喜びと共に苦悶がユウジの心を埋め尽くし、思考を奪う。
そのせいでどれほど歩いたのかも覚えていなかった。
「よう、浮かねえ顔してどうした?レイラちゃんにフラれたか」
気付けばブラッドムーン隊の溜まり場である食堂へ辿り着いていて、イリヤとポーカーへ勤しんでいたアレッサンドロが声を掛けてきた。
「馬鹿が。仕事になりそうだから準備しておけ」
「レイラちゃんがブローカーか?」
「そんなところだ。ところでサンドロ、イリヤがフルハウスちらつかせてるぞ」
「は?」
ニヤニヤと笑みを浮かべたイリヤが手札を見せつけ、アレッサンドロを煽る。
チラリとアレッサンドロの手札を見ると、2のワンペア。到底、フルハウスに対抗できるような役ではなかった。
「ちっくしょぉぉぉぉ!」
「はい1000イラーツ貰い。ユウジ、お前も俺に1000だ」
「晩飯、マジでメルルーサのムニエルだったか」
「そういうこった!」
好物である鯖の味噌煮が食べたかった、とユウジは舌打ちしながら財布を取り出し、1000イラーツ札をイリヤへ投げ渡す。
イリヤは神に愛されているかと思うほど、運がいい。
空でも何度か撃墜されているものの、その度に脱出して生還するので、やはり神の恩寵を得ているのかもしれない。
「いやー、今日も儲かってしょうがねえや!」
「お前、そのうち痛い目に遭うぞ?傭兵なんざ、大体酒と女、あとは賭博で身を滅ぼしているんだ」
「へーへー、気を付けるぜ」
勝負師イリヤにナンパ師アレッサンドロ、ブラッドムーンにはまともなパイロットがいないと、ユウジは溜息を吐く。
アレッサンドロだって、先日外出先でナンパ中に警察のご厄介になっているし、前科は山ほどある。
空を飛べば強いのに、なんとも残念な男だ。
空で負けなければ、それでいいが。
「終わったら機体の整備に行く。どうやら、コンメトがまたリオールに仕掛けたらしい」
「あいつら、4年前のフィヨルド戦争をもう忘れたのか?俺たちでボッコボコにしてやったじゃねえか」
カードを集めるアレッサンドロは信じられない、と言いたげな顔をしている。
それはイリヤも同じで、まるでコンメトの正気を疑っているようにも見える。
「やべーくらい犠牲を出して、おまけに国境を押し込まれたのを忘れるとは。コンメト人どもめ脳味噌に被弾しちまったか」
コンメトとリオールはかなりややこしい関係で、同じ民族でありながら殺しあうという中々悲惨な歴史を辿っている。
元々はリオール帝国だったのだが、腐敗と重税に耐えかねた民衆が蜂起して出来上がったのか、社会主義体制のコンメト連邦である。
しかし、コンメトも時が経つにつれて大粛清による恐怖政治と腐敗が蔓延し、また国が割れた。
そうして生まれたのがリオール共和国であり、コンメトはリオールを反政府勢力として独立を承認せず、幾度となく侵攻しては撃退されていた。
その中でも大規模だったのがフィヨルド戦争と呼ばれる4年前の戦争であり、コンメトはリオールを吸収するどころか、逆に押し込まれて停戦に至っていた。
「そうなりゃ、考えられるのは失地回復か」
アレッサンドロはカードをシャッフルしながら問いかけると、イリヤはそうだ、と返す。
「コンメトのやり口さね。強大な軍の力を見せつけなきゃ、国内の不穏分子を抑え込めない。それがどうだ、反政府勢力の掃討失敗どころか領土を削られてるんだ。そのままじゃ国の屋台骨が揺らいじまうよ」
その軍の一部がリオールに流れたんだけどな、とイリヤは笑う。
イリヤは元々コンメト空軍にいたのだが、国境戦争の開戦直前、ありもしない密告で家族は殺され、自身は命からがらリオールへ逃げ延びた。
そこで出会ったのが、コンメト軍の国境集結を受けて急遽雇われたゾディアック傭兵団であり、たまたま欠員が出ていたブラッドムーン隊に編入された。
だからこそ、コンメトの情報通としてイリンスキーから重宝されている。
イリンスキーもコンメト生まれではあるが、リオール分離の際にリオールへ渡ってゾディアックを立ち上げているので、それ以降のコンメト事情を知らないのだ。
「それでやるのは戦争か。大層な国だ」
ユウジはそうぼやきながらイリヤが配るカードを受け取り、席へ腰掛ける。
トランプの柄へ目を通し、次に2人の表情を見て捨てるカードを決める。
「おかげで俺たちは仕事を得る。トーシャはこの仕事を受けるだろうよ。長期契約の大口顧客間違いなしだ。フィヨルド戦争もそうだったろ」
馬鹿なことばかりする癖に、今だけはインテリのように知見を述べたイリヤだが、どうも引いた手札は良くなかったらしい。
渋い顔をしながら手札を整頓しているが、それはフェイクなのかもしれない。
それが勝負師イリヤの恐ろしいところだ。
儲かるじゃねえかと嘯くその言葉さえ、本音なのか判断がつかない。
「美人のねーちゃんが出迎えてくれるならいいんだけどな。向こうにはツテもあるだろ」
そう言って山札から3枚引いたアレッサンドロはどこか嬉しそうに見える。
カルファ人の男は陽気で酒と女のために命を賭けるような人間だと言われ、アレッサンドロもそのステレオタイプに漏れない。
間違いなくブラッドムーンどころかゾディアックのムードメーカーである彼は、変化と誇りを求めて飛ぶ。
だからこそ、この話は彼にとってチャンスであることは容易にわかる。
その手札が良いものであったと分かりやすいように。
「そうだな、リオールにはもうひと稼ぎさせてもらうとしようか」
捨てたカードの分だけ山札からカードを引く。
きっと、焼けた空は青く染まっている頃だろう。
ならば、もう一度あの空を飛ぶことにしよう。
今度こそ望んだ青空で、自分を殺してくれるようなエースに出会う時が来るかもしれない。
「じゃあ俺は勝負するぜ」
「俺っちも乗った」
イリヤとアレッサンドロが勝負に出た。
ユウジも引き下がるような真似はしない。
陽が落ちて空が赤く焼けたとしても、しばしの夜を超えて陽はまた登り、青空が還る。
きっと、今ならばヴェルコグラードの空も青く澄み渡っているはずだ。
「ならば行こう。コールだ」
そう信じたからこそ、一歩を踏み出した。
イリヤのフルハウスとアレッサンドロのスリーカード、それをユウジのロイヤルストレートフラッシュが打ち砕いた。
最後に高く飛ぶのは俺だ、個人的な宣戦布告の代わりに。
食堂へ飛び込んだ伝令がブラッドムーン隊への招集命令を伝えるまで、イリヤの悲鳴は止まらなかった。