉ざそうとするほど、不意打ちのように心の中に映像が広がる。
 ――燃え盛る炎。崩壊する建物。逃げ惑う人々。その中心に立つのは、哄笑する自分の姿だった。
「壊れていく……全部、壊れていく。……違う……私が、壊すんだ……」
 自分が見た光景の意味を思い、カレンは震える手で自らの肩を抱く。それが未来のいつかに起こる、避けられない運命であることは理解していた。そしてその光景が意味する未来の予感よりも、強烈な光景そのものがカレンに恐怖を感じさせる。
「未来なんて……視たくないのに……」
 無人の船室に小さなつぶやきがこぼれ……やがて押し殺したような泣き声が響いた。
 同じ夜、船長であるプレストンは船内に設けられた自室で一人、物思いにふけっていた。まず思い浮かべるのは今回の航行に同乗している少女、カレンの事。
 彼女は悪人や危険人物には思えないが、それでも彼女が抱えた闇が大きいことは彼にも感じられた。彼女が望むのであれば、力になってやりたいところだが……と考え、ふとかつて彼が手を差し伸べられなかった少女の事を思い出す。
「似ていますよね……カレンと、トワさんは。どうして私の船にはあんな悲しい目をした少女ばかり乗るのでしょうか……」
 トワ。ギルドに所属する優秀なクリスタルシンガーで、惑星ヴェリザンを救った英雄の一人。だが、彼女は……姉を亡くした。私の、この船の中で。
 トワの姉であるアイリスを救えなかったのはプレストンにとっては悔やんでも悔やみきれない出来事だった。たとえそれが不可避の出来事であったとしても。
 だから彼は、せめてトワの助けになりたいと考えた。アイリスの葬儀やトワが目的としていた場所への付き添い。大した事ではないが、姉の死に自失状態だったトワに対して少しは手助け出来たと自負してはいる。
 だが。最後の最後でトワは彼の助けを拒絶した。行く宛てもない旅に出るトワを自らの船で故郷へ送ろうと提案したプレストンだが、トワはそれを拒んだのだ。
「心遣いに感謝します。でも……私は旅をしないといけないから……遠くへ。どこまでも」
 そう答えたトワの瞳には深い闇が宿っていて、救いの手を振りほどくとどこへ墜ちていくか判らないほどの危うさを秘めていた。だが……それでもプレストンはトワの意思を尊重し、彼女の手を無理には取らなかった。
 それがどのような結果をもたらしたのか……そして、トワが今も旅を続けているのか、それともどこかで命を落としたのか……プレストンに知る術はない。
 思い悩んでも仕方ない。悩むぐらいなら……今度は少しぐらい強引にでも、手を取ってみても良いかもしれない。そんな事を想いながら、プレストンは眠りに就いた。
 人手不足の影響はパジャー1の機関部にも及んでいた。航宙船の推進装置であるレゾナンスドライブは本来メンテナンスフリーな設計になっているが、この所まともにドック入りしていないバジャー1の機関部は若干の不調を抱えていた。
 その対応に割ける人員の不足はメンテナンス不足の機関がさらに不調を累積させていく危険性を意味していて……今日もまた機関士が調子の悪いサブユニットを相手に悪態をつきながら作業を行っていた。
 修理のために開かれた配線パネルの中では赤い警告灯が複数踊るように明滅している。どこもかしこも劣化が進んでいて、マニュアル通りなら配線調整で済むはずの修理が、もはや手の付けようすらない状態になっていた。修理キットを握りしめ悪戦苦闘する機関士が警告灯の数を見て苦虫を噛み潰したような顔をするのも仕方のない事だった。
 手を止めて溜め息をつく彼の背後に手提げ鞄を持ったカレン立っていた。どうやら当直中の船員に食事……|スラリー《どろどろ》のパックを届けて回っているようだ。機関士の様子を見たカレンは淡々とした声で問う。
「調子が悪いのですか?」
「ん……ああ、あんたか。配線の殆どが傷んでてな……修理部品も不足してるから、正直お手上げだ。飯でも食ってからどうするか考えるが……」
