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10-17

ー/ー



 日向の腕の中で横たわる和泉を目にした時、僕は膝から崩れ落ちた。全身が震えて叫び声も上げる気になれない。兎に角、絶望という二文字だけが僕の中を支配した。
 ライトの明かりに照らされた彼女の顔は真っ白で、僕は堪らず日向から奪い去るように彼女を抱き締めた。ぐったりした身体からは、鼓動も吐息も感じない。

「おい、安芸! 和泉が使った心体増強(モジュレーション)は何度だ!?」
「……」
「ッ答えろ! 安芸!!」

 日向の怒鳴り声に、僕は消えそうな声で「(ちょう)3度だ」と答えた。
 瞬間、彼は僕から和泉を引き剥がし、胸ぐらを掴んで睨みつけた。

「テメ、何で止めなかったんだよ!?」
「僕だって……。僕だって止めたかったに決まってるだろッ!? 僕が彼女の行動を許したとでも!?」

 激しい口論を裂いたのは、豪快に崩れ落ちる瓦礫の音だった。和泉が封印したと思われる商の小玉の頭上から広がるように、この洞窟全体が崩壊しようとしていた。
 今は喧嘩などしている場合じゃない。早くここから脱出しなければ。僕は日向と目を見合わせて頷くと和泉を彼に託し、比較的動ける僕が小玉を回収しつつ、近江の元へと向かった。

 近江の意識はまだ戻ってなかったけど、彼の呼吸と鼓動は確認できた。近江の体を起こすべく、彼の右腕を肩に回して立ち上がる。でも細身の和泉と違って筋肉バカの近江は重く、僕の力では立つだけで一苦労だった。
 すると急に、その近江の体が軽くなった。気づけば反対側を誰かが支えている。長身でオレンジのメッシュが入った金髪を持つその男は、渋い顔をして僕を見ていた。

「貴方は……」
「説明は後だ。早く脱出しねぇと、マジでオダブツだっけさ」

 多分知っているだろう金髪男の言葉に従って、彼と共に近江を担いで走った。

 長い坑道を僕と近江と金髪男、そして和泉を抱いた日向が続いて進む。落ちてくる瓦礫は僕のレイピアと金髪男の槍で凌いだ。気持ちばかりが逸り、何も考えられずただひたすら走った。早くしないと和泉の命が間に合わない。

 日向の言うとおり、あの時僕がきちんと彼女を止められていたら。
 それ以前に僕が悪魔になりきって、彼女の意識を落としていれば。

 そんな後悔ばかりに囚われて気が狂いそうだった。僕は自らの誓いを、自らの手で手放したんだ。僕にとって和泉は、僕の全てなのに。

 苦戦しながらも、何とか僕たちは金剛玄洞を脱出することに成功した。外は日が暮れ始めていて、朱色の陽射しが僕たちを包み込む。でも、そんな光景に感動している余裕は1ミリもない。
 近江を金髪男に任せ、僕は早急に和泉の元へ向かった。既に日向が汗だくで心肺蘇生を試みており、何度も和泉の名前を呼んでいる。僕も彼女の右手を握りしめ、必死に名前を呼び続けた。

「和泉……、和泉! 頼む、戻ってこい和泉!!」
「お願いだ和泉、目を覚ましてくれ!!」

 どうして。どうして僕たちが無事で、君が命を落とすんだ。
 そんな馬鹿な話があるか。誰よりも皆で帰りたいと願っていた君だろう……?

「帰るんだろ、和泉ッ!? 皆で、一緒にッ!!」

 声が裏返る。自分がこんな情けない声を出せるなんて知らなかった。
 和泉の輝くような笑顔と共に、君の美しいヴァイオリンの音色を思い出す。これが終わったら、また一緒に演奏できると思っていた。折角、ルミナス・カルテットの再演だって――。

 『ルミナス・カルテット』――その単語に僕は弾かれるように顔を上げた。
 咄嗟にポケットへ手を伸ばし、自分のスマホを取り出す。そして震える手で操作し、とある画面を選ぶ。

 緊迫した空気とはほど遠い、優雅な曲が辺りを包み込んだ。
 パッヘルベルの名曲『カノン』。これはもちろん、僕たちが心を込めて演奏したもの。

 ――頼む、届け。
 届いてくれ……、和泉――!




