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第六十七話 終焉を告ぐ雷鳴

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 蛾の火に赴くが如し、とはこのことである。
 どうやって誘き寄せようかと考えておったが、獲物は自ら私の元へと現れた。どうやら運は私に味方してくれているようだな。

 感じる気は式神のものだが、これは〝擬態〟だ。
 そう、あの娘がやってきたのだ。

「嘉納雅章」

 時刻はもう夜中だが、私は寮で朝廷からの文書に署名をしたためていた。今から都の全てが変わるのだから、無駄な作業となったがな。
 彼女は背に貼った護符の力で、まだ妖気が制圧されているというのに、目は怪しく琥珀色に光り、私をその鋭い眼光で見下ろしていた。

 ほう、一人で乗り込んできたのか。

「やぁ華葉、こんな時間にどうしたのか?」

 とりあえずいつもの私を装って返事をしてみた。しかし彼女は顔色一つ変えずに、その静かな怒りを私に向けている。……これは何か掴んできたな。

「拓磨の母を殺したのは、お前だな」
「ふむ。何か根拠はあるのかな?」

 私はそっと筆を置き華葉を見据えた。左手は文机(ふづくえ)の上に置いたまま、右手はこっそり懐へと忍ばせる。
 やれやれ、折角あらかた寮の修復を済ませたというのに、どうして皆ここで戦闘を繰り広げたがるのかね。

 寮ではすでに部下の殆どが体を休めているが、さりとて彼らも陰陽師。自分の身くらい自分で守れるであろう。それも無理な出来損ないなら、ここで消えてくれた方がありがたい。

「私は、拓磨の庭にある桜の妖怪だ。お前の悪事は全て知っている」

 桜? そういえばあったな、確か吉乃が願って植えさせたものだ。
 そうか、雷龍の妖術はあの桜に。今になってそれを私に咎めるということは、飛んでいた記憶が戻ったといったところか。

「ならば私をどうする」

 あくまで表情を崩さず、懐の中の護符を握った。
 華葉の気で彼女の式神擬態の護符が弾け飛び、その壮大な妖気が一気に溢れる。

「お前だけは許さぬ。これ以上拓磨を苦しめるというなら、ここでお前を倒す!」

 突然寮内に溢れた妖気に驚き、部下たちが一斉に部屋の外へと飛び出してきた。
 結界を張らねば死ぬぞ、お前たち。

「桜妖術、一の()! 桜蕾妖受(おうらいようじゅ)ッ!!」
「嘉納式陰陽術、金剣山(こがねけんざん)……!」

 華葉は相手の妖気を吸収する蕾をつける術を発動。しかし私は残念ながらこれでも人間である、彼女の技が効くはずがない。
 対する私は(ごん)の気を使い黄金の剣を、逃れられぬよう周囲一帯の地面から大量に突き出し、華葉の体を多方から串刺しにした。何人かの部下が巻き添えを食らい悲鳴が上がったが知ったことか。

 この妖怪がこの程度で死ぬとは思っていない。
 最も、今ここで殺すつもりはなく、急所は外してある。

「父上っ! 何事ですか……!?」

 騒ぎと妖気を嗅ぎつけて、自宅に戻っていたはずの蒼士が闇烏を連れて飛び込んできた。しかし彼は目に映った光景を疑ったであろう。剣を受けた華葉の体からは血が溢れ出ていて痛々しい。

「何故、彼女を!? それに皆まで」

 これだけの妖気を感じても気づかぬとは、あの子も腑抜けたものだ。それとも気づいた上で敢えて見ない振りをしているのか。
 それもそうか、蒼士は華葉に惚れている。己が初めて好いた女が妖怪だなど、誰だって認めたくはないよな。少しは同情してやるぞ、息子よ。

「蒼士よ、いい加減に現実を見ろ。この娘は巫女などではない、妖怪だ」
「そんなはず……そんなはずがありません! 華葉は」
「妖怪などに(うつつ)を抜かしおって。それに其方(そなた)、そのわけの分からぬ心力は何だ。私が気づかぬとでも思ったか」

 暁を始末した後に寮へ戻り、そこにいた蒼士の心力が微妙に異なっていることにはすぐに気がついた。それは拓磨が持つ心力の波動に似ており、安曇の技を使ったことくらいお見通しだ。なるほど、私がおらぬ間に拓磨が蒼士に茶々を入れたらしい。

