10-13
ー/ー
脇腹から頬にかけて、じんわりとした温もりを感じる。
これはあの人のものだろうか。人の温かさって、どうしてこんなに穏やかな気持ちになるのかな。〝彼〟が握ってくれていた右手にも、まだ彼の温かさが残っている。
〝……やっぱ、――――――だな〟
あぁ。彼はあの時、何て言ったのかな。
……そういえば、彼の言葉ならもうひとつ聞き逃したことがある。あれは私が彼のチェロが好きだと言った時のこと。彼は真っ直ぐに私を見つめて「俺は……」と紡いだ。その先を私はまだ聞けていない。あの時貴方は、何を言おうとしていたの?
もっと貴方と話したい。
もっと貴方のことが知りたい。
頭に広がっていた靄が徐々に晴れ始め、深呼吸をするように大きく息を吸った。
刹那、驚いて目を見開いた。
――違う。
……香りが、違う。
〝彼〟じゃない。
「はぁあああっ!!」
普段は温厚なアルトの雄叫びが鼓膜を震わせ、私の意識は完全に覚醒した。微睡みの中で感じていた緩やかな静寂はそこになく、薄暗い洞窟の中で剣のぶつかり合う金属音が響き渡っている。私を支える誰かが動き回るたび、振動が背中に伝わって鈍い痛みが走った。
そうだ、ここはメストのアジト『金剛玄洞』。私は日向君と乗り込み、敵将である暗里との交渉に敗れ、凶暴な化け物へと変貌した商と交戦している最中だった。そして背中を負傷し、安芸君に連れ出された。
……日向君と、近江君をあの場に残して。
「ッ、安芸君!」
「オォオオオオオ……ッ!」
なんてことだ。私は安芸君に抱えられた後、気絶してしまったらしい。まだ洞窟内ってことは、時間はそんなに経っていないだろうけど、変わらず近くにあの二人の姿は見当らなかった。
安芸君は私を、米俵を運ぶような体勢の『ファイヤーマンズキャリー』で担ぎ、空いた片手にレイピアを携えて敵と交戦していた。彼の華奢な体からは想像もできない姿だ。そして行く手を阻もうと襲い来るメストの手下たちを、聞いたこともない唸り声を上げ討伐していく。正しく、ガムシャラに。
分かってる。彼は総長である私を助けるため、日向君と近江君を犠牲にして、ここから脱出しようとしているんだ。
でも安芸君の発狂するような様子から察するに、恐らく彼は二人の選択に納得していないのだろう。彼だって本当は二人のことが心配に決まってる。自分だって一緒に戦いたいと思っていることも。
普段は穏やかで優しい彼が、心を鬼にして私を連れ出していることも。
それに気づいた途端、頬を涙が伝っていた。でもこれは背中に走る痛みのせいなんかじゃない。心のほうが何十倍も痛いよ、安芸君。私のために辛い役を引き受けてくれたんだね。
……でも、だったら尚更。
「安芸君。戻ろう、二人のところに」
担がれたまま声をかけるけど、聞こえているのかいないのか、安芸君は反応を示してくれなかった。向かってくる敵を貫いては、目を見張るような素早い身のこなしで駆け抜ける。戦いながら、最小限の動きで制圧できるよう、瞬時に判断して動いているようだ。流石は戦略家の安芸君。
でも私も引くわけにいかない。私のために二人を失うなんて、絶対に嫌だ。戦闘中の安芸君の邪魔にならないよう、体は動かさずに声だけで訴え続けた。
「お願い、安芸く――」
私の声を遮ったのは、来た道の先から響き渡った爆発音だった。それは地響きとなって洞窟全体が大きく揺れ、安芸君も思わず動きを止めて振り返る。パラパラと天井から岩の欠片がこぼれ落ちた。
一気に体中から血の気が引いた。あの音はきっと二人がいる大洞穴からだ。そう感じると安芸君だって必死に戦っているのに、私の頭の中は〝彼〟の姿でいっぱいになってしまった。失うかもしれないと思えば思うほど、胸が張り裂けそうになる。
彼に会った時から、私はどこか懐かしさを感じていた。〝香り〟だってそうだ。私にとって彼はきっと特別な人。
彼を――日向君を失いたくない。だから取り返しがつかなくなる前に、早く助けに行かなくちゃ!
