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風の王、月の雫(2)

ー/ー



 風は流れ、季節は巡る。
 時は静かに月日を重ね、気がつけば十数年が経過していた。
 
 ラトは草原の支配者となっていた。
 今や数十万の騎馬を従えるこの男は、「風の王」の異名を持つ偉丈夫へと変貌を遂げていた。
 日に灼けた逞しい身体。鷹のような鋭い視線。
 彼の行く先には、最後の敵の居城がある。

 「今日こそけりをつけるぞ!」
 王の下知に、屈強の騎馬隊は勇躍した。

 だが。
 敵の居城はもぬけの殻だった。
 
 「王よ。敵は逃げたようです」
 「よし。城を占拠するぞ」
 
 勢いづいた味方は、敵の城を荒々しく踏みにじる。
 ラトは悠然とその様子を眺めつつ、奥へ奥へと進んでいく。

 そして、ラトは豪奢な設えの一室に辿り着く。
 その部屋には窓がなく、昼間でも薄暗い。
 (ここは、彼奴の寝所か)
 
 「けほっ……けほっ」
 不意に、誰かが咳き込む声がした。
 ラトは眦を上げると、すらりと剣を抜いた。
 その声の方へと、慎重に歩を進めていく。

 重いカーテンを乱暴に跳ね上げる。
 僅かに灯りが灯る中、そこには短剣を握りしめたひとが、震える足で立っていた。
 長い髪。華奢な身体。若く美しい男だ。

 「皆、逃げた。ここには私だけだ」
 その者は、荒い息をつきながらそう告げた。
 
 ラトは無言のまま、大股で彼に近づいた。
 男であれば、命を奪うまでだ。

 剣をゆっくりと振り上げる。
 そして、無慈悲に振り下ろそうとしたとき――。

 「うっ……げほ、げほっ!」
 男は激しく咳き込むと、力なくその場に崩れ落ちた。
 咳き込むたびに華奢な背中が震えた。
 「かはっ」
 大きく男の身体が揺れた時、ラトの鼻に微かな血の匂いが届いた。

 (死病……か)

 その時。
 男の首元から、ペンダントが滑り落ちた。
 神の悪戯か、灯りがそのペンダントを鮮やかに映し出した。

 「――!」
 それを見たラトの顔色が変わった。
 
 (あれは――!)

 『ありがとう、ラト。大事にするね』
 遠い昔に消えた、少年の嬉しそうな笑顔が脳裏に蘇った。

 からん。
 
 ラトの手から、剣が滑り落ちた。
 

 男を引きずるように灯りの近くへと連れて行き、胸倉を掴む。
 「な、何を――」
 か細い抗議の声を聞き流し、灯りにその顔を近づける。
 
 青白い顔。
 右の目は泉の如き透明な青。
 そして、左の目は琥珀の如き褐色。
 
 「アラン――!」
 ラトの唇が、探し求めていた少年の名を呼んだ。

 だが、男は否定した。
 「アラン?……誰です、それは」
 「え?」
 「私は、ファナ……」
 
 ファナと名乗る男は、気を失った。
 ラトはその身体を腕に抱えたまま、茫然と揺れる灯りを見つめていた。

 
 ラトは、周囲の制止も聞かずファナを連れ帰った。
 「王よ、なりません!聖なる地に穢れを持ち込むおつもりか!」
 「構わぬ!神へは後で詫びればよい!」
 ラトの気迫に、側近たちは頭を垂れるより他になかった。


 ラトはファナを連れて皆から離れ、泉のほとりに天幕を張った。
 移動が堪えたのか、ファナはぐったりと眠ってしまった。

 ラトは藁にも縋る思いで腕利きの薬師を呼び寄せた。
 だが、薬師の見立ては芳しくなかった。
 「もはや、我々に出来ることは何もありません。後は神の御心のままに」
 「……そうか。わかった」
 「気休めにしかなりませんが」
 と言いながら、薬師は滋養にいいという煎じ薬を置いていった。

