芽吹いたばかりの桃色の花を、優しく撫でるように息吹く風。それが彼女の檜皮色の髪と、僕の
鈍色の柔らかな髪を泳がせる。
僕の右手に握られている銀色のトランペットも、午前の爽やかな陽射しを受けて煌々と輝いていました。日頃からピカピカに磨いて手入れをしていますから、その成果が出ているようですねぇ。
僕に「謝りたい」と言われて、多分何のことか分かっていない和泉ちゃんは返答に困っているよう。しかし彼女が口を開くのを待つこともなく、僕は真っ直ぐに彼女へ向かって頭を下げました。
「僕は彼らの今の力量を試すためといえ、貴女の大切な友人を傷つけようとした。同じ仲間なのに、怒られて当然のことをしたのです。僕にとっては必要なことと割り切っていましたが、そのせいで貴女にも余計な負担をかけてしまいました」
そう言うと和泉ちゃんは、さすがに何の話か悟ったようで小さく息を飲みました。それは2日前、ライブが終わって帰る途中だった彼女たちを、僕が日向君と結託し奇襲をかけた出来事。
和泉ちゃんには〝彼らの力量を試した〟ことにしていますが、本当の目的は〝彼らに総長の和泉様を守るという覚悟が、どれほどあるのか〟を図ることでした。結果、彼らの意識はまだまだ低いことが分かり、僕としては副長として指導できて良かったと思っています。
しかし、彼らが危惧したように……それと和泉ちゃんの気持ちは別問題。あの時、一瞬ですが和泉ちゃんの中に〝
前世〟の意識が覚醒し、僕と真剣に対峙しようとしました。あの瞬間の彼女の目は今でも思い出すとゾクゾクしますが、本人の精神に負担をかけたことは間違いありません。
終わった後で、彼女には総長の名の下にしっかり警告されましたが、僕はきちんと謝罪の言葉として口にしていませんでした。東京に帰ると決めた時、ふと大人としてそれはどうかと、心にモヤが引っかかったのです。
「ご心労をおかけし、すみませんでした。もう一度、二度とあんなことはしないと誓わせてください」
「ちょ、止めてください。武蔵さんだって、ご自分の責務を果たすためにやったのでしょう? 私こそ錯乱して偉そうなこと言って、ごめんなさい」
肩までの髪を振り乱し、勢いよく
頭を垂らす彼女。この真面目なところは、前世の和泉様譲りですね。
和泉ちゃんの後頭部を見つめながら、無意識に口元が綻ぶ。
「和泉ちゃん……、僕は貴女を尊敬しますよ」
唐突に告げると、予想どおり彼女は「え?」と目を丸めて顔を上げました。それから目を離し槇尾川のほうへと視線を向けると、陽の光を反射した水面の燦々とする輝きに眩まされそうで。
「僕は記憶があるから、自分の前世を信じ行動しています。しかし貴女は記憶がないにも関わらず、日向君や安芸君、近江君を信じここまできました。僕が貴女と同じ立場だったら、前世だの国守護楽団だのといった話は、非現実的で信用なんてできませんよ」
まぁ、
変化という特殊能力を目の当たりにすれば、ちょっとは説得力あるかもしれませんが……。
我々と違いここまで平凡な暮らしをしてきた和泉ちゃんが、突然に戦いの世界へ巻き込まれるなど恐怖以外の何物でもなかったはずです。それなのに彼女は今、ここにいてくれている。僕らは純粋に感謝しなければなりません。
和泉ちゃんは僕の話を聞き、一度目を伏せると同じように川の輝きに目を向けました。開放的な空間と爽やかに吹く風が心地良く、ここで楽器演奏をしたくなる彼女の気持ちが分かった気がします。
「私は、ただ……空っぽの私と真剣に向き合ってくれる彼らの気持ちに、応えたかっただけです。一番最初に会った日向君とは、彼によるチェロの演奏が始まりでした。本当に素敵な音色で、あの音を奏でる彼が悪い人であるはずないと、心が感じていたのかもしれません」
何気なく語る和泉ちゃんの言葉の中に〝日向君〟という単語を見つけて、僕は思わず笑みを浮かべてしまいました。先日まで彼女は彼を〝高杉君〟と呼んでいたはずですが……その理由を敢えて聞く必要はないでしょう。
それはきっと、
日向君が一歩先を踏み出せたという証。
「実は昨日あの後、皆でライブの打ち上げをしたんですよ。私、打ち上げ自体が初めてでとても楽しかったです。……あっ、ごめんなさい! 武蔵さんと純君は大変だったのに」
「いえいえ、気にしないでください。楽しめたのなら、何よりです」
慌てて取り繕った和泉ちゃんを宥めると、彼女は申し訳なさそうに続けた。
「自然体の彼らとあんなに色々話したのも初めてなのに、何だかすごく懐かしい気がしたんです。遠い昔にこうして皆で楽しく笑い合っていたような、そんな感じがしました。まるで、ここにいることは間違ってないんだなって」
そして僕を向き直した和泉ちゃんの瞳は、あの〝
前世〟が僕に立ち向かってきた瞳と同じ、真っ直ぐなものでした。無論、〝
前世〟のような鋭く射貫くような視線ではありませんが、その奥深くに持つ芯は正しく同一であるといえるでしょう。
そうです、貴女は間違いなく和泉様の魂を受け継いでいる。凜としていて、それでいて美しく、儚い。
危ないですねぇ、僕まで彼女に惚れてしまいそうですよ。
あの二人と対抗するのは御免被りたいですが。
最も、本気を出せば勝てる自信はありますけどね。
「武蔵さん」
腹黒い考えを浮かべた僕を、和泉ちゃんが呼ぶ。その声に自然と背筋が伸び「はい」と答えた。
「私はまだ、貴方に尊敬されるような人間ではありません。現に私より彼らの力となってくれる武蔵さんが帰ってしまうのは、本当に不安で仕方ないです。だから次に会うまでに〝私は総長である〟と、もっと自信を持ってお答えできるようになります。そして私自身も、彼らを守れるように」
……あぁ、和泉。
そんな風に言わずとも、貴女はもう十分に――。
否。こんなに純粋な眼差しを向けられては、それを言うべきではありませんね。
ならば僕は素直に彼女の宣言を受け取り、こう返すのみです。
「えぇ、楽しみにしていますよ」
満面の笑みを浮かべ、彼女もまた微笑む。
その直後、遠くで僕の名を叫ぶ別の人物の声がするまで、僕が彼の存在を忘れていたのは内緒の話です。