暗転した世界に、一筋の光が差している。
その中でいつものように、和泉様がガヴォットの美しい調べを奏でていた。それなのに、途方もない虚無感に襲われて、涙が伝った。
彼女のヴァイオリンは僕の心を癒やしてくれる。……でも彼女は、それ以上何もしてくれない。父も母も失い、自分には彼女の存在しかなくなってしまったのに、「頑張ったね」も「辛かったね」も言ってもらえなかった。子供の自分は、まだ人の温もりが恋しかった。
正直、何もかもが絶望に思えた。自分は副長失格である、と。
「病院で治療を受け、父の葬儀が終わった後、傷心の僕は
父の弟の家に引き取られました。そこで叔父は僕にこう言ったんです」
『お前は子供のくせに大人びすぎだ。俺が面倒見てやるから、独りよがりにならずもっと周りを頼れ。理想なんてすぐに手に入るもんじゃないし、それには経験が必要だ。急いで大人になろうとしても、子供の時間は周りと変わらずに流れていくもの。それなら子供のうちにしか経験できないことをやって、大人になる準備をするんだ。それがお前の目指す〝理想〟に必ず役に立つから』
叔父の言うとおり、僕は自分の殻に閉じこもり、誰かの意見を頼ることもしなかった。人の上に立つ者は広い視野を持つことも大切なのだと、彼は教えてくれた。
母と父を守れなかったのも、僕が大人のフリした経験不足の子供だからだ。父の言う〝本当の責任〟を理解するためには、もっと多くのことを知る必要があると、そう思った。
黒使復活まで、まだ時間はある。これから僕がブリッランテの副長として、またイチから『理想の自分像』を磨いていけばいいんだ。僕のことを待っている和泉様のために。……いや、違う。和泉様と、八人の仲間のために。
きっと和泉様はメストと戦いながら、他の仲間たちのことも支えている。だからヴァイオリンを弾く以上のことができないんだ。ならば彼女と共に、その仲間たちを守ることが僕の役目なのだろう。そしてこの時、僕の心に決して揺るがない、あの信念が生まれた。
もう二度と、大切な人を誰一人として、死なせたりはしない――。
「……とまぁ、辛気くさい話を長々としましたが、僕の過去はこんな感じですかねぇ。すみません、暗い気分にさせてし――」
重い空気を一新するために、僕は軽く笑い飛ばしながら和泉ちゃんを振り返りました。でもその瞬間、上半身が心地良い温もりに包まれて、思わず息を止めてしまいました。
あぁ。ちなみに僕の口調が敬語になったのは、叔父と暮らすようになってからですね。イキり腐っていた自分を律しようと思いまして。
それはさて置き。
僕を温かく包んだもの。それはもちろん彼女でした。
「いっ……、和泉、ちゃん?」
女性経験は豊富だと自負していますが、流石の僕も急に抱きつかれては驚きもします。しかも顔面を中心に抱擁されているので、柔らかな肌の感触と、ボディークリームか何かの甘い香りが、男心を強く刺激してくるのです。これは本能で心臓が跳ね上がるというもので。
ただ、その高鳴った鼓動は彼女の頬を伝った涙と、静まりかえった空間に微かに聞こえた声によって、落ち着くことになります。
「……ごめんね、武蔵」
慈悲に溢れたその声は、紛れもなく〝彼女〟のものでした。
和泉ちゃんは僕を「武蔵」とは呼びません。彼女の意識には今、前世の和泉様が現れていました。
僕の過去を聞いて、謝らずにはいられなかったのでしょうか? 確かにあの出来事は前世があることによって生まれた悲劇ですが、僕の不注意が招いた結果でもあるのです。和泉ちゃんにも、もちろん和泉様にも、謝る必要なんてない。
それでも彼女はヴァイオリンを弾くことしかできなかった自分に、憤りを感じていたのでしょう。だからこの抱擁はいやらしさではなく、彼女からの愛として受け取るべきなのです。それは僕にだって理解できます。……できます、が。
この状況は、やはり良くありません。何より、途中から感じていた3つの気配のうちの2つに、殺気に近い嫉妬のオーラが混ざっています。
しかし勝手に聞かれておいて、普通に弁明するのも面白くありませんねぇ。そう思ったら、僕のほんの少しのイタズラ心に、火が灯ってしまいました。
「……ダメですよ和泉ちゃん、誰にでも不用意に優しくしていては。男はすぐに勘違いしてしまいますよ」
彼らには和泉ちゃんの声が聞こえていないと分かっている上で、ワザと煽る言葉を吐く。一瞬にしてピリつく空気。
でも、この言葉は彼らだけではなく、和泉ちゃん本人にも効いたようで。
「え……っ?」
「それとも、僕を誘惑しているのですか?」
虚を突かれたような声に笑みを浮べ、更に畳みかける。すると状況を理解した彼女は狼狽し、真っ赤な顔で慌てて離れていきました。
どうやら元の和泉ちゃんに戻ったようですね。前世の意識が出ている間、和泉ちゃんの意識はないので、自分が取った行動に驚くのも無理はありません。
とはいえ、これ以上イジメると和泉ちゃんが可哀想ですので、この辺りにしておきましょうか。
僕は彼女に微笑みかけ「冗談ですよ」と言いながら優しく頭を撫でました。まぁ恐らく今の和泉ちゃんには、これでも刺激が強いでしょうが。
「あ、あの……私、」
「暗い話を聞いたのです、君の優しさが無意識にそうさせたのでしょう。遅いのでもう休みましょうか、怖い人が見ていたら怒られそうですし。……あぁ、今日の話は皆には秘密ですよ?」
そう言って顔の前に人差し指を立てると、和泉ちゃんはまだ少し赤い顔をコクコクと頷かせました。可愛らし姿に込み上げる笑みを抑えつつ、彼女を茶室まで案内し、静かに襖を閉めました。密かに「ありがとう」の言葉を呟いて。
そして何食わぬ顔で、自分の布団に戻る。結局最後まで、あの三人は起きてきませんでしたねぇ。
和泉ちゃん好きの二人は兎も角、もう一人には僕が最初に過去を曝け出すことで、彼女への信頼感と、今の彼女の人間性を見せつけたつもりです。君が思っているほど彼女は決して半端な人ではない、と。
彼の心境に何か変化があれば、僕の醜態を知られたとしても本望です。
……君とて大切な仲間の一人ですからね、越後君。