 ラトは薬を煎じてファナの目覚めを待った。
 病み衰えたその寝顔に、ラトの心は痛んだ。
 
 やがて、ファナはゆっくりと目を開けた。
 「ここは……?」
 「俺の天幕だ」
 ファナは怪訝そうにラトの顔を見る。
 「――あなたは、風の王」
 敵の王の姿に、息を呑むファナ。
 「安心しろ。病人に危害を加えるつもりはない」
 ラトは煎じ薬が入った椀を手に、ファナの身体をゆっくりと起こした。
 「滋養に良い薬だ。飲めるか?」
 頷くファナ。
 ラトは、少しずつ椀を傾けて、ファナの口に薬を注ぐ。
 ファナは二口ほど薬を飲むと、
 「もう、これで」
 ラトの手を押し戻した。
 
 「王よ。何故、私を」
 「俺がそうしたかったからだ」
 ファナの問いに、ラトは答えにならぬ回答をした。
 「ところでファナ。お前は、彼奴の妾か」
 「はい。2年ほど前から」
 「いつから、そのような生活を?」
 「さあ――昔のことは、何も覚えていないのです。私は何処の誰で、何をしていたのやら」
 ファナは、訥々と言葉を繋いだ。

 この一言で、ラトは得心する。
 ああ、彼は全てを忘れてしまったのか、と。
 あの町で出会ったことも。
 青空の下で、共に笑い合ったあの日々も。
 
 
 そして。
 ファナが口にしたこの言葉は、ラトの心を大きく引き裂いた。
 「それで……気づいた時には、私は人ではなく――『月の雫』と呼ばれる、美術品になっておりました」
 「――!」
 ラトは言葉を失った。
 神はやはり、禁を犯した者をお赦しにはならなかったのか――。

 
 その夜。
 ファナは高い熱を出した。
 熱に浮かされ、苦しむファナを前に、ラトはただ額を冷やしてやることしか出来なかった。
 
 「ああ、わああ!」
 錯乱して叫び声を上げるファナ。
 やがて、その唇がラトを呼ぶ。
 「ラト、ラト……ラト!」
 か細い手が宙を泳ぐ。
 「ラト、ごめんなさい、ごめんなさい」
 ファナは――アランは、泣きながら詫び始めた。
 「剣に触れて、ごめんなさい。もうしないから、許して、僕を許して……お願い、僕を見捨てないで」
 「アラン!」
 ラトは思わずその痩せこけた身体を抱き締める。
 「もういい!お前は悪くない!お前は悪くないんだ!」

 「ラト、ラト、ごめんなさい、ごめんなさい」
 「アラン、もういい。もう、いいんだ」
 
 ――アランはラトに謝り続け、ラトはそれを赦し続けた。

 「神よ、神よ、もう十分でしょう?これ以上この者を苦しめないで下さい!」
 ラトはアランを抱き締めながら、神に祈る。
 「神よ、偉大なる神よ。どうかあなたの御慈悲を――!」

 ラトの願いが神に通じたのか。
 やがてアランは落ち着きを取り戻し、ラトの胸で眠り始めた。
 ラトはそっとアランを寝かせると、乱れ切った髪を整えてやった。

 それからのアランは、熱で苦しむことはなくなった。
 穏やかに呼吸をして、うとうとと眠り、時折目を覚まして水や薬を口にした。
 ――神はようやくこの美しい者を憐れと思し召し、怒りを解いて下さったようだ。

 ただ、来るべき時は確実に近づいている。
 ラトはその予感を強く抱き、神に更なる祈りを捧げた。

 『神よ、神よ。どうかこの者が穏やかに終わりを迎えられますように』


 空には、さやけき月が上がっていた。
 星のない夜だ。

 アランは水を求めた。
 ラトは泉から水を汲み、アランの身体を後ろから抱くようにしてゆっくりと飲ませた。

 「ああ……」
 アランは嘆息すると、そのままラトの胸に背中を預けた。
 そして、途切れ途切れに語り始めた。

 「夢を見ていました。
 大好きだった人の夢です。
 顔も名前も覚えていませんが、
 私にとってのその人は、風のようであり、
 全てを照らしてくれる太陽のようでもありました。
 