「安芸君、離して! 二人のところに……、日向君のところに行かせて!」
「ッ、ダメだ! 僕は誓っただろう、君だけは絶対に守るって!」
ようやく安芸君は返事をしてくれたけど、顔を向けてはくれなかった。それどころか私が離れないように、小脇に抱えた足をしっかりと抱き直す。
すると彼は何も悪くないのに、私の中に嫌悪感が膨れ上がった。心臓が飛び出そうなほど脈を打ち、強烈な熱が脳天からつま先まで駆け巡る。
どうして行かせてくれないの!? 私が弱いから? こんな時、私はいつも何もできない。無力でちっぽけで頼りなくて、肝心な時に総長らしくいられない。
「ねぇお願い、離して安芸君! 離してよ……!」
安芸君はまた、私に構わず爆発音とは逆の方向へ走り出す。それがもどかしく、私は奥歯を噛みしめた。
私がもっと強ければ……。前世の私のようにもっと強く、もっと気高く、威厳を持って。
そうだ、弱いなら強くなればいい。私にもその〝術〟はある。日向君が私のために命を賭けるというなら、私だって貴方のために命を賭けるよ。
待ってて……、今すぐ行くから。
「――心体増強」
耳元で私の声を聞いた安芸君の肩が震え、私のほうへ振り返る。
ごめん……ごめんね、安芸君。散々貴方の優しさに甘えておいて、こんなところで裏切るなんて。
「和泉、やめ……」
「長3度」
その文言を口にした瞬間。
血管がはち切れんばかりに浮き上がり、全身が心臓となったような感覚が走る。燃えるように熱く呼吸も乱れるけれど、言いようのない力がみなぎってきて、まるで自分の体じゃなくなるみたいだ。
頭の片隅で、命の危機を知らせる警鐘が響いた。でも、後悔はしない。
「ッ……、和泉!」
悲鳴に近い声を上げて引き留める安芸君の手をすり抜け、私は来た道を全速力で引き返した。体から発する金の光が残像となり、私の後ろに帯状となって続き、消えていく。
僅か数秒の間で長い坑道を駆け抜け、あっという間に大洞穴へ舞い戻った私は、高く飛び上がって着地した。
崩落した天井の一部から、瓦礫の欠片がパラパラとこぼれ落ちる。
舞い上がる砂埃が引くにつれ浮かび上がった影は、より肥大した姿で私の前に立ち塞がった。
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脇腹から頬にかけて、じんわりとした温もりを感じる。
これはあの人のものだろうか。人の温かさって、どうしてこんなに穏やかな気持ちになるのかな。〝彼〟が握ってくれていた右手にも、まだ彼の温かさが残っている。
〝……やっぱ、――――――だな〟
あぁ。彼はあの時、何て言ったのかな。
……そういえば、彼の言葉ならもうひとつ聞き逃したことがある。あれは私が彼のチェロが好きだと言った時のこと。彼は真っ直ぐに私を見つめて「俺は……」と紡いだ。その先を私はまだ聞けていない。あの時貴方は、何を言おうとしていたの?
もっと貴方と話したい。
もっと貴方のことが知りたい。
頭に広がっていた靄が徐々に晴れ始め、深呼吸をするように大きく息を吸った。
刹那、驚いて目を見開いた。
――違う。
……香りが、違う。
〝彼〟じゃない。
「はぁあああっ!!」
普段は温厚なアルトの雄叫びが鼓膜を震わせ、私の意識は完全に覚醒した。微睡みの中で感じていた緩やかな静寂はそこになく、薄暗い洞窟の中で剣のぶつかり合う金属音が響き渡っている。私を支える誰かが動き回るたび、振動が背中に伝わって鈍い痛みが走った。
そうだ、ここはメストのアジト『金剛玄洞』。私は日向君と乗り込み、敵将である暗里との交渉に敗れ、凶暴な化け物へと変貌した商と交戦している最中だった。そして背中を負傷し、安芸君に連れ出された。
……日向君と、近江君をあの場に残して。
「ッ、安芸君!」
「オォオオオオオ……ッ!」
なんてことだ。私は安芸君に抱えられた後、気絶してしまったらしい。まだ洞窟内ってことは、時間はそんなに経っていないだろうけど、変わらず近くにあの二人の姿は見当らなかった。
安芸君は私を、米俵を運ぶような体勢の『ファイヤーマンズキャリー』で担ぎ、空いた片手にレイピアを携えて敵と交戦していた。彼の華奢な体からは想像もできない姿だ。そして行く手を阻もうと襲い来るメストの手下たちを、聞いたこともない唸り声を上げ討伐していく。正しく、ガムシャラに。
