西の空が黄昏に染まりゆく。まるで安芸のずっと心の内に秘めてきた思いを、表現するかのように。
状況は依然膠着しており、和泉は越後の腕の中で、槍の柄に捕らわれたままでいた。
越後によって暴露された俺たちの過去。記憶が戻ったブリッランテのメンバーは、周囲から迫害され孤独な戦いを強いられてきた。
でも安芸を始め俺たちは、それをずっと和泉に隠してきた。
記憶復活が起きていない和泉は何も知らない。そんなアイツの心を守るために。
無論、俺たちの苦しみの根源が、前世の和泉にあったのだとしても。
「僕は……僕を救ってくれた和泉を、今度は助けてあげたいと思った。僕が見上げる同じ空のもとで、僕を信じて待ってくれている和泉が必ずいる――彼女を守るために、強くなろうって誓ったんだ」
何故なら。
僕たちが生きているのは〝今〟だから。
今にも消えそうな声で安芸はそう続けた。実際、和泉には記憶がなく俺たちのことも分からなかったが、奴は最初からアイツ自身の
為人を見抜き、想い慕ってきた。
〝誰かさん〟と違って安芸は常に現実を見つめている。まぁ、その〝誰かさん〟もコイツに現実を突きつけられた口だが。
「僕は前世の和泉に感謝している。今の和泉に出会わせてくれたことを……。僕に日向や近江、武蔵さんたち仲間を与えてくれたことを! 越後さん、貴方だって和泉のヴァイオリンに導かれて、今ここに来ているんじゃないんですか!?」
安芸の言葉が、越後の心の奥底を貫く。
すると奴は目を見開き、歯茎を剥き出しにして鬼のような形相を浮べた。
「……っ、黙れクソガキがッ! お前に俺の、何が分かるっけさ!? この女だけは絶対に許さねぇらッ!!」
「っきゃぁあ!」
越後は腕の中に捕らえていた和泉を地面に放り出し、倒れたアイツに向けて槍を高々と掲げた。
その瞬間、俺の頭に一気に全身の血が上り、体中が燃えるように熱くなった。越後を止めるため、駆け出そうとする安芸と近江を差し置いて、二人の間を光の速さですり抜ける。
「クソガキはテメェだろうがぁ! テメェにこそ、和泉の何が分かるってんだぁああッ!!」
「――――ッ!?」
静かなる金剛山の奥地に響いたのは、越後の槍と俺のロングソードが激しく衝突する金属音。奴の刃を剛力で跳ね返し、更に息つく間もなく連打で切り込む。思わぬ反撃に越後は和泉を視野から外し、俺との交戦に集中し始めた。
「ッ、日向君!?」
「日向……!!」
アイツらが悲鳴に近い声で俺の名を呼んだ。そりゃ驚くよな、俺の体を目映いばかりのオーラが纏っているのだから。
言わずもがな、それは
心体増強発動の証。
まだ完全に体が癒えきっていない状態での連続発動は、いくら短3度でも危険と言えるだろう。だが自分の心配なんてするまでもなく、当たり前のようにその呪文を告げた。悔しいが安芸が言っていたとおり、今の俺はこんくらいしなきゃ越後と渡り合えねぇ。
あぁそうだ。〝誰かさん〟と一緒で、一度過去に囚われちまったバカは、性根から叩きのめさなきゃ分からねぇんだよ。コイツはそれだけじゃなく、和泉に刃を向けたクソ野郎だ。
これ以上、アイツに指一本触れさせて堪るか!
「上等だぁ、日向!
愛しの和泉サマの代わりに、お前をブッ潰してやらァアッ!!」
「おぉおおおおお……!!」
「いやぁああ、やめてぇーーッ!」
怒号の中に和泉の悲痛な叫び声が混ざる。それでも聞こえないフリをして、渾身の一撃を越後に向けて振るった。奴も全力の突きを俺に剥く。互いの攻撃がぶつかった瞬間、衝撃のあまり火花を散らせた。
でも直後に見た光景で、俺と越後は思わず息を飲み、動きを止めた。俺と越後の刃の間に、別の刃の存在があったのだ。
見覚えのあるそれは、柄の両端に分厚い刃を装った――斧。
掲げている人物のアッシュグレーの髪が、ふわりと風に舞う。
「は~い君たち、そこまでです。それ以上の仲間割れは許しませんよ。特に越後君、君は少々おイタがすぎましたねぇ? 僕らの大事な和泉ちゃんに手を出すなんて」
戯けているようで、明らかな毒を孕んでいるその口調は相変わらずだ。トレードマークである丸眼鏡のレンズ越しに覗く瞳も、一見すると笑っているように見えるが、俺には僅かな怒りを感じた。
「副、長……!?」
驚いた越後が体勢を引こうとするが、その前に後ろから奴の頭を、金色の何かがスッポリと覆った。
「思いっきりどうぞ、純君」
武蔵が満面の笑顔で指示をしたと思えば、越後に被せられた楽器――ホルンが唸るように鳴り響き、奴は白目を剥いて倒れちまった。金管楽器の爆音をあの至近距離で浴びりゃ、三半規管がイカれのも必至だ。
次いで俺も
心体増強の効果が切れ、意識が飛びそうなほどの吐き気と激痛に倒れるところを、武蔵に支えられる。
朦朧とする中で耳にしたのは、嬉しそうなあのお調子者の声だった。
「どうですカー、ムサシ! なかなかの音だったネ!?」
「はい、上出来です。特訓の成果が出ましたねぇ」
……一応言っておくが、良い子は絶対に人の頭にホルンのベルを被せて、音鳴らすんじゃねぇぞ。
<――日向>
懐かしい声が聞こえる。ずっと俺が頼ってきた、忘れたくとも忘れられない声。
アイツとは少し違うんだよな。アイツより芯があって、可憐さの中に総長としての威厳を持っている。彼女が弾くガヴォットも、クリアでハリのある音を響かせるアイツに対し、深い厚みを持った音という印象。そして何より、精神的にも戦闘能力も強かった。
瞳の中に秘める輝きは同じでも、アイツは彼女ではない。
アイツに会うまで、俺を支えていたのは〝彼女〟のほうだった。
……でも今は。
〝日向君っ!〟
無邪気に笑うアイツが俺を支えている。アイツの発する温かく穏やかな〝音〟が俺を包んでいる。
お前がいるから俺は強くなれる。お前のためなら、大嫌いだったチェロを好きになってもいいと思った。
なぁ、和泉。
俺にとって、お前は――。
「――が君。……日向君!」
「――――っ!?」
自分を呼ぶ声に意識が覚醒し、俺はその場から飛び起きた。
視界に入ったのは見覚えのない和を基調とした部屋の風景と、俺を囲んだ見慣れた顔ぶれの安堵した表情だった。
いや……つーか。どこなんだよ、ここ。