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5話目 新たな戦火

ー/ー



 ユウジはいつものように簡素な庁舎の中を歩き、多くの職員や傭兵たちとすれ違いながら司令官室を目指す。
 板張りの床をフライトブーツで踏みしめるたびに、コツコツと小気味のいい音が鳴り響き、空とは違う音が地に降りた鳥たちを迎えてくれる。
 
 ユウジにとっては見慣れた庁舎ではあるけれど、レイラはまさに借りてきた猫と言えるほどに肩を縮めていた。

 だからといってユウジが気にすることはない。
 どうせすぐに帰る客なのだろうから、緊張するならさせておけばいい。

「ここだ」

 重厚で、見るからに高級な木製の扉を前に、レイラは自らの服装を整え始める。

「トーシャ、入るぞ」

 しかしそんなレイラの前でユウジは適当に扉をノックすると、返事も聞かずにそれを押し開ける。
 まるで同期の居室を訪ねるかのような気軽さにレイラは呆気にとられ、響き渡るであろう司令官の怒声に身構えてしまう。

「全く、貴様は司令官室をなんだと思ってるんだ」

 しかしレイラの予想に反し、怒号や罵声ではなく穏やかな声が返ってきた。
 オールバックにまとめた白髪が印象的な彼こそゾディアックの司令官だと見て分かるし、その真面目さを醸し出す眼鏡の向こうには未だ残る炎を宿した瞳が見える。

 まるで孫を嗜めるお爺ちゃんのようだ、そんな印象を与える彼は席を立つと、棚に大事そうに置いていたコーヒーミルへと手を伸ばした。

「珈琲を出してくれる所だ。そっちだって、空模様を報告する前に長々と社交辞令を言って欲しいのか?」

「この馬鹿者め。茶菓子は無しだぞ」

「なるほど、今日の豆は茶菓子要らずか」

 ユウジは自室でくつろぐかのように、来客対応用のソファーへ腰掛けてレイラへ手招きをする。
 とはいえ、今のやりとりを見せられて"わかりました、行きますよ"などと言える程の図太さをレイラは持ち合わせていない。

 入口で二の足を踏む彼女の存在に漸く司令官も気付き、アレは誰だとユウジへ目を向ける。

「……さっき緊急着陸したリオールのパイロットだ。連れてきた」

「茶の催促よりも、先にそのことを言わんか馬鹿者。君、そこに腰掛けて待っていてくれ」

「はい!あの、お茶でしたら私が……!」

 他所の傭兵団司令官ではあるが、そんな立場にいる者へお茶汲みをさせるのは流石に忍びないし、本来はユウジがやるべきなのではないかと慌てるレイラを見て、司令官とユウジは笑っていた。

「流石お堅い軍人さんだ」

「貴様は少し見習え。いくら私の趣味であってもな」

 耳に痛いぜ、とユウジはおどけて見せる。
 この司令官は珈琲を淹れるのが趣味で、その匂いに釣られてやってきたイヌワシの止まり木にされてしまったのだろう。

「その調子だと、サンドロとイーリャもタカリに来るだろう?」

「飛んだ後にトーシャの1杯、これがたまらないんだ」

 どう見てもお爺ちゃんの家に遊びに来た孫のようで、硬くなっていたレイラの緊張も少しずつほぐれて行く。
 やがて部屋を珈琲の香りが包み込み、豆の種類に明るくないレイラでも、これはいい豆だと思ってしまう。
 
 アロマでも炊き始めたように、心が落ち着いていく。
 いつの間にか穏やかな曲を奏で始めたジュークボックスと一緒に荒ぶる心を落ち着け、宥めてくれる素敵な空間に思えた。

「ほら、出来たぞ。今朝届いたばかりのやつだ」

 湯気と共に芳醇な香りの対空砲火を撃ち上げる珈琲がユウジとレイラの前に並べられ、向かいのソファーへ司令官が座る。

「頂きます」

 まずは一口、まだ熱い珈琲を啜って一息つくレイラの姿に司令官は仄かに微笑む。
 思わず気を抜きすぎた、と我に返るものの、彼は気にするなと手で制した。

「紹介が遅れたな。ゾディアック傭兵団司令のアナトリー・イリンスキーだ。ようこそ、我が基地へ」

「リオール防空軍、レイラ・サルミナ准尉です。緊急着陸させていただき、ありがとうございました」

「君が無事で何よりだが、我々も一応はラサンの防空を委託されている身でね。報告のためにも事情聴取をさせてもらうことになる」

 はい、とレイラが答える。
 もちろんそのつもりでいたし、そうならなければ困るところであった。

「飛行目的はゾディアックへの接触です」

 ほう、とイリンスキーが眉を動かす。
 飛んできた理由がゾディアックに接触することで、そのために来たエルナの機体が損傷していることを見るにただ事ではないだろう。
 何より、傭兵を率いるだけあってイリンスキーは仕事の臭いに敏感だ。

