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10-1

ー/ー



 日曜日の午後。私たちはとある山中で安芸君を先頭に、生い茂る木々を掻き分けて道なき道を進んでいた。彼が片手に持つスマホの画面には、ある場所に赤いピンの打たれた地図が映されている。
 
 ここは、大阪と奈良の県境にそびえ立つ金剛山。大阪では有名な観光地のひとつであり、日頃から登山客も多い。
 でも私たちが向かうのは、登山道から大きく外れた山の奥深くだ。舗装されていないから足場が悪い上に、武器でもある楽器ケースをショルダーで背負っているのだから、余計に歩きづらい。

「わっ……!」
「おっと。和泉、大丈夫?」
「……これで5回目だな、お前」

 木の根に足を取られて転びそうなところを、前を歩く安芸君に素早く支えられる。このやり取りがもう何度も繰り返されて、後ろの近江君が呆れ顔でカウントし始める始末だ。こんなところで足手まといになってる場合じゃないのに。

「随分来たが、あとどれくらいだ? 安芸」
「ん……もう少し下ったら、見えてくるはず」

 最後尾で背後を警戒しながら歩いていた日向君の問いに、安芸君が答える。人の気配なんかとっくに消え去る場所まで、私たちは足を踏み入れていた。〝もう二度と帰れないんじゃないか〟という不安さえ感じるレベルだ。
 一応、明日になっても私たちから連絡が入らなければ、安芸君のスマホのGPSを辿って武蔵さんに助けてもらうことになっているから、遭難することは多分ない……と思いたい。

 それにしても三人とも疲れた様子すら見せず、まるで爽やかなハイキングでもしているかのように、平然な顔つきをしている。私ももう少し真面目に体力づくりしておけば良かったと、泥だらけのスニーカーを眺めて反省した。


 入山から2時間ぐらいが経ち、会話も減って鳥の鳴き声と足音だけが響くようになった頃だ。
 安芸君が突然「シッ!」という掛け声と共に、体勢を低くするよう促してきた。私たちが慌てて指示に従ったことを確認し、彼は木陰から遠くを覗き込む。私も木の幹からそっと顔を出して様子を伺った。

 その先にあったのは、崩落した崖の間に、ぽっかりと空いた大穴の洞窟だった。少し離れているのに、外観だけ見ても物々しい雰囲気だ。入り口周辺には二人の人影もある。

「……見張りか」

 日向君がポソリと呟いた。
 彼の一言で、あそこが私たちの目的地だと確信する。

 ――和矢君と武蔵さんが血の滲むような努力で見つけてくれた、メストのアジト『金剛玄洞(こんごうげんどう)』。

 ついに来たんだ……。
 ドク、と身体の中心が大きく揺れ、緊張感に息を飲む。

 取りあえず再び木陰に隠れた私たちは、ここで一度体勢を整えることにした。

「仕方ない、ここで二手に分かれよう。確認だけど今回は〝奪われた音を回収すること〟が最大の目的だ。3時間以内に達成できない場合は、深追いせず退却すること。……いいね?」

 見張りに聞こえないよう、昨晩に話し合った計画の再確認として、淡々と語る安芸君の声が響く。私たちは大きく頷いて応えた。

 そう、今回はあくまでも音の回収を最優先として、アジトに乗り込むのだ。万全の対策は練ってきたといえ、ここは敵の懐。〝慎重に行くべき〟と主張した日向君や安芸君の意見も無視はできず、全面交戦は控える方向に決めたのである。
 私たちの最終目標はアンリではなく黒使なのだから、ここで全滅するわけにはいかない。よって様子見も兼ねつつ、私が動機として上げた〝音の回収〟が目的となった。これだけでも私たちにとっては、大きな成果と言えるだろう。

 ここから先は私と日向君、安芸君と近江君で二手に分かれての行動になる。戦略とパワーバランスを考えた組み合わせだ。
 まず乗り込むのは私と日向君。敵と対立する方法は、なにも剣を交えるだけじゃない。そこに目を付けて私たちが敵の目を引きつけ、その間に安芸君と近江君が音の回収をする段取りだ。……かなり難易度は高く、思惑どおりに進むかは分からないけれど。

 ダメダメ、ここまで来て不安になったら! 私は頬を叩いて気を引き締めた。

「じゃあ、見張りを押さえるため先に行く。和泉は俺が合図してから来い。お前らは10分後だな、……作戦忘れんなよ」
「日向こそ、早とちって一人で突っ走るなよ」

 相変わらず最後まで茶化す近江君に、日向君は「ウルせぇ」と答えた。でも直後、二人は健闘を祈り合うように拳をぶつけた。
 そして彼は、安芸君に真っ直ぐな眼差しを向けた。