 蒼士の顔色はどんどん悪くなり、彼は首を横に振り続けていた。

「違います、父上を裏切ったわけでは。僕の話を聞いてください!」
「もう偽りの顔で座っているのは飽きた。今ここで全てを終わらせてもらうぞ」

 蒼士の声を無視し、私は天へ手を振りかざした。
 奴を呼べばもう後戻りはできない。

<止めろ! 今ならまだ間に合う、もう止めるんだ!>

 また遠くで誰かがそう叫んでいる。五月蠅い、もう手遅れだ。

「出でよ、雷龍ッ!」

 そう叫んだ瞬間、寮の上空に不気味な雲が広がり星空を覆い隠した。更に轟音を立てて雷鳴が響き、一筋の巨大な稲妻が寮を襲う。――奴が来た。

『遂に始めるか、雅章よ』

 闇夜に現れた雷龍の姿に、蒼士も残った部下も驚嘆するばかりで腰を抜かし、微動だにしない。華葉の妖気を上回る膨大なそれと、雷龍の地響きのような声に圧倒され震えているばかりだ。
 どいつもこいつも弱すぎる、やはり人間など使い物にならぬ。早く終わらせて雷龍に優秀な融合体の妖怪を作らせなければ。

「良く来ましたな、雷龍殿。さぁ、仕上げに取りかかりましょう」

 まずは、と言いながら私は引っ捕らえた華葉に目をやった。あの状況で彼女は剣の山から抜け出そうと足掻いていた。美しい薄紅色の衣が血に塗れて見るも無惨だ。
 私が華葉の元へと近づくと、蒼士がそれに気づいて悲痛な叫び声を上げた。

「何をするつもりですか!? こんなのは嘘だと言ってください!」
「……まだ分からぬか、往生際が悪い。もうお前の知る父ではないのだよ、蒼士」

 小さく溜め息を吐いた私は軽く指を鳴らした。
 すると空からまた雷が落ち、蒼士を直撃する。拓磨に(そそのか)された息子など無用。

「がっ……!」
『そ、蒼士殿ッ! 雅章様、正気で――』

 雷に打たれた蒼士の横で喚く式神は、水砲丸(すいほうがん)の一撃で核である彼の人形(ひとかた)を撃ち抜いた。主が再度召喚しない限り、もう闇烏も手出しできまい。

 では改めて、周りでガタガタと震撼しながらこの様を見ている部下たちと、歓喜の瞬間を見届けようか。雷龍に妖気を戻す特別な演出だ。

「雷龍殿、どうぞお召し上がりを」

 その一言で、華葉の表情が恐怖に歪んだ。




 どれほどの刻が経ったであろう。暁を土に還してから、私は御帳台(みちょうだい)の中に閉じこもっていた。実際は一時間(半刻)も経っていないだろうが、体感では途方もない時間が経過したように思える。

 暁の笑顔が浮かんでは消え、また浮かんでは消えを繰り返していた。
 後悔すればするほどその沼に堕ちてゆく。

 何が魁だ、何が随一の陰陽師だ。結局またしても家族を守れなかった。どんなに強くなろうと一番大切な者を守れなければ、戦う意味などないではないか。
 もう、たくさんだ。ここから逃げて遠くで静かに暮らしたい。今の心力であれば雫と華葉を守るには十分だろう。私はこれ以上、誰も失いたくない――。

〝人ならば、その婚姻を結べるのか? 正室になれば、その相手とずっと一緒にいられるのか?〟

 あぁ、そうだった。お前は正室になりたいのだったな。
 誰の正室になりたいのかは知らぬが、お前も私から離れていくのか。魁の力でも人間にしてやることは叶えられないが、私はお前が人でも妖怪でも構わない。

 だから何処にも行かないでくれ、華葉。

<……でも私は最後まで戦う。拓磨、お前を守るために>

 あまりにもはっきりと聞こえた凜とした声に、私は混沌とする思考を覚醒させた。
 今のは何だ、彼女は何と戦うというのか。

 するとその刹那、外から溢れくる巨大な妖気を感じたのだ。もうすっかり感じ慣れたそれは華葉のものだとすぐに分かった。
 この時、私はようやく彼女の気配が近くにないことに気づいた。慌てて御帳台の(とばり)をくぐって母屋に出ると何の明かりも灯っておらず、月明かりだけが不気味に屋敷を照らしている。