「仕事か」

「そうです。コンメトがリオールへ侵攻を開始し、国境から押し込まれつつあります。戦力増強のため傭兵の募集も始めているのですが、通信妨害により直接出向くしか方法がなく……」

 イリンスキーはユウジへ目線を向ける。
 ユウジは席を立つと、赤鉛筆を持って壁に貼られた世界地図へと向き合った。

 島嶼国家群より北西、北極圏を取り囲むリオール大陸の東半分がリオール共和国で、西半分がコンメト連邦。
 そしてそれを隔てるのは北極海と繋がるヴェルコ川で、フィヨルドの川とも呼ばれている。
 
 そのコンメト連邦南部中央へユウジは丸を書き込む。

「エリスタ通信アレイ。リオール中へそんな妨害工作をするとしたらここしかない」

 かつてリオールとコンメトで融和ムードが高まった際に共同事業として、コンメト領内エリスタに建設された大規模通信施設がエリスタ通信アレイだ。
 大出力のこの放送施設は通信サービスや公共放送事業の為に建設されたものの、関係悪化に伴ってその役目を軍事へと切り替えた。

 恐らく、今はコンメト軍の通信網構築やリオールへの通信妨害に用いられているのだろう。

「ジャミングか」

「俺たちにコンメト侵攻開始の知らせが来なかったのもこれのせいだろう。じゃなきゃ、ラサンが何も言わないわけがない」

 次の仕事の斡旋ではないにせよ、飛び火してラサンへ何かしらの影響があるだろう。
 そうなればラサン軍参謀本部あたりが契約延長や警戒強化の連絡をしてくるはずなのに、今のところなしのつぶてだ。

 つまり、世界各国がリオール支援を始めて泥沼化する前に決着をつけてしまう、そういう魂胆らしい。

「それで、サルミナ准尉を単機で派遣してきたのか?」

「……チャイカ隊は私を含めて4機いましたが、洋上でコンメト軍機に襲われ、逃げ延びたのは私だけでした」

「どこだ」

 すぐにユウジが交戦した場所を問う。
 レイラは朧げな記憶を頼りにその座標を伝えると、ユウジはそこへバツ印を書き込み、地図を睨みつけた。

「国境からリオール東海岸……中央公海側までは爆撃機だって飛べない距離だ」

 リオールとラサン等島嶼国家群の間には広大な中央公海という海洋が広がっている。
 しかしながら、コンメト国境からはかなりの距離があるため、どう頑張っても戦闘機で飛んでいける場所ではない。
 燃料が持たないし、何より最短距離を飛んでいようものならどこかでリオール軍に捕捉されるはずだ。

「ならば、中央公海のどこかに空母機動艦隊がいるのだろうな。奴らめ、いつの間に紅海艦隊を動かした」

「どの道放置は出来ないだろう」

「当たり前だ。揚陸艦なんて連れていようものなら、リオールは東西から挟み撃ちだぞ」

 イリンスキーの懸念はユウジも同じく考えているところだ。
 もし海岸の空軍基地ひとつ奪われようものなら、リオールは磨り潰される。
 外からの援軍も期待できず、じわじわと絞殺されることになるだろう。

