8-14
ー/ー
「ねぇ、安芸君」
ホテルから逃げるように立ち去り、夜の大阪の街を走り抜けている道中。私は右斜め前を走る安芸君に声をかけた。彼はいつものように「ん、なに?」と無邪気な笑顔を浮かべて振り返る。
……やっぱり、安芸君って何か可愛いなぁ。
「えっと、さっきはありがとう。立て込んでたから、お礼を言いそびれちゃったなと思って」
「さっき……?」
私が何のことを言っているのか分からないようで、彼は小さく首を傾げた。
それは、私が商へ封印の矢を放った時のこと。黒い稲妻の壁が現れて阻止され、跳ね返った矢と稲妻自体の反撃から守るため、彼は自分の身を挺して楯になってくれたのだ。
そのお礼だと告げると、次第に安芸君の顔が真っ赤に染まり、目が泳ぎ始めた。彼がこんなに慌てるのは珍しいことだった。
「〜〜っ、ぃや、そのっ、ごごごごめん! あの時は必死だったから、かかか体が、勝手に動いててっ」
「……? どうして謝るの?」
「いや、だって……!」
なにかを言いかけて、安芸君は少し苦しそうに口を噤んだ。確かに男の人の腕の中で守られるのはドキドキしたけれど、あれは以前に彼が〝和泉のことは僕が守る〟と言ってくれたことを実行しただけだと思っていた。
でも彼のこの反応は……、それだけじゃないってことなのだろうか。そう意識してしまうと、私の鼓動も自然と速さを増していくわけで。
ゆっくりと走るのを止めた安芸君につられて、私もその場に足を止める。歩道の真ん中で、彼は一度目を閉じて軽く息を吸うと、改めて私を見た。
さっきまでの可愛らしい安芸君とは違う、凛々しい男性の顔。胸の中心が、一瞬だけ大きく跳ね上がる。
春の風が私たちの髪を星空へ誘い、ふわりと舞い上がった。
「あのね、和泉。僕が君を守りたいと言ったのは、君が総長だか――」
「おい、お前ら。なに立ち止まってるんだよ」
安芸君の言葉を遮ったのは、私たちのずっと前を走っていた高杉君だった。突然に背後から話しかけられて、思わず私は小さく悲鳴を上げてしまった。
多分、後ろを振り返ったら私たちが付いてきていなかったから、心配して様子を見にきてくれたのだろう。ホテルからは随分と離れたといえ、勝手に足を止めたことを少し反省する。
高杉君は最初こそ呆れたような表情をしていたけれど、私と安芸君の雰囲気から何かを感じたようで、バツが悪そうに眉を顰めた。
「……悪ぃ、取り込み中だったか?」
「えっ? あの、えっと……」
「別に、何でもないよ。君こそ、何か用?」
私が答えようとすると、安芸君から制止するように割り込まれてしまった。どこか不機嫌な安芸君は、高杉君へぶっきらぼうに問いかける。
高杉君は私と安芸君を交互に見ながら戸惑っていたけれど、「あー……」と口ごもった後に恐る恐る話し始めた。
「や、近江がよ……。今から少し打ち上げしねぇかって。ホラ、昨日は武蔵に余韻を邪魔されただろ? 和泉の帰りが遅くならねぇよう、ハウスで簡単にだけどな」
「ふーん。近江が、ねぇ? ……和泉、どう?」
安芸君は高杉君を食い入るように見つめた後、私へ尋ねながらチラと視線を外した。何を見たのかと後ろへ顔を向けてみれば、近江君が数メートル離れた場所で腕を組んで、横目でこちらの様子を伺うように待機していた。あの彼から打ち上げの提案があるなんて、意外と飲み会とか好きなのかな。
正直、先ほどの安芸君の言葉の続きがとても気になっているのだけれど、「どう?」と聞かれてしまえば答えないわけにはいかない。それに実は打ち上げとか今までにやったことがなく、その響きにも惹かれてしまった。
「う、うん! いいね、やろう? すごく楽しみ!」
「よし、決まりだ。じゃ、手分けして買い出しするか?」
どことなく胸を撫で下ろした高杉君。幸い、この辺りにはスーパーやコンビニもある。飲みものさえあれば良いなら、自販機も数メートル先の角に行けばあるはずだ。すると彼の意見に、いつものように安芸君が指揮を取り始めた。
「それなら、僕といず……いや、僕と日向で先に家の中を片付けているよ。多分、武蔵さんと純がキッチンを荒らしてると思うから。だから悪いけど、近江と和泉は簡単な食事と飲みものをお願いしていい?」