「安芸、あとは頼んだぞ」
「……あぁ」

 安芸君は返事をするものの、日向君の視線から目を伏せた。それがどこか苦しそうで、違和感を覚える。

 一足先に飛び出していった日向君は、見張りの一人に外側から回って近づき、相手に慌てる隙も与えず手刀のみでその意識を奪った。それに気づいたもう一人が「何だ貴様は!?」と叫ぶ声がしたけれど、その人も日向君の華麗な動きによってものの数秒で制圧。
 チェロを背負った状態であんな動作ができるなんて、やっぱり凄い。……なんて見惚れていると、彼が手招きしていることに気づいて、私は慌てて立ち上がった。

「じゃっ、じゃあ私も行くね!? ――絶対に、皆で帰ろうね」
「あいよ」
「うん……。気をつけてね、和泉」

 近江君はいつもどおりだけど、やはり安芸君には元気がないように思えた。すると彼は私に近づき、肩を引き寄せる程度の軽い抱擁をしたのだ。少し驚いたけれど、じんわり伝わる温もりから、きっといつものように心配してくれているに違いないと思った。
 ゆっくりと解放された私は二人に微笑みかけ、不安と名残惜しさを胸の奥底に押さえると、意を決して木陰から飛び出した。

 日向君が待つ洞窟の入り口まで、全力で走る。彼の足元には完全に伸びきった二人の見張りが転がっていた。
 それに唖然としつつ、私は洞窟の大穴を見上げた。漆黒に包まれたその先は、外部から完全に遮断された静寂の領域。そこから流れてくる湿り気を帯びた空気は冷たく、まるで私たちの侵入を拒んでいるようだ。

