8-7
ー/ー
練習室から離れて30分ほどが経過した。何だかんだであのオッサンは口が達者だから、そろそろ様子を見に行っても良い頃合いだろう。
今朝から陽射しは暖かく注いでいるのに、俺は今、猛烈にホットコーヒーを飲みたかった。あれから純のギャグを5つほど見させられたが、結果はさっきの心境どおりだ。終盤なんて見れたもんじゃねぇ。
「純、お前はどうする?」
撃沈して半べそをかいている純に、近江が問いかける。
黙っていればキラキラの茶金髪も相まって、それなりにハンサムなんだが。
「Oh、どうしまショー……。何も考えてないノデ、特に目的もないデース」
「なら僕らの家に武蔵さんがいるから、挨拶に行きなよ。もしかしたら、何か指示をくれるかもしれないし」
見かねた安芸がそう声をかける。すると駐車場の隅で体育座りをして拗ねていた純は、〝武蔵〟という言葉にビクリと肩を跳ね上げ、壊れたロボットのようにゆっくり振り返った。……おい、その反応が今までで一番面白いじゃねぇか。
「ふふふ副長ガガガ、いいいいるのデスカカカカカ?」
「いるけど……、もしかして苦手なの?」
それに気づいた安芸は、何やら意地悪そうな笑みを浮かべた。聞けば前世の純はかなりマイペースな奴で、もっと迅速に動けと武蔵によく怒られていたらしい。記憶による苦手意識から、純は武蔵に怯えているのだ。
「安心して、今の彼は怖くないよ。ナルシストで腹黒いけど」
爽やかな顔で毒を吐く安芸。
「だとしてモッ! 副長と二人きりは勘弁してヨ〜! オーミ、タスケテ〜」
「あぁもうっ! だからくっつくなッ、キショク悪い!」
助けを乞う純と近江が仲良く戯れ合う様子に目もくれず、更に安芸はしれっと電話をかけ始めた。
何かヤな予感……と思い、俺は楽しげに話す奴の声に聞き耳を立てた。
「はい。はい、そうです。すみません、ではよろしくお願いします。武蔵さん」
最後の単語だけやたらハッキリと聞こえた。それは近江と純の耳にも届いたのか、二人の動きがピタリと止まる。安芸の一番近くにいる和泉は、もはや苦笑するしかないようだ。
「純、やっぱり副長はと~っても優しいよ。君を駅まで迎えに来てくれるってさ」
にこやかに安芸が言い放った瞬間〝お前が一番腹黒いぞ〟とツッコみたかったが、それをどうにか呑み込む俺。
諦めろ、純。もうお前に逃げ道はない。
渋々駅に向かった純の背中を見送り、俺たちは30分前に来た道を引き返している。よく見れば歩道の桜並木は、薄紅色の蕾が今にも開きそうなほど膨らんでいた。今日の晴天で明日には咲くことだろう。
あの後、安芸は「行くよ」と真っ先に和泉の右腕を引き、さっさと歩き始めてしまった。
別にそれはいつものことのはずだが、躊躇なく和泉に触れるアイツを少し羨ましく思う自分がいた。そして数歩進んだところで奴の手が離れていくと、どこかホッとしたのだ。
和気藹々と会話して歩く二人の2メートルくらい後ろを、俺と近江が並んで続く。
「んで、日向。和泉と何かあった?」
「なっ……ななな、何だよ急に。別に何もねぇよ」
隣の近江に唐突な質問をされ、あからさまに動揺した返事をしてしまった。
近江に視線をやれば、ほんの数分の間でやつれたように感じる。
「ホントか? 何かライブの辺りから急に接し方が変わった気するんだが。団長に説教くれていた時だって、カッコイイこと言ってたじゃん」
そんなこと言ったか? と思い返してみたが、頭に血が上っていたこともあって、まったく覚えていない。
すると近江は、「ハハーン」とでもいいそうな怪しい笑みを浮かべた。
「まさか無自覚か? お前、和泉を〝特別な存在〟みたいな言い方してたぞ」
〝おいオッサン、いい加減にしろよ!? 俺たちを利用して楽団の宣伝をするのは構わねぇが、過剰なPRで変な奴に目ぇ付けられたら危ねぇだろうが! 俺らはともかく、大事な和泉に何かあったら困るのはアンタもだろ!?〟
大事な和泉……?
その意味を理解し、体中の熱が顔面に集中した気がした。
いやいや、ちょっと待て! 俺は〝(団長にとって)大事なコンミスが〟と言ったつもりだったんだが……ッ!?