 |スラリー《どろどろ》を受け取った機関士がそう言って制御パネルの前から離れると、入れ替わるようにカレンがパネルの前に立った。いつも身に纏っているコートのポケットをまさぐったカレンは小さなツールを取り出した。
 機関士の目には彼女が手にしたツールは歴史の教科書に載っているような骨董品にしか見えなかったが、カレンはその骨董品を手に、躊躇せず配線を切断する。
「待て!お前、何やってるんだ!そんな事したらドライブが止まっちまうぞ!」
 慌てて制止する機関士を無視して、カレンは次々と配線を切断していく。機関士は最悪の事態を想定して慌てるが、カレンは冷静に切断した回線を他の経路へと繋ぎ替えていく。彼女の手が一通りの作業を終えた後……パネルの警告灯は落ち着きを取り戻していた。
「動かない原因はここで短絡しているから。余計な部分を切り離して、最低限の回路は維持しました」
 短く説明するカレンの言葉に機関士は唖然としながら状況を確認する。確かに彼女が言うように簡素な応急処置ではあったが、必要最低限の動作が保証される配置に修正されている……ただし、普通の技術者なら絶対にやらないようなイレギュラーな方法ではあったが。
 やり方はともかく、手際と思い切りの良さに驚いた機関士がカレンに技師の経験があるかと問うが、彼女は無言で首を横に振る。熟練技師並の手際で修理をする素人。そんなものがいる筈が無いと毒づく機関士を残し、カレンは静かにその場を立ち去った。
 機関部へ至る通路からその一部始終を見ていたプレストンは、通路へ出てきたカレンを無言で見つめた。カレンも足を止め、プレストンを見返す。どちらも言葉を口にしないが、カレンは事情を説明しないとこの場を立ち去れないと観念したのか、軽く息を吐くと口を開いた。
「前に、古い船に一人で乗っていたんです。故障だらけで……生きるために技術を身につける必要がありました。だから、技師として働いた事はありません」
 プレストンはその言葉が意味することを脳裏で考える。旧式の無人船にでも乗ってしまったのだろうか?そういえば初対面の時にカレンが言った「船を乗り間違えて」とい言葉。不自然だと思ったが……無人船なら乗り間違いもあるかもしれない。
 自分の中でそう推論したプレストンは頷くと、カレンに「大変でしたね」とだけ告げる。
 実際の所、プレストンの想像していたことは半分も当たっていなかったのだが……両者ともその事実を知る事もないまま、カレンは軽くお辞儀をすると通路へ向かって跳ぶ。だが、少し進んだ所でカレンは手すりをつかみ慣性を殺すと、プレストンを振り返る。
「壊れたものを直そうとしても、全てが元通りになるわけではないですよね。場合によっては不要な部分を排除した方が早いと思いませんか」
 自分が切除したケーブルを示し、プレストンにそう告げる。カレンの言葉が修理方針を示しているのか、それとも彼女の人生哲学なのかとプレストンが思案している間に、カレンは通路の奥へ姿を消していた。
 次の日、プレストンはいつものように窓の外を見つめるカレンの横を通り過ぎようとした。窓の外には代わり映えのしない宇宙の闇に散らばる無数の星々が静かに輝いている。
 昨日の事を思い出し、プレストンは何気なくカレンに声を掛けてみた。
「これだけ広い宇宙なら、どんな未来でも見つかる。そう思えませんか?」
 その言葉は以前カレンが呟いた居場所のなさを嘆く言葉に対する、プレストンなりの答えだった。自分に投げかけられた言葉にカレンはしばらく黙っていたが、小さく肩をすくめると……微笑むことに慣れていないのか、どこか作り物のようにも見える笑みを浮かべた。
「……そう、ですね。期待してみるのも、悪くないかもしれません」
 だがカレンの言葉には僅かな希望が宿っているように見えた。昨日の経験を通じて彼女が少しでも自信を得ることが出来ていれば……。プレストンはそう願った。