「ッ華葉!? どこだ、返事をしろ!」

 必死に彼女を呼ぶが姿もなければ返事もなく、ただ胸騒ぎだけに襲われる。
 確か華葉は暁を埋葬する時に共に庭にいたはずだが、私が屋敷に戻った後どうしたかは知り得ない。もっと注意しておくべきだったと、また後悔する。

 この妖気はどこから来ているのか。探ろうと試みようとした次の瞬間、更に別の爆発的な妖気を感じ取った。

 華葉の妖気より遙かに上回る、この身の毛もよだつような妖気。
 間違いない、雷龍のものである。

「くそっ! どうなっている!?」

 慌てて身支度をし外に飛び出そうとしたが、不意に華葉の妖気が忽然と消えた。かと思うと今度は、雷龍の妖気が更に巨大化したのである。これが何を意味するのかは少し考えれば分かることだ。
 私は足元から崩れると息をするのも忘れ、唯一の明かりであった月を覆っていく黒雲を呆然と眺めていた。

 取り込まれた。華葉が、雷龍に。
 父上のように。

『拓磨様!』

 壊れた人形のように動かなくなった私に雫が駆け寄ってきた。流石にこの莫大な妖気なら雫も感じることができるであろうから、部屋を飛び出してきたのだ。
 雫の目には散々泣き濡らした跡が見えた。きっと彼女も自分を責めたはずだ。でも今はいつもの毅然とした光を取り戻している。

『拓磨様、しっかりなさってくださいまし』

 雫がそう喝を入れるが私は立つ気力が生じなかった。

「……雫よ、華葉が雷龍に取り込まれた。暁のみならず、私は彼女まで失ってしまったのだ。それに雷龍のこの妖気、都ももう終わりだ。戦っても勝ち目はない」

 珍しく弱音を吐く主の姿に、雫は顔を引き締めて右手を振り上げた。
 軽快な破裂音と共に叩かれた左頬に強い痛みを感じた。

『それでも戦ってくださいませ、拓磨様! 暁と華葉が私たちにとって大切であったように、他の誰かも誰かの大切な人なのです。あなたが諦めてしまったら、誰が彼らを守るというのですか! 本当は私だって、あなたを行かせたくは……っ』

 最後は大粒の涙を溢して、嗚咽でよく聞き取れなかった。それでも私は雫を強く抱きしめて、その言葉を噛みしめた。
 彼女の言うとおり、ここにはまだ蒼士や仲間に帝、そして多くの民もいる。私が雷龍と戦わずに誰が奴を倒せようか。皆を守るために、もう一度心を奮わせろ。


