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11-12

ー/ー



 ……全然、眠れなかった。

 寝不足で布団から体を起こした私は、数分間ぼーっと襖の模様を眺めていた。武蔵さんの過去を聞いた衝撃ってのもあるけれど、何かドキドキさせられて緊張したっていうか……。どうして私、武蔵さんを抱き締めたりしたんだろう。

 何を隠そう、私は男性とお付き合いをしたことが一度もない。それどころかヴァイオリンに打ち込みすぎて、恋愛というものを経験してこなかったのだ。
 だから急に男性を意識させられると、恥ずかしくて心臓がどうにかなってしまいそうで。

 時刻は朝5時。夜が明けたばかりの時間だけれど、再度眠れる気もしない。皆はまだ寝てるよね……? とそっと襖を開けてみれば、布団にひっくり返っているのは朝が弱いという近江君と、凄い寝相の純君、相変わらず背中を向けてる越後さんの3人だけだった。
 こんな朝早く、皆何処へ行ったのだろう。眠れないのなら私も気分転換に外へ出てみようかな。折角、旅館に来ているわけだし。

 そうだ、本館には大浴場があるはず。ここの露天風呂は誰かが入って来ちゃうかもしれないし、あっちの浴場で朝湯でも浴びてこよう!

 そう思った私は誰も見ていないと見込んで、簡単な荷物を手にそっと茶室を抜け出し、寝ている皆を起こさないよう広間を進んだ。
 そのまま音を立てずに玄関まで行き、備え付けの草履に足を伸ばす。そして引き戸に手をかけた、まさにその時だった。

「おはよう和泉、早くから一人で何処へ行くつもり?」

 爽やかなアルトボイスが鼓膜を震わせ、振り返ろうとしたところで慌てて顔を戻した。自分が寝起きのままであることを思い出したからだ。きっと寝癖だってついてるし……。

「あ、安芸君……ッ、おおおおはよう。えーっと、大浴場で朝湯に入ろうかなと思って」
「へぇ、そうなんだ。んじゃ僕も行こうかな」

 えぇ!? という抵抗の声を上げる間もなく、安芸君が意気揚々と草履を履くのが背後でも感じ取れた。動揺している私の後ろから、彼は両手を私の肩にそっと乗せて、耳元でこう囁く。

「……寝癖がついてる君も可愛いだろうけど、なるべく見ないようにするからさ」
「――――っ!?」

 恥ずかしくて言葉を失う私に構うことなく、安芸君はさっと私の前に出ると、手を引いて離れから連れ出してしまった。

 朝のヒンヤリとした、それでも春の温かさを感じながら、安芸君の背中を見上げながら庭園を歩く私たち。律儀な彼は声こそかけてくれるものの、一度も振り返ろうとはしなかった。
 昨日ここに来た時は夜だったから外の様子はよく見えなかったけど、日本庭園らしい松や石畳が魅せる風景は、先ほどまであった緊張感を忘れさせる心地の良い空間だった。そして何より安芸君が醸し出す静のオーラは、いつもどこか安堵を与えてくれる。

 歩幅を合わせて、ゆっくりと歩く安芸君。
 ――本当、優しいなぁ。

「っひゃあ!?」
「ッと! ……大丈夫? 和泉」

 奇声と共に見事にすっ転んだ私を、安芸君が素早くキャッチしてくれた。彼の背中ばかり見ていて、足元が疎かになっていた自分が情けなさすぎる。
 っていうか、こうして助けられるの何回目なのよ私……。もはや当たり前となった光景に、我ながら呆れてすらいた。

「ありがとう、安芸君。いつもごめんね?」

 いつものように彼の腕から顔を上げて、苦笑を投げる。そして安芸君からも同じ苦笑いを返される……と思っていた。
 彼と目が合った瞬間、あまりの真っ直ぐで真剣な眼差しに思わず息を飲んだ。あ、寝癖……! と些細な羞恥が蘇るより早く、再び引き寄せられた私は、彼の首筋に顔を埋められてしまう。

「あっ安芸君?」
「……ねぇ、和泉。僕が抱き締めても赤くならないのは、どうして?」

 耳元で呟く彼の問いが、一瞬どうゆうことか分からなかった。正直、決して恥ずかしくないわけではない。今だって、胸の奥底がドキドキしているのだから。
 でも安芸君は優しさでこうしてくれてるのは分かってるし、何より私を守るという約束を果たしてくれているだけだと理解している。そんな彼の行動を受け入れないのは、失礼だと思っていたのだ。

