あとのまつり(2ページ)
ー/ー 時は流れて数十年後、一度あの家の様子を見に行ってみようかと弟に話を持ちかけたがあっさり断られた。
弟は僕よりも先に地元を出て、大学卒業後はすぐ大手企業に就職している。互いに仕事が忙しく、五年に一度会うこともなかなか難しい状況だった。疎遠になったわけではないが、心のどこかであの時代のことを思い出したくなくて、僕たち二人はそれぞれ「唯一の家族」から距離を取っていたのかもしれない。
代わりに、あの家に行かないのであれば会って話をしたいと言われた。
小さい頃は怖くて言う気になれなかったし、両親が亡くなっても気丈に振る舞っていた兄に心配をかけてはいけないと一生胸に秘めておくつもりだったが、もう時効だろう。自分は一度だけ押し入れの中を覗いてみたことがあるのだと。
すべてを話す気はないようだったが、家に戻ることだけはやめた方がいいと何度も口にする。僕はいまいち腑に落ちない気分を抱えながらも弟と会って話す方を選んだ。
喫茶店で再会した弟は、どこからどう見てもエリートサラリーマンといった風貌で、軽く手を挙げて僕のことを呼んだ。店員に飲み物の注文をして僕は席に着く。弟は懐かしそうに目を細めて微笑んでいた。
代わりに、あの家に行かないのであれば会って話をしたいと言われた。
小さい頃は怖くて言う気になれなかったし、両親が亡くなっても気丈に振る舞っていた兄に心配をかけてはいけないと一生胸に秘めておくつもりだったが、もう時効だろう。自分は一度だけ押し入れの中を覗いてみたことがあるのだと。
すべてを話す気はないようだったが、家に戻ることだけはやめた方がいいと何度も口にする。僕はいまいち腑に落ちない気分を抱えながらも弟と会って話す方を選んだ。
喫茶店で再会した弟は、どこからどう見てもエリートサラリーマンといった風貌で、軽く手を挙げて僕のことを呼んだ。店員に飲み物の注文をして僕は席に着く。弟は懐かしそうに目を細めて微笑んでいた。
「あのさ、電話でも話したけど」
「家の話はしない約束だろ」
温和な表情はそのままに彼は拒絶の意思を見せる。ここで僕と喧嘩をして気まずくなっても構わないとさえ思っているようだった。それがよりいっそう奇妙で、自分だけが知らない事実をちらつかされている心地になった。
「兄さんは戻らない方がいい。次は助からないよ。母さんと父さんがいたから俺たちは……いいや。父さんがいたから。父さんのおかげで」
「何でそんなこと」
「……押し入れの中に、俺たちの名前が書かれたお札が貼ってあったんだ。大昔に貼られたみたいな、そんな古びた真っ黄色の札が」
「札?」
風雨に晒されたって数年でそこまで劣化しないだろう。まして、弟である自分が生まれたのはあの家に引っ越す数年前のことだ。それ以降に貼られたのだと考えると、劣化具合のせいで謎が深まる。どう見積もっても何十年も前から貼られていたかのように古びていたそうだ。
自分の名前の書かれた札が、例の御囃子が聞こえてくる押し入れの中にあった物だと思うと気味が悪かった。恐怖よりも先に不快感に襲われた。どんな理由があろうと、そこはかとない悪意を感じたからだ。
「俺たちの名前、だれが書いたんだよ」
「……」
「どうした?」
「だから、戻るべきじゃなかったんだ。たとえあの家が今でも残っていようが、取り壊されていようが、そのどちらであったとしても」
弟は、砂糖もミルクも入っていないコーヒーを飲み干す。その手は、二人で布団の中で手を取り合って眠ったときと同じくカタカタと震えていた。
「お前、一人で家に戻ったのか……? いつ?」
「でも、俺は見ちゃったんだ。押し入れの中の物、見ちゃったから。本当は子どもの頃から分かってたんだ。分かってたけど誰にも言えなかった……」
彼はもはや僕の話を聞いていない。
知っていて知らないふりをした。それが自分たちを守るためなのだと思ったから。僕だってそうだ。弟からもたらされる真実によっては、先ほどの電話の内容を打ち明けるつもりはなかった。
喫茶店に来る前、僕は家のことをどうしても諦めきれなくて父の親戚に連絡をしていた。少しでもあの頃のことを知っておきたかった。
両親が亡くなってから会う機会はなくなっていたものの、久しぶりに連絡をしてもよそよそしさは感じなかった。
「家をくれたおじさんって、父さんの親戚じゃなかったっけ」