 ただ……私はどうやらその人にとても悪いことをしてしまったようで。
 昔のことは全て忘れた今でも、そのことがずっとこの胸にあるのです」

 アランの息遣いが乱れた。
 ラトはそっと彼を寝かせると、髪を撫でながら穏やかに語りかけた。
 「ファナ」
 「はい」
 「俺は、そいつはお前のことをとっくの昔に許していると思うぞ」

 アランの目元が小さくほころんだ。
 「ありがとう。あなたは優しい人ですね」
 「ファナ」になったアランが、ラトに初めて見せた笑顔だった。

 「風の王よ……あなたの名は……」
 「ラトだ」
 「ラト……ラト」
 アランは息をつきながら、その名を反芻する。
 「どうしてだろう……とても、なつかし……」

 そこで、言葉が、途絶えた。


 静かに夜が明けた。
 地平線の先が、少しずつ暁の色に染まっていく。

 ラトはその逞しい腕にアランを抱き、草原の高台に立っていた。
 古の時代より彼の一族が仲間を見送って来た場所だ。

 アランはラトの腕の中で安らかに眠っている。
 ようやく全ての苦しみから解放されたその美しい顔は、微笑んでいるようにも見えた。

 ラトは作法に従い、「風の王」として祈りを捧げる。

 『神よ、偉大なる神よ。
 この者は草原の民ではありませぬが、家族として共に日々を過ごした者。
 どうか我々と同じく、あなたの御許に招いて下さりますよう。
 この美しき月の雫を、風の御国へ』

