日が傾き始めた。夕暮れが近い。
〝奴〟が、現れる――。
『ぐはっ!』
『ほーらほら。どうした? 児童会長。早く治してみせてくれよ』
棍棒による暴行が始まり、30分ほどが経過した。一人や二人なら簡単にいなす力はあっても、五人同時となれば話は別だ。ましてや後ろから雁字搦めで動きを封じられてしまえば、僕の力だけではどうにもできなかった。
彼らは完全に、僕が体を自由に治癒できると思い込んでいる。仮に治癒力が高いのだとしても、暴力を振るって良い理由にはならないのだが。
そんなことより僕の頭は、夕暮れが近づいていることでいっぱいだった。ここからは奴らが活発になる時間だ。普段なら日が暮れる前に帰るよう気をつけているが、僕だけなら兎も角、このままでは同級生たちも奴らとの戦いに巻き込んでしまう。どうにかして打開する方法を考えなければ。
……あぁ馬鹿だな、と思った。理不尽に暴行を受けているというのに、どうしてこんな奴らの心配までして責任を果たそうとするのだろう。
僕の『理想の自分像』は、一体誰のためにある?
不意に浮かんだ疑問で、僕は思わず自嘲の笑みを浮べた。
『お前、何がおかしいんだよ!?』
なかなかお目当ての治癒能力を見せない僕に、彼らもイライラしていたのだろう。笑う僕の顔を見た一番幅の良い子が、最初に棍棒を持っていた子から奪い取ると、僕の背中へ強烈な一撃を食らわせた。
息もできないほどの悶絶するような痛みだった。さすがに耐えきれず、僕はついに膝から崩れ落ちる。
『あーあ、倒れちゃった。何だよ、コイツ全然傷治らないじゃん』
『もう飽きたな、最後に顔を殴って帰ろうぜ。コイツの自慢の顔をひん曲げてやれば、ちょっとは懲りて大人しくなるだろうよ』
彼らは〝楽しみは最後までとっておくタイプ〟とか言って笑っているが、朦朧とする意識の中でそれを聞いた僕は思わず戦慄した。
いつもの冷静さを欠き、頭が真っ白になって鳥肌が立つ。体は最悪どうなってもいいと思っていた。けど、顔だけは絶対に傷つけたくなかったのだ。それは決してナルシスト的な考えではない。
大好きな母が僕に残してくれた、たったひとつの宝物だから。
『や、め……』
『おーらよ! 覚悟しろ、むさ――』
悪魔の一撃が振り下ろされる直前、僕を殴ろうとしていた子が目の前から消えた。かと思えば周囲の子供たちから悲鳴が上がり、不気味に広がる黒い影が夕暮れの太陽の光に浮かび上がる。
ウネウネとした何かが少年を捕らえていた。何が起こったのかと痛みを堪えて顔を上げると、目にしたのは体中から黒く細長い靄のようなものを伸ばした、黒装束の男の姿だった。一人、また一人と子供たちは逃げ出すが、目を見張る早さでその靄に捕らえられていく。
『クク、副長武蔵。派手ニヤラレタヨウダナ』
不気味な声がオレンジで染まる公園に響く。
……そう、彼らに入れ知恵をした張本人のご登場である。結局僕は、何もできず彼らを巻き込んでしまった。
『ッ、メスト!』
『オット動クナヨ? 動ケバ、ガキ共ハ皆殺シダ。マァ、ソノ体デハ動ケマイガ』
楽しそうに高らかに笑うメストを、視界が霞むのもお構いなしに強く睨みつけた。
そして息苦しく咽せながらも、必死に立ち上がる。
『ゴホッ……! お前の目的は、僕だろ!? その子たちは、関係、ない!』
『アルサ。アノ方ハ国守護楽団以外ノ人間ヲ殺スナト仰ル……ダガ、私ハ
殺リタクテ仕方ナイノダヨ。ダカラ、コノガキ共ハ〝武蔵ヲ守ロウトシテ勝手ニ死ンダ〟ト報告スルノダ』
少年たちを拘束する靄が締まり、彼らから呻き声が上がった。
どうすれば良いのか僕は迷っていた。幸いトランペットはケースに入れて常備しているが、ここへ来て殴られた時から数メートル離れた場所に放置したままだ。
走れば間に合うか? いやそれ以前に、
変化を彼らに見せてもいいものか。
『嫌だ、嫌だ! 誰か助けてよーー!』
『ハハ、イイ表情ヲスルガキダナ。気ニ入ッタ、オ前カラ殺シテヤル!』
泣き叫ぶ少年の体を靄で大の字に開いたメストは、別の靄の先を鋭利に仕立てて少年に狙いを定めた。彼の胸を目がけ勢いよく発射される靄を見た瞬間、いよいよ考えるのを止めて走り出す。背中の激痛のせいで今にも意識が飛びそうだったが、それでも全力で走った。
『……ナーンチャッテ』
自分に背を向けたマヌケな僕に向かって、ポツリと呟いたメストの声が耳を震わせた。刹那、肉を裂く音と呻き声が続き、吹き上がった真っ赤な液体が振り返る僕の顔を汚した。
それは、僕の血ではない。
地平線に向かう太陽の光が、僕の前に立った誰かの影を作った。
『だから言っただろ……、ガキが正義を履き違えるなって』
『父、さん……?』
さっきまでここにいなかった人物の登場に、己の目を疑うしかなかった。しかもその人には、少年に向かっていたはずの靄の刃が胸から背中を貫通しており、仕事着であるツナギを深紅に染め上げている。
不服そうに舌打ちをしたメストは、靄の刃を勢いよく引き抜いた。父の体が大きく揺れ、雪崩れるように地へ伏せる。
全身が震え上がった。恐怖心ではない。あれは憎悪だ。
奴と僕に対する、腹の奥底から湧き上がった怒り。
『――――ッ、オォオオオっ……
変化ェ!』
『クソッ! 今度コソ死ネ、国守護楽団副長ーーッ!』
〝和泉様を守るんだろう?〟
あぁ、母さん。僕は一番身近な人すら守れないのに、どうして和泉様を守れるのだろう。
情けない。どうやったら真に〝強くなれる〟んだ。
副長として堂々と彼女へ会いに行きたいのに。
『
心体増強、全音!!』
『……!?』
初めての
心体増強を使い、金のオーラが体を包んでいく。経験したこともない力が湧いて、暴行による打撲も背中に受けた激痛も、全く気にならなくなった。
子供とは思えない身のこなしでメストの背後に高速移動した僕は、驚愕する奴に斧を叩き込んだ。父の血の上から奴の黒い返り血を浴びてもなお、その猛攻を
心体増強の効果が切れる瞬間まで続ける。その地獄絵図を同級生たちは、どんな気分で傍観していたことか。
メストが黒い霧となって散るとほぼ同時に、黄金の光も消失する。
僕は反動で動かないはずの体に鞭を打ち、父の側まで這いずった。