 カレンは再び黙り込んだが、その横顔はどこか穏やかに見えた。プレストンは彼女の変化を感じ取り、「きっと、彼女は前を向き始めた」と思い込んだ。
 だが、プレストンが目を離した次の瞬間、カレンの目は一瞬だけ暗い何かを宿していた。
 目的地であるヴェリザンまであと数日となったある日。バジャー1は大きな危機に直面していた。
 空調装置の故障。酸素供給こそ機能しているが、排熱もままならない航宙船内では空調故障は生命の危険がある重大な事故だ。今のところ一部ブロックの空調が止まっているだけだが、放置しているとヴェリザン到着までに船内全ての空調が止まってしまうかもしれない。
 手すきの船員達は各自で空調の修理を試みるが、十分な補修部品がない状況では打てる手も少なく、船内は生活領域を縮小するという消極策しか打ち出せない状況にあった。
 ラウンジで状況を報告する船員達の話を聞いていたカレンはブリーフィングの最中、いつの間にか姿を消していた。そのことに気付いたプレストンは仄かな期待を抱きつつ、船員達に現状維持の指示を行う。
 そしてブリーフィング終了後、船尾付近の閉鎖ブロックへ向かったプレストンが目にしたのは期待していた光景と、思いも寄らぬ光景が入り交じったものだった。
 真っ先に空調が止まったのはカレンが一人籠もることが多い船倉だった。カレンはそこで空調装置を解体し、持てる技術力を駆使して修理を試みていた。
 サウナのような高温環境ではコスモスーツを着ていても長くは耐えられない。ましてや、機能不全の旧式スーツでは。なのでカレンは上半身をはだけた状態で修理を行っていた。
 息苦しささえ感じさせる熱気に満ちた通路をプレストンは急ぎ、彼が船倉に顔を出したのは……船倉の空調装置から少し生ぬるいがそれでも冷気を感じられる風が吹き出し始めた時だった。
「見事な手並みですね。……おっと、失礼」
 カレンの修理技能を褒めたプレストンだが、彼女が肌を露出している事に気付き、慌てて目をそらす。カレンは気にした様子も無く、自分のために修理をしたと静かに答えた。プレストンはその言葉を聞きながら、彼女に疑問を投げかけるべきかどうか思案していた。
 カレンの右肩にある、ひどい傷跡についての疑問を。
 怪我や火傷なら詮索することは無い。だが……その傷は明らかに人為的な……それも刃物による切り傷にしか見えなかったからだ。プレストンが沈黙している理由を理解しているカレンだが、今回は自分から話す気にはなれないのか黙ってプレストンを見つめている。
 沈黙に耐えかねたプレストンは口を開き、その傷はと問うた。
「アマテラス……」
 カレンが答えた言葉は、名前のようであった。その言葉が意味するところはプレストンには判らなかったが、それでも言葉が持つ響きに何故か女性的なものを感じた。怪訝な表情で見つめるプレストンに気付いたのか、カレンは軽くため息を付くと改めて説明をおこなう。
 自分がとある鎖国状態にある惑星の出身であること。惑星は宗教国家が統治しており、神官やそれに連なるものが権力を握っていること。カレンの両親はその中でも最高位の神官……すなわち惑星の支配者であったこと。
 カレンの語る過去にプレストンは圧倒された。何か過去がある少女だとは思っていたが、まさか宗教国家の|支配者令嬢《プリンセス》だったとは。
 しかしそんな令嬢に大きな傷があることが理解できない。そう感じていると、カレンが傷の由来を語り出した。
「儀式で……二振りの刀を使って舞を奉納するんです。父と、母がそれそれの刀を持って」
 儀式の刀と聞いてプレストンはカレンの肩の傷に目をやり、思う。やはり刀傷だったか、と。カレンは続ける。幼い彼女がその儀式の邪魔をしてしまった事。両親……特に母親がそのことに激怒したこと。そして……。
「私の傷は母が……アマテラスが、付けたものなんです」