 草原を這うように風が巻き起こり、そのまま高台へと吹き上げた。
 アランはその風に乗って、空へと誘われた。
 
 ――月の雫。我らと共に参ろうぞ。

 風は、アランを受け入れてくれたのだ。


 風はゆく。
 風は語る。
 この儚くも美しい物語を。
 吟遊詩人の唇を借りて、静かに語り継ぐ。

 風の王と月の雫の物語を――。

 おわり。



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 風は流れ、季節は巡る。
 時は静かに月日を重ね、気がつけば十数年が経過していた。
 ラトは草原の支配者となっていた。
 今や数十万の騎馬を従えるこの男は、「風の王」の異名を持つ偉丈夫へと変貌を遂げていた。
 日に灼けた逞しい身体。鷹のような鋭い視線。
 彼の行く先には、最後の敵の居城がある。
 「今日こそけりをつけるぞ!」
 王の下知に、屈強の騎馬隊は勇躍した。
 だが。
 敵の居城はもぬけの殻だった。
 「王よ。敵は逃げたようです」
 「よし。城を占拠するぞ」
 勢いづいた味方は、敵の城を荒々しく踏みにじる。
 ラトは悠然とその様子を眺めつつ、奥へ奥へと進んでいく。
 そして、ラトは豪奢な設えの一室に辿り着く。
 その部屋には窓がなく、昼間でも薄暗い。
 (ここは、彼奴の寝所か)
 「けほっ……けほっ」
 不意に、誰かが咳き込む声がした。
 ラトは眦を上げると、すらりと剣を抜いた。
 その声の方へと、慎重に歩を進めていく。
 重いカーテンを乱暴に跳ね上げる。
 僅かに灯りが灯る中、そこには短剣を握りしめたひとが、震える足で立っていた。
 長い髪。華奢な身体。若く美しい男だ。
 「皆、逃げた。ここには私だけだ」
 その者は、荒い息をつきながらそう告げた。
 ラトは無言のまま、大股で彼に近づいた。
 男であれば、命を奪うまでだ。
 剣をゆっくりと振り上げる。
 そして、無慈悲に振り下ろそうとしたとき――。
 「うっ……げほ、げほっ!」
 男は激しく咳き込むと、力なくその場に崩れ落ちた。
 咳き込むたびに華奢な背中が震えた。
 「かはっ」
 大きく男の身体が揺れた時、ラトの鼻に微かな血の匂いが届いた。
 (死病……か)
 その時。
 男の首元から、ペンダントが滑り落ちた。
 神の悪戯か、灯りがそのペンダントを鮮やかに映し出した。
 「――!」
 それを見たラトの顔色が変わった。
 (あれは――!)
 『ありがとう、ラト。大事にするね』
 遠い昔に消えた、少年の嬉しそうな笑顔が脳裏に蘇った。
 からん。
 ラトの手から、剣が滑り落ちた。
 男を引きずるように灯りの近くへと連れて行き、胸倉を掴む。
 「な、何を――」
 か細い抗議の声を聞き流し、灯りにその顔を近づける。
 青白い顔。
 右の目は泉の如き透明な青。
 そして、左の目は琥珀の如き褐色。
 「アラン――!」
 ラトの唇が、探し求めていた少年の名を呼んだ。
 だが、男は否定した。
 「アラン?……誰です、それは」
 「え?」
 「私は、ファナ……」
 ファナと名乗る男は、気を失った。
 ラトはその身体を腕に抱えたまま、茫然と揺れる灯りを見つめていた。
 ラトは、周囲の制止も聞かずファナを連れ帰った。
 「王よ、なりません!聖なる地に穢れを持ち込むおつもりか!」
 「構わぬ!神へは後で詫びればよい!」
 ラトの気迫に、側近たちは頭を垂れるより他になかった。
 ラトはファナを連れて皆から離れ、泉のほとりに天幕を張った。
 移動が堪えたのか、ファナはぐったりと眠ってしまった。
 ラトは藁にも縋る思いで腕利きの薬師を呼び寄せた。
 だが、薬師の見立ては芳しくなかった。
 「もはや、我々に出来ることは何もありません。後は神の御心のままに」
 「……そうか。わかった」
 「気休めにしかなりませんが」
 と言いながら、薬師は滋養にいいという煎じ薬を置いていった。
 ラトは薬を煎じてファナの目覚めを待った。
 病み衰えたその寝顔に、ラトの心は痛んだ。
 やがて、ファナはゆっくりと目を開けた。
 「ここは……?」
 「俺の天幕だ」
 ファナは怪訝そうにラトの顔を見る。
 「――あなたは、風の王」
 敵の王の姿に、息を呑むファナ。
 「安心しろ。病人に危害を加えるつもりはない」
 ラトは煎じ薬が入った椀を手に、ファナの身体をゆっくりと起こした。
 「滋養に良い薬だ。飲めるか?」
 頷くファナ。
 ラトは、少しずつ椀を傾けて、ファナの口に薬を注ぐ。
 ファナは二口ほど薬を飲むと、
 「もう、これで」
 ラトの手を押し戻した。
 「王よ。何故、私を」
 「俺がそうしたかったからだ」
 ファナの問いに、ラトは答えにならぬ回答をした。
 「ところでファナ。お前は、彼奴の妾か」