『違ぇよ。静代さんの遠縁の……静代さんがあの家欲しがって。いいからやめとけってみーんな言うのに半ば強引に譲ってもらって住むことにしたって。ケンちゃん知らんかった?』
「知らんよ。知らん、何も……」
やめておけと親戚一同から止められた理由について尋ねると、相手はやや口ごもってから「もう時効か」とため息をついた。
『これでみんなずっと一緒にいられる。静代さん、そう言って喜んでたんだよ。家族水入らずで暮らせる家が欲しかったんじゃないか』
「あの?」
『土地がよくないって言えば分かるか。まあ、そんなところどこにでもあるだろ。お前ら二人はもう外に出られたんだから気にすんな』
それでは、逃げ遅れた両親が死ぬことは初めから決まっていたと。そう言いたげな口調だった。訳が分からなかった。
先ほどの電話を思い返しつつ、目の前の弟に向き直ると、彼は可哀想になるほどに顔色を失くしていた。
「なあ、大人になってから一人で行ったんだろ? 何を見たんだよ」
「……兄ちゃん。見るな。見たら父さんみたいになる……父さんも俺も受け入れられなかった」
「いいから見せろって。大丈夫だから」
「なあ、大人になってから一人で行ったんだろ? 何を見たんだよ」
「……兄ちゃん。見るな。見たら父さんみたいになる……父さんも俺も受け入れられなかった」
「いいから見せろって。大丈夫だから」
抵抗する弟の手を無理やりに抉じ開けて引きずり出す。
紙切れには、見覚えのある美しい字体で僕と弟の名前が記されていた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
時は流れて数十年後、一度あの家の様子を見に行ってみようかと弟に話を持ちかけたがあっさり断られた。
弟は僕よりも先に地元を出て、大学卒業後はすぐ大手企業に就職している。互いに仕事が忙しく、五年に一度会うこともなかなか難しい状況だった。疎遠になったわけではないが、心のどこかであの時代のことを思い出したくなくて、僕たち二人はそれぞれ「唯一の家族」から距離を取っていたのかもしれない。
代わりに、あの家に行かないのであれば会って話をしたいと言われた。
小さい頃は怖くて言う気になれなかったし、両親が亡くなっても気丈に振る舞っていた兄に心配をかけてはいけないと一生胸に秘めておくつもりだったが、もう時効だろう。自分は一度だけ押し入れの中を覗いてみたことがあるのだと。
すべてを話す気はないようだったが、家に戻ることだけはやめた方がいいと何度も口にする。僕はいまいち腑に落ちない気分を抱えながらも弟と会って話す方を選んだ。
喫茶店で再会した弟は、どこからどう見てもエリートサラリーマンといった風貌で、軽く手を挙げて僕のことを呼んだ。店員に飲み物の注文をして僕は席に着く。弟は懐かしそうに目を細めて微笑んでいた。
代わりに、あの家に行かないのであれば会って話をしたいと言われた。
小さい頃は怖くて言う気になれなかったし、両親が亡くなっても気丈に振る舞っていた兄に心配をかけてはいけないと一生胸に秘めておくつもりだったが、もう時効だろう。自分は一度だけ押し入れの中を覗いてみたことがあるのだと。
すべてを話す気はないようだったが、家に戻ることだけはやめた方がいいと何度も口にする。僕はいまいち腑に落ちない気分を抱えながらも弟と会って話す方を選んだ。
喫茶店で再会した弟は、どこからどう見てもエリートサラリーマンといった風貌で、軽く手を挙げて僕のことを呼んだ。店員に飲み物の注文をして僕は席に着く。弟は懐かしそうに目を細めて微笑んでいた。
「あのさ、電話でも話したけど」
「家の話はしない約束だろ」
「家の話はしない約束だろ」
温和な表情はそのままに彼は拒絶の意思を見せる。ここで僕と喧嘩をして気まずくなっても構わないとさえ思っているようだった。それがよりいっそう奇妙で、自分だけが知らない事実をちらつかされている心地になった。
「兄さんは戻らない方がいい。次は助からないよ。母さんと父さんがいたから俺たちは……いいや。父さんがいたから。父さんのおかげで」
「何でそんなこと」
「……押し入れの中に、俺たちの名前が書かれたお札が貼ってあったんだ。大昔に貼られたみたいな、そんな古びた真っ黄色の札が」
「札?」
「何でそんなこと」
「……押し入れの中に、俺たちの名前が書かれたお札が貼ってあったんだ。大昔に貼られたみたいな、そんな古びた真っ黄色の札が」
「札?」