 返答に困っていると、彼の可愛らしい顔が私をジッと覗き込んだ。
 庭園にかかる小さな橋の柱に追い詰められ、逃げ場もない。

「和泉……、僕だって男だよ?」

 その言葉は、雷に打たれたような衝撃で心臓を貫いていった。体中の熱が顔面に集まり、恥ずかしさと困惑で頭の中が真っ白だ。鼓動がうるさいくらいに脈を打って苦しい。
 可愛いと思っていた安芸君の顔が、急激に凜々しく見えた。でも突然に彼の〝男性〟を意識させられて、平常でいられるほど私という人間はできていない。けど、どう反応すればいいのかも分からない……。

 すると、暫く見つめ合っていた私たちだけど、安芸君がいつもみたいに柔らかい微笑みを浮べて離れていった。

「……なーんてね。ごめん、からかってみたくなっただけだよ。さ、早く行こうか」

 まるで何事もなかったかのように、再び私の手を引いて前を歩き出した安芸君。
 私は返事もできず、為すがまま彼の後ろをついていくのみ。――頬はまだ、熱いけれど。

 ただ、前を向く一瞬だけ彼が寂しそうに笑ったのが、私の脳裏に強く焼き付いた。




「はぁぁ~~~~……」

 少し熱めのお湯に浸かりながら、僕は盛大に溜息を吐いた。いくら武蔵に嫉妬したからって、朝から何をやっているんだ。僕が和泉を困らせてどうする。

 今更ながら自分の行動を後悔しているが、どうしても和泉の反応が気になって我慢できなくなってしまった。僕に心を許していると思えば嬉しいことだが、男として意識されてないのではないかと焦る自分もいるわけで。
 彼女の純真さは愛おしく思う反面、もどかしすぎて自信をなくすから困るのだ。

 だって、昨晩の……武蔵のあんな大人の余裕感を見せつけられたら、動揺しても仕方ないじゃないか。
 それに多分、同じことを()()()だって感じただろうし。

「で、いつまでコソコソしてる気だ? 日向」

 湯船にいる僕から少し離れたところで、さりげなく体を洗っていた男に話しかける。彼は気づかれていないと思ったのか、驚きでシャワーを勢いよく出しすぎて、バツが悪そうに振り返った。