 「はい。2年ほど前から」
 「いつから、そのような生活を?」
 「さあ――昔のことは、何も覚えていないのです。私は何処の誰で、何をしていたのやら」
 ファナは、訥々と言葉を繋いだ。
 この一言で、ラトは得心する。
 ああ、彼は全てを忘れてしまったのか、と。
 あの町で出会ったことも。
 青空の下で、共に笑い合ったあの日々も。
 そして。
 ファナが口にしたこの言葉は、ラトの心を大きく引き裂いた。
 「それで……気づいた時には、私は人ではなく――『月の雫』と呼ばれる、美術品になっておりました」
 「――!」
 ラトは言葉を失った。
 神はやはり、禁を犯した者をお赦しにはならなかったのか――。
 その夜。
 ファナは高い熱を出した。
 熱に浮かされ、苦しむファナを前に、ラトはただ額を冷やしてやることしか出来なかった。
 「ああ、わああ!」
 錯乱して叫び声を上げるファナ。
 やがて、その唇がラトを呼ぶ。
 「ラト、ラト……ラト!」
 か細い手が宙を泳ぐ。
 「ラト、ごめんなさい、ごめんなさい」
 ファナは――アランは、泣きながら詫び始めた。
 「剣に触れて、ごめんなさい。もうしないから、許して、僕を許して……お願い、僕を見捨てないで」
 「アラン!」
 ラトは思わずその痩せこけた身体を抱き締める。
 「もういい!お前は悪くない!お前は悪くないんだ!」
 「ラト、ラト、ごめんなさい、ごめんなさい」
 「アラン、もういい。もう、いいんだ」
 ――アランはラトに謝り続け、ラトはそれを赦し続けた。
 「神よ、神よ、もう十分でしょう?これ以上この者を苦しめないで下さい!」
 ラトはアランを抱き締めながら、神に祈る。
 「神よ、偉大なる神よ。どうかあなたの御慈悲を――!」
 ラトの願いが神に通じたのか。
 やがてアランは落ち着きを取り戻し、ラトの胸で眠り始めた。
 ラトはそっとアランを寝かせると、乱れ切った髪を整えてやった。
 それからのアランは、熱で苦しむことはなくなった。
 穏やかに呼吸をして、うとうとと眠り、時折目を覚まして水や薬を口にした。
 ――神はようやくこの美しい者を憐れと思し召し、怒りを解いて下さったようだ。
 ただ、来るべき時は確実に近づいている。
 ラトはその予感を強く抱き、神に更なる祈りを捧げた。
 『神よ、神よ。どうかこの者が穏やかに終わりを迎えられますように』
 空には、さやけき月が上がっていた。
 星のない夜だ。
 アランは水を求めた。
 ラトは泉から水を汲み、アランの身体を後ろから抱くようにしてゆっくりと飲ませた。
 「ああ……」
 アランは嘆息すると、そのままラトの胸に背中を預けた。
 そして、途切れ途切れに語り始めた。
 「夢を見ていました。
 大好きだった人の夢です。
 顔も名前も覚えていませんが、
 私にとってのその人は、風のようであり、
 全てを照らしてくれる太陽のようでもありました。
 ただ……私はどうやらその人にとても悪いことをしてしまったようで。
 昔のことは全て忘れた今でも、そのことがずっとこの胸にあるのです」
 アランの息遣いが乱れた。
 ラトはそっと彼を寝かせると、髪を撫でながら穏やかに語りかけた。
 「ファナ」
 「はい」
 「俺は、そいつはお前のことをとっくの昔に許していると思うぞ」
 アランの目元が小さくほころんだ。
 「ありがとう。あなたは優しい人ですね」
 「ファナ」になったアランが、ラトに初めて見せた笑顔だった。
 「風の王よ……あなたの名は……」
 「ラトだ」
 「ラト……ラト」
 アランは息をつきながら、その名を反芻する。
 「どうしてだろう……とても、なつかし……」
 そこで、言葉が、途絶えた。
 静かに夜が明けた。
 地平線の先が、少しずつ暁の色に染まっていく。
 ラトはその逞しい腕にアランを抱き、草原の高台に立っていた。
 古の時代より彼の一族が仲間を見送って来た場所だ。
 アランはラトの腕の中で安らかに眠っている。
 ようやく全ての苦しみから解放されたその美しい顔は、微笑んでいるようにも見えた。
 ラトは作法に従い、「風の王」として祈りを捧げる。
 『神よ、偉大なる神よ。
 この者は草原の民ではありませぬが、家族として共に日々を過ごした者。
 どうか我々と同じく、あなたの御許に招いて下さりますよう。
 この美しき月の雫を、風の御国へ』
 草原を這うように風が巻き起こり、そのまま高台へと吹き上げた。
 アランはその風に乗って、空へと誘われた。
 ――月の雫。我らと共に参ろうぞ。
 風は、アランを受け入れてくれたのだ。
 風はゆく。
 風は語る。
 この儚くも美しい物語を。
 吟遊詩人の唇を借りて、静かに語り継ぐ。
 風の王と月の雫の物語を――。
 おわり。