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11-10

ー/ー



 静寂が包む和室に、グラスの氷が傾く軽快な音を響かせる。あの日の光景に支配されていた僕は、その音によって意識を現実へ引き戻された。
 ふと和泉ちゃんのほうに目をやると、彼女は瞳に溢れる涙が流れないよう、懸命に堪えていた。泣いてしまえば僕が話を中断してしまうと思っているのだろう。だから見なかったことにして、もう少しだけ話を続けた。

『父さん、何で……?』

 残った全ての力を振り絞って父の元へ辿り着くと、震える声で呼びかけた。体から血がどんどん抜けて顔色が真っ青になっていたが、彼はまだ生きていた。浅い呼吸を繰り返しながら、僕の声に反応して薄らと目を開く。

『……何でもクソもあるかよ。お前が殺されそうだったから助けた、ただそれだけだろうが』

 声は弱いはずなのに、その言葉は僕の体を貫くには十分だった。途端に腹の奥底から湧き上がるのは怒りだ。

『ッふざけるな、今さら親の面かよ!? 父さんは僕の話なんて何も信じてないくせに! 僕は自分より皆を守らなきゃダメなんだ、そうゆう責任があるんだよッ!』
『あーあ。ガキが責任、責任ウルセぇな……。お前のくだらねぇ話なんざ、今だってこれっぽっちも信じてねぇよ……けど――ッ!』

 言葉の途中で苦しそうに咽せる父。肺にも血液が混入したのだろう、口筋から赤い唾液が滴れていた。
 このままではマズい、こんなでも彼はたった一人の家族だ。とにかく助けを呼ばなければ、と震える手で咄嗟にスマホを取り出した。

 でも僕は電話をかけられなかった。父が瀕死の人間と思えぬほどの力で僕の胸ぐらを掴み、自分のほうへ強く引き寄せたからだ。
 真っ直ぐと突き刺さるような眼光に、思わず息を飲む。父の片手が僕の頬をゆっくりと撫でた。――何故かそこに、ほんの少しだけの愛しさを感じた。

『お前は、母ちゃんの、形見なんだよ』

 絞り出すように。それでいて力強い声で、彼はそう言った。

『俺だって、母ちゃんを助けてやりたかった。でも俺は不器用だから、治療費を稼ぐことでしか、守る方法が分からなかった。俺こそ愛するアイツを、守る責任を、果たせなかったんだ……ッ!』

 話す間も父は何度も咳き込む。この時、父が母をきちんと愛していたことを、初めて知った。そして病気で死なせてしまったことに、負い目を感じていることも。
 そんな父にとって、母の形見である僕を死なせることは、断じて許せなかったのだ。だったらもっと愛情表現してほしかったと、この父に言ったところでできるはずもないだろうが。

「だから、お前は俺みたいに、なるんじゃねぇっ。お前はまだガキだから、やり直せる。本当の〝責任〟の意味が分かる、大人になれ……武蔵」

 初めて名前を呼ばれる。
 僕の目からは、怒りかも悲しみかも分からない一筋の涙がこぼれた。

『父さんッ、もう喋るな!』
『……フン。泣いてんじゃ、ねぇよ。キレーな顔が、台無し、だ、ろ――』

 頬にあった僅かな温もりが、音も立てずに離れていく。事切れた父を目にして頭の中が真っ白になった。

 本当の〝責任〟とは一体どうゆうことなのか。僕は何を間違えた? そのせいで父を死なせてしまったと、『理想の自分像』が音を立てて崩れていった。こんな僕が副長として皆を先導していけるはずがない。ましてや和泉様を守るなんて……。
 悔しさと空しさで気が狂いそうだった。加えて心体増強(モジュレーション)の反動がまだ響いており、酷い吐き気と目眩に襲われる。胸が苦しくて堪らなかった。

 そんな中『あの……』と声をかけられた。それはこの公園に導いてきた同級生だった。二人ほど逃げ出していたが、まだ三人がこの場に残っていたらしい。
 メストが現れる前までと違い、彼らは完全に怯えた目で僕を見ていた。無理もない、自分の身長と同じくらいの斧を振り回し、黒い血飛沫を被りながらメストを叩き殺す僕を、彼らは間近で見ていたのだから。

『ご……ごめん、な。あの黒い奴、あんなヤバイ奴だって、思ってなくて……。お前の身体、傷がすぐ治るなんて嘘だったんだよな!?』
『おお俺たちのせいじゃないよな!? お前のおじさんが、しっ、死んじゃったのはさ……ッ!?』

