呆気なく弾き返された自分の矢が、洞窟のどこかで落下する鈍い音を聞いた。
商に矢を阻まれたのは二度目。でも今回は、確かに彼自身へ届いたはず。
……なのに、どうして?
「ギャァッ! ッシャァアアア……!」
考える暇もなく、私の視線が商の蛇の眼光と合致する。えもいわれぬ恐怖で、全身に寒気が走った。
滴る涎を振りまきながら、商は上半身をユラユラと揺さぶると、巨体とは思えないスピードで私に向かって突進を始めたのだ。
途端、それまで周囲に群がっていたメストの手下たちが、我先にと一斉に散った。
私もその中に混じって、足場の悪い地面を必死に駆ける。
「キシャァアアッ!」
「和泉ィイ――――!!」
狂ったように
私を追う商を、血相を変えた日向君が猛追していた。高く飛び上がった彼は商の背に向かって、力一杯ロングソードを突き立てる。
その瞬間、商は追跡を中断し、日向君を振り落とすように暴れだした。
「ギギャッ、ギシャァアッ!!」
「ぐ……、ぬぅううっ」
「日向君ッ!」
歯を食いしばり、必死に堪える日向君。でも彼の刃は確かに商の鱗を貫いていた。
どうゆうこと、皮膚が硬いというわけではないの? それなら尚更、どうして私の矢は――。
身体を揺さぶるだけでは落とせないと判断したのか、商は己の背を鋭い爪で引っ掻き始める。剣にしがみつきながらも、懸命に避けていた日向君だったけれど、右手をすり抜けた直後に迫った左手の爪に服が引っかかってしまった。
剣を握りしめたまま宙に浮いた彼の身体は、ピンボールを弾いたように、数メートル先の岩壁に投げ飛ばされた。
「日向君……ッ!」
私の悲鳴と共に、爆音と瓦礫の崩れる音が洞窟内に広がって消えた。音の大きさに鼓膜がピリリと痛むけど、その割りに反響が残らないのだ。補聴器を外してから気づいたけど、ここは音が籠もって響きが悪いらしい。
でもそれより、巻き起こった砂埃のせいで、彼の姿を確認できないのが気になる。
「うぉおおお!」
「商様ぁ、いいぞーー!」
こちらの感情とは裏腹に、手下たちからは歓声が沸き上がった。
さっきまで逃げ惑っていたのは何処へやら。
「あとは女だ、引っ捕らえろ!」
「残りの仲間はどうした!? まだ見つからないのか!」
剣豪の日向君が姿を消したことで勢いづいたのか、強気な発言が彼らの間を飛び交った。その間に私は弓とランタンを握りしめて、日向君が吹き飛んだ先へと向かう。
商も日向君の行方を探している……、トドメを刺される前に急がなくては。
気づいた一人が、私を追うように指示をした。四方から襲いかかるメストに、体を回転させながらランタンの光で目を眩ます。
でも彼らとて同じ手は何度も食らわない。回転方向とは逆から振り落とされたメストの剣に、ランタンが叩き壊されてしまった。
「ッ……!」
「っしゃぁ! 諦めて大人しくしろ、嬢ちゃん」
息を飲み、咄嗟に弓を構える。でも標準が僅かに震えていた。連れていかれれば、私はどうなるか分からない。
怖じ気づいてる場合じゃないのに……、早く日向君を助けに行かなきゃ!
緊迫する中、怪しい笑みを浮べた手下たちを睨みつけた時だった。洞窟の入り口側から誰かの叫び声が微かに聞こえた。
「援軍要請、援軍要請! 国守護楽団の仲間を発見、直ちに現場へ急行せよ!」
ハッとして私と手下たちがその声に耳を傾ける。
仲間……、安芸君と近江君が見つかってしまったんだ。補聴器を外したままの右耳に、失った4音は今も届かない。それは音の奪還も間に合っていないことを示した。
何も目的が果たせないまま、皆殺されてしまう――。
そう思った瞬間に血の気が引いていくのを感じた。……全部、私のせいだ。
「何!? 場所はどこだ!」
「場所ですか。場所は――」
やたら声が近くなったと思ったら、手下の一人の背後に、彼らと同じ甲冑姿の人物が立っていた。そんなに近づいて報告する必要があるのだろうか。
でもなかなか先の言葉が続かず、不思議そうにその手下が顔を顰めた瞬間、何故か彼は苦しそうな呻き声を上げた。
よく見れば、その人物が握っていた剣が、彼の腹部に深々と突き刺さっている。
……メスト、じゃない?
「――君の目の前だよ、バーカ」
聞き覚えのある声と、腹部から引き抜かれた細い刀身が〝彼〟だと教えてくれた。
ゴトリと音を立てて脱ぎ捨てられた甲の下から、サラサラの黒いボブヘアが
靡く。その姿で張り詰めていた空気が一気に溶けた。
「君たちの汚い手で、彼女に触れるなッ!」
「安芸君……!」
勇ましい叫びと共に、私を包囲していたメストに斬りかかる安芸君。鋭いレイピアの切っ先が、鮮やかに高速で舞う。
一方、日向君を探し続けていた商のほうからも、彼の咆哮と別の人物の唸り声が聞こえてきた。
「おぉおおおおっ!」
「ギギャッ、ッシャァアアア……!」
言わずもがな、安芸君と同じくメストの鎧を身につけた近江君だ。どうやら二人は甲冑を装備することで、敵に紛れてここまで来てくれたようだ。安心している場合じゃないけど、無事の二人を目にしただけで心が奮い立った。
「ごめん、和泉。遅くなった」
あっという間に周囲を一掃してしまった安芸君が、鬱陶しそうに鎧を脱ぎながらそう言った。私は泣きそうになるのを必死に堪えながら、首を横に振る。
その間にも右後ろから飛びかかってきたメストを、安芸君は一刺しで撃退した。引き抜いたレイピアを不思議そうに眺めているのは、少し気になったけれど。
「ありがとう、安芸君。音、回収できなかったんだね。でもいいのっ、早くここから出ないと」
「え……? いや、僕たちはちゃんと――」
予想外にも否定しようとした安芸君の声を遮ったのは、商の狂ったような雄叫び声だった。
直後、日向君とは逆の方向で、けたたましい爆音と砂埃が再び舞い上がる。再び感じた耳の奥の痛みを気遣うことなく、その光景に私と安芸君は息を飲んだ。
「近江ッ!」
「ッシャ、シャギャッ! ギュイィイ……ッ!」
なんと、あの近江君まで商に弾き飛ばされてしまったのだ。日向君の無事も確認できていないのに!
驚くことに、商には日向君が背中に負わせた傷以外、1つの傷も見当らなかった。
近江君が一太刀も入れられないなんて、有り得ないことだった。