風雨に晒されたって数年でそこまで劣化しないだろう。まして、弟である自分が生まれたのはあの家に引っ越す数年前のことだ。それ以降に貼られたのだと考えると、劣化具合のせいで謎が深まる。どう見積もっても何十年も前から貼られていたかのように古びていたそうだ。
自分の名前の書かれた札が、例の御囃子が聞こえてくる押し入れの中にあった物だと思うと気味が悪かった。恐怖よりも先に不快感に襲われた。どんな理由があろうと、そこはかとない悪意を感じたからだ。
自分の名前の書かれた札が、例の御囃子が聞こえてくる押し入れの中にあった物だと思うと気味が悪かった。恐怖よりも先に不快感に襲われた。どんな理由があろうと、そこはかとない悪意を感じたからだ。
「俺たちの名前、だれが書いたんだよ」
「……」
「どうした?」
「だから、戻るべきじゃなかったんだ。たとえあの家が今でも残っていようが、取り壊されていようが、そのどちらであったとしても」
「……」
「どうした?」
「だから、戻るべきじゃなかったんだ。たとえあの家が今でも残っていようが、取り壊されていようが、そのどちらであったとしても」
弟は、砂糖もミルクも入っていないコーヒーを飲み干す。その手は、二人で布団の中で手を取り合って眠ったときと同じくカタカタと震えていた。
「お前、一人で家に戻ったのか……? いつ?」
「でも、俺は見ちゃったんだ。押し入れの中の物、見ちゃったから。本当は子どもの頃から分かってたんだ。分かってたけど誰にも言えなかった……」
「でも、俺は見ちゃったんだ。押し入れの中の物、見ちゃったから。本当は子どもの頃から分かってたんだ。分かってたけど誰にも言えなかった……」
彼はもはや僕の話を聞いていない。
知っていて知らないふりをした。それが自分たちを守るためなのだと思ったから。僕だってそうだ。弟からもたらされる真実によっては、先ほどの電話の内容を打ち明けるつもりはなかった。
喫茶店に来る前、僕は家のことをどうしても諦めきれなくて父の親戚に連絡をしていた。少しでもあの頃のことを知っておきたかった。
知っていて知らないふりをした。それが自分たちを守るためなのだと思ったから。僕だってそうだ。弟からもたらされる真実によっては、先ほどの電話の内容を打ち明けるつもりはなかった。
喫茶店に来る前、僕は家のことをどうしても諦めきれなくて父の親戚に連絡をしていた。少しでもあの頃のことを知っておきたかった。
両親が亡くなってから会う機会はなくなっていたものの、久しぶりに連絡をしてもよそよそしさは感じなかった。
「家をくれたおじさんって、父さんの親戚じゃなかったっけ」
『違ぇよ。静代さんの遠縁の……静代さんがあの家欲しがって。いいからやめとけってみーんな言うのに半ば強引に譲ってもらって住むことにしたって。ケンちゃん知らんかった?』
「知らんよ。知らん、何も……」
『違ぇよ。静代さんの遠縁の……静代さんがあの家欲しがって。いいからやめとけってみーんな言うのに半ば強引に譲ってもらって住むことにしたって。ケンちゃん知らんかった?』
「知らんよ。知らん、何も……」
やめておけと親戚一同から止められた理由について尋ねると、相手はやや口ごもってから「もう時効か」とため息をついた。
『これでみんなずっと一緒にいられる。静代さん、そう言って喜んでたんだよ。家族水入らずで暮らせる家が欲しかったんじゃないか』
「あの?」
『土地がよくないって言えば分かるか。まあ、そんなところどこにでもあるだろ。お前ら二人はもう外に出られたんだから気にすんな』
「あの?」
『土地がよくないって言えば分かるか。まあ、そんなところどこにでもあるだろ。お前ら二人はもう外に出られたんだから気にすんな』
それでは、逃げ遅れた両親が死ぬことは初めから決まっていたと。そう言いたげな口調だった。訳が分からなかった。
先ほどの電話を思い返しつつ、目の前の弟に向き直ると、彼は可哀想になるほどに顔色を失くしていた。
「なあ、大人になってから一人で行ったんだろ? 何を見たんだよ」
「……兄ちゃん。見るな。見たら父さんみたいになる……父さんも俺も受け入れられなかった」
「いいから見せろって。大丈夫だから」
「……兄ちゃん。見るな。見たら父さんみたいになる……父さんも俺も受け入れられなかった」
「いいから見せろって。大丈夫だから」
抵抗する弟の手を無理やりに抉じ開けて引きずり出す。
紙切れには、見覚えのある美しい字体で僕と弟の名前が記されていた。