固い岩壁を突き破って現れた巨大生物。体長は約4メートルほどあり、蛇のような鱗で覆われた太く柔軟な身体だ。長い尻尾を持ち、手足は人間のものと似ているが胴体に合わせて太く、鋭い爪が生えている。
顔は蛇と人の顔面が融合したような中途半端なものであるが、目だけは蛇と同じく縦長の瞳孔で黄金に怪しく光り、長い舌と共に涎を垂らして俺たちを睨みつけた。
チッ……、とんでもねぇバケモンが出てきやがった。
反射的に縋ってきた和泉の肩を、無意識に抱く。
「やっと来たか、商。
徴の伝言は聞いたな? 理解できているかは知らぬが……お前の新たな力、存分に見せつけてやれ」
暗里の言葉の中に、聞き覚えのある名を見つけて戦慄した。
……商? あれが商、だと?
元の痩せ細った老人の姿どころか、人であったことすら疑われる容姿だ。安芸が奴の動向を懸念していたが、流石のアイツも予想できなかっただろう。……まさか改造されてるとはな。
「シャァアッ、ギギャァアア……!!」
「ぎゃぁあああッ!?」
変貌した商は敵味方の判別もなく、足元で動く者たちを踏み散らかしている。奴のことは手下にも公表されていなかったのか、中には混乱して逃げ惑う者の姿もあった。それでも主に従順な奴は俺を殺すべく、飴玉に群がるアリのように襲い掛かってくるから厄介だ。
剣を握り直し、和泉を守るように再び銀の刃を振りかざす。
畜生! 力が……、剣が重てぇ!
その裏で、暗里はこの様子を楽しそうに眺めて微笑み、宮と共に立ち去った。こんな状況じゃ追いかけることもできねぇ。あのヤロ、俺たちが死ねば
兵隊はどうなっても構わないってか!?
「グ……、グゥッ! ギャシャァアアッ!」
松明が揺らめく薄明かりの中を、手下をかき分けて迫り来る商。自尊心がまだ抗っているのか、時折苦しそうな呻き声を上げている。だからこそ味方を蹴散らすのは、醜態を晒すしかない怒りをぶつけているようにも見えた。
するとそこで、足を突き抜けるような地響きがピタリと止まった。涎を垂らし、ゼェゼェと荒い呼吸を数回繰り返しているが、急に大人しくなったことで周囲の手下たちも不思議そうに奴を見上げる。
当然、そんな時間は長く続かない。
「ギ……」
再び呻き声を上げたかと思えば、奴は両手足を体の背で束ねるようにして固定し、長い尻尾を活かして地を這うように移動を始めたのだ。その姿は、まさに大蛇そのもの。しかも移動しながら手先を器用に動かし、すれ違う人物に向かって切り裂くような鋭い斬撃を与えている。
岩と鱗が擦れる音と、手下たちの断末魔が断続して届き、緊張感が高まる。
絶え間ない襲撃から身を守りながら商を注視した。だが気がつくと、俺の前で奴が威嚇するように立ち塞がってるじゃねぇか。
「ヤロ……!」
「日向君! 伏せてッ!!」
攻撃に備えて剣を強く握りしめたが、背後から和泉の声が飛んできて、訳も分からないまま体勢を低くした。
すると彼女の決死の叫びと共に、太く力強い弦音を聞く。
「
終幕の封じ矢――――ッ!」
あの馬鹿ッ、また強引に封印の矢を打ちやがった……!
和泉が放った矢は、吸い込まれるように商へ真っ直ぐと向かう。
だがダメなんだ、この空間じゃお前の力は――。
「ズゥッ!」
「……ッ!?」
商の額に当たった矢は、貫くことなく無常にはじき返された。
◇
「よろしいのですか……? 暗里様」
「何がだ」
大洞窟を離れ先を急ぐ私に、
宮が心配そうに尋ねてきた。振り返ることもなく問い返すと、彼は遠慮気味に続ける。
「あの状態の商に任すなど、和泉まで殺す可能性があるのでは?」
「まぁ、殺そうとするだろうな」
「……はい?」
当然のように肯定するものだから、宮は気の抜けた声を上げた。商はもう目に映るものを全て破壊しようとする化け物だ。
だが商は和泉を殺せぬ。正確には、和泉だけは
奴らが殺させぬ。あの大洞穴は、奴らにとって不都合な構造だ。和泉とて簡単には封印できまい。勝機がないと悟った奴らは、必ずあの女を逃がそうとする。
「総長である和泉だけは、奴らにとって最後の砦となる存在。つまり和泉が危険になればなるほど……」
「他の仲間が〝命に替えてでも〟和泉を守る、ですか。なるほど、流石暗里様です」
クツクツと宮の笑う声が聞こえた。安心するのはまだ早いというに。
「笑っている場合か、宮。あの二人は恐らく囮だ。奴らの狙いは、我々が回収した〝音〟の奪還」
商が現れる前、日向から〝音を聞け〟と指示された和泉は、耳から何かを外して聴覚を研ぎ澄ましていた。そして奴は〝消えている〟と答えた。それが示すものを考えると、つい先ほど奪ったばかりの
F3と
A3の音のこととすれば辻褄が合う。
我々は音の変動と消失を偽装電波で隠してきたつもりだった。人間どもに、これを聞き分ける力などないと。
しかし、あの女は持っているのだ。それを聞き分ける〝高精度の絶対音感〟を。
「な!? それなら奴ら『
音回収装置』を破壊しに――ッ!?」
「暗里様ぁ~!!」
宮が驚愕すると同時に、前方から手下の一人が慌てて私のほうへ駆けてくる姿を目にした。
何事だ? まだ〝音〟に変化はないはずだが……。
「申し上げます! 見張りの意識を奪われ、奴らに『
周波数変換機』を破壊されました!」
その報告を聞き、私は思わず一瞬固まる。
……
周波数変換機?
「ハッハ! こりゃ滑稽、奴ら間違えたのか。どうやら、装置が別とは思わなかったようですね、暗里様」
私より早く、宮が小馬鹿にしたような笑い声を上げた。我々は奪う音の周波数を下げる装置と、音を回収する装置を分けているのだ。
確かに勘違いしたままなら音は我らの手中だが、まだ奴らが
音回収装置まで狙っている可能性はある。
「
音回収装置は大丈夫か?
徴が守っているであろうが」
宮と徴には
音回収装置を守る役目を与えていた。奴らが乗り込んできたせいで二人には緊急の対応を頼んだが、徴なら任務を終えれば元の配置に戻るはず。
「そ、それが……まだお戻りでないようでして」
オズオズと言いづらそうに答える手下。それを聞いた私は眩暈がした。
何をしているのだ、あの子は。
「ッ、
音回収装置のところへ向かうぞ!」
「はっ!」
宮を従え、私はマントを翻して足取りを速めた。