「だぁああッ! マジでムカつくな、あのヤロー!!」
我慢が限界値に達した俺は、温かい湯船の中で絶叫しながら水面を叩いた。お陰で勢いよく上がった水しぶきが周りの奴らにも降りかかり、安芸に怒られる始末だ。
「恥ずかしいから大声出さないでくれよ、いくら離れだからって」
「あぁ~~……。俺、温泉なんて超久しぶりなんだけど」
「んNOoo……。僕は初めてデース、オーミ。正に
極楽ネ~」
怪訝に眉を潜める中性顔の傍で、対照的に近江と純がオッサンのような呻き声を上げた。白い湯気に何とも気持ちよさそうな二人の顔が浮かぶ。
ところ変わって俺たちは野郎だけを引き連れて、備え付けの貸切露天風呂に来ていた。男5人で入っても十分すぎる広さがあり、檜の香りと少し熱めの湯加減が、疲れた身体に染みて快適だ。まさかコイツらと裸の付き合いをする日が来ようとは、夢にも思っていなかった。
武蔵の号令で、まず男性陣が一斉に入浴を済ますことになって今に至るわけだが、ここに越後の姿はない。もちろん武蔵はちゃんと誘ったのに、アイツが断ってきたのだ。
入る入らないは奴の勝手だから、本来なら俺にはそんなことどうでもいい。
問題は、そうなると部屋に残るのが和泉と越後、ということ。
「……本当に大丈夫かよ、アイツら二人にして。仲間でも和泉に近づく者は警戒しろっつったの、お前だろ武蔵」
「そうですねぇ。しかし越後君の
楽器は僕のレンタカーの中ですし、鍵も僕が持っています。それに彼はもう、和泉ちゃんに手を出さないと思いますよ」
まるで心配もせず平然と語る武蔵は、風呂の中だから眼鏡を外している。どうやらあれは伊達眼鏡らしい。本人曰く『色気を抑えるフィルター』のようで、三人で顔を引き攣らせたのが数分前の出来事だ。
ちなみに、俺のチェロも〝念のため〟だとか何とか言って、レンタカーに隔離されている。
「商との交戦から君たちを監視していたのは越後君なのでしょう? 最初から彼女を襲うつもりだったのなら、チャンスはいくらでもあったはずです。まぁ、君たちの熱弁に押さえていた感情が爆発してしまったようですが」
「だからってアイツは信用ならねぇよ。俺、やっぱ戻るぜ」
業を煮やし立ち上がったが、誰かが俺の足を掴んだせいで、見事なダイブを披露し湯船の中に沈まされちまう。それを見ていた近江と純が爆笑しているのを、水面から顔を出した俺は睨みつけた。
犯人はもちろん、いい感じに頬を紅潮させてきたアイツだ。
「何すんだ!? 安芸ッ」
「ウルサイ。君と越後を一緒にするほうが、よっぽど危険だろ馬鹿。武蔵さんが大丈夫って言ってるんだ、もう争いは忘れよう」
「はぁ!? お前は心配じゃねぇのかよ!?」
いつもの安芸なら誰より和泉の身を案じているはずだ。奴は小さく溜息を吐き、目を閉じる。
「僕だって越後を警戒してないわけじゃないよ。……でも、和泉が彼を責めるなって言うから」
<越後さんだって、ずっと一人で苦しかったはずだよ。でも私は、その苦しみに共感すらできない。私には彼の心の叫びを受け止める責任がある>
俺がまだ意識を失っている時、アイツはそう言ったようだ。だから安芸は甘んじて越後を容認しようとしている。
確かに和泉は
記憶回復の洗礼を受けていない。だがアイツはアイツで、ずっと音のズレに苦しんできた。タイプは違えど、生まれ変わりであるが故の試練を課せられていたのだ。
アイツが俺たちの過去に負い目を感じる必要なんて、これっぽっちもない。
なのにどうしてそう、総長らしく責任を被ろうするんだよ、お前は。
「そもそも、和泉が抵抗できないほど衰弱していたのは、君たちが無謀な作戦を強行したせいだろ? 危うく彼女が死ぬところだったんだ、僕はむしろ日向たちのほうが許せないね」
「あぁそうかよ。だがそれを言うなら、和泉を止められなかったお前も同罪だぜ?」
「ッ、だから僕は――」
俺の返しについに顔色を変える安芸だったが、そこで武蔵がドス黒い笑顔を浮べて口を挟んだ。
「ちょーっと待ってください? その無謀な作戦とやら、僕は聞いた覚えないですねぇ。……説明してもらえますか?」
声の中に副長の圧力を感じ、俺はもちろん〝自分は無関係〟とリラックスしていた近江も肩を跳ね上げた。
今回のアジト潜入作戦は武蔵の助言ありきで遂行している。奴はずっと『仲間を誰ひとり死なせない』という使命感を持って行動してきた。もし武蔵が俺たちの捨て身作戦を耳にしていれば、確実に別の案を説いたことだろう。
「おい日向、何で俺まで巻き込むんだよッ」
「んなこと言ったって……」
「説明してもらえますか? 日向君、近江君」
語気を強めて同じ言葉を繰り返す武蔵に、もう逃れられないことを悟る。
斯くして俺と近江は、澄まし顔で出て行く安芸を横目に、逆上せる寸前まで懇々と説教を垂れられるのだった。
――アノヤロ、安芸。後で絶対ぇ覚えてろよ。
◇
日向君たちがいなくなって賑やかさが一転し、静まりかえった客間。私は皆の帰りを待ちながら、清流を望める広縁で、なるべく音を立てないよう身を小さくして過ごしていた。
今この空間にいるのは、私と越後さんの二人だけ。安芸君に「越後さんを責めないで」と言ったものの、襲われたのも事実だから一応彼のことは警戒している。でも当人はずっとこちらに背を向けたまま、体を起こす気配はない。
数時間前が嘘のような穏やかな時間だ。時折、露天風呂から彼らの騒ぎ声がすると、口元を緩ませる自分がいる。
何だか凄く楽しそうで、本当に皆生きてて良かった。死にかけた私が言えることじゃないけど……、助けてくれた前世の私には感謝しなくちゃ。
「そういえば和泉さん、最後に何て言ったんだろう……?」
彼女のことを〝和泉さん〟と呼ぶにはまだ変な感じがするのだけど、それ以外に呼びようもないのだから仕方がない。武蔵さんが淹れてくれた緑茶を口にしながらそんな独り言を呟いていると、背後で布の擦れる音がしてそっと振り返った。
でも、すぐに視線を外に戻した。越後さんが着替えていたからだ。
とはいえ、何だか違和感を覚えて、再びこっそり振り返る。
そこで見たのは彼の背に付けられた、痛々しい無数の傷跡だった。