「決めるなら今だな。サガミ大尉、お前は少し出ていろ」

「機体の整備を済ませる。決まったら真っ先に俺へ言え」

「どう転んでも、一番槍はブラッドムーン以外にいるまい。整備はメンテナンスチームへ任せて飯を食え。ラッツァリーニ中尉がそろそろ文句を言っている頃だ」

「話が分かる司令官で助かる」

 次の仕事は思い切り飛ぶことが出来るだろう。
 その喜びの裏で、胸がずきりと痛むのも確かなことであった。

 あの因縁の空へ返ることになりそうだ。
 何という因果だろう。


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次のエピソードへ進む 6話目 賭けの行方


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 ユウジはいつものように簡素な庁舎の中を歩き、多くの職員や傭兵たちとすれ違いながら司令官室を目指す。
 板張りの床をフライトブーツで踏みしめるたびに、コツコツと小気味のいい音が鳴り響き、空とは違う音が地に降りた鳥たちを迎えてくれる。
 ユウジにとっては見慣れた庁舎ではあるけれど、レイラはまさに借りてきた猫と言えるほどに肩を縮めていた。
 だからといってユウジが気にすることはない。
 どうせすぐに帰る客なのだろうから、緊張するならさせておけばいい。
「ここだ」
 重厚で、見るからに高級な木製の扉を前に、レイラは自らの服装を整え始める。
「トーシャ、入るぞ」
 しかしそんなレイラの前でユウジは適当に扉をノックすると、返事も聞かずにそれを押し開ける。
 まるで同期の居室を訪ねるかのような気軽さにレイラは呆気にとられ、響き渡るであろう司令官の怒声に身構えてしまう。
「全く、貴様は司令官室をなんだと思ってるんだ」
 しかしレイラの予想に反し、怒号や罵声ではなく穏やかな声が返ってきた。
 オールバックにまとめた白髪が印象的な彼こそゾディアックの司令官だと見て分かるし、その真面目さを醸し出す眼鏡の向こうには未だ残る炎を宿した瞳が見える。
 まるで孫を嗜めるお爺ちゃんのようだ、そんな印象を与える彼は席を立つと、棚に大事そうに置いていたコーヒーミルへと手を伸ばした。
「珈琲を出してくれる所だ。そっちだって、空模様を報告する前に長々と社交辞令を言って欲しいのか?」
「この馬鹿者め。茶菓子は無しだぞ」
「なるほど、今日の豆は茶菓子要らずか」
 ユウジは自室でくつろぐかのように、来客対応用のソファーへ腰掛けてレイラへ手招きをする。
 とはいえ、今のやりとりを見せられて"わかりました、行きますよ"などと言える程の図太さをレイラは持ち合わせていない。
 入口で二の足を踏む彼女の存在に漸く司令官も気付き、アレは誰だとユウジへ目を向ける。
「……さっき緊急着陸したリオールのパイロットだ。連れてきた」
「茶の催促よりも、先にそのことを言わんか馬鹿者。君、そこに腰掛けて待っていてくれ」
「はい!あの、お茶でしたら私が……!」
 他所の傭兵団司令官ではあるが、そんな立場にいる者へお茶汲みをさせるのは流石に忍びないし、本来はユウジがやるべきなのではないかと慌てるレイラを見て、司令官とユウジは笑っていた。
「流石お堅い軍人さんだ」
「貴様は少し見習え。いくら私の趣味であってもな」
 耳に痛いぜ、とユウジはおどけて見せる。
 この司令官は珈琲を淹れるのが趣味で、その匂いに釣られてやってきたイヌワシの止まり木にされてしまったのだろう。
「その調子だと、サンドロとイーリャもタカリに来るだろう?」
「飛んだ後にトーシャの1杯、これがたまらないんだ」
 どう見てもお爺ちゃんの家に遊びに来た孫のようで、硬くなっていたレイラの緊張も少しずつほぐれて行く。
 やがて部屋を珈琲の香りが包み込み、豆の種類に明るくないレイラでも、これはいい豆だと思ってしまう。
 アロマでも炊き始めたように、心が落ち着いていく。
 いつの間にか穏やかな曲を奏で始めたジュークボックスと一緒に荒ぶる心を落ち着け、宥めてくれる素敵な空間に思えた。
「ほら、出来たぞ。今朝届いたばかりのやつだ」
 湯気と共に芳醇な香りの対空砲火を撃ち上げる珈琲がユウジとレイラの前に並べられ、向かいのソファーへ司令官が座る。
「頂きます」
 まずは一口、まだ熱い珈琲を啜って一息つくレイラの姿に司令官は仄かに微笑む。
