目の前の光景に、夢でも見ているようで己の目を疑った。
あのヤロ、商……! テメェはどこまで変化すりゃ気が済むんだよ!?
「グガゴォオオオ……」
商の体は、先ほどまでの2倍以上に膨れ上がっていた。それも切断された四肢から、筋肉が盛り上がるような形で。
団子状の体に元の頭だけがポッコリと突き出ており、引き裂かれた口から長い舌が伸びていた。その舌の先を目で追うと、先っぽが腕のような形状になっていて、手に囚われていたのは姿が消えたと思った越後だった。
「ぐぅ……!」
完全に首を絞められた状態で、岩壁に叩きつけられた越後は身動きを封じられていた。槍は捕獲の衝撃で落としたのだろう。
心体増強の効果はまだ切れていないのに、越後がどんなに腕に力を込めても商の指は1ミリも動こうとはしなかった。
近くにいた近江が懸命に立ち上がろうとしたが、俺たちの体からはついに金のオーラが失われ、アイツは胸を押さえて苦しそうに前へ突っ伏した。同じく俺も
心体増強の反動で心臓が大きく脈を打ち、息苦しさが倍増する。
マズい、俺も落ちちまう。
だが、このままじゃ越後も……!
「こ、ん、のヤロォオオ――――ッ!」
残された力全てを込め、俺は握っていた剣をぶん投げた。
弧を画いて商の体に向かった剣は、奴のゴムボールのような胴体にめり込み、呆気なく弾き返される。
もう、ダメか……。
朦朧とする意識に、俺はついに仰向けで冷たい岩の上に転がった。
刹那、何かが弾ける音を聞いた。視線の先で長い何かが突き刺さった場所から、大きな固まりがまとまって落下する。あれは……、俺のロングソード?
洞穴を構成していた岩の支点に偶然突き刺さった剣が、天井の崩落を招いた。
運良く商の頭上から崩れ落ちた瓦礫が、奴の体に容赦なく降り注ぐ。岩壁が崩壊したことで環境が変わり、音の反響が改善した空間に地響きと爆発音が響き渡る。
「グギャァアアアアア……ッ!」
巻き上がる砂埃の中に消える巨体の影を目にし、顔に落ちてくる岩屑を感じつつ、俺は静かに目を閉じた。
ガラガラと瓦礫が崩れる音に目を覚ます。生き埋めは免れたようだが、体を動かす気力はない。胸の中心の鼓動は弱く、己の灯がそんなに長く持たないことを悟る。
それでも商の動きを封じられたことに、俺は安堵すら感じていた。アイツらが無事ならそれでいい。あの二人なら、きっと上手くやっていけるだろう。なぁ、安芸。……なぁ? 和泉。
決して死ぬつもりはなかったんだがな。
お前に必要なのは俺じゃない。だから俺の役目はここで終わっても問題ない。
松明の全てを失ったせいか内部は暗闇に包まれていた。それなのに一点がやたらと目映い光に包まれていて、入り口付近は明るく照らされている。
唯一動く視線だけを移動させると、その光で浮かび上がった影に気づいた。それは瓦礫に埋もれたはずの膨れ上がった巨体。瞬間、背筋へ一気に感じるはずのない寒気が走る。
おいおいおい、ふざけんな。何でアイツまだ立ってんだよ!?
不思議と思考ははっきりとしていて、頭の中で俺は絶叫した。
――でも、それよりもっと俺を驚かせたのは、奴を照らす光の正体だ。
何でだよ。何で戻ってきやがったんだッ!?
……和泉!!
彼女を包み込んでいた光。それは紛れもなく
心体増強発動の際に体から発する、黄金のオーラだ。安芸が連れ出したはずの和泉が、それを使った状態でここにいる。
馬鹿、早く逃げろ! そう叫びたいのに声は出ない。一体何がどうなってやがる!?
俺の焦りとは裏腹に、いつもの穏やかな表情と違って鋭い目つきで商を見上げた和泉は、少し悲しそうな表情を浮べて口を開いた。
「苦しいんだね、商」
和泉の問いに、商はただ呻き声を上げた。確かに奴は突っ立ってはいるものの、動こうとはしない。崩落には堪えたが、力尽きたのか? 砂埃が残っているせいで奴の表情は見えない。
「グルゥウウウ……」
「……うん、分かった。いま楽にしてあげる」
まるで奴と会話するようにそう告げた和泉は、弓を片手に真っ直ぐと、目を見張る速さで商に突進する。
金のオーラが輝きを増し、羽が生えたように彼女は高く舞い上がった。真っ向から弓を構える和泉。それでも商は微動だにしない。
和泉のオーラが、商へ向けられた矢の先に集中し始め、太陽を閉じ込めたような光を放つ。
彼女の封印の力が矢の先に溜まっていく。
「
終幕の封じ矢――――ッ!!」
呪文と共に弾かれた矢は商の眉間に命中し、光だけが後頭部を貫通して地に突き刺さる。途端、彼女がまとっていたような金の光が商を包み込み、奴の巨体が徐々に縮小し始めた。
音の小玉となって消える直前、俺は奴の「ありがとう」という安らかな声を聞いた気がした。
全ての光が失われ、暗闇に彼女の呻き声が響く。
光が失われた意味を俺はよく知っている。全ての力を矢に込めたことで、通常よりも早くその効果が切れたのだろう。
闇の中に微かに、急降下する小柄な影を目にする。
待てよ、そのまま落ちたらお前は……!
そう思った瞬間、失いかけていた鼓動がドクンと脈打ち、全身に血液が巡る熱を感じた。動かなかったはずの体が起き上がり、無我夢中で走り出す。ただ頭の中に浮かぶのは、優しく微笑みながら俺の名を呼ぶアイツの姿だけ。
記憶が戻った時から、お前だけは失いたくないと、そう誓ってここまで来た。それはこれからだって変わらない。俺の力の源は音じゃなく、お前の存在だから。
ほら、見ろよ。お前を想えば
心体増強なんかなくたって俺は何倍でも強くなれる。
――そうだ。お前に俺が必要でなくても、俺にはお前が必要なんだ。
だからどうか俺の前から、消えてなくならないでくれ!
気づくと腕の中には、力なく瞳を閉じた和泉が収っていた。負傷した様子はどこにも見当らず、ホッと肩を撫で下ろす。だが安心したのも束の間、彼女は息をしていなかった。
全身に帯びていた熱が一気に冷める。どんなに体を揺さぶっても、和泉は目を覚まそうとしない。
「和泉……。おい、和泉! 和泉ッ!!」
必死に呼びかける俺の周囲では、俺が崩した天井の影響を受け、徐々に全体が崩壊し始めていた。
そしてそこへ、和泉を追いかけてきた安芸がようやく到着するのである。