 彼らは自分たちがメストに唆されたせいで、父が命を落とし、その報復を僕から受けるのではと恐れていた。今回のことに関しては、全ての元凶は父の言う〝本当の責任〟を果たせなかった僕にある。だから彼らを恨むことはしない。
 しかし、彼らが僕に暴力を振るったのは紛れもない事実。一歩間違えれば僕も死に至っていた可能性だってある。

 〝本当の責任〟はまだ分からない。
 ――でも、今の僕は児童会長だ。その責任はやはり果たすべきであると、悲鳴を上げる身体に鞭を打って自分を奮い立たせた。

『……君たち、よく聞け』

 僕の声がオレンジ色の空間を揺るがせ、同級生の肩がビクリと震えた。
 斧を引きずり寄せ、杖のようにして立ち上がる。心体増強(モジュレーション)の反動なんて、心の痛みに比べたら何百倍もマシだと思った。この()はクラシック療法でも治せまい。……無論、この特殊能力を明かす気は毛頭ないが。

『見てのとおり、僕は普通の体だよ。とはいえ君たちが乱暴につけた傷も含め、人には怪我をしても治す力がある……命を脅かさない限りはね』

 まるで眠っているような父の顔を一見し、僕は斧を担ぎ上げて同級生たちを振り返る。自分がどれほど険悪な顔をしているのか、彼らの表情を見れば一目瞭然だった。

『父さんの死は、僕の不注意が招いたことだ。この疵は消えることなく、一生抱えて生きていくことになるだろう。……でも君たちは、僕と同じ過ちを犯しちゃいけない! 僕を傷つけたのは君たち自身の判断だろう!? もし僕が死んでいれば、君たちがこの疵を抱えていくことになっていたんだ! このことを忘れず、二度と選択を間違えるな……ッ!?』

 夕日を背に担いだ斧の迫力も相まって、子供たちは一斉に泣き崩れてしまった。彼らは僕への恐怖心によって、今日のことを他言することはないだろう。
 例え怖がられても、彼らが今日を忘れずに真っ当な道を歩んでくれるなら、それでいいと思った。……これが今の僕にできる、精一杯の責任の果たし方だ。