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 ……全然、眠れなかった。
 寝不足で布団から体を起こした私は、数分間ぼーっと襖の模様を眺めていた。武蔵さんの過去を聞いた衝撃ってのもあるけれど、何かドキドキさせられて緊張したっていうか……。どうして私、武蔵さんを抱き締めたりしたんだろう。
 何を隠そう、私は男性とお付き合いをしたことが一度もない。それどころかヴァイオリンに打ち込みすぎて、恋愛というものを経験してこなかったのだ。
 だから急に男性を意識させられると、恥ずかしくて心臓がどうにかなってしまいそうで。
 時刻は朝5時。夜が明けたばかりの時間だけれど、再度眠れる気もしない。皆はまだ寝てるよね……? とそっと襖を開けてみれば、布団にひっくり返っているのは朝が弱いという近江君と、凄い寝相の純君、相変わらず背中を向けてる越後さんの3人だけだった。
 こんな朝早く、皆何処へ行ったのだろう。眠れないのなら私も気分転換に外へ出てみようかな。折角、旅館に来ているわけだし。
 そうだ、本館には大浴場があるはず。ここの露天風呂は誰かが入って来ちゃうかもしれないし、あっちの浴場で朝湯でも浴びてこよう!
 そう思った私は誰も見ていないと見込んで、簡単な荷物を手にそっと茶室を抜け出し、寝ている皆を起こさないよう広間を進んだ。
 そのまま音を立てずに玄関まで行き、備え付けの草履に足を伸ばす。そして引き戸に手をかけた、まさにその時だった。
「おはよう和泉、早くから一人で何処へ行くつもり?」
 爽やかなアルトボイスが鼓膜を震わせ、振り返ろうとしたところで慌てて顔を戻した。自分が寝起きのままであることを思い出したからだ。きっと寝癖だってついてるし……。
「あ、安芸君……ッ、おおおおはよう。えーっと、大浴場で朝湯に入ろうかなと思って」
「へぇ、そうなんだ。んじゃ僕も行こうかな」
 えぇ!? という抵抗の声を上げる間もなく、安芸君が意気揚々と草履を履くのが背後でも感じ取れた。動揺している私の後ろから、彼は両手を私の肩にそっと乗せて、耳元でこう囁く。
「……寝癖がついてる君も可愛いだろうけど、なるべく見ないようにするからさ」
「――――っ!?」
 恥ずかしくて言葉を失う私に構うことなく、安芸君はさっと私の前に出ると、手を引いて離れから連れ出してしまった。
 朝のヒンヤリとした、それでも春の温かさを感じながら、安芸君の背中を見上げながら庭園を歩く私たち。律儀な彼は声こそかけてくれるものの、一度も振り返ろうとはしなかった。
 昨日ここに来た時は夜だったから外の様子はよく見えなかったけど、日本庭園らしい松や石畳が魅せる風景は、先ほどまであった緊張感を忘れさせる心地の良い空間だった。そして何より安芸君が醸し出す静のオーラは、いつもどこか安堵を与えてくれる。
 歩幅を合わせて、ゆっくりと歩く安芸君。
 ――本当、優しいなぁ。
「っひゃあ!?」
「ッと! ……大丈夫? 和泉」
 奇声と共に見事にすっ転んだ私を、安芸君が素早くキャッチしてくれた。彼の背中ばかり見ていて、足元が疎かになっていた自分が情けなさすぎる。
 っていうか、こうして助けられるの何回目なのよ私……。もはや当たり前となった光景に、我ながら呆れてすらいた。
「ありがとう、安芸君。いつもごめんね?」
 いつものように彼の腕から顔を上げて、苦笑を投げる。そして安芸君からも同じ苦笑いを返される……と思っていた。
 彼と目が合った瞬間、あまりの真っ直ぐで真剣な眼差しに思わず息を飲んだ。あ、寝癖……! と些細な羞恥が蘇るより早く、再び引き寄せられた私は、彼の首筋に顔を埋められてしまう。
「あっ安芸君?」
「……ねぇ、和泉。僕が抱き締めても赤くならないのは、どうして?」
 耳元で呟く彼の問いが、一瞬どうゆうことか分からなかった。正直、決して恥ずかしくないわけではない。今だって、胸の奥底がドキドキしているのだから。
 でも安芸君は優しさでこうしてくれてるのは分かってるし、何より私を守るという約束を果たしてくれているだけだと理解している。そんな彼の行動を受け入れないのは、失礼だと思っていたのだ。
 返答に困っていると、彼の可愛らしい顔が私をジッと覗き込んだ。
 庭園にかかる小さな橋の柱に追い詰められ、逃げ場もない。
「和泉……、僕だって男だよ?」
 その言葉は、雷に打たれたような衝撃で心臓を貫いていった。体中の熱が顔面に集まり、恥ずかしさと困惑で頭の中が真っ白だ。鼓動がうるさいくらいに脈を打って苦しい。
 可愛いと思っていた安芸君の顔が、急激に凜々しく見えた。でも突然に彼の〝男性〟を意識させられて、平常でいられるほど私という人間はできていない。けど、どう反応すればいいのかも分からない……。
 すると、暫く見つめ合っていた私たちだけど、安芸君がいつもみたいに柔らかい微笑みを浮べて離れていった。
「……なーんてね。ごめん、からかってみたくなっただけだよ。さ、早く行こうか」
 まるで何事もなかったかのように、再び私の手を引いて前を歩き出した安芸君。
 私は返事もできず、為すがまま彼の後ろをついていくのみ。――頬はまだ、熱いけれど。
 ただ、前を向く一瞬だけ彼が寂しそうに笑ったのが、私の脳裏に強く焼き付いた。
「はぁぁ~~~~……」
 少し熱めのお湯に浸かりながら、僕は盛大に溜息を吐いた。いくら武蔵に嫉妬したからって、朝から何をやっているんだ。僕が和泉を困らせてどうする。
 今更ながら自分の行動を後悔しているが、どうしても和泉の反応が気になって我慢できなくなってしまった。僕に心を許していると思えば嬉しいことだが、男として意識されてないのではないかと焦る自分もいるわけで。
 彼女の純真さは愛おしく思う反面、もどかしすぎて自信をなくすから困るのだ。
 だって、昨晩の……武蔵のあんな大人の余裕感を見せつけられたら、動揺しても仕方ないじゃないか。
 それに多分、同じことを|ア《・》|イ《・》|ツ《・》だって感じただろうし。
「で、いつまでコソコソしてる気だ? 日向」
 湯船にいる僕から少し離れたところで、さりげなく体を洗っていた男に話しかける。彼は気づかれていないと思ったのか、驚きでシャワーを勢いよく出しすぎて、バツが悪そうに振り返った。