 思わず気を抜きすぎた、と我に返るものの、彼は気にするなと手で制した。
「紹介が遅れたな。ゾディアック傭兵団司令のアナトリー・イリンスキーだ。ようこそ、我が基地へ」
「リオール防空軍、レイラ・サルミナ准尉です。緊急着陸させていただき、ありがとうございました」
「君が無事で何よりだが、我々も一応はラサンの防空を委託されている身でね。報告のためにも事情聴取をさせてもらうことになる」
 はい、とレイラが答える。
 もちろんそのつもりでいたし、そうならなければ困るところであった。
「飛行目的はゾディアックへの接触です」
 ほう、とイリンスキーが眉を動かす。
 飛んできた理由がゾディアックに接触することで、そのために来たエルナの機体が損傷していることを見るにただ事ではないだろう。
 何より、傭兵を率いるだけあってイリンスキーは仕事の臭いに敏感だ。
「仕事か」
「そうです。コンメトがリオールへ侵攻を開始し、国境から押し込まれつつあります。戦力増強のため傭兵の募集も始めているのですが、通信妨害により直接出向くしか方法がなく……」
 イリンスキーはユウジへ目線を向ける。
 ユウジは席を立つと、赤鉛筆を持って壁に貼られた世界地図へと向き合った。
 島嶼国家群より北西、北極圏を取り囲むリオール大陸の東半分がリオール共和国で、西半分がコンメト連邦。
 そしてそれを隔てるのは北極海と繋がるヴェルコ川で、フィヨルドの川とも呼ばれている。
 そのコンメト連邦南部中央へユウジは丸を書き込む。
「エリスタ通信アレイ。リオール中へそんな妨害工作をするとしたらここしかない」
 かつてリオールとコンメトで融和ムードが高まった際に共同事業として、コンメト領内エリスタに建設された大規模通信施設がエリスタ通信アレイだ。
 大出力のこの放送施設は通信サービスや公共放送事業の為に建設されたものの、関係悪化に伴ってその役目を軍事へと切り替えた。
 恐らく、今はコンメト軍の通信網構築やリオールへの通信妨害に用いられているのだろう。
「ジャミングか」
「俺たちにコンメト侵攻開始の知らせが来なかったのもこれのせいだろう。じゃなきゃ、ラサンが何も言わないわけがない」
 次の仕事の斡旋ではないにせよ、飛び火してラサンへ何かしらの影響があるだろう。
 そうなればラサン軍参謀本部あたりが契約延長や警戒強化の連絡をしてくるはずなのに、今のところなしのつぶてだ。
 つまり、世界各国がリオール支援を始めて泥沼化する前に決着をつけてしまう、そういう魂胆らしい。
「それで、サルミナ准尉を単機で派遣してきたのか?」
「……チャイカ隊は私を含めて4機いましたが、洋上でコンメト軍機に襲われ、逃げ延びたのは私だけでした」
「どこだ」
 すぐにユウジが交戦した場所を問う。
 レイラは朧げな記憶を頼りにその座標を伝えると、ユウジはそこへバツ印を書き込み、地図を睨みつけた。
「国境からリオール東海岸……中央公海側までは爆撃機だって飛べない距離だ」
 リオールとラサン等島嶼国家群の間には広大な中央公海という海洋が広がっている。
 しかしながら、コンメト国境からはかなりの距離があるため、どう頑張っても戦闘機で飛んでいける場所ではない。
 燃料が持たないし、何より最短距離を飛んでいようものならどこかでリオール軍に捕捉されるはずだ。
「ならば、中央公海のどこかに空母機動艦隊がいるのだろうな。奴らめ、いつの間に紅海艦隊を動かした」
「どの道放置は出来ないだろう」
「当たり前だ。揚陸艦なんて連れていようものなら、リオールは東西から挟み撃ちだぞ」
 イリンスキーの懸念はユウジも同じく考えているところだ。
 もし海岸の空軍基地ひとつ奪われようものなら、リオールは磨り潰される。
 外からの援軍も期待できず、じわじわと絞殺されることになるだろう。
「決めるなら今だな。サガミ大尉、お前は少し出ていろ」
「機体の整備を済ませる。決まったら真っ先に俺へ言え」
「どう転んでも、一番槍はブラッドムーン以外にいるまい。整備はメンテナンスチームへ任せて飯を食え。ラッツァリーニ中尉がそろそろ文句を言っている頃だ」
「話が分かる司令官で助かる」
 次の仕事は思い切り飛ぶことが出来るだろう。
 その喜びの裏で、胸がずきりと痛むのも確かなことであった。
 あの因縁の空へ返ることになりそうだ。
 何という因果だろう。