彼にしては不思議な組み合わせを指示してきたけれど、断る理由もなく私は承諾した。一方、高杉君は一瞬だけ眉を潜めたものの、安芸君と視線を交し合うと渋々その指示に頷く。
高杉君が近江君を呼び寄せ、経緯を説明。近江君は何故か大きな溜め息を吐いていたけれど、買い出し隊として私に「行くぞ」と促した。既に打ち上げが楽しみで仕方がない私は、特に彼らの様子を気にすることなく、近江君の隣に移動する。
「近江君、よろしくね。じゃあ安芸君と高杉君、あとで――」
「日向」
私の声を遮り、高杉君が急に自分の名を口にした。彼の意図が分からずに目を丸くしていると、真っ直ぐに突抜けるような視線が私を貫く。
「日向。……そう呼びたかったんだろ? 俺のこと。もういいぜ、俺だけ名字ってのも違和感しかないしな」
その申し出を、最初は信じられなかった。
彼は自分からそれを拒んでいたのだから。
「ひゅーが、くん……?」
「あぁ」
震える思いでその単語を口にすると、先ほどの真っ直ぐな瞳が、柔らかな微笑みを浮かべる。その様子からじんわりとした温かい何かが、私の中に溢れ出す。どこか懐かしくも思う感覚は、以前にも何度か経験していた。
この胸の高鳴りは、一体なんなのだろう。……否。高杉君にようやく私の存在を認めてもらえたのだ。嬉しいという感情に他ならないではないか。そう、嬉しくて嬉しくて、堪らない。
私はその喜びを噛みしめて、改めて彼と向き合った。
「じゃあ日向君、安芸君。またあとでね」
「あぁ。じゃ、先に行って待ってるぜ」
満足そうに口元を緩めた彼は、苦笑している安芸君と一緒にシェアハウスへの道を歩き始めた。その背中を見送って私も歩き出そうとすると、隣の近江君の意味深な視線に気づく。
「な、なぁに?」
「……アンタも苦労人だねぇ。ま、これから頑張れよ」
「…………?」
謎のエールに頷きながら、私はすらりとした彼の背中を追いかけた。
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「ねぇ、安芸君」
ホテルから逃げるように立ち去り、夜の大阪の街を走り抜けている道中。私は右斜め前を走る安芸君に声をかけた。彼はいつものように「ん、なに?」と無邪気な笑顔を浮かべて振り返る。
……やっぱり、安芸君って何か可愛いなぁ。
「えっと、さっきはありがとう。立て込んでたから、お礼を言いそびれちゃったなと思って」
「さっき……?」
私が何のことを言っているのか分からないようで、彼は小さく首を傾げた。
それは、私が商へ封印の矢を放った時のこと。黒い稲妻の壁が現れて阻止され、跳ね返った矢と稲妻自体の反撃から守るため、彼は自分の身を挺して楯になってくれたのだ。
そのお礼だと告げると、次第に安芸君の顔が真っ赤に染まり、目が泳ぎ始めた。彼がこんなに慌てるのは珍しいことだった。
「〜〜っ、ぃや、そのっ、ごごごごめん! あの時は必死だったから、かかか体が、勝手に動いててっ」
「……? どうして謝るの?」
「いや、だって……!」
なにかを言いかけて、安芸君は少し苦しそうに口を噤んだ。確かに男の人の腕の中で守られるのはドキドキしたけれど、あれは以前に彼が〝和泉のことは僕が守る〟と言ってくれたことを実行しただけだと思っていた。
でも彼のこの反応は……、それだけじゃないってことなのだろうか。そう意識してしまうと、私の鼓動も自然と速さを増していくわけで。
ゆっくりと走るのを止めた安芸君につられて、私もその場に足を止める。歩道の真ん中で、彼は一度目を閉じて軽く息を吸うと、改めて私を見た。
さっきまでの可愛らしい安芸君とは違う、凛々しい男性の顔。胸の中心が、一瞬だけ大きく跳ね上がる。
春の風が私たちの髪を星空へ誘い、ふわりと舞い上がった。
「あのね、和泉。僕が君を守りたいと言ったのは、君が総長だか――」
「おい、お前ら。なに立ち止まってるんだよ」
安芸君の言葉を遮ったのは、私たちのずっと前を走っていた高杉君だった。突然に背後から話しかけられて、思わず私は小さく悲鳴を上げてしまった。