 大丈夫、きっと上手くいく。そう信じて大きく息を吸った。
 抱えた大切な楽器ケースを、無意識に強めに握って再び背負う。

「行くぞ、和泉」
「……うん!」

 日向君の一言で、その一歩を踏み出す。

 ――向かう先は、吸い込まれそうな暗闇だ。



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 日曜日の午後。私たちはとある山中で安芸君を先頭に、生い茂る木々を掻き分けて道なき道を進んでいた。彼が片手に持つスマホの画面には、ある場所に赤いピンの打たれた地図が映されている。
 ここは、大阪と奈良の県境にそびえ立つ金剛山。大阪では有名な観光地のひとつであり、日頃から登山客も多い。
 でも私たちが向かうのは、登山道から大きく外れた山の奥深くだ。舗装されていないから足場が悪い上に、武器でもある楽器ケースをショルダーで背負っているのだから、余計に歩きづらい。
「わっ……!」
「おっと。和泉、大丈夫?」
「……これで5回目だな、お前」
 木の根に足を取られて転びそうなところを、前を歩く安芸君に素早く支えられる。このやり取りがもう何度も繰り返されて、後ろの近江君が呆れ顔でカウントし始める始末だ。こんなところで足手まといになってる場合じゃないのに。
「随分来たが、あとどれくらいだ? 安芸」
「ん……もう少し下ったら、見えてくるはず」
 最後尾で背後を警戒しながら歩いていた日向君の問いに、安芸君が答える。人の気配なんかとっくに消え去る場所まで、私たちは足を踏み入れていた。〝もう二度と帰れないんじゃないか〟という不安さえ感じるレベルだ。
 一応、明日になっても私たちから連絡が入らなければ、安芸君のスマホのGPSを辿って武蔵さんに助けてもらうことになっているから、遭難することは多分ない……と思いたい。
 それにしても三人とも疲れた様子すら見せず、まるで爽やかなハイキングでもしているかのように、平然な顔つきをしている。私ももう少し真面目に体力づくりしておけば良かったと、泥だらけのスニーカーを眺めて反省した。
 入山から2時間ぐらいが経ち、会話も減って鳥の鳴き声と足音だけが響くようになった頃だ。
 安芸君が突然「シッ!」という掛け声と共に、体勢を低くするよう促してきた。私たちが慌てて指示に従ったことを確認し、彼は木陰から遠くを覗き込む。私も木の幹からそっと顔を出して様子を伺った。
 その先にあったのは、崩落した崖の間に、ぽっかりと空いた大穴の洞窟だった。少し離れているのに、外観だけ見ても物々しい雰囲気だ。入り口周辺には二人の人影もある。
「……見張りか」
 日向君がポソリと呟いた。
 彼の一言で、あそこが私たちの目的地だと確信する。
 ――和矢君と武蔵さんが血の滲むような努力で見つけてくれた、メストのアジト『|金剛玄洞《こんごうげんどう》』。
 ついに来たんだ……。
 ドク、と身体の中心が大きく揺れ、緊張感に息を飲む。
 取りあえず再び木陰に隠れた私たちは、ここで一度体勢を整えることにした。
「仕方ない、ここで二手に分かれよう。確認だけど今回は〝奪われた音を回収すること〟が最大の目的だ。3時間以内に達成できない場合は、深追いせず退却すること。……いいね?」
 見張りに聞こえないよう、昨晩に話し合った計画の再確認として、淡々と語る安芸君の声が響く。私たちは大きく頷いて応えた。
 そう、今回はあくまでも音の回収を最優先として、アジトに乗り込むのだ。万全の対策は練ってきたといえ、ここは敵の懐。〝慎重に行くべき〟と主張した日向君や安芸君の意見も無視はできず、全面交戦は控える方向に決めたのである。
 私たちの最終目標はアンリではなく黒使なのだから、ここで全滅するわけにはいかない。よって様子見も兼ねつつ、私が動機として上げた〝音の回収〟が目的となった。これだけでも私たちにとっては、大きな成果と言えるだろう。
 ここから先は私と日向君、安芸君と近江君で二手に分かれての行動になる。戦略とパワーバランスを考えた組み合わせだ。
 まず乗り込むのは私と日向君。敵と対立する方法は、なにも剣を交えるだけじゃない。そこに目を付けて私たちが敵の目を引きつけ、その間に安芸君と近江君が音の回収をする段取りだ。……かなり難易度は高く、思惑どおりに進むかは分からないけれど。
 ダメダメ、ここまで来て不安になったら! 私は頬を叩いて気を引き締めた。
「じゃあ、見張りを押さえるため先に行く。和泉は俺が合図してから来い。お前らは10分後だな、……作戦忘れんなよ」
「日向こそ、早とちって一人で突っ走るなよ」
 相変わらず最後まで茶化す近江君に、日向君は「ウルせぇ」と答えた。でも直後、二人は健闘を祈り合うように拳をぶつけた。
 そして彼は、安芸君に真っ直ぐな眼差しを向けた。
「安芸、あとは頼んだぞ」
「……あぁ」
 安芸君は返事をするものの、日向君の視線から目を伏せた。それがどこか苦しそうで、違和感を覚える。
 一足先に飛び出していった日向君は、見張りの一人に外側から回って近づき、相手に慌てる隙も与えず手刀のみでその意識を奪った。それに気づいたもう一人が「何だ貴様は!?」と叫ぶ声がしたけれど、その人も日向君の華麗な動きによってものの数秒で制圧。
 チェロを背負った状態であんな動作ができるなんて、やっぱり凄い。……なんて見惚れていると、彼が手招きしていることに気づいて、私は慌てて立ち上がった。
「じゃっ、じゃあ私も行くね!? ――絶対に、皆で帰ろうね」
「あいよ」
「うん……。気をつけてね、和泉」
 近江君はいつもどおりだけど、やはり安芸君には元気がないように思えた。すると彼は私に近づき、肩を引き寄せる程度の軽い抱擁をしたのだ。少し驚いたけれど、じんわり伝わる温もりから、きっといつものように心配してくれているに違いないと思った。
 ゆっくりと解放された私は二人に微笑みかけ、不安と名残惜しさを胸の奥底に押さえると、意を決して木陰から飛び出した。
 日向君が待つ洞窟の入り口まで、全力で走る。彼の足元には完全に伸びきった二人の見張りが転がっていた。
 それに唖然としつつ、私は洞窟の大穴を見上げた。漆黒に包まれたその先は、外部から完全に遮断された静寂の領域。そこから流れてくる湿り気を帯びた空気は冷たく、まるで私たちの侵入を拒んでいるようだ。
 大丈夫、きっと上手くいく。そう信じて大きく息を吸った。
 抱えた大切な楽器ケースを、無意識に強めに握って再び背負う。
「行くぞ、和泉」
「……うん!」
 日向君の一言で、その一歩を踏み出す。
 ――向かう先は、吸い込まれそうな暗闇だ。