 辺りは暗闇に包まれて何も見えなかった。自分がどこにいるかも分からない。ただ深い漆黒がどこまでもどこまでも続いている。
 呆然としながらその闇を見つめていて、唐突に気がついた。そうか、自分は死んだんだ……と。

 心体増強(モジュレーション)の長3度が命の危険に関わることは、もちろん分かっていた。でも散々皆に〝使わないで〟と願った私がそれを使うなんて、明らかに彼らに対する裏切りだ。そんな私が彼らの総長である権利があるだろうか。彼らに守られる資格があるだろうか。
 中途半端は許されない。だから私は長3度を選んだんだ。命を削ってでも確実に商を倒せるように。元々戦闘力の低い私は、短3度でも補えなかっただろうから。

 まさか本当に死んじゃうとは思わなかったけど、音を取り返したいとワガママを言って、大切な仲間を地獄に導いたのは私だ。その責任は取らなければならない。――皆が無事なら、それで、いい。

〝絶対に、皆で一緒に帰ろうね〟

 あの願いは、もちろん本心だったけれど……。
 急に罪悪感に苛まれて、私は暗闇で一人膝を抱えた。それでももう、願いは叶わない。

 ごめんなさい。安芸君、近江君。……そして、日向君。
 ありがとう、私を信じてくれて。皆、さような――。

『本当に、こんなところで死ぬのですか?』

 どこからかそんな声が聞こえて私は顔を上げた。でもやっぱり辺りは暗闇で、自分以外の誰かを確認はできなかった。
 空耳……? と首を傾げると、再びその声は響いた。

『本当に、その願いを諦めて良いのですか?』
「……誰?」

 得体の知れない恐怖に、私は恐る恐る声を上げる。

『私のことはいいのです。それより耳を澄ましなさい、和泉。聞こえませんか? 貴女を呼ぶ声が』
「声……?」

 まだ誰か分からないその声に従って、私は耳を澄ました。最初は何も聞こえないと思ったけど、暫くすると暗闇の先から確かに何かを叫ぶ声が聞こえた。
 籠もっていて何を言っているのかよく分からない。私は視界を閉ざして、更に聴覚に意識を集中した。

