夕食は豪華な料理が所狭しと並んだ。春らしく桜の葉で巻いたお団子や、川魚に山盛りのセリを乗せた鉄板料理。定番の新鮮なお刺身に、茶碗蒸しやお吸い物まで、どれを口にしても春の香りがして美味しかったなぁ。
その夕食が運ばれてくるまで、私はひとり檜の良い香りが漂う露天風呂を堪能させてもらった。とろみのあるお湯の肌触りが気持ち良く、静かな空間をゆったりと過ごすことができた。
この旅館では、女性には色とりどりの浴衣が用意されていて、選ぶのには少し時間を要した。結局いつものように小花をあしらったピンクを選び、それを着て戻ったら皆の大注目を浴びて恥ずかしいのなんの。
何故か、日向君と安芸君が変な笑みを浮べていた気がするような……? 二人ともその後、しばらく目を合わせてくれなかったし。もしかして着付けが下手だったのかな。
純君が「可愛いヨー、ズーミ! やっぱりニッポンの
女性は浴衣が似合うネー!」って褒めてくれたけど、彼は日向君と安芸君の顔を見た直後に縮こまっていた。別に変なら、怒らないからそう言ってくれれば直すのに。
夕食の後は、純君持ち込みのカードゲームで盛り上がった。日向君と近江君がやたら安芸君を標的にしていたり、武蔵さんが異次元に強かったり、純君が負けすぎて泣き出したり。越後さんは広縁でお酒を飲みながら、時々様子を伺う程度だった。
22時を回ったところで、大人の夜にしては早いけど寝ることにした。
何を隠そう明日は月曜日。皆、仕事なり大学なりあるのだから、朝は早めに帰らなければならない。
武蔵さんの配慮で、四畳半の茶室が私の就寝場所だ。
皆とおやすみの挨拶をして分れた後も、襖の外からはしばらく――
「何で純がド真ん中で寝るんだよ!」
「Oh! 早いモノ勝ちネ~、ヒューガ」
「はンっ。こうなりゃ枕投げで勝負だな」
「どうでもいいけど皆、和泉の茶室には絶対に近づくなよ?」
「あっぱったけ! ウッセーな、ガキ共! とっとと寝ろらぁッ!」
「……ハァ。保育園ですか、ここは」
――といった多種多様の会話が聞こえていたのだけど、徐々に静かになって襖の隙間から漏れていた光が消え、いつの間にか私も眠りへと落ちていた。
どれくらい時間が経った頃か、僅かな物音に目が覚める。
辺りは真っ暗でまだ夜中のようだ。
外の様子が気になって少しだけ襖を開くと、雑魚寝で眠っている皆の姿を目にした。純君の右足が近江君の顔に乗っかって、凄く苦しそう……。
気の毒に思いつつ視線を上げれば、広縁の隅で誰かが竹製の椅子に腰を下ろし、私がそうしていたように川を見ながら一杯嗜んでいた。
月明かりに浮かぶアッシュグレーの髪が、誰であるかを教えてくれている。
「武蔵さん」
寝ている皆の間をそっと歩き、彼の傍へ寄って声を掛ければ、目を丸くして驚いていた。スマホで音楽を聴いていたらしく、武蔵さんは両耳からイヤホンを外した。
「おや、すみません。起こしてしまいましたか」
「いいえ。私こそ邪魔しちゃって、ごめんなさい」
謝る私に武蔵さんは柔らかく微笑むと、空いていた隣の席を勧めてくれた。窓を閉めてしまったから風は感じないけれど、夜はまだ少しひんやりとする。
すると武蔵さんが肩に自分の上着をかけてくれた。スマートすぎる行動で、やっぱり武蔵さんって紳士的……。浴衣が
開けてかなりセクシーだし。
「本当に身体は大丈夫ですか? 君も無茶をしすぎです、
心体増強の
長3度を使うなんて。死んでしまったら何の意味もありませんよ」
そう言った彼のレンズ越しに見える目はとても温かいけど、言葉自体は胸の奥に重く響いた。
当然だ、私も武蔵さんの使命を損なわせるところだったのだから。申し訳なく思い目を伏せると、彼の温かい手が私の頭に伸ばされた。
「でも無事で何よりです。……あぁ、越後君のことはあまり気にしてはいけませんよ。いずれきっと、彼にも和泉ちゃんの想いが伝わるでしょうからね」
「凄いです。何でもお見通しなんですね、武蔵さんって」
「ふふっ、
君たちとは経験値が違いますからねぇ」
笑いながら、透明な飲みものと氷が入ったグラスを仰ぐ武蔵さん。アルコールの香りがふわりと鼻を掠める。
その時〝経験値が違う〟という彼の言葉に、そうゆうつもりで言ったのではないと分かってはいるけど引っかかってしまった。武蔵さんも辛い過去を辿ってきた一人。
彼なら、話してくれるだろうか。
「あの……、武蔵さん」
「はい?」
「聞いてもいいですか? 武蔵さんには、どんな過去があったのか」
一瞬手を止めた武蔵さんだったけど、ゆっくりとグラスを小さなテーブルの上に置いた。
月が彼の顔を優しい光で照らす。武蔵さんて安芸君に劣らず、中性的で綺麗な顔立ちだよね……と思っていると、彼にスマホを差し出された。
「和泉ちゃんが奏でるヴァイオリンの音は、とても清らかで美しいですね」
突然、何を? と言いかけて、スマホに映るもの見て理解した。それは私が屋外ライブでガヴォットを演奏した動画で、さっきまで武蔵さんが聞いていたのはこれだったのだ。
急に恥ずかしくなって照れる私を尻目に、武蔵さんは遠くを見つめる。
「僕の母は、君と同じヴァイオリニストでした。記憶が戻った後、よく君の代わりにガヴォットを弾いてもらいましたよ。まぁ、あの頃知っていた前世の和泉様のほうが、断然上手かったですけどねぇ」
いつもどおり戯けて話しているけれど、これは間違いなく武蔵さんの過去の話だ。彼は私の要望に自然な流れで応えてくれている。
照れなんて何処へやら、私は顔を引き締めると、武蔵さんに正面から向き合った。
「そうだったんですか。お母様は今もヴァイオリンを?」
私の問いに武蔵さんは微笑むと「亡くなりました」と一言。
「僕が小1の時です、身体が弱かったもので病死しました。前世との因果には無関係でしょう」
武蔵さんは一口だけお酒を口にすると、丸眼鏡のブリッジを指先で軽く押した。
私は息を押し殺すように、じっと彼の言葉の続きを待つ。
「僕は副長という立場柄、幼い頃から強すぎる責任感に囚われてきました。それが僕の
記憶復活の洗礼です」
そして彼は、自らの壮絶なる生い立ちを、どこか懐かしむように語り始めた。