 ――私は陰陽師・魁、安曇拓磨。今、その責務を果たさん。


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 そう、あの娘がやってきたのだ。
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「やぁ華葉、こんな時間にどうしたのか?」
 とりあえずいつもの私を装って返事をしてみた。しかし彼女は顔色一つ変えずに、その静かな怒りを私に向けている。……これは何か掴んできたな。
「拓磨の母を殺したのは、お前だな」
「ふむ。何か根拠はあるのかな?」
 私はそっと筆を置き華葉を見据えた。左手は文机《ふづくえ》の上に置いたまま、右手はこっそり懐へと忍ばせる。
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 寮ではすでに部下の殆どが体を休めているが、さりとて彼らも陰陽師。自分の身くらい自分で守れるであろう。それも無理な出来損ないなら、ここで消えてくれた方がありがたい。
「私は、拓磨の庭にある桜の妖怪だ。お前の悪事は全て知っている」
 桜? そういえばあったな、確か吉乃が願って植えさせたものだ。
 そうか、雷龍の妖術はあの桜に。今になってそれを私に咎めるということは、飛んでいた記憶が戻ったといったところか。
「ならば私をどうする」
 あくまで表情を崩さず、懐の中の護符を握った。
 華葉の気で彼女の式神擬態の護符が弾け飛び、その壮大な妖気が一気に溢れる。
「お前だけは許さぬ。これ以上拓磨を苦しめるというなら、ここでお前を倒す!」
 突然寮内に溢れた妖気に驚き、部下たちが一斉に部屋の外へと飛び出してきた。
 結界を張らねば死ぬぞ、お前たち。
「桜妖術、一の|技《ぎ》! |桜蕾妖受《おうらいようじゅ》ッ!!」
「嘉納式陰陽術、|金剣山《こがねけんざん》……!」
 華葉は相手の妖気を吸収する蕾をつける術を発動。しかし私は残念ながらこれでも人間である、彼女の技が効くはずがない。
 対する私は|金《ごん》の気を使い黄金の剣を、逃れられぬよう周囲一帯の地面から大量に突き出し、華葉の体を多方から串刺しにした。何人かの部下が巻き添えを食らい悲鳴が上がったが知ったことか。
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 最も、今ここで殺すつもりはなく、急所は外してある。
「父上っ! 何事ですか……!?」
 騒ぎと妖気を嗅ぎつけて、自宅に戻っていたはずの蒼士が闇烏を連れて飛び込んできた。しかし彼は目に映った光景を疑ったであろう。剣を受けた華葉の体からは血が溢れ出ていて痛々しい。
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 それもそうか、蒼士は華葉に惚れている。己が初めて好いた女が妖怪だなど、誰だって認めたくはないよな。少しは同情してやるぞ、息子よ。
「蒼士よ、いい加減に現実を見ろ。この娘は巫女などではない、妖怪だ」
「そんなはず……そんなはずがありません! 華葉は」
「妖怪などに|現《うつつ》を抜かしおって。それに|其方《そなた》、そのわけの分からぬ心力は何だ。私が気づかぬとでも思ったか」
 暁を始末した後に寮へ戻り、そこにいた蒼士の心力が微妙に異なっていることにはすぐに気がついた。それは拓磨が持つ心力の波動に似ており、安曇の技を使ったことくらいお見通しだ。なるほど、私がおらぬ間に拓磨が蒼士に茶々を入れたらしい。
 蒼士の顔色はどんどん悪くなり、彼は首を横に振り続けていた。
「違います、父上を裏切ったわけでは。僕の話を聞いてください!」
「もう偽りの顔で座っているのは飽きた。今ここで全てを終わらせてもらうぞ」
 蒼士の声を無視し、私は天へ手を振りかざした。
 奴を呼べばもう後戻りはできない。
<止めろ! 今ならまだ間に合う、もう止めるんだ!>
 また遠くで誰かがそう叫んでいる。五月蠅い、もう手遅れだ。
「出でよ、雷龍ッ!」
 そう叫んだ瞬間、寮の上空に不気味な雲が広がり星空を覆い隠した。更に轟音を立てて雷鳴が響き、一筋の巨大な稲妻が寮を襲う。――奴が来た。
『遂に始めるか、雅章よ』
 闇夜に現れた雷龍の姿に、蒼士も残った部下も驚嘆するばかりで腰を抜かし、微動だにしない。華葉の妖気を上回る膨大なそれと、雷龍の地響きのような声に圧倒され震えているばかりだ。
 どいつもこいつも弱すぎる、やはり人間など使い物にならぬ。早く終わらせて雷龍に優秀な融合体の妖怪を作らせなければ。
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「何をするつもりですか!? こんなのは嘘だと言ってください!」