「ッ~~~~」
「なーんだ、やっぱり無自覚か。てっきりついに意識し始めたと思ったのに。でも安芸はお前の言葉に、しっかり引っかかってると思うけど?」
なるほど、だから安芸はあんな露骨に見せつけてきやがってるのか。
……って感心してる場合じゃねぇ! 後でまた面倒な詮索されるじゃねぇかよッ!
俺が焦っている様子を面白がりつつ、近江は小さく溜め息を吐いて前を向いた。つられて俺も前を向き直せば、未だ楽しそうに笑い合う和泉と安芸の姿が目に入る。
あいつらは出会った直後から、あんな風に打ち解けていた。安芸は既に「和泉は僕が守る」宣言をしてるし、彼女を想う気持ちが本気だってことも明らかだ。和泉がそれに気づいてるかは知らねぇが、気づいてないとすればかなりの鈍感だ。
アイツと比べて随分と遅れを取っちまった俺は、追いつくことができるだろうか。
「そろそろ自分の本心を認めた方がいいと思うぜ。お前のためにも、安芸のためにも」
「……あぁ、分かってる」
そう、分かってるんだ。俺にとって和泉は、どうゆう存在であるのか。
安芸と口論になり飛び出した日。俺を拾った武蔵に諭されて、自分の気持ちとようやく向き合うようになった。
そして和泉が倒れた日。寝ている和泉には誓って何もしてねぇが、〝何事もなかった〟わけではない。
あの時の帰り道、和泉はかなり意気消沈していたが、責任を感じた俺が謝るとこう言った。
<高杉君のせいじゃないよ。貴方はあまり気持ちを言葉にしないし、冷たい印象を与えがちだけど……楽器は弾く人の心を表すっていうように、本当は大らかで温かい人だと思ってる。高杉君は決して、仲間同士で争うことを望んだわけじゃないって、私は信じてるから>
目の前に存在する和泉は、俺の音から閉じこもった内面を知ろうとしてくれている。俺のチェロが好きだと言ってくれた時のように、真っ直ぐと俺を見つめて。
それに気づいた瞬間、脳裏で俺の名を呼ぶ声が、デクレシェンドの如く薄れていくのを感じたんだ――。
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練習室から離れて30分ほどが経過した。何だかんだであのオッサンは口が達者だから、そろそろ様子を見に行っても良い頃合いだろう。
今朝から陽射しは暖かく注いでいるのに、俺は今、猛烈にホットコーヒーを飲みたかった。あれから純のギャグを5つほど見させられたが、結果はさっきの心境どおりだ。終盤なんて見れたもんじゃねぇ。
「純、お前はどうする?」
撃沈して半べそをかいている純に、近江が問いかける。
黙っていればキラキラの茶金髪も相まって、それなりにハンサムなんだが。
「Oh、どうしまショー……。何も考えてないノデ、特に目的もないデース」
「なら僕らの家に武蔵さんがいるから、挨拶に行きなよ。もしかしたら、何か指示をくれるかもしれないし」
見かねた安芸がそう声をかける。すると駐車場の隅で体育座りをして拗ねていた純は、〝武蔵〟という言葉にビクリと肩を跳ね上げ、壊れたロボットのようにゆっくり振り返った。……おい、その反応が今までで一番面白いじゃねぇか。
「ふふふ副長ガガガ、いいいいるのデスカカカカカ?」
「いるけど……、もしかして苦手なの?」
それに気づいた安芸は、何やら意地悪そうな笑みを浮かべた。聞けば前世の純はかなりマイペースな奴で、もっと迅速に動けと武蔵によく怒られていたらしい。記憶による苦手意識から、純は武蔵に怯えているのだ。
「安心して、今の彼は怖くないよ。ナルシストで腹黒いけど」
爽やかな顔で毒を吐く安芸。
「だとしてモッ! 副長と二人きりは勘弁してヨ〜! オーミ、タスケテ〜」
「あぁもうっ! だからくっつくなッ、キショク悪い!」
助けを乞う純と近江が仲良く|戯《じゃ》れ合う様子に目もくれず、更に安芸はしれっと電話をかけ始めた。
何かヤな予感……と思い、俺は楽しげに話す奴の声に聞き耳を立てた。
「はい。はい、そうです。すみません、ではよろしくお願いします。武蔵さん」
最後の単語だけやたらハッキリと聞こえた。それは近江と純の耳にも届いたのか、二人の動きがピタリと止まる。安芸の一番近くにいる和泉は、もはや苦笑するしかないようだ。