 アマテラスという名はカレンが最初に口にした言葉だ。プレストンはそれが母の名であろうと推測した。
 カレンの肩の傷は母によって付けられたもので、おそらくそれはカレンの心にも大きな傷を残した事だろう。カレンは続けた。アマテラスは理想の象徴。だから私は……理想や未来を信じることが出来ない、と。
 母親が理想の象徴というカレンの言葉はプレストンを少し混乱させたが、宗教的な意味があるのだろうと無理に自分を納得させる。込み入ったことを聞いたと謝罪するプレストンに、身なりを整えていたカレンはいつものように黙って会釈をすると無言のままその場を立ち去ろうとする。
 以前とは逆に、今回はプレストンが彼女に声を掛けた。「その傷は治さないのか」と。
「治さない方が、いいんです。……この傷があるから、私はここにいます」
 プレストンは彼女の言葉の意味を測りかねながらも、あえて深く追及せず、ただ穏やかな声でその傷が痛まないことを祈ります、とだけ告げた。カレンは振り返らず、そのまま通路へ姿を消した。
 ――カレンが「修理」した空調装置の修理痕が動作不良を起こした基板の破壊と、迂回路設定によるものであった事にプレストンが気付くのはずいぶんと先の事だった。
 船内時間で2ヶ月近い航海を終え、バジャー1はヴェリザンの衛星軌道に到達した。なにやらVIPが到着したとの理由で軌道ステーションの管制官から入港待ちを指示されたバジャー1のクルー達は一時の休息を行っていた。
 カレンはラウンジで一人、ホロディスプレイに映る惑星の姿を見つめていた。軌道上から見下ろす広大な大地には二つの大きな都市が見えている。だが、大きい方の都市はその半分が黒ずんだ傷跡のような……まるで廃墟であるように見えた。
「この星は……一体……?」
 カレンがぽつりと呟くと、隣のテーブルで打ち合わせをしていた船員が、ヴェリザンという惑星の名前と、ここがパンデミックと騒乱によって一度滅びかけた惑星であることを教えてくれた。
 救われた惑星と言う言葉にかすかに反応するカレン。だがその瞳に浮かぶのは希望というよりも疑念だった。
「オレたちが運んだ物資が無いと復興後も疫病の不安が収まらないみたいだけどな、まぁここの連中はそれでも立ち直りつつあるみたいだぜ」
 そう言って笑う船員に軽く会釈し感謝の念を伝えたカレンは再びホロディスプレイに視線を送る。黒い傷跡のような廃墟の光景は、彼女の中に奇妙な――「未来」の既視感を呼び起こしていた。
「壊れた、もの……」
 彼女のが無意識に漏らした呟きは小さく、誰の耳にも届かなかった。
 やがてバジャー1は軌道ステーションに入港し、物資の搬出が始まる。指揮を執っていたプレストンは、船室からバッグを担いだカレンが漂い出てきた事に気がついた。
 カレンもプレストンに気付いたのか、エアロックの端で一旦止まり、プレストンに向き直り「お世話になりました」と礼を告げる。プレストンにはその言葉が、これまでの彼女の淡白な話し方とは違い、少しだけ力がこもっていたように感じられた。
「ここで下船するのですか?もっと乗っていてくれてもかまいませんよ。優秀な技術者なら大歓迎ですから」
 プレストンの言葉はカレンの想像していたものと違ったのか、彼女は一瞬戸惑ったような表情を浮かべる。だが、カレンは少し微笑んで首を振った。
「働いてみようと思うんです。この星で、技師として」
 技師として、と言う言葉にプレストンは軽い驚きを感じたが、一方でそれなら彼女は十分に生計を立てられるだろうと納得もした。ただ、この星は……まだ不安定な状況だ。彼女が望む仕事があるかどうかも判らない。そう思ってプレストンが身の振り方を聞くと、カレンはこともなげに告げた。
「……壊れたものを直す仕事です。ここなら、その機会も多いでしょうから」
 確かに、それなら一度壊れかけたこの惑星を選ぶのは正解だ。笑いながらそう告げるプレストンは、彼女の視線がわずかに逸れた事に気がつかなかった。