分かってる。彼は総長である私を助けるため、日向君と近江君を犠牲にして、ここから脱出しようとしているんだ。
でも安芸君の発狂するような様子から察するに、恐らく彼は二人の選択に納得していないのだろう。彼だって本当は二人のことが心配に決まってる。自分だって一緒に戦いたいと思っていることも。
普段は穏やかで優しい彼が、心を鬼にして私を連れ出していることも。
それに気づいた途端、頬を涙が伝っていた。でもこれは背中に走る痛みのせいなんかじゃない。心のほうが何十倍も痛いよ、安芸君。私のために辛い役を引き受けてくれたんだね。
……でも、だったら尚更。
「安芸君。戻ろう、二人のところに」
担がれたまま声をかけるけど、聞こえているのかいないのか、安芸君は反応を示してくれなかった。向かってくる敵を貫いては、目を見張るような素早い身のこなしで駆け抜ける。戦いながら、最小限の動きで制圧できるよう、瞬時に判断して動いているようだ。流石は戦略家の安芸君。
でも私も引くわけにいかない。私のために二人を失うなんて、絶対に嫌だ。戦闘中の安芸君の邪魔にならないよう、体は動かさずに声だけで訴え続けた。
「お願い、安芸く――」
私の声を遮ったのは、来た道の先から響き渡った爆発音だった。それは地響きとなって洞窟全体が大きく揺れ、安芸君も思わず動きを止めて振り返る。パラパラと天井から岩の欠片がこぼれ落ちた。
一気に体中から血の気が引いた。あの音はきっと二人がいる大洞穴からだ。そう感じると安芸君だって必死に戦っているのに、私の頭の中は〝彼〟の姿でいっぱいになってしまった。失うかもしれないと思えば思うほど、胸が張り裂けそうになる。
彼に会った時から、私はどこか懐かしさを感じていた。〝香り〟だってそうだ。私にとって彼はきっと特別な人。
彼を――日向君を失いたくない。だから取り返しがつかなくなる前に、早く助けに行かなくちゃ!
「安芸君、離して! 二人のところに……、日向君のところに行かせて!」
「ッ、ダメだ! 僕は誓っただろう、君だけは絶対に守るって!」
ようやく安芸君は返事をしてくれたけど、顔を向けてはくれなかった。それどころか私が離れないように、小脇に抱えた足をしっかりと抱き直す。
すると彼は何も悪くないのに、私の中に嫌悪感が膨れ上がった。心臓が飛び出そうなほど脈を打ち、強烈な熱が脳天からつま先まで駆け巡る。
どうして行かせてくれないの!? 私が弱いから? こんな時、私はいつも何もできない。無力でちっぽけで頼りなくて、肝心な時に総長らしくいられない。
「ねぇお願い、離して安芸君! 離してよ……!」
安芸君はまた、私に構わず爆発音とは逆の方向へ走り出す。それがもどかしく、私は奥歯を噛みしめた。
私がもっと強ければ……。前世の私のようにもっと強く、もっと気高く、威厳を持って。
そうだ、弱いなら強くなればいい。私にもその〝|術《すべ》〟はある。日向君が私のために命を賭けるというなら、私だって貴方のために命を賭けるよ。
待ってて……、今すぐ行くから。
「――|心体増強《モジュレーション》」
耳元で私の声を聞いた安芸君の肩が震え、私のほうへ振り返る。
ごめん……ごめんね、安芸君。散々貴方の優しさに甘えておいて、こんなところで裏切るなんて。
「和泉、やめ……」
「|長《ちょう》3度」
その文言を口にした瞬間。
血管がはち切れんばかりに浮き上がり、全身が心臓となったような感覚が走る。燃えるように熱く呼吸も乱れるけれど、言いようのない力がみなぎってきて、まるで自分の体じゃなくなるみたいだ。
頭の片隅で、命の危機を知らせる警鐘が響いた。でも、後悔はしない。
「ッ……、和泉!」
悲鳴に近い声を上げて引き留める安芸君の手をすり抜け、私は来た道を全速力で引き返した。体から発する金の光が残像となり、私の後ろに帯状となって続き、消えていく。
僅か数秒の間で長い坑道を駆け抜け、あっという間に大洞穴へ舞い戻った私は、高く飛び上がって着地した。
崩落した天井の一部から、瓦礫の欠片がパラパラとこぼれ落ちる。
舞い上がる砂埃が引くにつれ浮かび上がった影は、より肥大した姿で私の前に立ち塞がった。