「純、やっぱり副長はと~っても優しいよ。君を駅まで迎えに来てくれるってさ」
にこやかに安芸が言い放った瞬間〝お前が一番腹黒いぞ〟とツッコみたかったが、それをどうにか呑み込む俺。
諦めろ、純。もうお前に逃げ道はない。
渋々駅に向かった純の背中を見送り、俺たちは30分前に来た道を引き返している。よく見れば歩道の桜並木は、薄紅色の蕾が今にも開きそうなほど膨らんでいた。今日の晴天で明日には咲くことだろう。
あの後、安芸は「行くよ」と真っ先に和泉の右腕を引き、さっさと歩き始めてしまった。
別にそれはいつものことのはずだが、躊躇なく和泉に触れるアイツを少し羨ましく思う自分がいた。そして数歩進んだところで奴の手が離れていくと、どこかホッとしたのだ。
和気|藹々《あいあい》と会話して歩く二人の2メートルくらい後ろを、俺と近江が並んで続く。
「んで、日向。和泉と何かあった?」
「なっ……ななな、何だよ急に。別に何もねぇよ」
隣の近江に唐突な質問をされ、あからさまに動揺した返事をしてしまった。
近江に視線をやれば、ほんの数分の間でやつれたように感じる。
「ホントか? 何かライブの辺りから急に接し方が変わった気するんだが。|団長《オッサン》に説教くれていた時だって、カッコイイこと言ってたじゃん」
そんなこと言ったか? と思い返してみたが、頭に血が上っていたこともあって、まったく覚えていない。
すると近江は、「ハハーン」とでもいいそうな怪しい笑みを浮かべた。
「まさか無自覚か? お前、和泉を〝特別な存在〟みたいな言い方してたぞ」
〝おいオッサン、いい加減にしろよ!? 俺たちを利用して楽団の宣伝をするのは構わねぇが、過剰なPRで変な奴に目ぇ付けられたら危ねぇだろうが! 俺らはともかく、大事な和泉に何かあったら困るのはアンタもだろ!?〟
大事な|和《・》|泉《・》……?
その意味を理解し、体中の熱が顔面に集中した気がした。
いやいや、ちょっと待て! 俺は〝(|団長《オッサン》にとって)大事なコンミスが〟と言ったつもりだったんだが……ッ!?
「ッ~~~~」
「なーんだ、やっぱり無自覚か。てっきりついに意識し始めたと思ったのに。でも安芸はお前の言葉に、しっかり引っかかってると思うけど?」
なるほど、だから安芸はあんな露骨に見せつけてきやがってるのか。
……って感心してる場合じゃねぇ! 後でまた面倒な詮索されるじゃねぇかよッ!
俺が焦っている様子を面白がりつつ、近江は小さく溜め息を吐いて前を向いた。つられて俺も前を向き直せば、未だ楽しそうに笑い合う和泉と安芸の姿が目に入る。
あいつらは出会った直後から、あんな風に打ち解けていた。安芸は既に「和泉は僕が守る」宣言をしてるし、彼女を想う気持ちが本気だってことも明らかだ。和泉がそれに気づいてるかは知らねぇが、気づいてないとすればかなりの鈍感だ。
アイツと比べて随分と遅れを取っちまった俺は、追いつくことができるだろうか。
「そろそろ自分の本心を認めた方がいいと思うぜ。お前のためにも、安芸のためにも」
「……あぁ、分かってる」
そう、分かってるんだ。俺にとって和泉は、どうゆう存在であるのか。
安芸と口論になり飛び出した日。俺を拾った武蔵に諭されて、自分の気持ちとようやく向き合うようになった。
そして和泉が倒れた日。寝ている和泉には誓って何もしてねぇが、〝何事もなかった〟わけではない。
あの時の帰り道、和泉はかなり意気消沈していたが、責任を感じた俺が謝るとこう言った。
<高杉君のせいじゃないよ。貴方はあまり気持ちを言葉にしないし、冷たい印象を与えがちだけど……楽器は弾く人の心を表すっていうように、本当は大らかで温かい人だと思ってる。高杉君は決して、仲間同士で争うことを望んだわけじゃないって、私は信じてるから>
目の前に存在する和泉は、俺の音から閉じこもった内面を知ろうとしてくれている。俺のチェロが好きだと言ってくれた時のように、真っ直ぐと俺を見つめて。
それに気づいた瞬間、脳裏で俺の名を呼ぶ声が、デクレシェンドの如く薄れていくのを感じたんだ――。