多分、後ろを振り返ったら私たちが付いてきていなかったから、心配して様子を見にきてくれたのだろう。ホテルからは随分と離れたといえ、勝手に足を止めたことを少し反省する。
高杉君は最初こそ呆れたような表情をしていたけれど、私と安芸君の雰囲気から何かを感じたようで、バツが悪そうに眉を顰めた。
「……悪ぃ、取り込み中だったか?」
「えっ? あの、えっと……」
「別に、何でもないよ。君こそ、何か用?」
私が答えようとすると、安芸君から制止するように割り込まれてしまった。どこか不機嫌な安芸君は、高杉君へぶっきらぼうに問いかける。
高杉君は私と安芸君を交互に見ながら戸惑っていたけれど、「あー……」と口ごもった後に恐る恐る話し始めた。
「や、近江がよ……。今から少し打ち上げしねぇかって。ホラ、昨日は武蔵に余韻を邪魔されただろ? 和泉の帰りが遅くならねぇよう、ハウスで簡単にだけどな」
「ふーん。|近《・》|江《・》|が《・》、ねぇ? ……和泉、どう?」
安芸君は高杉君を食い入るように見つめた後、私へ尋ねながらチラと視線を外した。何を見たのかと後ろへ顔を向けてみれば、近江君が数メートル離れた場所で腕を組んで、横目でこちらの様子を伺うように待機していた。あの彼から打ち上げの提案があるなんて、意外と飲み会とか好きなのかな。
正直、先ほどの安芸君の言葉の続きがとても気になっているのだけれど、「どう?」と聞かれてしまえば答えないわけにはいかない。それに実は打ち上げとか今までにやったことがなく、その響きにも惹かれてしまった。
「う、うん! いいね、やろう? すごく楽しみ!」
「よし、決まりだ。じゃ、手分けして買い出しするか?」
どことなく胸を撫で下ろした高杉君。幸い、この辺りにはスーパーやコンビニもある。飲みものさえあれば良いなら、自販機も数メートル先の角に行けばあるはずだ。すると彼の意見に、いつものように安芸君が指揮を取り始めた。
「それなら、僕といず……いや、僕と日向で先に家の中を片付けているよ。多分、武蔵さんと純がキッチンを荒らしてると思うから。だから悪いけど、近江と和泉は簡単な食事と飲みものをお願いしていい?」
彼にしては不思議な組み合わせを指示してきたけれど、断る理由もなく私は承諾した。一方、高杉君は一瞬だけ眉を潜めたものの、安芸君と視線を交し合うと渋々その指示に頷く。
高杉君が近江君を呼び寄せ、経緯を説明。近江君は何故か大きな溜め息を吐いていたけれど、買い出し隊として私に「行くぞ」と促した。既に打ち上げが楽しみで仕方がない私は、特に彼らの様子を気にすることなく、近江君の隣に移動する。
「近江君、よろしくね。じゃあ安芸君と高杉君、あとで――」
「日向」
私の声を遮り、高杉君が急に自分の名を口にした。彼の意図が分からずに目を丸くしていると、真っ直ぐに突抜けるような視線が私を貫く。
「日向。……そう呼びたかったんだろ? 俺のこと。もういいぜ、俺だけ名字ってのも違和感しかないしな」
その申し出を、最初は信じられなかった。
彼は自分からそれを拒んでいたのだから。
「ひゅーが、くん……?」
「あぁ」
震える思いでその単語を口にすると、先ほどの真っ直ぐな瞳が、柔らかな微笑みを浮かべる。その様子からじんわりとした温かい何かが、私の中に溢れ出す。どこか懐かしくも思う感覚は、以前にも何度か経験していた。
この胸の高鳴りは、一体なんなのだろう。……否。高杉君にようやく私の存在を認めてもらえたのだ。嬉しいという感情に他ならないではないか。そう、嬉しくて嬉しくて、堪らない。
私はその喜びを噛みしめて、改めて彼と向き合った。
「じゃあ日向君、安芸君。またあとでね」
「あぁ。じゃ、先に行って待ってるぜ」
満足そうに口元を緩めた彼は、苦笑している安芸君と一緒にシェアハウスへの道を歩き始めた。その背中を見送って私も歩き出そうとすると、隣の近江君の意味深な視線に気づく。
「な、なぁに?」
「……アンタも苦労人だねぇ。ま、これから頑張れよ」
「…………?」
謎のエールに頷きながら、私はすらりとした彼の背中を追いかけた。