 聞き馴染みのある、優雅に流れる音楽。
 その中に混ざる人の声。

〝和泉……、和泉! 頼む、戻ってこい和泉!!〟
〝お願いだ和泉、目を覚ましてくれ!!〟

 その声が誰のものかなんて、考えなくともすぐに分かった。
 日向君と安芸君だ。そして流れているのは、私たちが演奏した『カノン』。

 彼らはまだ私の願いを諦めていないのだ。そう思った途端、胸の底が熱くなるのを感じた。



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 日向の腕の中で横たわる和泉を目にした時、僕は膝から崩れ落ちた。全身が震えて叫び声も上げる気になれない。兎に角、絶望という二文字だけが僕の中を支配した。
 ライトの明かりに照らされた彼女の顔は真っ白で、僕は堪らず日向から奪い去るように彼女を抱き締めた。ぐったりした身体からは、鼓動も吐息も感じない。
「おい、安芸! 和泉が使った|心体増強《モジュレーション》は何度だ!?」
「……」
「ッ答えろ! 安芸!!」
 日向の怒鳴り声に、僕は消えそうな声で「|長《ちょう》3度だ」と答えた。
 瞬間、彼は僕から和泉を引き剥がし、胸ぐらを掴んで睨みつけた。
「テメ、何で止めなかったんだよ!?」
「僕だって……。僕だって止めたかったに決まってるだろッ!? 僕が彼女の行動を許したとでも!?」
 激しい口論を裂いたのは、豪快に崩れ落ちる瓦礫の音だった。和泉が封印したと思われる商の小玉の頭上から広がるように、この洞窟全体が崩壊しようとしていた。
 今は喧嘩などしている場合じゃない。早くここから脱出しなければ。僕は日向と目を見合わせて頷くと和泉を彼に託し、比較的動ける僕が小玉を回収しつつ、近江の元へと向かった。
 近江の意識はまだ戻ってなかったけど、彼の呼吸と鼓動は確認できた。近江の体を起こすべく、彼の右腕を肩に回して立ち上がる。でも細身の和泉と違って筋肉バカの近江は重く、僕の力では立つだけで一苦労だった。
 すると急に、その近江の体が軽くなった。気づけば反対側を誰かが支えている。長身でオレンジのメッシュが入った金髪を持つその男は、渋い顔をして僕を見ていた。
「貴方は……」
「説明は後だ。早く脱出しねぇと、マジでオダブツだっけさ」
 多分知っているだろう金髪男の言葉に従って、彼と共に近江を担いで走った。
 長い坑道を僕と近江と金髪男、そして和泉を抱いた日向が続いて進む。落ちてくる瓦礫は僕のレイピアと金髪男の槍で凌いだ。気持ちばかりが逸り、何も考えられずただひたすら走った。早くしないと和泉の命が間に合わない。
 日向の言うとおり、あの時僕がきちんと彼女を止められていたら。
 それ以前に僕が悪魔になりきって、彼女の意識を落としていれば。
 そんな後悔ばかりに囚われて気が狂いそうだった。僕は自らの誓いを、自らの手で手放したんだ。僕にとって和泉は、僕の全てなのに。
 苦戦しながらも、何とか僕たちは金剛玄洞を脱出することに成功した。外は日が暮れ始めていて、朱色の陽射しが僕たちを包み込む。でも、そんな光景に感動している余裕は1ミリもない。
 近江を金髪男に任せ、僕は早急に和泉の元へ向かった。既に日向が汗だくで心肺蘇生を試みており、何度も和泉の名前を呼んでいる。僕も彼女の右手を握りしめ、必死に名前を呼び続けた。
「和泉……、和泉! 頼む、戻ってこい和泉!!」
「お願いだ和泉、目を覚ましてくれ!!」
 どうして。どうして僕たちが無事で、君が命を落とすんだ。
 そんな馬鹿な話があるか。誰よりも皆で帰りたいと願っていた君だろう……?
「帰るんだろ、和泉ッ!? 皆で、一緒にッ!!」
 声が裏返る。自分がこんな情けない声を出せるなんて知らなかった。
 和泉の輝くような笑顔と共に、君の美しいヴァイオリンの音色を思い出す。これが終わったら、また一緒に演奏できると思っていた。折角、ルミナス・カルテットの再演だって――。
 『ルミナス・カルテット』――その単語に僕は弾かれるように顔を上げた。
 咄嗟にポケットへ手を伸ばし、自分のスマホを取り出す。そして震える手で操作し、とある画面を選ぶ。
 緊迫した空気とはほど遠い、優雅な曲が辺りを包み込んだ。
 パッヘルベルの名曲『カノン』。これはもちろん、僕たちが心を込めて演奏したもの。
 ――頼む、届け。
 届いてくれ……、和泉――!
 辺りは暗闇に包まれて何も見えなかった。自分がどこにいるかも分からない。ただ深い漆黒がどこまでもどこまでも続いている。
 呆然としながらその闇を見つめていて、唐突に気がついた。そうか、自分は死んだんだ……と。
 |心体増強《モジュレーション》の長3度が命の危険に関わることは、もちろん分かっていた。でも散々皆に〝使わないで〟と願った私がそれを使うなんて、明らかに彼らに対する裏切りだ。そんな私が彼らの総長である権利があるだろうか。彼らに守られる資格があるだろうか。
 中途半端は許されない。だから私は長3度を選んだんだ。命を削ってでも確実に商を倒せるように。元々戦闘力の低い私は、短3度でも補えなかっただろうから。
 まさか本当に死んじゃうとは思わなかったけど、音を取り返したいとワガママを言って、大切な仲間を地獄に導いたのは私だ。その責任は取らなければならない。――皆が無事なら、それで、いい。
〝絶対に、皆で一緒に帰ろうね〟
 あの願いは、もちろん本心だったけれど……。
 急に罪悪感に苛まれて、私は暗闇で一人膝を抱えた。それでももう、願いは叶わない。
 ごめんなさい。安芸君、近江君。……そして、日向君。
 ありがとう、私を信じてくれて。皆、さような――。
『本当に、こんなところで死ぬのですか?』
 どこからかそんな声が聞こえて私は顔を上げた。でもやっぱり辺りは暗闇で、自分以外の誰かを確認はできなかった。
 空耳……? と首を傾げると、再びその声は響いた。
『本当に、その願いを諦めて良いのですか?』
「……誰?」
 得体の知れない恐怖に、私は恐る恐る声を上げる。
『私のことはいいのです。それより耳を澄ましなさい、和泉。聞こえませんか? 貴女を呼ぶ声が』
「声……?」
 まだ誰か分からないその声に従って、私は耳を澄ました。最初は何も聞こえないと思ったけど、暫くすると暗闇の先から確かに何かを叫ぶ声が聞こえた。
 籠もっていて何を言っているのかよく分からない。私は視界を閉ざして、更に聴覚に意識を集中した。
 聞き馴染みのある、優雅に流れる音楽。
 その中に混ざる人の声。
〝和泉……、和泉! 頼む、戻ってこい和泉!!〟
〝お願いだ和泉、目を覚ましてくれ!!〟
 その声が誰のものかなんて、考えなくともすぐに分かった。
 日向君と安芸君だ。そして流れているのは、私たちが演奏した『カノン』。
 彼らはまだ私の願いを諦めていないのだ。そう思った途端、胸の底が熱くなるのを感じた。