「……まだ分からぬか、往生際が悪い。もうお前の知る父ではないのだよ、蒼士」
 小さく溜め息を吐いた私は軽く指を鳴らした。
 すると空からまた雷が落ち、蒼士を直撃する。拓磨に|唆《そそのか》された息子など無用。
「がっ……!」
『そ、蒼士殿ッ! 雅章様、正気で――』
 雷に打たれた蒼士の横で喚く式神は、|水砲丸《すいほうがん》の一撃で核である彼の|人形《ひとかた》を撃ち抜いた。主が再度召喚しない限り、もう闇烏も手出しできまい。
 では改めて、周りでガタガタと震撼しながらこの様を見ている部下たちと、歓喜の瞬間を見届けようか。雷龍に妖気を戻す特別な演出だ。
「雷龍殿、どうぞお召し上がりを」
 その一言で、華葉の表情が恐怖に歪んだ。
 どれほどの刻が経ったであろう。暁を土に還してから、私は|御帳台《みちょうだい》の中に閉じこもっていた。実際は|一時間《半刻》も経っていないだろうが、体感では途方もない時間が経過したように思える。
 暁の笑顔が浮かんでは消え、また浮かんでは消えを繰り返していた。
 後悔すればするほどその沼に堕ちてゆく。
 何が魁だ、何が随一の陰陽師だ。結局またしても家族を守れなかった。どんなに強くなろうと一番大切な者を守れなければ、戦う意味などないではないか。
 もう、たくさんだ。ここから逃げて遠くで静かに暮らしたい。今の心力であれば雫と華葉を守るには十分だろう。私はこれ以上、誰も失いたくない――。
〝人ならば、その婚姻を結べるのか? 正室になれば、その相手とずっと一緒にいられるのか?〟
 あぁ、そうだった。お前は正室になりたいのだったな。
 誰の正室になりたいのかは知らぬが、お前も私から離れていくのか。魁の力でも人間にしてやることは叶えられないが、私はお前が人でも妖怪でも構わない。
 だから何処にも行かないでくれ、華葉。
<……でも私は最後まで戦う。拓磨、お前を守るために>
 あまりにもはっきりと聞こえた凜とした声に、私は混沌とする思考を覚醒させた。
 今のは何だ、彼女は何と戦うというのか。
 するとその刹那、外から溢れくる巨大な妖気を感じたのだ。もうすっかり感じ慣れたそれは華葉のものだとすぐに分かった。
 この時、私はようやく彼女の気配が近くにないことに気づいた。慌てて御帳台の|帳《とばり》をくぐって母屋に出ると何の明かりも灯っておらず、月明かりだけが不気味に屋敷を照らしている。
「ッ華葉!? どこだ、返事をしろ!」
 必死に彼女を呼ぶが姿もなければ返事もなく、ただ胸騒ぎだけに襲われる。
 確か華葉は暁を埋葬する時に共に庭にいたはずだが、私が屋敷に戻った後どうしたかは知り得ない。もっと注意しておくべきだったと、また後悔する。
 この妖気はどこから来ているのか。探ろうと試みようとした次の瞬間、更に別の爆発的な妖気を感じ取った。
 華葉の妖気より遙かに上回る、この身の毛もよだつような妖気。
 間違いない、雷龍のものである。
「くそっ! どうなっている!?」
 慌てて身支度をし外に飛び出そうとしたが、不意に華葉の妖気が忽然と消えた。かと思うと今度は、雷龍の妖気が更に巨大化したのである。これが何を意味するのかは少し考えれば分かることだ。
 私は足元から崩れると息をするのも忘れ、唯一の明かりであった月を覆っていく黒雲を呆然と眺めていた。
 取り込まれた。華葉が、雷龍に。
 父上のように。
『拓磨様!』
 壊れた人形のように動かなくなった私に雫が駆け寄ってきた。流石にこの莫大な妖気なら雫も感じることができるであろうから、部屋を飛び出してきたのだ。
 雫の目には散々泣き濡らした跡が見えた。きっと彼女も自分を責めたはずだ。でも今はいつもの毅然とした光を取り戻している。
『拓磨様、しっかりなさってくださいまし』
 雫がそう喝を入れるが私は立つ気力が生じなかった。
「……雫よ、華葉が雷龍に取り込まれた。暁のみならず、私は彼女まで失ってしまったのだ。それに雷龍のこの妖気、都ももう終わりだ。戦っても勝ち目はない」
 珍しく弱音を吐く主の姿に、雫は顔を引き締めて右手を振り上げた。
 軽快な破裂音と共に叩かれた左頬に強い痛みを感じた。
『それでも戦ってくださいませ、拓磨様! 暁と華葉が私たちにとって大切であったように、他の誰かも誰かの大切な人なのです。あなたが諦めてしまったら、誰が彼らを守るというのですか! 本当は私だって、あなたを行かせたくは……っ』
 最後は大粒の涙を溢して、嗚咽でよく聞き取れなかった。それでも私は雫を強く抱きしめて、その言葉を噛みしめた。
 彼女の言うとおり、ここにはまだ蒼士や仲間に帝、そして多くの民もいる。私が雷龍と戦わずに誰が奴を倒せようか。皆を守るために、もう一度心を奮わせろ。
 ――私は陰陽師・魁、安曇拓磨。今、その責務を果たさん。