 カレンは改めて礼を言うとバッグを持ち直してステーションへの通路を進む。そして、一度だけ振り返って……プレストンとバジャー1に軽く手を振った。
 プレストンはその仕草を見て、彼女は自分の道を見つけたのかもしれないと考え、心の中で小さな満足感を感じた。
 軌道ステーションを進むカレンの前に、人だかりが出来ていた。先ほど船内で聞いたVIPとやらがいるのだろうか。人混みを煩わしく思いながら、カレンはその場を迂回しようとする。
「――レイラ・クロウリーさん、今回の凱旋公演、ヴェリザンの皆が期待しています!是非コメントを!」
「はい、久しぶりに故郷の皆さんに私の演奏を聴いて頂きたいです――」
 そういえばここは「元」芸術の星だと船員が言っていた。音楽家……自分には関係の無い人間だ。そう思ってカレンはその場を足早に通り過ぎようとする。が、レポーターらしき男性の声に足が止まった。
「お母様の方も、講演活動が順調と伺っておりますが、何かコメントを!」
「私は特に。娘の付き添いですから――」
「もうママ、ちゃんとコメントして!」
 ……母娘。自分が求めても得られなかった関係が、そこにあった。互いに笑い合う幸せそうなやり取りにカレンは胸の奥にある何かが掻きむしられるような感覚を覚えた。紅の瞳を一瞬細め、仲睦まじい母娘の姿を睨み付けると……カレンは呟きをその場に残し、足早にその場を去った。
「――幸せが簡単に手に入るなんて。羨ましい限りね」
 惑星ヴェリザン、旧都――かつてこの星の中心であり、今では朽ち果てた廃墟が立ち並ぶ場所。30年以上前にパンデミックと混乱が襲い、人々が去ったまま放置された、壊れた都。
 その廃墟の中にぽつんと立つ、半壊した建物にカレンはいた。天井の一部は剥がれ、壁にはひびが走っている。窓枠にはひしゃげた鉄骨がむき出しになり、外から吹き込む風が時折低い唸り声のように響く。
 ここにはかつての賑わいを想像させる気配はどこにもない。
 カレンは鏡の前に座っていた。鏡は古く、無数のひび割れや曇りが彼女の姿を歪めて映し出している。黒いコスモスーツをはだけると、白い裸身が露わになる。右肩に残る傷跡は……プレストンが見たときよりもずいぶんと薄くなってた。
「……直せるのかしら。こんな風になっても……」
 彼女は半ば自分に問いかけるように呟いた。だが、その言葉に答える者はない。旧都の光景は彼女が「幻視」で視た破壊の痕跡と似通っているが、ここではない。なぜならこの破壊は彼女がもたらしたものではないから。そして、今の彼女は哄笑などしていないから。
 窓の外を見れば、遠くに新都の明かりがぼんやりと輝いている。それはまるで星の光のように冷たく、彼女のいる旧都とは違う世界を映し出しているかのようだった。
「……どうせ、壊れたものには誰も期待しない」
 カレンの声は低く、冷たい確信に満ちていた。バッグの中からカレンは小さな刃物を取るとその切っ先を見つめ「アマテラス」と呟く。
 頭を振った彼女は手に取った刃物を右肩の傷にそっと当てた。金属の冷たさが肌をなぞり……新たな血がゆっくりと滲み出る。
「消えないで……」
 呟いたその言葉は、傷跡に対する願いなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか。鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。そこには感情のない瞳と、薄く歪んだ微笑みがあった。
「直らないものは……壊すしかないのに」
 カレンは窓から見える新都の明かりを一瞥すると、すぐに視線を外した。その光がまるで自分を嘲笑っているかのように感じられたから。彼女は短く息を吐き捨てるように呟くと、血が付いたままの刃物を無造作にポケットへと押し込んだ。
 そして……廃墟の中に足音を残しながら、彼女は静かに闇へと溶け込んでいった。