 胸の苦しみが増す。
 意識が遠退き、ついに僕はその場へ倒れ込んだ。



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 静寂が包む和室に、グラスの氷が傾く軽快な音を響かせる。あの日の光景に支配されていた僕は、その音によって意識を現実へ引き戻された。
 ふと和泉ちゃんのほうに目をやると、彼女は瞳に溢れる涙が流れないよう、懸命に堪えていた。泣いてしまえば僕が話を中断してしまうと思っているのだろう。だから見なかったことにして、もう少しだけ話を続けた。
『父さん、何で……?』
 残った全ての力を振り絞って父の元へ辿り着くと、震える声で呼びかけた。体から血がどんどん抜けて顔色が真っ青になっていたが、彼はまだ生きていた。浅い呼吸を繰り返しながら、僕の声に反応して薄らと目を開く。
『……何でもクソもあるかよ。お前が殺されそうだったから助けた、ただそれだけだろうが』
 声は弱いはずなのに、その言葉は僕の体を貫くには十分だった。途端に腹の奥底から湧き上がるのは怒りだ。
『ッふざけるな、今さら親の面かよ!? 父さんは僕の話なんて何も信じてないくせに! 僕は自分より皆を守らなきゃダメなんだ、そうゆう責任があるんだよッ!』
『あーあ。ガキが責任、責任ウルセぇな……。お前のくだらねぇ話なんざ、今だってこれっぽっちも信じてねぇよ……けど――ッ!』
 言葉の途中で苦しそうに咽せる父。肺にも血液が混入したのだろう、口筋から赤い唾液が滴れていた。
 このままではマズい、こんなでも彼はたった一人の家族だ。とにかく助けを呼ばなければ、と震える手で咄嗟にスマホを取り出した。
 でも僕は電話をかけられなかった。父が瀕死の人間と思えぬほどの力で僕の胸ぐらを掴み、自分のほうへ強く引き寄せたからだ。
 真っ直ぐと突き刺さるような眼光に、思わず息を飲む。父の片手が僕の頬をゆっくりと撫でた。――何故かそこに、ほんの少しだけの愛しさを感じた。
『お前は、母ちゃんの、形見なんだよ』
 絞り出すように。それでいて力強い声で、彼はそう言った。
『俺だって、母ちゃんを助けてやりたかった。でも俺は不器用だから、治療費を稼ぐことでしか、守る方法が分からなかった。俺こそ愛するアイツを、守る責任を、果たせなかったんだ……ッ!』
 話す間も父は何度も咳き込む。この時、父が母をきちんと愛していたことを、初めて知った。そして病気で死なせてしまったことに、負い目を感じていることも。
 そんな父にとって、母の形見である僕を死なせることは、断じて許せなかったのだ。だったらもっと愛情表現してほしかったと、この父に言ったところでできるはずもないだろうが。
「だから、お前は俺みたいに、なるんじゃねぇっ。お前はまだガキだから、やり直せる。本当の〝責任〟の意味が分かる、大人になれ……武蔵」
 初めて名前を呼ばれる。
 僕の目からは、怒りかも悲しみかも分からない一筋の涙がこぼれた。
『父さんッ、もう喋るな!』
『……フン。泣いてんじゃ、ねぇよ。キレーな顔が、台無し、だ、ろ――』
 頬にあった僅かな温もりが、音も立てずに離れていく。事切れた父を目にして頭の中が真っ白になった。
 本当の〝責任〟とは一体どうゆうことなのか。僕は何を間違えた? そのせいで父を死なせてしまったと、『理想の自分像』が音を立てて崩れていった。こんな僕が副長として皆を先導していけるはずがない。ましてや和泉様を守るなんて……。
 悔しさと空しさで気が狂いそうだった。加えて|心体増強《モジュレーション》の反動がまだ響いており、酷い吐き気と目眩に襲われる。胸が苦しくて堪らなかった。
 そんな中『あの……』と声をかけられた。それはこの公園に導いてきた同級生だった。二人ほど逃げ出していたが、まだ三人がこの場に残っていたらしい。
 メストが現れる前までと違い、彼らは完全に怯えた目で僕を見ていた。無理もない、自分の身長と同じくらいの斧を振り回し、黒い血飛沫を被りながらメストを叩き殺す僕を、彼らは間近で見ていたのだから。
『ご……ごめん、な。あの黒い奴、あんなヤバイ奴だって、思ってなくて……。お前の身体、傷がすぐ治るなんて嘘だったんだよな!?』
『おお俺たちのせいじゃないよな!? お前のおじさんが、しっ、死んじゃったのはさ……ッ!?』
 彼らは自分たちがメストに唆されたせいで、父が命を落とし、その報復を僕から受けるのではと恐れていた。今回のことに関しては、全ての元凶は父の言う〝本当の責任〟を果たせなかった僕にある。だから彼らを恨むことはしない。
 しかし、彼らが僕に暴力を振るったのは紛れもない事実。一歩間違えれば僕も死に至っていた可能性だってある。
 〝本当の責任〟はまだ分からない。
 ――でも、今の僕は児童会長だ。その責任はやはり果たすべきであると、悲鳴を上げる身体に鞭を打って自分を奮い立たせた。
『……君たち、よく聞け』
 僕の声がオレンジ色の空間を揺るがせ、同級生の肩がビクリと震えた。
 斧を引きずり寄せ、杖のようにして立ち上がる。|心体増強《モジュレーション》の反動なんて、心の痛みに比べたら何百倍もマシだと思った。この|疵《・》はクラシック療法でも治せまい。……無論、この特殊能力を明かす気は毛頭ないが。
『見てのとおり、僕は普通の体だよ。とはいえ君たちが乱暴につけた傷も含め、人には怪我をしても治す力がある……命を脅かさない限りはね』
 まるで眠っているような父の顔を一見し、僕は斧を担ぎ上げて同級生たちを振り返る。自分がどれほど険悪な顔をしているのか、彼らの表情を見れば一目瞭然だった。
『父さんの死は、僕の不注意が招いたことだ。この疵は消えることなく、一生抱えて生きていくことになるだろう。……でも君たちは、僕と同じ過ちを犯しちゃいけない! 僕を傷つけたのは君たち自身の判断だろう!? もし僕が死んでいれば、君たちがこの疵を抱えていくことになっていたんだ! このことを忘れず、二度と選択を間違えるな……ッ!?』
 夕日を背に担いだ斧の迫力も相まって、子供たちは一斉に泣き崩れてしまった。彼らは僕への恐怖心によって、今日のことを他言することはないだろう。
 例え怖がられても、彼らが今日を忘れずに真っ当な道を歩んでくれるなら、それでいいと思った。……これが今の僕にできる、精一杯の責任の果たし方だ。
 胸の苦しみが増す。
 意識が遠退き、ついに僕はその場へ倒れ込んだ。